名もなき流浪の剣士
「なっ、何事だ!?」
銃撃と同時に眼前を覆った砂煙に、レギウスは狼狽した。これは何某かの魔法か、いやしかし、マナの気配に乏しい。ともすればこれは、大魔導師ではない、第三者の起こした砂塵であるのか。
「……うわー、危ねぇ」
その靄の中から、誰かの声がする。怪我を負っている大魔導師の二人のいずれの声でもない。しかし、レギウスは確かに、この声を聞いたことがあった。
「またこの娘を傷つけようってか、懲りねぇ連中だな」
「うぅ、一度ならず二度までも、貴様一体……」
刀の一振りで、空中の塵を薙ぎ払ったその男は、不敵な笑みを浮かべながら、その問いに答えた。
「僕は、名もなき流浪の剣士、花の乙女の味方さ」
「藤貞、何を格好つけておるのだ……」
大魔導師たちの背後から、声が聞こえた。そこにいたのは、彼女たちの窮地を救った青年と同じ意匠の服を着た、禿頭の老人であった。名もなき、と名乗ったものの、すぐにその名を明かされてしまった青年、藤貞は、大層不満気な様子で、その老人に詰め寄る。
「おっさん、空気読めねぇか? 今、僕がかっこよく決めたじゃねぇか」
「どこがかっこいいのじゃ……。それよりお前、わざわざ首を突っ込んで、どうするつもりじゃ」
藤貞は、老人の質問に少し考える素振りをすると、二人の大魔導師を顎でしゃくって答えた。
「あの二人を安全な場所へ連れてってくれ」
老人は深いため息をつき、任務を忘れておるのか、とぼやきはしたものの、それ以上は何も言わずに、大魔導師二人をまとめて抱きかかえた。
一連のやり取りを、呆気に取られて見ていたレギウスは、はっと自身の職務に思い至って、部下を激した。
「……くそっ、ふざけたやつだ。やれっ!!」
レギウスに命じられた部下たちは、再び銃を構える。しかし、彼らはすぐに、銃身が折れ曲がってしまっていることに気づいた。砂煙に気を取られている間に、一体何があったのか、推し量る術を彼らは持っていなかったが、ただ一ついえるのは、目の前の黒服の青年は、かなりの手練であるということである。
「駄目です、使い物になりません!!」
「かくなる上は……!!」
レギウスは、腰の剣に手をかけると、猛然と藤貞に襲いかかる。勢いよく衝突した両者は、お互いの得物をぶつけ合った。
「レギウス様! 我々はどうすれば!?」
ただただ戸惑うばかりの戦闘員たちに、レギウスはにわかに怒りがこみ上げてきた。作戦通りにしか動けない人間たちであるからして、予想外のもの、例えばこの黒服の青年のような存在に対しては、何ら耐性を持たない彼らである。そこは上に立つ者として、しっかりと指示を与えなくては、とレギウスは思い直した。
「ここは私一人で何とかする。お前たちは、大魔導師以下、魔法使いどもを狩り尽くせ!!」
戦闘員は、言われるがまま、三々五々に散開していった。
「優秀な部下に恵まれないか。大変だねぇ、あんたも」
「何、部下の優劣は上に立つ者が決めることよ」
刀と剣のぶつかり合いの中、剣士は平調で言葉を交わす。しかし、そこに一切の情は挟み込まれない。あくまで相手を下すことだけを考えた攻撃が続き、二人の腕を汗が伝っていく。
「へへっ、本気出せば案外強いじゃん」
途切れることのない金属音の間隙から聞こえてくる青年の言葉が、レギウスを刺激していく。相手を食ったような言動に、怒りを覚えたレギウスの、剣を握る腕に思わず力が入る。
「食らえっ!!」
大振りに振り抜こうとしたレギウスは、はたと思い止まった。自分がこの青年、藤貞の調子に乗せられていたことに、今更ながらに気がついたのである。もしこの攻撃が直撃すれば、彼は死を免れないであろうが、外せば自分に大きな隙ができる。そこを見逃してくれる程、この剣術青年は甘くはないであろう。
「おっ、勘が鋭い」
剣を身体に引きつけたレギウス、その鋼の峰と、藤貞の刀の切っ先が激突し、火花が散る。その太刀筋は、レギウスの鎧を打ち砕き、心臓を突く軌道に入っていた。
(何という腕よ、よもこれ程の使い手がいたとはな……)
レギウスは、自身がアンリの部下として活動しているという事実を、一旦忘れることにした。
一方、アルジェンタとフォラム、二人の大魔導師を抱えて逃げる禿頭の老人もまた、帯刀していた刀を抜いて、一路、避難所を目指していた。
「そんなものが作られていたのかい?」
肩の上に乗ったアルジェンタが、そう尋ねる。華奢ながら長身の彼女と、武術で身体を鍛えているフォラムを抱えて走るという行為が、老人には相当に堪えているようで、質問にすぐには答えられなかった。
「……ハァ、ハァ、儂とてよう分からぬ……。ただ、ハァ、皆が逃げてきたことだけは、確かじゃな……」
爆撃の発生によって、サーマンダ公国の城壁内部は、戦争の前線と変わらぬ様子になった。住民は身を守るために、着の身着のままに逃げ出し、城門を抜け、森へと身を隠している。老人は、連れの藤貞と共に、森へと避難しようとしていたのだが、ある心配のために引き返したのだ。
「ふぅん、で、ある心配って?」
好奇心旺盛なアルジェンタの質問に、老人はどう答えていいものかと口をつぐんだ。もちろん、彼らの心配とは、倭国から勝手に出国したヒカルについてである。どうにか連れ返そうとしているのだが、彼にその気がない以上、怪しまれぬように隙を狙って、強制送還するしかないのである。それをうかがうためにも、なるべくなら着いて見ていたかったのだが、藤貞の職務放棄のためにそれも叶わなくなったのだ。
「いや……、それはな。……ハァ、あ、貴女じゃよ、赤髪のお嬢さん。あの藤貞が、無事かどうかと、ハァ……、気になると聞かんでな……」
「そのために、わざわざ……?」
老人は、ふぅ、と小さくため息をついた。騙したようになってしまったが、彼女たちからヒカルに情報が伝わってしまってはまずい。それに救える命があれば、それを救わぬ訳にはいかぬというのが、彼の信条であったからだ。
しかし、前を向いて必死に走っていた老人は、彼が右腕で抱えあげるフォラムの頬に紅が差したことに気づいてはいなかった。




