先生の話
これは僕が学生の頃、お世話になっていた先生から聞いた話。
ある日、ある授業で必要だからと、僕のいた班が先生の自宅まで荷物を取りに行くことになった。
僕らが先生のお宅にお邪魔し、荷物の整理をしていると、
「せんせ、せんせ」
突然聞こえた声に、僕らは驚いた。
その声は窓の外にいつの間にか立っていた、一人のオッサンのものだった。赤いポロシャツに皮のコートを着て、ニタニタ笑いを顔に貼り付けた、小太りのオッサンだ。
先生の家は一戸建てで、インターホンも鳴らさず入ってくるなんて、普通は在り得ない。しかも口には煙草を咥えていて、更に在り得ない。
しかしこの人はこうやって敷地に入ってきている訳なので、つまりこの人は先生の知り合いなのだろうな、と思っていると、
「また君か。出ていきなさい。警察を呼ばれないだけありがたいと思え」
「ライク・ア・モール(モグラのように)、ですよ。せんせ」
先生曰く、昔世話をした人間で、探偵気取りの変な人間なのだと言う。
気にせず作業を続けてくれ、と言われ、僕らが黙々と荷物を纏めていると、
「せんせ、せんせ」
と、探偵気取りさんは先生にしつこく絡み続けた。あげく、
「君たちは生徒? 何してるの?」
と、僕たちに声を掛けてきたところで、
「ふざけやがって!」
先生がキレた。先生は直情型で、結構キレやすい人なのね。
先生は顔を真っ赤にして二階に上がり、すぐ戻ってきて玄関から外へ。そして、
「君が探偵気取るのは勝手だが、常識のない行動とその性分を、いい加減どうにかしろ」
その探偵気取りさんに、一枚の小さな紙を押し付け、
「ほら吹きの紹介だ、と言え」
そう言って、先生は探偵気取りさんを家から追い出した。
それから数年。
再び先生の手伝いで、僕は先生と一緒にホームセンターに行くことになった。ホームセンターで授業の材料を選んでいると、その探偵気取りさんが働いていた。
先生が気付いてその人に話しかけていたけど、短い時間だったので、文句か挨拶のどっちかだろうな、と思った。
随分風貌が変わっていて、ボリュームが無くなって、ぶっちゃけまともになっていた。ホームセンターで働いてりゃ、そりゃ痩せるだろう。なのでまあ、結局普通の人だったんだな、というオチ。
で、終わらなかった。
帰り道。電車に乗って、荷物を床に下ろしたところで、
「あいつ、帰ってきたんだな……」
何がですか。
「何年前だったか、君も見たろう。俺があいつに名刺渡したのを」
あー、はい。何だったんですか、あれ。
「ただの宿屋、民宿の名刺だ。だが、あれは恩師が調べていたものでな」
はあ。
「ある地方に、神社の無い村があってな」
神社って、無い所には無いんじゃないですか。寺はまあ、別かもしれませんけど。
「だろうな。しかし、その村に行って長期間滞在すると、帰ってこれなくなる」
なんですか、それ。
「分からん。恩師の専門ではない。行って調べたかったらしいが、ただ機会が無かっただけかもしれん。あれも普通の名刺だ。恩師は何枚も持っていた」
先生の恩師さんが調べたこと。
その村には神社がない、でも、御輿がある。
御輿は普通、祭とかそういう時に出るものだけど、その村で御輿が担がれるのは、全くの不定期。深夜だったり、早朝だったり、普通に昼だったり。日常の延長で担がれるそうだ。
「ほら吹き、というのは符丁のようなもので、その御輿に関わりたい、という紹介だ」
そうすると、御輿が出る時に呼ばれるそうだ。
ただ、担ぐ側に回るのか、担がれる側に回されるのか、全く分からない。
老若男女関係無し。囃子やそういうのは一切なし。担ぐ側も担がれる側も白い着物を着て、ただ無言で人を担ぐだけ。
「ただの風習なのか。俺は調べていないが、そういうことが行われている村なのだそうだ」
それ、見た目ヤベーと思うんですけど。ネットには情報無いんですか。
「それも知らん」
長く滞在すると、その村の人間になってしまうか、行方不明になってしまうか。
それも全部恩師さんから聞いていたことで、本当かどうかは分からない。乱暴な表現で言うと、厄介払いがしたければそこに送っちまえ、という冗談みたいな話だったらしい。
だけど、あの時はあまりにも頭にキたから、そして、あの探偵気取りさんが喰い付きそうだと思ったから、思わずやってしまった。もうどうにでもなれ、と。
ホームセンターで探偵志願さんを見付けた時、先生は率直に聞いたそうだ。
「行ったのか」
その問いに探偵気取りさんは、
「はい、本当にすみませんでした」
たったのそれだけ。
車の中とか、そういう場所だったら、この話がもっとそれっぽくなったと思うのだけど、残念ながら昼下がりの電車の中だ。
夏だったのを覚えている。陽射しが強くて、とにかく早く帰りたかった。
電車が駅で止まり、乗客が入れ替わり、先生は空いた席にサッと座った。僕は立ちっぱだったけど、この人は他人に対して気遣うような人間じゃない。
「あいつを十年以上知っているが、定職に就くような性格の人間ではなかった」
先生は、吊り革の穴を覗くように見上げ、
「世の中分からん」