77.『―主に忠誠を誓う晴天―』
交じり合う剣。響く怒号、広く伝わる雄たけび。誇り、怨嗟、希望、絶望。様々な感情が、交わり混ざり溶けてなくなる、残酷極まりないこの戦場で。
鮮やかな剣捌きを利き手とは反対の手でこなしながら、男はもう片方の手を滑らかに動かしていた。
そこにあるのは、複雑な陣。そして陣の上に描かれるのは、この国のものではない文字だ。男が指を動かせば動かすほど、それは量を増していく。
――我が主君、我が帝国、我が母なる大地に捧ぐ。
それは、手紙だった。
「ランスロット閣下! 予定通り本陣へ向かいましょう!」
「アタシも来たわよぉ!」
「承知しました。向かいましょう!」
一人の兵士が、敬礼をしてランスロットにそう言う。背後から、敵兵を切り捨てながらレッタが向かってきた。
このまま敵本陣営に向かい、そこにいるであろう、アデルを除いた四天王秘書三人を倒した方が早いのだ。
この場での最強であるランスロットを失おうとも、兵士達の意志は欠片も揺るがなかった。
戦場を駆けていくランスロットは、陣から手を離す。
僅かな残光を残して、文字と共に陣が消えていく。
――それは、手紙だ。
最期の、手紙なのだ。
〇
たった三人で本陣に攻め込むのは、外から見たら無謀だろう。
しかしランスロットらは我が物顔で、正面から本陣を歩いて直行で彼らのいる場所まで向かう。途中襲い掛かってきた敵兵は、全てランスロットとレッタについてきた兵士が切り捨てた。
彼はもちろん、自身が四天王秘書に対抗できると思ってついてきたわけではない。
ただ、二人が必要以上に力を使わないように、守護に徹しようと思ったのだ。だから、決して邪魔が入らないように、ただ敵兵を斬り続ける。
それは、秘書三人が現れて立ちはだかり、青い髪の女の一矢で心臓が射抜かれるまで続いた。
「うるさいって言ってるのが、わっかんないんですかね」
「低能に喋る言葉なんて、ないんですよっ!」
「違うのだよ。彼らは、無謀ということを知らないのだね」
「無謀、と仰られますか」
二人の女、一人の男。三人の罵りに、ランスロットは冷静に応じた。
「無謀なのは、どちらでしょう」
剣を抜いて、構える。
レッタが、ちらりとランスロットを見上げた。
ランスロットは、レッタの耳に口を寄せる。
「――!!」
レッタが目を見張るとともに、ランスロットが駆けだした。ランスロットは二人の女に囲まれ、一人の男はまっすぐレッタに駆け寄ってくる。
大丈夫。
自分は速いんだ。
いかなる逆境も、どんなに醜く這いつくばろうが超えて見せるから。
だって、だって――
〇
ぽたぽた、と頭から血が垂れて流れ地面にしみる。
わき腹からも出血しているし、肩には未だ矢が突き刺さっている。背中には大きな裂傷が刻まれているし、どう見ても死にかけの重傷だ。
それでも、レッタは立っていた。
目の前に、ランスロットはいないのに。
その先には、三つの死体があった。
「……っ」
――アルテミスに渡りし、帝国の勇士よ。どうか、この先は私の代わりに忠誠を尽くしてください。
全てを見通していたランスロットの言う通りに、事が運んだ。
自分達はきちんと勝って、だけどランスロットは命を落としてしまった。
レッタはこぶしを握り締めて、くるりと彼の遺体に背を向ける。
そして、ゆっくりと歩き出す。
一歩一歩を強く、強く踏みしめて、先を見据えて、霞む目で、揺らぐ体で、今も意識が飛びそうになるのを必死に抑えて。
レッタは、全うしなければならないのだ。
全うしなければならないことが、あるのだ。
〇
さかのぼること、少し。
ランスロットは、獅子奮迅の勢いで剣の閃光を絶えることなく走らせていた。
弓使いの女は、先ほどランスロットが切り捨てた。
だがその隙に、槍使いの女に肩を思いきり深く突き刺されてしまったのだ。
そのため、万全の動きはできなくなっている。
それでもランスロットは立っていた。立って、走って、斬って、諦めず、剣を落とさず、前を向いて、忠誠をささげ――
「……!」
少し斜めの方を見れば、レッタが今にも剣士の男に斬られかけるところだった。だが、間一髪で回避している。
目の前を見た。
ランスロットの相手をしている槍使いの女は、全身を切り裂かれてもなお立っている。
見上げた精神だ。
いくらののしられようとも、いくら敵であろうとも、決して馬鹿にしてはならない『信仰』というものが、彼らの中にもある。
例えば、ランスロットをランスロットたらしめている『帝国信仰』のように――
「このようなことを、考えている場合ではありませんでしたね」
「なにを――ごちゃごちゃとッ!」
女の槍が少しランスロットの頬をかすめ、ランスロットの剣は女の肩をわずかに切り裂いた。
精彩を欠いていようと、ランスロットが敗北する理由にはならない。
「ごちゃごちゃ? いいえ、立派な作戦でございます」
「はあ!?」
「――今です! 退避を!」
「分かったわぁ!!」
「アルテミスに渡りし、帝国の勇士よ。どうか、この先は私の代わりに忠誠を尽くしてください!」
ランスロットが一人、槍使いと剣士を二人とも抑える。
その隙に、苦虫を嚙み潰したような顔をしたレッタが凄まじい勢いで戦場に戻っていく。
その瞳には、わずかに涙が浮かんでいて――
「ああ、戦場で死ねることは、私にとって尊きことにございます」
――主に、忠誠を。
――帝国に、幸あれ!
――臣民も、兵も、王も、高貴なる一族も、等しく!
――平和を、平等を、一人一人の権利を謳歌し!
――一人として余すことなく、幸福をその手に!
――それが、我がアルミテス帝国!!
――それが、我が主!!
「そして――我が主が一の配下。ランスロット。参ります」
これほどに名誉的な死を前に、悲しむことが、恥じることが、果たしてできようか。
――いいや、できるはずがない!!
〇
ランスロットの魂が張った魔術陣は、あまりに広大だった。
初めは、もちろん自身の戦っている本拠地に大きな即死魔術陣を。
そして残りの力をすべて、今も兵が戦争をしているであろう、主戦場へ。魔術の種類は、業火。
「退去ぉおおおおお――!!」
力の限り、レッタが叫ぶ。
喉から、血の味がした気がした。
涙が滲んで、前がよく見えない。
声も、きっとかすれているし、何なら震えているかもしれない。
でもレッタの全力の叫びに、味方兵は応じた。
素早い撤退とともに、業火が、上がる。
「撤退!!!」
レッタにも、計画があった。
ランスロットにも、話していない計画が。
突然の撤退命令に、味方兵は戸惑う。それでも、今の指揮官はレッタだ。だから、味方兵はそれに従うしかなかった。
それに、目の前では業火が盛っているのだ。
この中に突っ込めと言われるより、撤退命令の方がよほどありがたかった。
「バカね、ランスロット、本当にバカだわぁ」
去り行く兵を見つめながら、レッタは剣を握りなおす。
――あれは、ランスロットの自爆魔法だった。
グレイズのように。エリーヴァスのように。彼もまた、自身を犠牲にして多大なる貢献をしたのだ。
でもそれは、あまりに残酷なものだった。
「あんたはね、主のために死ねた、最高なんて思ってるかもしれないけれどねぇ」
レッタは、駆ける。
業火の中を、恐れることなく。
生き残った敵兵を、息のある敵兵を、もはや理性さえも失いながら、ただ切り裂いてゆく。
自分も、相手も、世界と心の境界線が分からなくなっても、なお、斬る。
これは、ランスロットの魂の火だ。
だから例えその火がレッタを焼いて、視界が開かない中戦うせいで不意を打たれたりしたとしても。
それは、レッタを殺せたりはしないのだ。
だって、仲間だったから。
――あんたはね、主のために死ねた、最高なんて思ってるかもしれないけれどねぇ。
「アタシは……」
火が消えて。
燃え残った真っ黒な土地の上で、血まみれになったレッタはそれでも立っていた。
ゆっくり、ゆっくりと足を進める。
そんな不安定な足取りで、ランスロットが自爆したあの場所に、もう一度戻った。
彼が居ないことは、もうわかっているけれど。
でも、それでも、あの人は――
「仲間だと思ってたから、悲しかったわぁ……」
ランスロットだけではない。
グレイズだって、エリーヴァスにだって、死んでほしくなんかなかった。
でもランスロットとは、共に戦ったのだ。
レッタという男がセーヴくらいに強ければ、きっと彼が自爆する必要なんかなかったけれど。
でもやっぱり、レッタはそこまで強くなんかなくて。
弱いから、身の程をわきまえてできることをするしかなくて。
でも、自分より強いランスロットは、死んだ。
――レッタは、生きている。
数多の命を踏み越えて、それでも、みじめったらしく生きている。
なら、なあ。
おまえにはやることが、あるはずだろう?
「いかなければ」
頭から血が垂れて流れ地面にしみた。
わき腹からは出血している。
肩には矢が突き刺さっていて、背中には大きな裂傷が刻まれていた。
レッタはこぶしを握り締めて、ランスロットの遺体に背を向ける。
ゆっくりと歩き出す。
先を見据えて、霞む目で、揺らぐ体で、今も意識が飛びそうになるのを必死に抑えて。
レッタは、全うしなければならないのだ。
全うしなければならないことが、あるのだ。




