1話:申し開きは、ございません
「アイリス・ヴァレンシア。貴様の罪状を読み上げる」
大広間に声が響いた。
私は跪いたまま、顔を上げない。
冷たい石の床が膝に食い込む。周囲の貴族たちの視線が、針のように突き刺さっている。
「公爵家の資金を私的に流用し、第二王子レオナルド殿下との婚約を利用して不正な取引を行った。さらに、側妃候補であるミレーヌ嬢を陥れようと画策した——」
(はいはい、全部でっち上げね)
資金流用、ね。聞き覚えのある数字が頭に浮かんだ。先々月の東方商会への支払い。私の帳簿を書き換えて「流用」に見せたのか。ご丁寧に。
ドルトンにこんな芸当は無理。あの男は帳簿を開きすらしなかった。じゃあ誰が?
罪状の読み上げが続く。長い。丁寧に嘘を積み上げたものだ。
顔を上げた。
玉座の隣、一段低い席にレオナルドが座っている。足を組んで、退屈そうに頬杖をついていた。裁かれる側の元婚約者ではなく、催しを眺める観客の姿勢。隣にしがみついているミレーヌが、こちらを見て目を潤ませている。唇の端だけが微かに上がっていなければ、泣いているように見えただろう。
(ああ、これ、何を言っても無駄なやつだ)
前世でも似たような場面があった。会議室で上司に詰められた時。データを揃えて、論理的に説明しても、最初から聞く気がない相手には何も届かない。
あの時学んだ。「決まっていること」を覆すのは、正論じゃ無理だって。
「——被告人、何か申し開きはあるか」
「——ございません」
「なんだと?」
「申し開きは、ございません」
ざわめきが広がった。
レオナルドが身を起こした。初めて興味を持ったように、こちらを見る。
「ずいぶん素直じゃないか。もう少し足掻くかと思ったが——まあ、帳簿しか取り柄がなかった女だ。弁明の言葉も持ち合わせないか」
嘲りではなかった。本気でそう思っている顔だ。自分でこの茶番を仕掛けておいて、私の沈黙を「能力の限界」だと信じている。
(……あなたにとっては帳簿も弁明も「大したことではない」のよね)
ミレーヌが小さく笑った。
「殿下、お優しい。追放だけで済ませてくださるなんて」
裁判長が判決を読み上げた。公爵家からの追放と、辺境アーレン領への流刑。
ミレーヌが安堵の涙を流している。よくできた芝居だ。
(まあ、どうでもいいわ)
不思議と絶望はなかった。
むしろ——少しだけ、肩の荷が下りた気がした。
毎月の帳簿。締め切りに追われる税収報告。父の代わりに頭を下げる商会との交渉。全部、もうやらなくていい。
「……承知いたしました」
立ち上がる。
周囲の貴族たちがざわついた。泣き叫ぶか、命乞いでもすると思っていたのだろう。
私は一度だけ、父の方を見た。
ヴァレンシア公爵エドワードは、こちらを見ていなかった。手元の書類に目を落としている。悲痛でも苦悩でもない。面倒ごとから距離を取る、いつもの顔。
鑑定する。
【ヴァレンシア公爵】
現在価値:300
潜在価値:850
潜在850。やればできる数字なのに、現在はたったの300。
この人は昔からこうだ。帳簿も経営判断も全部私に任せて、任せたことすら忘れた顔で座っている。追放を止める力がなかったのではなく、止めない方が都合がいいと判断した。この人はそういう計算だけはできる。
「父上」
「な、なんだ」
「帳簿の引き継ぎ、誰がやるんですか?」
父の顔が引きつった。
「来月、東方商会への支払いがありますよね。あと、領地の税収報告の締め切りも」
「わ、分かっておる! お前がいなくても、なんとかなる!」
「そうですか」
私は微笑んだ。
「では、お元気で」
背を向ける。
振り返らない。
(なんとかなるといいわね。私がいないと、三ヶ月で破産すると思うけど)
***
馬車に揺られて、三日。
王都を出た初日は、まだ道も景色も整っていた。石畳の街道、手入れされた農地、活気のある村。
二日目から風景が変わり始めた。畑は減り、道は細くなり、すれ違う人もまばらになる。
三日目にはもう、灰色の荒野しかなかった。
窓の外を眺めるたびに、数字が浮かぶ。
見たくなくても見えてしまう。物や人や土地の「現在価値」と「潜在価値」が。
前世の終わり頃に目覚めた力。正確にはこの世界に来てから使えるようになったのだけど、前世の記憶と一緒に覚醒した。
便利ではある。ただし万能じゃない。
通り過ぎる村に、数字が浮かんでは消えていく。
小さな村が380。道端の行商人が450。少し大きな宿場町で600。
大体300から700くらいが、この世界の「普通」らしい。
ぼんやり眺めていると、一箇所だけ引っかかった。
街道沿いの丘陵地帯。見た目は枯れた草と岩だらけの、何の変哲もない土地。
【丘陵地帯】
現在価値:90
潜在価値:1,050
思わず目を凝らした。
90は低い。打ち捨てられた土地の数字だ。でも潜在が1,050。道中で見てきた村や町よりずっと高い。この荒れた丘に、何かが眠っている。
地下に鉱脈があるのか。土壌が特殊なのか。立地に価値があるのか。数字は「何かがある」とは教えてくれるけど、「何が」あるかまでは教えてくれない。
馬車は止まらない。通り過ぎるだけの土地。私にはどうしようもない。
***
三日目の夕方、馬車が止まった。
灰色の空。吹き付ける北風。
石造りの館は古く、壁のあちこちにひびが入っている。屋根の一部は苔に覆われ、門の鉄柵は錆びて半分開いたまま。
道を歩く人はまばらで、その顔には疲労と諦めが滲んでいた。こちらを見る目に好奇心はない。「また来たのか」という倦怠だけ。
ここが、私の新しい居場所。
「お嬢様、こちらでございます」
出迎えたのは、白髪の老執事だった。背筋が伸びていて、目に力がある。
周囲の住民たちが諦めた顔をしている中で、この老人だけが違った。荒れた土地で、まだ何かを守ろうとしている人間の目だ。
「セバスと申します。以後、お仕えいたします」
「アイリスでいいわ。もう令嬢じゃないもの」
セバスは少し驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。
「かしこまりました、アイリス様」
様はつくのか。まあいい。
館に入る。中も外と同様、古びていた。埃っぽいし、家具も傷んでいる。でも、廊下は掃き清められていて、窓の桟にも埃はなかった。人手がないなりに、手を抜いていない。セバスが一人で維持してきたのだろう。
「他に人は?」
「護衛として、騎士が一人おります。それだけでございます」
「護衛?」
「流刑者の護衛という名目ですが……実質、監視役かと」
なるほど。逃げないように見張ってるわけね。明日でいい。
執務室に案内される。窓の外に、薄暮の領地が広がっている。
そこで、ふと。窓の向こうに、数字が浮かんだ。
【アーレン領】
現在価値:12
潜在価値:2,800
——12?
道中の一番寂れた村だって300はあった。12は、ほぼ死んでいる。
でも、潜在が2,800。
実家の公爵領だって、現在価値は3,000程度だった。この荒れ果てた辺境に、それに迫るポテンシャルがある?
(数字は嘘をつかない。なら、この土地には何かがある)
「セバス、過去の帳簿があるなら全部出して。五年分」
「……帳簿を、ご覧になるのですか」
「当然でしょう。この領地の何が死んでるのか、帳簿が一番よく知ってる」
セバスが目を見開いて、それから深く頭を下げた。
***
夜。蝋燭の灯りの下で、帳簿を開いた。
予想通り、酷い。水増し、二重計上、架空請求。前の代官がまともに管理していなかったのは一目で分かる。
ただ——三冊目で、手が止まった。
鉱山の帳簿。四年前に閉山した記録がある。国への報告も済んでいる。ここまではいい。
問題はその後。閉山したはずなのに、「管理費」の名目で毎月同じ額が出ている。鉱夫の給料と同じ額。でも食料や燃料の支出はゼロに近い。
(人がいないのに、人件費だけ出てる?)
鉱夫がいれば飯を食う。鉱山が動けば燃料がいる。どっちも消えているのに、金だけが動いている。しかもその送金先——。
見覚えのある名前だった。
(これは杜撰じゃない。意図的だ)
架空の名目で金を抜いて、どこかに流している。誰が仕組んで、誰が受け取ったのか。
……心当たりはある。でも今は確証がない。
(深追いは後。今は領地を生き返らせるのが先よ)
帳簿を閉じた。ただ、頭の隅には刻んだ。この帳簿には爆弾が埋まっている。
***
翌朝。
帳簿に向かったまま朝を迎えていた。窓から薄い光が差し込む。
ノックの音。セバスではない。足音が違う。
「グレン・ファルクスです。護衛を務めます」
顔を上げた。
黒髪に灰色の瞳。表情が乏しい。背は高いが、威圧感はない。むしろ存在を消すのが上手い類の人間だ。目だけが鋭い。
口数も少なそうだ。というか、今の自己紹介で今日の発言量を使い切った感じすらある。
「よろしく、グレン。私はアイリス」
「……」
頷きすらしない。
愛想のかけらもないわね。まあ、監視役なんだから、仲良くする必要もないってこと?
私は何気なく、鑑定を使った。
【グレン・ファルクス】
現在価値:700
潜在価値:9,999
——は?
700は高い。道中で見た数百人の中でも頭一つ抜けている。
でも、9,999。
見たことのない数字だった。公爵領の3,000でも相当なのに。桁が違う。
無愛想な騎士が、入口に立っている。灰色の瞳に感情はない。この男の何が、9,999なのか。
「……何か?」
視線に気づいたらしい。
「——いえ、何でもないわ。セバスを呼んでくれる? 山に行く準備をしたいの」
「……分かりました」
グレンが去る。足音が廊下に消えていく。
9,999。
死にかけの領地。仕掛けられた帳簿。そしてこの男。
退屈はしなさそうだ。
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