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屍と生きる  作者: 碧空
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最悪の目覚め

 最悪の目覚めだった。

 乾いた大地、光を失った同胞の瞳、腕の中で失われていく体温。

 それは、最後まで笑っていた。優しげに、けれど、口から鮮血を零しながら。

『たい、ちょう』

 吐息のような、ささやかな声。それが何にも遮られずに耳を打つ。

『お、れは、、、おれ、たちは』

 喋るな、動くな、頼むから。叫ぶように叩きつけた声に、それは力なく笑う。

『た、いちょ』

 その先は、覚えていない。己の咆哮が全てを掻き消していったからだ。


 己の声で身体が跳ね上がり、不快な汗が肌を伝う。荒い呼吸に耐えきれない無力感から逃れるように頭を掻き毟った。

 ドンと大きな音で扉が叩かれ、野太い声でうるせぇと叫ばれる。そこで初めて自分が何処にいるのか自覚した。昨日の依頼でそこそこ稼げた事で、久々に宿屋に泊まったのだ。

 溜め息で、胸のこごりを流してベッドを降りた。もう、眠っていられる気分じゃない。

 手早く身支度をすませる。纏わりつくこの残滓を一刻も早く洗い流したかった。部屋を出て、階下に降りればそこには仁王立ちした巨漢がいて、こちらを睨みつけてくる。


「朝っぱらから、なんの騒ぎだ」


 巨漢、もといこの宿屋の店主は傭兵を名乗ったとて違和感がないほど筋骨隆々としている。その男が洗い場への道をしっかりと塞いでいた。


「さてな」


 正直、答えるのも億劫だった。こちらの漏れ出た溜め息に、店主は白髪の目立つ短髪を掻いて、身体を引く。


「朝飯は?」

「いらん」


 端的に答えて、廊下奥の洗い場に向かう。汲み置かれた水を桶にくんで、頭から被る。ひんやりとした水で、悪夢の一端は流れた気がした。伸ばしっぱなしの赤髪を、掻き上げて、垂れる雫は放置する。


 入口付近のカウンターに鍵を差し出せば、ギョッとしたように娘がこちらを見た。指先から垂れる雫。雨でもないのにずぶ濡れで現れた男が異様だったのだろう。


「世話になったな」

「あ、いえ」


 昨日は笑顔で何くれと世話を焼いていた娘の蒼白な顔に、得体の知れない怒りを覚える。完全なる八つ当たりだと自覚はあったが、生憎とこちらの虫の居所は最悪だから、致し方なしだ。


「そらっ」


 死角から投げられた何かをつかみ取ると、何やらぐるぐる巻にされた物体で、ほんのり暖かい。訝しげに眺めれば、店主から土産だと声をかけられた。


「朝飯代も含まれてるからな、餞別だ」

「そら、どうも」


 ヒラリと片手を振って、礼を言う。それを見た、カウンターの娘が慌てたようにペコリと音がしそうな勢いでお辞儀した。


「またのお越しを、お待ちしておりますっ」


 特大のデカい声に目を眇め、振り向かないまま扉を抜けた。

 さて、どうしたものか。そもそも、家も持たない根無し草だ。河岸を変えてもいい頃だろう。傭兵は何でも屋だ。依頼があればなんでもやるが、久々に狩りと言える手応えが欲しい。

 そんなふうに、考えながら歩いていたのが良くなかったか、砂けむりを吸い込んてしまい、思わず咳き込んだ。視線を上げれば、荒っぽく走り抜けようとする馬車が目に入る。埃の元凶はあれか。

 慌てたように、通りの端に人々が避ける。馬車なんぞに乗れるのは、豪商か貴族くらいなものだが、随分と装飾過多なあれは、正直趣味が合わない。


「おい、早く逃げろっ」


 叫んだのは誰だったか、ポツンと通りの中央に佇んだままの影が見えた。微動だにしない動きに、耳が聞こえないかと思ったが、その視線は間違いなく馬車を捉えていた。

 馬車は止まらない。御者はそれが見えているのに馬を制する動きすらしない。その表情は何処か恍惚としてすら見える。

 ただの自殺志願者だ。珍しくもない。薄汚れたガキが、一匹死ぬだけだ。視線を引き剥がそうとして、出来なかった。

 ふっと視界に残像が被る。あの、悪夢が。憎らしい笑みを浮かべた、舌舐めずりをしたアレがこちらを見下ろしている。庇われた訳でもないその小さな影が、夢の中で自分の前に庇うように立つあの背に重なって見えた。


「チッ」


 判断は一瞬だった。バネを貯めた脚で一足飛びに距離を詰める。掬い上げるようにそれを腕の中に閉じ込めて、勢いを殺さないままに地を蹴る。

 轟音と共に走り去る馬車を左側に感じたが、どうやら避けられたようだ。ぐっと抱き込んだそれを内側に包んで、体勢を入れ替え、道端の露店の台に突っ込んで止まった。

 派手な音と、壊れて微塵になった台のおかげか、思ったよりも衝撃が少ない。背中に背負った愛刀も、一役買ってくれたのだろう。


「おい、あんたら生きてるか?」


 身体を起こしながら、腕をほどくと前掛けをした男が寄ってきて手を差し伸べてくれた。それを敢えて手で制して、腕の中にいた子供を解放する。

 しがみつくでもなく、ただ見上げてくる間抜け面は何処か滑稽だ。灰色の髪に、透明な黄石のような瞳をしていたが、真っ直ぐにこちらを覗き込んでくる。


「あの馬車、随分乱暴だったわねぇ」

「全くよ。最近商売でうまくいったからっていい気になってるのかしらね」


 ようやく日常が戻ったように、あちこちから音が戻ってくる。


「いい加減、降りろ。いつまで乗ってる気だ」

「別に、乗ってない。あなたが、乗せた」


 溜め息が出る。自殺志願者は、なかなか図太いらしい。さっきの前掛け男がソワソワしているので、子供を気にせずに立ち上がった。尻もちをついているが、知ったことか。


「悪いな、迷惑をかけた」

「いや、別に良いんだ。もともとボロだったし」


 それに、あれは馬車が悪いからな、と笑う男を見るとこちらにも溜め息をつきたくなる。お人好しめ。


「迷惑料だ」


 渡した硬貨を受け取った男が自分の手のひらを覗き込んで、目を剥いた。それを無視して歩き出すと、後ろの男は何かを喚いているが歩みは止めず、人混みに紛れた。


「厄日だな」


 ひとりごちて、天を仰ぐ。やはり、街を出るべきだと強く思った朝だった。


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