43.乗り越えた先は?―合意―
決心を叫んだあと、セーヴは乱暴に涙を拭いて立ち上がった。その瞳には確かな光がある。少し名残惜しそうに両親を振り向きながら、セーヴはドアノブに手をかけた。
「……ありがとうございました」
残留していた邪念も、もうなくなっている。両親の試練も、乗り越えた。
ここに残る必要は、もうない。
だからセーヴは迷わずドアノブを引いて、扉を開け――
「っ」
扉を開けた先の光景に、セーヴは目を見張った。五つの死体が、重なるように横たわっていたからだ。そしてその顔は、見知ったものである。
ティアーナが処刑される前、とても仲が良かった兄弟姉妹たちである。
きっと両親には避難するように言われていたのだろうが、彼らは自決を選んだのだろう。両親に似て、とても強い彼らの事だから。
「……」
セーヴは目を閉じた。すると、過去の日常が脳裏に浮かぶ。
――うわーっ、どうしよう、家庭教師からのテストまた赤点取っちゃったよ!
――やった、魔術成功だわ!
――おにーちゃんなんて、ぜったいぜーったい、超えてやるんだからね!
――だいじょーぶだよ? かわいいおとーとのぱわー、あげるね!
――心配するな。お兄ちゃんが何とかしてやるからな。
大きく息を吸い込んだ。そして、その分の息が吐き出される。目を開けた。
「絶対無駄にしないから」
ムードメーカーな一人目の弟、魔術の才能が凄かった一番目の姉、才能があるとは言えなかったけれど、必死に追いつこうとしてくれた妹。素敵な笑顔で辛い事も吹き飛ばしてくれた、二人目の弟。そして、とても頼りになって父によく似た次期当主でもある、一番上の兄。
みんな、大好きだったよ。
「さようなら」
だけど今は、ごめんね。
〇
グレイスタール侯爵邸の正門の前。セーヴはただ呆然と炎の吹き荒れる侯爵邸を見つめていた。火はセーヴが放ったものである。
もっと騒ぎを大きくして、帝国を大混乱に陥らせるために。
そう。ティアーナが起こしたなんて言われた混乱よりも、もっとずっと大きいものを。
セーヴは、そっと両手を合わせて祈った。
親不孝者だった自分に出来る、たったひとつのことだった。
最後にもう一度侯爵邸を仰いで。
――『セーヴ』は、踵を返した。
〇
本拠地に近づけば近づくほど、喧噪が飛び交っているのが聞こえる。きっとグレイスタール軍、ロールスター軍が到着し戦闘が始まったのだろう。
行かなければ、と思うが、その足取りは重い。
何せ、大喧嘩をして別れたのだ。邪気の侵食のせいだったとはいえど、あれはセーヴの心底にあった想いを増幅させたものなのだし。
だが決裂したままにはしておけない。セーヴは意を決して本拠地に踏み込んだ。
最初に目に飛び込んできたのは、レンとレイだった。二人は本拠地の中心部で、武器の手入れを行っていた。
「あれっ、セーヴさんっすか? 成功したんっすか?」
「……この通りね」
レンの問いに、セーヴは道中ずっとひっさげ続けていた弓矢を彼に見せて答える。母の使っていた『嫉妬』の三千兵器だ。
ちなみに父の『暴食』はセーヴの傷を治すときに砕け散っているので、モノはない。恐らく今燃やされている。
レンは「おお」と声を上げた、かと思うと、自身も得意げに口角を上げる。
「実はっすけど、セーヴさんに触発されて、自分達もロールスター騎士爵邸に向かったんすよ。そんで全滅させてきたっす。これが、勝利品っす。『強欲』のグリード・マモンっすね。ったく、皇帝は七つの大罪を全滅させる気っすかぁ?」
「なるほど……そっか。まあ皇帝にとって七つの大罪の武器なんてそこまでじゃないんじゃないかな」
肩をすくめて自分の行動を述べたレンに、セーヴも微笑んで返す。勿論その笑みがぎこちない事はレンだって察していたが、彼は自分が人の感情を汲む事に対し不得手だと分を弁えている。
だから、その役目は自分ではなく。
「それより……その……インステードさんですが……戦場に向かっていて……前衛で敵を切り裂いてます……」
「あ、そうそう、自分も見たっすよそれ! 紙でも引きちぎる勢いで敵を――」
「――あんた達、なに人を殺戮兵器みたいに言ってんの」
「きゃーっ!!」
「あんたは女かッ!」
「さよなら……良い兄だった……」
「うぉいこらレイーっ!!」
「……!」
気まずそうにレイがさらっと話題をインステードに変え、レンもニヤニヤしながら応じたが――まさか後ろから、赤い戦闘服に着替えたインステードがやってくるとは思わなかった。
だがレンも方向転換が上手い。場が和やかになるようにセッティングし、レイがさらに盛り上げる。セーヴはこの巧みな話術に、気付いた。
インステードがセーヴを前に緊張しないよう。セーヴがインステードを前に過剰反応せぬよう。
「……戦場で暴れたのは、久しぶりかな?」
だから、セーヴもまずは穏やかな話題から始めた。インステードはまさかそこから始まるとは思わなかったようで、目を見張る。
レンとレイはこそこそと泥棒のように、足音を立てないようこの場から逃走した。
ちなみにセーヴには見える。遠くのテントから顔を出して、ちょっとセーヴに威圧を放ってくるエリーヴァスが。
――インステードさんを泣かせないでくださいね!
とでも言いたげな視線である。
レンとレイの気遣い。エリーヴァスの後押し。そして何より、両親と兄弟姉妹の遺した強さは、セーヴの背中を押すのに十分だった。
「そう、なの……。何年ぶりかしら」
「そういえば君はさんじゅ――」
「ぎゃーっ!! わたしは永遠の十五歳なの!!」
言ってから、ハッ、と気付いたようにインステードが口を閉ざした。セーヴは首を傾げかけたが、直前で気づく。
彼女は怯えているのだ。これ以上何かして、セーヴに怒られないか、と。
ティアーナを失った今、セーヴとインステードが互いに最も信頼し合っているのは、セーヴだって分かっている。なるほど唯一の理解者と決裂するのは、恐怖かもしれない。セーヴだって同じだ。
けれど根本的な感情がもっと単純だと理解できないセーヴは、恋愛ではまだまだだった。
「そうだったね。……それと、ごめんね。言い訳をするつもりはないんだけど……あの時僕は、邪神ヘルにとり憑かれていたみたいなんだ」
「じゃ、邪神!? と、いうと……オーギル・マクロバンとの戦闘の時なの?」
「うん、そう。それで、聖女マナ・クラリスに助けてもらって何とか引きはがしたんだけど……たぶんあの時の僕は凄い形相だったと思う」
「そう、そういうことだったの……。そうね、凄い形相だったの」
「もちろん、アレを逃げに使うつもりはないよ。だって、本当に心の底にあった感情だから」
「っ!」
セーヴはきっぱりと言い切った。包み隠すことはなく、その言葉にぎこちなさはない。まっすぐぶつけられた感情なのに。あの時彼が言った言葉は本当でもあったのだと、そう言われて辛くなるはずだと思ったのに。
そんなこと、無くて。
だって、彼の表情がどこまでも優しかったから。インステードを責める感情なんて微塵も見られなくて、そして、瞳には強い光が灯っていた。
「僕はもう逃げない。ただがむしゃらに、復讐する。その先に、答えなんて求めない。だから――改めて、仲間として仲直りしてくれますか?」
「っ……! はい……!」
差し伸べられた手は、いつもより大きく感じて。インステードは自分の手をいつの間にか差し出していた。その手が、ぎゅっと握られる。
瞬間、瞳が涙で潤んだ。
なんかプロポーズみたいで照れるとかカッコ良すぎるでしょとか自分がヒロインみたいじゃないかとかこの時間が過ぎて欲しくないとか――なんか色々押し寄せて、インステードは裏返った声で返事をした。
「わたしも……分かったの……。ティアーナさんは、わたし達の中で生きてるの。だから、それを途絶えさせちゃだめなのよ……!」
「インステードちゃん、君」
「だってそうでしょ? 思い出が色あせてしまったら、ティアーナさんが過去になってしまったら、わたし達の復讐は意味を成さなくなって、ティアーナさんは本当に死んじゃうの」
次に飛び出た言葉は、狂気だった。セーヴの狂気と比べても劣らないレベルの幻想が、そこにあった。
でもきっと、ここに狂っていない人間などいない。
セーヴだって目を見張って驚いたけれど、自分だって人の事を言えない。
だから、
「うん」
彼が発したのは、肯定だった。『ティアーナ』を永遠に留めるため。そしてその正しさを、彼女を処刑した人間達に知らしめるため。
インステードの言葉が正しいと、思えるから。
「……今ので、良い事を考え付いたんだ。今回の戦争についての報告もお願いしたいし、招集をかけようかな」
「そうね……副司令官がいなくって大変だったの」
「うっ、ごめん」
「いいの。わたしが招集かけるから、ちょっと待ってるの」
離れた手にちょっと名残惜しそうにしながら、インステードは的確にするべきことを行う。ランスロットが持ち込んだラッパ式招集は、とても役に立っているようだ。
セーヴはそれを見守りながら、ある計画を頭の中で反芻する。インステードの言葉と両親との会談で、セーヴは民へのナイスな復讐を思いついたのだ。
それと共に、彼は前に居るインステードを眩しそうに眺めて目を細めた。
(絶対、追いつくから)
君のどの強さにも及ばないかもしれないけれど。
今は、まだ愚かな自分かもしれないけれど。
でも、次は頼ってもらえるように。
次は、二度と仲間を悲しませないように。
何よりもきれいな、復讐の花火を打ち上げるために。
――セーヴが本当の意味で生まれ変わる最初の一歩は、これからである。
あくまで復讐するための覚醒。
次回からセーヴくんの過去回でございます。結構長くなりそうですが、頑張ります。
よろしくお願いします!<m(__)m>




