辞めない。絶対に。
私は一縷の望みを持ってルシェルの名前を端末に向かって話し掛けた。
けれどディスプレイは真っ黒なまま何も表示されていない。私の声に反応していない。
これってどうやったら使えるようになるのかな?起動させるようなボタンだってない。私はもう一度今度はルシェルの名前を持って端末に話し掛ける。お願い。お願いだから繋がって。
「・・お願い・・気がついて・・ルシェル・・・・」
思いを込めて画面を指で触ってみる。
微かに震えたような感覚がする。私は少し安心して画面を覗き込むと
「あらら、誤作動?もしもし聞こえますか?」
端末を通してルシェルの声が聞こえた。
よかった・・・繋がった・・・
早くしないと切られちゃうかもしれない。とにかく返事しないと。呼吸をなんとか声が出せるように合わせる。擦れているけどなんとか声が出た。
「あ・・・あの・・私です」
「あ〜もしかして今ファイル読んでます?それにしてもよくコレの使い方が分かりましたね」
「・・・聞いてもいいですか?」
ルシェルはすぐには答えてくれず一瞬の沈黙の後に
「私の質問は無視ですか。まあ声の感じからして緊急事態ってとこですか?」
「ご・・ごめん。でも急いでるっていうか困惑している」
何かを考えているのか、再び短い沈黙が私達の間に流れる。
やがて静かな声が聞こえてくる。なんとなくだけど周りに聞こえないように警戒しているみたい。
「本来なら約束通り満月ということでしたが・・・いいでしょう。私の独断で特別に少しだけという条件付きなら。バレたら怒られるのは私ともちろんあなたもですけどね。あなたはあの時私の話なんかちっとも耳に入っていなかったでしょうから、こっちも始めての試みに協力してもらっているわけなので、本当に特別ですよ。次回はありませんよ。それで納得できるなら端末に顔を近づけてください。そうだ、生まれ変わったあなたの顔をじっくりと拝見させてください」
私は『わかった』と簡潔に答えてすぐに端末を覗き込むと画面が起動始める。よく分からない起動画面の模様を見ているとやがてルシェルの顔が映し出された。肌の色がずいぶん白くなっている。
「あれから何日経ったかな。お久し振りです。元気してましたか?」
ツインテールは相変わらずで笑顔から見える八重歯も健在。変なことだけど、あの世に戻って来たみたいな懐かしい気分になる。顔を見れたことで私の呼吸も落ち着いてきた。
「・・・はい。さっきまでは・・・でも・・・」
そう答えると画面を通してすっごく視線を感じる。
「ふ〜ん。なかなか可愛いじゃありませんか。今はあまり元気ないみたいですけど」
悪い気はしない。確かに彼女は可愛い、と、自分でも思っている。
「それで?一体何があったんですか?ファイルを見るのだって時間掛かったみたいだし」
私は目覚めてから今までの経緯を簡単に時間をかけて説明した。
「なるほど・・・・確かにあの時彼がそう言っていましたね。病気がどうこうって」
「はい。でも私が目が覚めた時ってほとんど正常だった。何事もなかったみたいに。ただ長い時間目が醒めなかったせいで歩けるようになるまでリハビリはしました。けど今はすっかり元通りっていうか身体はすごく元気なんです」
「閻魔大王様の特例ってヤツですね。凄いですよね。ビックリですよね」
そのことについては正直に頷いて答える。こんな奇蹟のようなことは現世ではありえない。回復力は尋常ではないことくらいは自覚している。
「それで・・・このファイルを手にするまでは全然平気だった・・・でも今はなんて言うか、自分の身体がしっくりこないっていうか、違和感が凄くって・・・それで気分が悪くなって・・・」
今現在の状況を伝えるとルシェルはしばらく何も言わずに考えている。
「そうですね・・・そもそもが元々の自分の身体じゃない他の人の身体だからかな・・あの間違っているかもですけど、私の考えを言ってもいいですか?」
どんなことを思いついたのだろう。私は頷いて答える。
「多分ですけど、今まで過してきた身体と違う。ということは、分かりやすく言えば乗り物酔いみたいなことかもしれません。これまでにそういったことはありませんでしたか?」
前の自分のことを思い出してみる。
「確かに乗り物酔いする方だと思う。だからってこの身体から出ることなんてできない」
「確かに・・・そう言われればその通りなんですが・・・私から提案できるとしたらですよ。もし辛いと思うならこの計画を辞退するって手もあります。そうなったらこちらに戻ってもらって、あらためて閻魔大王様と謁見してそれなりの場所に行って罪を償ってもらうことになります。そうじゃなければ自然に慣れるのを待つしかないと思うのですが。こちらとしましてもナニブン初めての試みですから失敗してもそのことに対して文句は出ないでしょう。むしろ協力したことで罪の重さが軽減される可能性だってあるかもです。どちらにせよ、あなたの気持ちを最優先させてもらっていいですよ」
この提案が失敗?・・・だから辞める?・・・・やっと女の子の身体を手に入れたのに?
私はこれから望んだ形で自分の人生を歩んでいける。もちろん違っているところだってたくさんある。今はそれが分かっている。だからって簡単に辞めるなんて言いたくないし失敗だなんて言われたくない。
私は文句を言うためにあの世にまで行った。その結果、意外な形となって希望を聞き入れてもらうことができた。これが運命じゃなかったら一体なんだって言うんだ。もう命を粗末に扱うなんて嫌だ。それに粗末に扱うな、とも言われたんだ。命を全うするんだ。
「もしも私が辞めちゃったら・・・もう一人のあの子はどうなってしまうの?」
ルシェルはちょっと首を傾げてから
「そうですね・・・・・・どうなるんでしょう?正直今の段階では私も分かりません。もしかしたら現状のまま人生を最後まで過すか、それとも魂を元の身体に戻すか、最悪の場合彼の方も強制終了なんてこともありえますけどね。先程も言いましたがこちらもまだまだ決まっていないことが多いのではっきり答えられなくて申し訳ありません。でもまあ、考えられる手段としては二人で話し合って決めてもらうのが一番かと思うのですが。良い機会です。こういうパターンの時はどうするかの具体案を模索する材料として記録しておきます。ちょっと失礼」
小さな画面だとよく分からないけど何か書き込んでいるような動作をしている。きっといつも手にしているタブレット端末にでも書き込んでいるのだろう。待っている間、私は私で考える。まだ始まったばかり。ルシェルの言う通りもし仮に二人共リタイヤしてしまうなら私が一方的に決めるのは正しくない。私達は二人で一つの計画を遂行している。相手の意見だって聞かないと不公平になってしまう。向こうはもしかしたら充実した日々を送っているのかもしれないんだ。
「・・・辞めない」
私は答える。今を失うことはしたくはない。それだけははっきりとしている。
「辞めない。絶対に。やっと願っていたことが叶ったんだ。私は女の子として人生をやり直してる。だから本当の寿命がくるまで私はこのまま生きたい。二度と命を粗末に扱うようなことはしたくない」
そう画面に向かって話すとルシェルも顔を上げて私の顔というか決意を見て計ってから納得したような笑顔で
「そう言ってもらえてなによりです。おかげで私達も貴重なデータを確保することができます。お互いウィンウィンな関係ですから」
「・・・ウィンウィン?そういうことならそれでもいい。私の人生はまだ始まったばかり。これからどんな世界が待っているか。私は本当の私じゃなかったけど、後悔なんてしていないから」
「なかなか良い意気込みですね。だいぶ落ち着いたように見えますね。もう大丈夫でしょうか?」
言われてみると確かにさっきよりは身体に馴染んでいるみたい。気持ち悪いのがどこかに去ってしまっている。この調子ならきっとすぐに慣れるよね。
「うん。大丈夫みたい。ありがとう。あの、時間取らせちゃってごめんなさい」
「いえいえ、私はあなたのサポート役ですからこれくらいのことは問題ありませんよ。では私は仕事に戻ります。あと、ファイルはきちんと読んでくださいね」
「うん。それじゃ・・・・えっと・・満月だっけ?」
「そうです満月です。月が真円を描く瞬間にこちらから連絡しますので他の予定は入れておかないでくださいね」
ルシェルは笑顔で振ろうとした手を収めて
「あなたの名前、まだ聞いてませんでした。教えてもらえますか?」
名前・・そっか、言ってなかったよね。
「私の名前はみう。相楽美有。これが今の私の名前」
「『美有』ちゃん、ですか。なかなかかわいい名前ですね。それじゃ満月に」
今度こそ笑顔と共に画面は消えた。端末も合わせるように腕の中に消えていった。
今は落ち着いている。家の間取りの記憶も蘇ってくる。元の私と前の私の記憶が少しずつだけど共有し始めている。今度は迷うことなく飲みものを持ってくることができた。
再びファイルを手に取って一ページ目から読み始める。今度は何ってことなくスムーズに最後まで読み終えることができたし不思議と内容全部が頭の中にインストールされた。こっちの勉強もこうならいいんだけどね。これもあの世の力なのかな?でも、記憶を忘れてしまったら制約なんて意味あるのかな?そんな疑問を持ったままファイルを閉じる、と同時にファイルは光の粒になって手から消えていった。
・・・・・・・・・・・あれ?
「・・・私・・・・・・・何してたっけ?なんでジュース?いつ?」
記憶が途切れている。けれど身体は病院にいた時よりもしっくりときている。やっと私は私自身になったように感じた。
朝。スマホのアラームが鳴る前に眠りから醒めた。夢なんか見ないくらい深い眠りだった。あまりにも深く眠ったおかげでいきなり覚醒の中心にあるくらい頭ははっきりとクリアだ。起き上がってゆっくりベッドを出てカーテンを開ける。
「・・・まぶしい」
太陽はすっかりこの世界を照らしている。雲一つ見えない生まれたての青色はどこまでも澄んだ色でこの空に広がっている。窓を開けて冷たい空気を思いっきり肺に吸い込むと身体の機能が全て繋がってゆく。
今日から高校生。新しい生活が始まる。病院で受けた試験の結果は合格には充分な点数だった。沢渡先生も点数を見て胸を撫で下ろしていた。私は文句なく高校生になれたんだ。
「さあ、始めよう」
言った傍からお腹が鳴った。
「入学式の前に充電しなきゃ・・・お母さん、朝ご飯!」
驚くくらい大きな声が響いて私は部屋を後にした。
また長々と書いてしまってすみません。
読んでいただきありがとうございます。
都内はあちこちでイルミネーションが始まっています。
そんな光景を見てインスピレーション全開で書いていきます。
次も読んでいただけたら嬉しいです。
よろしくお願いします。




