プロローグ「焼かれた故郷」
それは酷く喉を焼くような痛みだったのを覚えている。
目を覚ませば真っ暗闇の夜の中、むせ返る息苦しさにすぐさま現実を直視する。
姉は、両親は?
そんな懸念よりも先に少女の身体は真っ先に生への活路を見出した。
無我夢中で飛び出した扉の先、辺り一面に広がるのは夜をも焦がし尽くさんばかりの紅蓮の業火だった。
ここ数十年-いや、生まれてこの方見た事ない昼空に感嘆の声を漏らす余裕なんてない。
辺りからは耳を劈くような悲鳴があがっていたからだ。
見渡せば地面に転がった”何か”が何事かを喚き散らかしている。それも一つや二つではない。
炎に照らされて、真っ黒なシルエットを浮かばせたそれらはくねくねと奇妙な動きをみせる。
-違う。これは人だ。
そう理解するには、当時十二歳の少女にはあまりに強烈なトラウマとなった。
炎による逆光で黒いシルエットに見えるんじゃない。実際に真っ黒になっていたのだ。
「ヒッ-」
村の人たちが、知り合いが、燃えている-。
いったいこの村で何が起こっているの?
まるでこの世のものとは思えない地獄絵図に、少女は嗚咽混じりの吐き気を催した。
「だれが、る⋯⋯かぁあ?」
蚊の鳴くようなか細い声と共に、業火の中から一つの影がふらりと現れる。
それはゆらゆら揺れてたたらを踏み、首を傾げ、それでもこちらを捉えてゆっくりと歩を進める。
少女は目を見開いて口元を抑えた。
その人は既に片方の足が、足首から下が存在しなかった。
皮膚は焼け爛れ、顔も半分以上歪んで性別すら判別不可能。
焼かれて燻んだ皮膚はねっとりとした服と絡み合って、もう境界線が分からない。
そして今もなお炎を纏って焼かれているというのに、それすら慌てる様子もない。もはや回避する力すらないのだろう。
残っているのは生への執着だけだ。
その人は残りの命を燃やすように棒状となった足を杖代わりに地面を叩き、もう片方の足を引き摺ってこちらを目指す。
まるで壊れたブリキの玩具のようにゆっくりと歩を進め、べっとりとした血が地面を擦り、その度に脚をすり減らしていた。
「あぁ⋯⋯あ⋯⋯⋯⋯」
少女は目の前の光景に震えて身動き一つ取れずにいた。
えも言えぬ後悔が、まだ幼き少女の身体に去来したのだ。
少女にこの光景を見せつけるこの光は、業火は-まさしく村を焼く悪魔の炎なのだと脳裏に焼き付いた。
「ガッ-」
一瞬、断末魔のような短い声が上がり、目の前に迫る人の身体が大きく跳ね上がった。
何事かと思えば、再び大きく跳ね上がってその人は残った血を吐き出した。
それは胸元を貫通して姿を表した矢によるものだった。
「まだ誰か残っているのか?」
まるで普通に声を掛けるように落ち着いたそれは、幼き少女でもゾッとするような身の危険を感じた。
少なくともこの地獄の中で聴いていい声色じゃない。
まるで無機質なロボットのように抑揚のないそれは、幼き少女の身体を急激に緊張させてその場に張り付かせた。
業火の揺らめきの中に漆黒の影が近付いて来るのが見える。少女はもう駄目だと目を瞑った。
少女はポンッと肩を叩かれた。
「まだ居たの!?何してんの早く逃げて!」
えっと目を開ければ、そこには双子の姉セラが立っていた。
「おねぇ⋯⋯ちゃん?」
「まさかまだ残ってるなんて!ったく!」
瞬間、姉セラからでこぴんを喰らった少女はジーンと広がる額の痛みから涙を浮かべる。
「えぇん、おねぇ-」
「-いい?一回しか言わないからよく聞いて。家の裏から真っ直ぐ走ったら一つ動かせる柵があるわ。そこから逃げなさい」
姉は少女の目の前に人差し指を立てて言葉を遮る。
「私も何が起こっているか分からない。でも安心して。私は魔力があるから。奴らと戦える」
少女は何か言おうとするも姉に人差し指をあてがわれ封じられる。
「いい?私からの最後のお願いだから-よく聞いて」
「えっ、え?最後って-」
姉は少女をゆっくりと優しく抱擁した。
「誰かを愛しなさい。貴方はその人の為に生きたいと思えるはずだから」
姉セラはそうゆっくりと少女から身体を離すと微笑んだ。
「わかった?私との約束よ?ミリア」
姉はそう言い残すとその場からくるりと身を翻して燃え盛る業火へと歩を進める。
「おねぇ-」
「-行けッ!」
姉のはち切れんばかりの迫力に弾かれて少女-ミリアは駆け出した。
村を取り囲むように立ち上る炎の中、何度も振り返ってはミリアは姉の後ろ姿を見やる。
言い残した事も話したい事も、聞きたい事もまだまだ沢山あった。それでも姉に言われた通りに走った。
そして数秒も経たずして炎を飼い慣らす者が揺らめく炎の奥に影を作る。
咄嗟にミリアは家を遮蔽物として身を隠しながら柵へとたどり着いた。
柵を外して外に出た直後、耳を覆いたくなるような悲鳴が辺りに響き渡った。
聞き馴染みのある、ミリアをいつも励ましてくれていたその声はもうそれ以降聴こえない。
「おねぇちゃんッ⋯⋯」
ミリアは涙でぐちゃぐちゃとなった顔のまま走った。何処へ行くあてもなく、ただひたすらに真っ直ぐに走った。
村から出たことが無いミリアにとって、姉の見た世界が全てだった。
姉はいつも話してくれていた。村の外には明るい世界が待っていると。
しかし空は村と変わらずに真っ暗闇に包まれ、そして辺り一面硝煙とは違った霧が立ち込めて行く手を阻む。
「嘘ばっかりじゃん⋯⋯うそつき」
ミリアは居なくなった姉に呪詛を吐き連ねて、ただ無我夢中に目も効かぬ夜闇を疾駆する。
姉は話してくれていた。いつも楽しい人物がいたと。
私は気付いていた。それが楽しいよりも上の存在なのだと。ただそれがどんな感情なのかは分からなかった。
「そんな人⋯⋯いないじゃん」
どれだけ走ったか、ついにミリアは限界がきて足元にあった小さな石ころに躓いて転ぶ。
ミリアは小さく呻いて、さっきまでの光景を思い出して嗚咽する。
痺れる頭をゆっくりと持ち上げれば視界がぐにゃりと揺れて息も絶え絶えとなっていた。明らかに煙を吸った影響が出ていた。
村の人たちは死んだ。両親も死んだ。
そして⋯⋯唯一私を守ってくれていた最愛の姉も死んだ。
先ほど起きた現実だけが何度もミリアの心を深く抉って、最後の気力すら奪い去ってしまう。
ミリアの立ち上がろうと伸ばした手が静かに地面に落ちた。
もうこのまま死んじゃいたい。
これまで良いこと無かった人生だ。嫌気がさす。村での扱いも、魔力がない自分も⋯⋯-そしてこの髪の色も。
唯一褒めてくれた姉と同じ色の髪-その唯一の存在はもういない。
「⋯⋯⋯⋯だれか助けてよ」
ミリアが今にも消え入りそうな声で呟いた。
「はい、助けるよ」
ポンッと、優しく誰かがミリアの頭に触れた。
ミリアの青髪に触れるのは姉のみ。親ですら例外なく忌々しいと触れてくれはしなかった。
見上げれば、そこには端正な顔立ちをしたブロンドの髪をした青年がいた。
「大丈夫?」
そう言って青年はにこやかにはにかんでみせた。
ミリアはその笑顔に胸が高鳴ったのを覚えた。
それが少女の初恋となった。
そして同時にこの青年が殺したい相手となる。




