第七四五話 花咲人(一〇)
今か今かと静は待った。岩花に行った者たちの帰りだ。朝のプレミアムゲートトウキョウから夜の舞姫館まで。中間の記憶は実に曖昧模糊としていた。事情とやらを聞く。この一念に固執していたためである。
オフィスには、事情を話す、と尋道に告げられた土居と権藤以外にも中村ら舞姫勢がそろっていた。一大事とみているのだ。時々、視線を感じる。また、余計なことを、とそれらは言っている。かつて舞姫館の主だったカラーズが、この場所を去ったのは、静の直言に端を発する。日本リーグのファイナルが実施されていた、今年の三月だった。バスケットボールそっちのけで音楽の話題を持ち出してきた孝子に抗議したところ、直後、出ていかれた。そして、今回だ。尋道に対して舌打ちと睥睨を食らわせている。親会社の社長に対して、なんという無作法を。それも、二回目だぞ。そう、それらは言っている。
なんだというのだ。自分は、間違ってない。時と場所と場合をわきまえない先方が悪い。絶対に。絶対に、である。
動きがあったのは午後八時をやや過ぎたころだ。舞姫館に孝子が現れた。美鈴、アーティ、シェリルを引きつれている。
「あ。いたいた。怒ってる。怒ってる」
にやにやしながら孝子は静の傍らに立った。
「お姉ちゃん。郷本さんは、どうしたの? アートたちを連れていった事情を説明しに来る、っておっしゃってたけど?」
「だって、あの男、戦闘態勢になってるんだもの。きっと、いるし、怒ってるだろうけど、それは、こっちも同じこと、ってね。かわいい妹が惨殺されるのを傍観しているわけにもいかないでしょう? だから、代わった」
切り口上に対して返ってきたのは、存外、優しい口調であったが、内容ときたら物騒だ。
「惨殺、って」
「さて。やつが、事情を説明する、って言った相手は土居さんと権藤さんだっけ」
独り言を発した孝子は、それ以上、静に構い付けず、土居と権藤の元へと行ってしまう。
「あ。お土産。別便なんですよ。私の車に入り切らなくて」
「大丈夫です。お構いなく。さあ。どうぞ」
言って、井幡が突出してくる。勧められるまま孝子は椅子に、どっかと座して、始めるようだ。
「お二人は舞姫のフロントですから、具体的な数字もご承知のことと思いますけど。数字っていうのは、舞姫の経営に対するアートのインパクト、ですね。なんでも舞姫全員分より上とかなんとか」
孝子は淡々と続ける。
「ところで、アートって、いつまで舞姫にいてくれるんでしょう。普通に考えたら仲よしのシェリルが舞姫を退団する時、一緒に、ってなりそうですけど、いきなり数字が半減以下になるのは、あまりにも影響が大きい、と。そこで、あなた」
一息、入る。
「ああ。あなた、っていうのは、私のことですが。あなた、アートと格別、仲よしじゃないですか。より緊密になって、舞姫を去り難くなるようにできませんかね、なんて郷本が言うんですよ。じゃあ、私たち、二人とも音楽が好きだし、その線で攻めてみようか、とか私も受けて」
静以外にも異口同音のうめきだ。以前に起きた音楽の騒動は、そんな裏事情を抱えていたというのか。
「あの。お姉さん」
まどかが声を上げた。
「なんじゃい」
「今の、って、静先輩が楽器のことで、お姉さんともめた時の話ですよね?」
「そうだね」
「事前に伝えておけばよかったんじゃないんですか? そうしたら、静先輩だって、お姉さんともめなかったと思うんですけど」
「無理だな。お人好しだもん。顔に出る。考えてもみな。ただの仲よしでいいんだったら、アートと一番付き合いの長い、その子を選ぶのが普通さ。でも郷本は私を選んだ。なぜって、私、面の皮が厚いから。しれっと人をだませる」
周囲の視線が右往左往している。当のアーティも、この場にいるのだ。しかも、せっせと美鈴が通訳しているようなので筒抜けとなっているようなのである。
「ああ。大丈夫。だって、あの男、みんなで温泉に行こうぜ、って盛り上がってるところに、一人だけ、結構です、って怖い顔でさ。アートとシェリルが気にするのよ。ヒロったら、スーともめてたみたいだけど、あれしきで、あんなに怒る人じゃないわよね。何があったの、って。仕方ない。全部、話した。そうそう。井幡さん」
「はい」
指名に、井幡は直立した。
「そこまでいてほしいんだったら、いてあげてもよくってよ、って。アート、シェリルが退団した後も舞姫に残ってくれるんですって」
「え!?」
すっ飛んでいった井幡は、アーティの手を取り、固く握っている。握られたほうも思わずの微笑だ。
「舞姫の舵取りを一手に担う井幡さんには事の重大さがわかるんだね。さすが。というわけで、今回も、やつの策謀さ。アメリカには岩花みたいな温泉地って、ほとんどないらしくて。面白いでしょう。日本って、いいでしょう、って。アピールするつもりでね。あと、シェリルを巻き込んだのは、退団した後も舞姫との縁を保ってほしかったからだ。史上最高の選手との結びつきは、きっと舞姫にいい影響を及ぼすよ。例えば、アリーが重工に、すごい若手を引っ張ってきたみたいに」
孝子の声が、どこか遠い場所で発せられているようにさえ静には感じられる。自分は浅薄だったのだろうか。いや。しかし。アスリートたらんとする意思は正当であるはずだった。いや。しかし。堂々巡りに陥った思案の行方は知れず、である。




