腹減りは機嫌が悪くなる
「まずはこちらをご覧下さい」
見上げるほどの大きな門が聳えている。固く閉ざされた門の上部には何か書いてあるがもちろん読むことは出来ない。一体何語なのだろう。地獄語が存在していたとしたら英語よりも難しいかもしれない。
「これが所謂地獄門です。え〜と、あれ読めますか?」
さっき目に入った扉の上方を指差す。当然私は顔を左右に振って答える。彼女は“あ!”って顔をして
「すみません、言語を合わせていませんでした」
慌てて腕に嵌めた端末を操作すると日本語に変換された。どういう仕組みなのか。
「これでどうですか?」
これなら読める。私は目の前の文字を口に出して追ってゆく。
「・・・・この先一切の希望を捨てよ」
「そう。オッケーです。では入りますか」
こんな高層マンションのような門が動くのか。その光景は壮観過ぎるだろうな。ぜひともスマホを持ってきてぜひ写真を撮りたいと思ってしまう。
「あ、こっちです」
手招きされて行くと脇に普通の扉がある。しかもドアには通用口とまで書いてある。思いっきり期待を裏切れた気分がする。一生に一回なら見てみたかったなぁ・・・。
「ああ、ガッカリしてます?でもですね、実際あれを開けるのって私も見たことないんですよ。ずっと昔はちゃんと開けていたそうです。聞いた話しだと時間も掛かるし労力も掛かるとのことでこっちを後付けしたみたいです。今の時代は何と言ってもタイパです。少ない時間で効率良く。それは向こうもこっちも同じです。ま、私も一回くらいは見てみたいですけど多分叶わないでしょう。希望を捨てろなんて書いてあるんです。これを作った方は一体何を考えてこんな文言を作ったのか、もう誰も知っているモノはいないと聞いてます」
顔認証と腕の端末でロックを外すと鍵の開く音がする。ご丁寧にドアの上には現世でもよくある非難誘導灯がおなじみの緑色の光を点けている。なんでデザインが一緒なのだろう。
扉をくぐると暗くて一本の道があって光もそこだけを照らしている。その他は闇が広がっていていくら目を凝らしてもそれ以外見えることはなかった。
「じゃあ行きましょう。あ、くれぐれも道を踏み外さなで下さい」
下を覗くとそこにも闇しかなかった。踏み外すとどうなるのだろう?
「やっぱりそう思いますよね。それは私の口からも言えません。とにかく気を付けてください」
やはり頷いて答える。道幅はあるから自分から飛び込まない限り落ちることはない。これで落ちた人がいるのだろうか、そのことも疑問に思って彼女を見るけど特に答えてはくれない。
「ま、落ちなければいいことです。さあ、急ぎますよ。もう少しで到着です。頑張りましょう」
前を向いてちょっと急ぎ足で歩き始める。仕方なく後に続く。不思議なことにここでは足音がしない。試しにワザと踵で踏みつけてみても同じだ。彼女の下駄の音さえしない。きっとこの闇に吸い込まれているのかな。静か過ぎる場所。
やがてまた扉が出てくる。さっきほどじゃないけど石で作られた大きな扉がある。これはちゃんと開くのだろうか。一応全体を見ても他に通れそうな扉は確認できない。ということはこれは開くんだ。
「さ、着きました。いよいよです。あ、一つだけ言っておきます。ここではとにかく静かにしてください。不用意な発言は謹んで下さい。質問はすべて閻魔大王様がします。その時は声を出しても構いませんが間違っても自分から質問しようなんて思わないでください」
ここも頷いておく。
「あなたは物事の理解が早くて助かります。それでは私の役割はここまでですので、この先はお一人でお願いします」
彼女がそそくさと退散しようとした時
『ルシェル待ちなさい』
ドアの向こう側より声がする。同時に彼女の真っ白なツインテールが逆立つ。でもそんなに驚くことなのだろうか。声はとても落ち着いているしそれに優しささえ感じるのに。
「・・・あはは・・あの、」
『一緒に入りなさい。君には話がある』
帯からタオルを出して汗を拭いている。確かにここで彼女に帰られたらドアの開け方だって分からない。だから今度はこっちから彼女の手を取ると
「ちょっと、あなたまで。もしかしてグルですか?あのですね、私はこれからお昼休憩を取らないとならないんです。これは規則なんです。だから離してください」
彼女は手を振り払おうとする。けれど
『聞こえませんでしたか?来なさいルシェル。何を躊躇っている?』
やっぱり、聞いている分にはとても穏やかな口調に聞こえるんだけどな。
「う、嘘です!その口調に騙されません。絶対に」
『困りましたね。確か君は二週間も有給休暇を取っていたじゃないですか。久し振りに顔が見たいと言ってもですか?』
有給休暇?この世界にはそんな制度もあるのか。
「・・・・・・・・本当に?それだけのこと、ですか?」
『さあ、早く顔を見せたまえ。それに君の話も聞きたいな』
こっちから何も認証することなく扉が音もなく開く。眩しくて思わず瞼を閉じるけどすぐに目が慣れて周りの景色がはっきりと見えてきた。
正面には真っ赤な絨毯があって、両側には松明が等間隔に時折パチパチと音をさせている。その奥は少し高くなっていて、それから御簾も掛かっている。奥には誰かが座っている影が見える。
もしかしてあそこにいるのがかの有名な閻魔大王なのだろうか。
扉が開いても彼女は退散しようとしたがその前に吸い込まれるように中に強制的に入らされた。天井は高くて音が吸い込まれてゆく。
「久し振りだな、ほほう、なかなか良い色をしている」
姿ははっきりと見えないが声だけははっきりと聞こえる。もしかして肌の色のことを言っているのだろうか。
「うん、実に健康そうだ。君の自慢の真っ白な肌が実によく焼けている。で、どこに行ってたんだっけ?」
こうなってしまったらもう逃げられないと悟ったのか、モジモジしながら小声で答えた。
「・・・・・・・・・・・・・イ」
「ん?よく聞こえないなあ。ルシェル、君は元気がウリじゃないか。それともワタシの耳がおかしいのかな?悪いがもう一度言ってもらえないかな?」
彼女にも名前がちゃんとあるんだ。それはそうか。ルシェルって可愛い名前だね。いいなあ。ちゃんと自分に合っている名前を貰えるなんて羨ましい。
やっぱり日焼けなんだ。確かに健康そうで元気が印みたいな感じがする。それに怒っているなんて思えない。もっとちゃんと答えればいいのに。そう思って見つめているとさらに汗をかいている。果たしてあのタオルでまかなえるのだろうか。かといってこっちも何も持っていない。そうだ。セーラー服のスカーフなら役に立つかもしれない。水をもらったこともあったので、外してルシェルという名の女の子に渡す。
「ど、ども、ありがとうございます・・・」
スカーフで遠慮なく額とか首筋を拭く。急に閻魔大王が指を机に打ち付けているような音をならし始める。その音に気が付いた彼女は慌てて
「こ、答えます。私はハワイを満喫していました」
ん?今ハワイって言った?この世界にもあるのだろうか?あの世のハワイ。それはどんなところなのだろう。
「ハワイか。ワタシも行ったことがある。あそこで飲むピナコラーダは最高だな」
意見が合致したからだろうか、ルシェルは顔を急に明るくして
「そうなんですよ!私も毎日昼からビーチに寝転んで飲んでました。ニャハハ」
急に沈黙が降りる。とても威圧的で高圧的で空気を頭の上から押し込まれてたような気分がした。やがて大気が震え出す。思わずサブイボが出た。
「馬鹿者!」
いきなり大きな声が部屋中響く。音の振動が体を通過してゆく。またしてもルシェルの髪は逆立つ。背筋はシャンとしているが表情は今にも倒れんばかりのどす黒くなっていた。
「ワタシはそんな話をするためにお前をここに呼んだのではない。もう昼はとっくに過ぎているんだ」
あまりの大きさに思わず耳を手で塞いでしまう。
「・・・・・・・・・・あ、あの」
ルシェルは恐る恐る手を挙げる。
「・・急に怒るなんて聞いてない」
限りなく小さな声が聞こえた。
「なに自分勝手なことを言っている。アヴェルから聞いていないのか?お前は遅刻していることを。休暇明けは分かるが弛んでいる。ただでさえ忙しいのだ。やっとこれで一区切りついて昼飯でも食おうと思っていたが我慢の限界だ」
また手を挙げて
「・・実は」
「なんだまだ何かあるのか?最近の連中は仕事をなんだと思っている。こう言えばすぐにああ言う。口が達者なのは構わんが遅刻したのだからまず言うことがあるだろうに」
そして指でまた机を弾く。これはもしかして相当お腹が減っているのでは?もしかして食べられる、なんてことないよね。
「あの、遅刻したのは私のせいではありません。私はちゃんと案内しました。けど」
なんだかこっちを見ているような?もしかして責任をこっちの擦り付けようとしている?
私はこれっぽっちも責任があるとは思っていない。むしろ階段だって頑張ったと思っている。言われたことだって素直に応じてきたと思う。
その瞬間今度は机を拳で叩く音が響く。またツインテールが逆立つ。私も一緒にビックリしたが現世でこんなの見たことないからか、ちょっと可笑しくなってつい笑いそうなのを堪えてしまう。
「あのこの状況でどうして笑えるんです?もしかしてそういう性癖の方でしたか?ここは私も頭を下げるので一緒に謝りましょう、ね、ね」
ウインクをしながら言う。どうしてもこっちが悪いことにしたいらしい。ここまで親切に案内してくれたこともあるけど、やっぱり私には非はないよね。両手で断ってみる。
「早くしなさい。あと45分で午後が始まる。早いとこお昼ご飯を食べさせてくれないか」
なんと今度は背中を押して自分は少し後ろに下がる。な、なんなの?何にもしてないよ。なんで?なんで?気が付くと完全に一歩前に出ているよ、これ。ガッチリホールドされている。掴んでいる腕は細くてしなやかなのに見た目よりずっと力強い。私より全然力がある。逃げ出すことなんて無理。う〜これって謝れば済むのことなのかな?つい言葉を発してしまう。
「・・・あ、あの・・・す、すみません」
また机を叩く。さっきよりも大きな音がする。ルシェルと一緒に飛び上がってしまった。
「君は聞いていないのか!勝手に喋ってはいけないと。ルシェル!ちゃんと説明していないのか!もういいからこっちに来なさい!早く!」
呼び出しに観念したのだろうか。私を掴んでいた腕には力はなくなってしまう。そして髪を逆立てたまま渋々歩いてゆく。下駄が悲しそうな音を立てる。ここまで怒らせたの原因は私にもあるような気がする。一緒に行こうと動くと
「任せてください。最後の手段に出ます」
ニヤリと笑みを浮かべ、親指を立てて行ってしまう。後ろ姿には勝算はある、という自信で満ちていた。
しばらく無言の空気が流れてゆく。
ルシェルの姿は同じようにシルエットだけになって動いているのが見えた。しばらくすると元気な下駄の音がして再び姿を現す。もう大丈夫とでも言いたそうな顔が上手くいったことを示していた。
笑顔は元に戻って再び私の隣りに立つと
「さ、もう大丈夫です。ではあらためてご案内しますね」
なんてことを勝利の笑顔で言う。問題はすべて自分が解決したとでも言いたそうだよね。
また喋ると怒られそうなので黙って後に続いた。
やがて音もなく御簾が上がって声の主の姿がはっきりと見えてきた。でもじっと見るのは怖いから俯いたまま、促されてさらに一歩近づく。
「さ、ここに座って下さい」
言われるまま用意されてあった椅子に座る。クッションも背凭れもない木製の椅子に座ると辺りは一層静かになったみたい。
深呼吸をしてこれから始まることを待つ。いよいよだ。私はこのためにここに来た。
でも、やっぱり、ちょっと怖いなぁ・・・・。
読んでいただき、ただただ感謝です。
物語のペースはかなりゆっくりなのかも。
どんどん場面転換していこうとも思うのですがなかなか難しいですね。
こんな感じでアップは続いてゆきます。
次も良かったら読んでもらえると嬉しいです。