7 エピローグ:イチズナアイ
……長ぇ待ち時間だなオイ。
俺は苛々とエレベーターの到着を待っていた。
四基もあるくせに、全部が全部下の階にあるってな、どういう事だよ。凄ぇ団体さんでも使ってやがんのか。
ようやく上へ向かって移動を始めたらしいことを伝える階数表示を眺めながら浅いため息をついたとき、背後にカーペットで消音された人の足音が聴こえた。
ずいぶん身なりのいい、まさに老紳士ってぇ感じの爺さんが、ゆっくりとこちらに向かって来ている。
けっ、上品なツラしやがって。だから金持ちは嫌いだぜ。
軽く心の中で毒づいていると、爺さんは何を思ったか、俺の真横にぴったりと並んだ。
──なんだよ。
訝しげに見るが、爺さんは気にしたふうもなく真っ直ぐ前を向いている。
不快だが、文句をつけるほどでもない。仕方なく、間もなく到着するらしいエレベーターの表示に視線を戻した瞬間、爺さんがやたらと通る声でそっと囁いた。
「命拾い、なさいましたね」
ゾッとした。
にわかに心拍数が上昇し、脚が小刻みに震えだす。
何か答えようにも、喉がきつく締め付けられて呼吸すらままならず、エレベーターの到着を告げるチン、という小さなベルの音だけがホールに吸い込まれていく。
爺さんは変わらぬ声色で続けた。
「と、言いたいところですが。あなた様にはお礼と……謝罪をしなければならないようです。もし宜しければ──」
「何の、話ですか」
俺はカラカラに乾いた喉で、かろうじて声を絞り出した。
「俺は、ただの伊織さんの友人ですよ。あなた方に謝罪される覚えはありませんが」
「さようでございますか、これは失礼を。当方の思い違いだったようです。……では、お気をつけてお帰り下さいませ」
──皮肉にしか聞こえねえよ。
俺はエレベーターに乗り込み、ゆっくりと振り向いた。
爺さんは深く腰を折った完璧な姿勢で礼をしていた。そしてそのまま、タイミングよく自動で閉まり始めたドアに隠れて見えなくなるまで、微動だにしなかった。
俺は一階へのボタンを押し、ずるずるとへたりこんだ。
姿勢を変えて内壁に背中を預け、大きく息をつく。
──こ、怖ええええ!
妙な勘繰りしてんじゃねーよ。俺ァ今日は、マコトの為だけにここに来たんだよ!
……まあ、それも丸っきりムダと言えば、ムダだったんだけどさ。
ったく、とんだ茶番だったぜ。
まさかくっついちまうとはな。……いや、もしかしたら、くらいは思ってたか? 自分でも分かんねえや。
しかしあいつ、やっぱり何も思い出さなかったな。最後も必死に目で止めたのに、迷いなく突き進みやがって。
親父の話を出したときには何かが引っ掛かったような顔してたから、
──他の誰が何と言ったって、俺だけはお前が女の子だって知ってる!
なんつって、ほぼあの時とそっくりそのままなセリフまで吐いたってのによ。
まあ、十歳にもならん頃に夏休みのほんの十日間だけ一緒に遊んだ奴のことなんか、忘れちまうのが普通なのかも知んねえな。苗字も変わってるしな。
あーあ、つまんねえの。
こうなりゃ、たっぷり小遣いも入ったことだし、ここの高級ラウンジでパーッと……。
いや、やっぱそりゃねーな。らしくもねえ。
しょーがねえな、またいつもの安酒でもかっ喰らいに行くとすっか。
ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。
完結後のお楽しみとして、ちょっとだけネタバレします。
●●● 注意! 以下ネタバレ ●●●
主要キャラ三人の名前が、いくつかの仕掛けをネタバレしています。
読み変えると……
御名 真(みな→おんな)美女。
諏訪出身と民俗学サークルの設定は、建御名方神を匂わせて不自然な苗字を少しでも誤魔化すため(笑)
乙木 伊織(おとぎ→おとこ)野獣。
伊織はもともと男性名。
一砂 愛(かずさ・あい→いちずな愛)野獣。
色んな意味で撹乱要員。