ある申し出
用事が全て済んだということで、ヒカルはヨハンとともに家に帰ろうとしていたのだが、オリバーに呼び止められた。
「なんだ、まだ何かあるというのか」
ヨハンはオリバーの軽率な行動や、向こう見ずな性格を知っていたために、どうせ碌な話題ではないと決めつけて、構わず帰ろうとしていたのだが、どうしてもとオリバーが引き止めたために、しぶしぶ話を聞くことにした。
「お前、失踪事件の調査をするんだってな」
ヒカルは、ヨハンも事件調査をしているけどな、といらないことを考えながらも頷いた。オリバーは顔を近づけて、あたかも秘密が外に漏れ出ることを気にかけているかのように、声を潜めて語り始めた。
「もう噂は広まってるんだけどよ。実はここ一週間くらいで二人、消えてんだ」
二人の人間が消えた、つまり、失踪したということか。オリバーの話を聞く限り、この情報は秘匿されているということだ。当然といえば当然である。戦争が始まろうとしているワルハラの中枢で、人々の安寧を脅かす事件が起きているなどと知れたら、人々の中に不安が渦巻き、最悪の場合、制御不能に陥るかもしれない。
「そこで、ヒカル君に頼みたいことがあるんだけど、この失踪事件の調査解決、お願いできないか?」
「…………!」
それは、何ともいきなりな相談であった。まだゲレインに到着して、失踪事件調査本部に加入してから二日しか経っておらず、勝手も分からない状態であるのに。
「ちょっと待て。いくら何でも、ヒカルやアテナに任せる訳にはいかないだろう」
ヨハンの指摘ももっともである。だが、できることならばオリバーもそうしたかった。無理を承知でこんなことを頼んでいるのは、そうせざるを得ない事情があるからだ。
「城下が騒がしいのは、何も失踪事件のせいだけじゃない。戦いに備えているんだ。俺たちも前線に出向かなきゃならないし、ヨハン、お前も第一軍参謀長なんだろ。王都にはいられない」
「……っ、それはそうだが……」
「もう明日にでも西に向かわなきゃならねぇ。その間、王都で何かあっても、俺はその場にはいられねぇ」
オリバーの言葉には、彼の、そして騎士団員の悲痛な叫びが潜んでいた。人々の平和を守るという矜持がある彼らにとって、小を切り捨てて大を救うということは、頭ではその正当性が分かっていても、心が受けつけなかった。そこから絞り出されたのが、この提案という訳だ。
「一応、ジャックスとガリエノは置いておくんだが、あいつらだけじゃ心許ないんだ。な、この通りだ! 頼む!」
巨体のオリバーが、小さくなって辞儀をした。その誠意は、しっかりとヒカルに伝わっていた。
「話は分かりました。俺も、これ以上事件で苦しむ人を見たくありません。それに、今ここで起きてる事件、調べない手はないです」
オリバーの顔に、ぱっと光が射した。自分の手の届かなかった命が、平和が、救えるかもしれないという希望が、彼の胸を密かに踊らせていたのだ。
「ただし、条件があります」
そう。ヒカルには、どうしても譲れない、ある条件があった。これさえ満たされれば、ヒカルは危険を冒してでも、事件の調査に向かうだろう。一方のオリバーは、どんな対価を要求されるのであろうかと、内心びくびくしていた。
ヒカルが出した条件、それはこの場で達成できるものではなかった。最早この条件に関しては、皇帝に確約を得る他ないという判断の下、ヒカル、オリバー、そしてヨハンは、王宮へと引き返した。
「ん、あれアテナちゃんじゃないの?」
皇帝がいるであろう部屋の前に、青髪の少女、アテナが佇んでいるのを、いち早く発見したオリバーが声を上げる。アテナもその声で気づいたようで、あ、さっきの太ってる人だ。と反応した。
「おぉう、太ってるだってさ。あの子に言われると悪い気はしないね」
「黙れ」
最早、この茶番にも慣れてしまった。そんなヒカルの興味は、アテナの傍らに立つ女性に向いていた。茶髪の癖毛が目を引く女性は、騎士団の白と青の制服とは真逆の、黒と赤の服を着ていた。恐らく彼女は、ワルハラ帝国の近衛兵団の団員なのだろう。男子禁制であるのは、皇帝の暗殺を防ぐためだったのだと、誰かが教えてくれた。女性は、ヒカルたちに気づくと、手を振って駆け寄ってきた。
「あー、この子がヒカル君なんだね。アテナちゃんと揃うと凄い魔力量だね〜」
ヒカルの思った通り、彼女は自身を、近衛兵団のリリアン・アダムソンと名乗った。どうやら彼女たちも、皇帝に話したいことがあるらしい。その内容が気になるところだったが、聞く前に、カスパーの取り次ぎによって、部屋に通された。
「……おぉっと、ごめんね。待たせてしまって」
外交文書か、軍事資料か、紙束に目を通していたイヴァンは、かけていた眼鏡を外し、同席する五人の男女を見回して、明るく笑いかけた。
「珍しい取り合わせだね。失踪事件のことで、何か相談があるのかい?」
ヒカルは驚いた。正しくその通りである、皇帝にはそれが分かっていたのか。ちらりと横を見ると、アテナも喫驚していた。他の三人は、日常茶飯事という風に受け流しているが、ワルハラでの生活の日数が浅い二人にとっては衝撃であった。
先に話し始めたのは、近衛兵団員のリリアンであった。
「はい。戦争時には、陛下の身に危険が及ぶ可能性が高くなって、近衛兵団は陛下の身の安全を守るために全力を尽くさなきゃいけません。でも、城下では失踪事件が起きて、不安が広がっていますよね。そこで、アテナちゃんが、ヒカル君の身の安全を守ってくれればという条件で、捜査を行ってくれると……」
「えぇーっ!?」
「ちょ、おいちょっと待ってくれリリー、それじゃ俺たちはどうすりゃいいんだよ!?」
「どうすりゃって、……まさかアンタたち!」
皇帝の行動の計り知れないことは、ある意味予想通りだったワルハラ人たちも、この符合には心底驚いたようだ。自己犠牲とも献身ともつかない感情を抱えた二人は、互いの身の安全を条件に、失踪事件の調査に身を投じようとしていたのだった。
もう収拾がつかなくなった部屋の中に、楽しそうな笑い声が響く。皇帝、イヴァンは、この状況を好意的に受け止めていた。
「はははっ、すごいな君たちは。……大丈夫、この王都は僕の庭だ。君たちに手出しはさせないから、存分に調査してきてくれ」
イヴァンは、心の底から笑っていた。哄笑していた。二人が長い時間をともにすれば、互いに刺激し合い、能力が早く開花するかもしれない。そんな真意を包み隠して、イヴァンは二人を城下に送り出したのだった。




