騎士団の詰所にて
ドアの開く速度があまりに速かったので、オリバーは顔を強打してふらつく。赤くなってはいるが、外傷はないようだ。
「オリバー・グラッド、何をしているんです」
部屋にいた人物は、さほど心配する様子もなく、冷たく言い放つ。知的な鋭い目に、白銀の髪は、独特の威圧感を与えてくる。彼女こそが、ワルハラ騎士団の事務を統括する、ハルシュタイン補佐官である。
「えぇと、ハルさん、いやねぇその……。あ、陛下に報告してきたよ」
それも彼の目的の一つだったのだろうが、瞬きせずに睨みつける彼女の前に、オリバーは音を上げた。
「……はい、彼が例の少年です」
ハルシュタインは、ヒカルの頭からつま先までを眺めて、再びオリバーに冷たい視線を向けた。
「能力が開花していませんが?」
どうやらオリバーはハルシュタインに対して、ヒカルを『大魔導師級の魔力を持った能力者』として報告していたらしい。ハルシュタインはそれ以上は何も言わなかったものの、無言の圧力を放ち続けた。
「すぐに分かるって、こういうことだったんですね」
「騎士団員でハルに勝てるのは団長位だからな」
恐らくオリバーを始め、彼らは一流の剣士なのだろうが、ハルシュタインの前では、龍を前にした犬のようである。そんな騎士団の様子を見つめていたヒカルだったが、突如としてハルシュタインと目が合った。つまり、彼女がヒカルを見たということだ。
「君、ヒカルというそうね」
「は、はい」
改めて自分に向けられると、氷のような声音である。大の大人が萎縮するのもよく分かる。ヒカルの緊張に気づいたかは分からないが、彼女はきびきびとした態度を崩さず、騎士団員と接するのと同じように話し続ける。
「オリバーからは、貴方が騎士団への入団を希望していると聞いていますが、部署の希望はありますか?」
「…………入団希望のところから初耳です」
こそこそと部屋を出ようとしていたオリバーは、彼の部下たちとヨハンの三人がかりで取り押さえられていた。
「お前、勝手が過ぎるのだが!?」
「成り行きで言っちまってさ……。あー、ヤベーなこれ」
絶望的な状況だが、身から出た錆であると言うより他ない。苦笑いを浮かべながら、必死に逃げようとするオリバーだったが、すぐにハルシュタインの前に正座させられた。今から激しい説教が始まるであろうということで、ヒカルたちは部屋から出て、大人しく説教が終わるのを待つことにした。
「いや、すいませんネ、うちン親分が迷惑かけテ……」
ヒカルは、自分が取り残されているような感覚であったが、どうやら彼らもそうであったらしい。ヒカルは、迷惑というより、この無鉄砲に、日常的につき合わされている二人に同情した。
「まぁでも実際、剣術だけはずっとやってたので……」
「……あー、ちょっと手、見せてほしいっす」
ジャックスに言われたので、ヒカルはしぶしぶ手を見せる。あまり肌がきれいではないので、普段は人には見せないのだが。とはいえ、彼らも手が荒れてしまうのは、十分分かっているだろう。
「うおぉ、鍛えてるっすね。候補生でもここまで鍛えてるヤツはいないっすよ」
つまりは、正団員に匹敵するということか。それ程鍛えている自覚はなかったが、そういえばこの数年、取り分け成長期に入ってからは、日課として木刀の素振りを続けていた。老爺からの課題であったのだが、結局、毎日の積み重ねというやつか。この鍛錬をヒカルが苦にしなかったのは、ある意味幸せなことだろう。
「よし、今度手合わせしてくれヨ」
ヒカルも、彼らの実力が気になっていたので、ガリエノの誘いは大歓迎だった。今思えば、列車の中では刀が振れなかったために、調子が出なかったのかもしれない、と思いつつ、一流の剣士と手合わせできる喜びを噛み締めた。
「……おーぅい、もう済んだよぉぅ……」
来た時より、確実にやつれたように見えるオリバーが、ドアを開けて四人に呼びかける。心配した方がいいのかとも思ったが、周りの男たちは、まるでいつものことだとでも言いたげに眺めるだけなので、それに倣って放っておくことにした。すると、よたよたと歩くオリバーを押し退けて、ハルシュタインも部屋から出てきた。
「あぁヒカルさん、本当に申し訳ないことをしました。あの、ご気分を害されたようでしたら……」
「いや、そんなに気にしないでください。それに、騎士団にはちょっと興味あるんで」
ヒカルの掌を見たハルシュタインは、その言葉の意味を察したようだった。能力者となり得る資格を持ったヒカルという少年が剣術を習っていたことが噂として広まり、それに尾ひれがついて、能力者が騎士団への入団を望んでいるということになったのだと、彼女は納得した。
「んだよな。じゃあ、情報の発生源で諸悪の根源はお前じゃねぇか!」
「何故そうなるのか分からんのだが!?」
自身の失敗の責任をヨハンに転嫁しようとしていたオリバーだったが、二言目を発する前に、ハルシュタインの目が完全に据わっていることに気づき、口をつぐんだ。
「気を取り直して、ヒカルさんは、騎士団に入ろうというつもりはありますか?」
そう言われると、ヒカルは返答に困る。ヒカルが好きなのはあくまでも剣術である。戦争に駆り出されたり、町の安全を守ることではない。刃は人を傷つけるものではない、という育ての親である老爺の教えも脳内にちらつき、終に決断することはできなかった。
「すいません、俺にはまだ、覚悟ができません。それに、あくまでも俺は、失踪事件の謎を追ってここまで来たんですから」
ハルシュタインは、その一言を聞いて、少し残念そうな光を目に宿したが、引き止めるようなことは何も言わなかった。