2・夜①
空が赤くなったと感じ始めた時の日は、落ちるのが早い。
頭の上にあった太陽は、一歩、また一歩と前進している間にも降下していく。ふと気づけば、いつの間にか間近に感じられるようになった。木の根から伸びる影の色は、暗く、濃くなって、地面に転がる石ころや小さな生き物の作った住処を隠した。
太陽が山と山の間に沈みきった頃。ハンスはへとへとに疲れていた。足の裏が痛い。歩くたびに鋭い刺激が伴い、背中に背負ったリュックが重荷としてのしかかる。
平然と歩いている赤ずきん達に迷惑をかけるわけにはいくまいと、疲れの色を見せないようにしていたハンスだったが、さすがに五時間もぶっ通しで歩かされると、どうしても顔に苦しみの表情が出てしまうのだった。
ハンスの息に、疲労を訴える声が混じる。すると、先頭を歩いていた狩人が足を止めた。
「川のせせらぎが聞こえますね。ちょうどいいです。このあたりで一夜を明かしましょうか」
地図から頭を上げて、狩人は言った。狩人の意見に意義する者はいない。ハンスはただひたすらに喜んだ。ほんの一時だけ。
気がゆるんだところをムチ打って拾い集めた木に、火をつける。四人はたき火を囲むように座った。
たき火の上に金網を組み立てて、パンと、解体したブルーノーズベアの肉を焼く。それから狩人は、底の浅い鍋に、川からくんできた水と、野菜の切れ端を入れてスープを作った。腹ぺこだったハンスは、網の焼き目が入って外側がパリパリになったパンが自分の皿に取り分けられると、夢中になって食らいついた。
「オオカミ! 肉を手づかみで食べないでください!」
狩人は注意した。
「子供の手本となるべき大人がそのような体たらくで、どうするんです! 赤ずきんはパンをお皿のようにして食べない! ちゃんとお皿があるのに、なぜわざわざ乗っけるんですか。行儀が悪いですよ」
「うるせえな」
うっとおしげにオオカミは言った。
「食事にまでケチつけんなよ、オカン」
「そうだぞオカン」
赤ずきんも続いた。
「オカンではありません!」
狩人はお玉でおわんに、温かいスープをそそぎ入れた。冷えた手のひらをこすり合わせているハンスに差し出す。
「ハンスくんもですよ。急いで食べなくとも大丈夫です。肉はたくさんありますし、流石のオオカミでも、子供の食べ物に手をつけたりはしませんから」
狩人はハンスの皿に手を伸ばしかけていたオオカミに釘を刺す。スープを飲んだハンスは口の端に野菜くずをくっつけて、照れ笑いをした。
「おなかすいてたんです。なにしろ、一日にこんなに歩いたのは、初めてで……」
「盛りのついた野良犬みたいにハァハァしてたな。本の管理をしてるとはいえ、本業はどうせ農業だろ? 歩き詰めなんて、しょっちゅうだろうが」
オオカミはフォークを指でいじくりながら言った。――限界にきてたの、バレてたんだ……。しかし、その例えはなんとかならないものか。ハンスは赤くなった。
「実家は確かに農家ですけど……、ええっと、僕の仕事はもっぱら牛のエサやりなんですよ。麦のもみ殻と穀物をバケツに入れて、運ぶんです。歩くというよりは、力仕事ですね」
「ふうん、それなのに、そんなにふとっちょなのか」
ぐんと顔を寄せてくるオオカミ。まじまじとハンスの小さな目と鼻の周囲に点々としているそばかす、ずんぐりむっくりした体つきを見ていった。
本物の野生の獣みたいな、黄金色の目に目をつけられたハンスは、身を固くした。
「た、体質なんです。僕のお父さんもそうだったんです。仕事をする分には支障もありますけど、こう見えて、友達や村の人には評価されてるんですよ。王国に住まうお金持ちみたいだって。良くも悪くもって感じです」
「ハッ! なるほどな。王土にゃあ、脂ぎった肉団子みたいなのがゴロゴロいやがるからな」
オオカミはハンスの団子鼻をつっついて、盛大に笑った。
「オオカミ、失礼ですよ。外見の事をとやかく言うのではありません」
狩人は言った。オオカミはピクッと眉を動かす。
「よーく言うぜ。運が悪けりゃ、そいつらに人生を弄ばれてたかもしれねえ奴が。どういった英才教育を受けりゃあ、擁護する側に回れるんだ? それとも何か、公平な立場で物事を考えられる自分、カッコイイ! とか、勘違いしちゃってる奴なのか?」
「黙りなさい。どのような了見のもとに、貴族の世界を否定するのかは知りませんが、あなたは少なからず恩恵にあずかっていたはずです。私は、あなたの方が理解しかねます。あなたこそ他とは違う、マイノリティーな自分に酔いしれているのではありませんか」
「ああ? なんだと?」
食事する手を止めて、二人は互いににらみ合い、火花を散らした。両者の間に挟まれて座っているハンスは、固まってしまった。
「ケンカはダメだぞ」
赤ずきんがパンを口に押し込めて言った。
「難しい話でご飯がおいしくなくなるのと、お前らがケンカするの、ふたっつともボクは嫌いだ」
口元をひんまげて、赤ずきんはオオカミと狩人の頬をぐにぐにと引っ張ったり、上げたりしていじくっていた。おかげで二人は熱を失っていったのか、おとなしくなった。赤ずきんは満足げに笑った。




