八.英雄(ヒーロー)参上
タヂカラオは機屋に足を踏み入れ、忌々しげに息を吐いた。
「……ひでぇ有様だな。それ以上にひでぇ臭いだ。どんだけ穢れてんだテメーら。
スサノオの大便のほうがまだマシだぜ、こいつァよォ!」
「……遅い……じゃないの……タヂカラオ……」
心強い援軍の到来を前に、肩で息をしつつも、アマテラスはぎこちない笑みを浮かべた。
「すまねぇな、アマテラス様……
うちの可愛いヒメサマをここまで虐めやがって……!
半殺しじゃ済まねえぞ、この悪神どもがァ!」
タヂカラオの鍛え抜かれた筋肉が怒張!
漲る神力が辺りの「穢れ」を押しのける!
その気迫。高天原に聞こえし随一の怪力神に相応しきものであった。
彼の投げた織機に巻き込まれた六柱の雷神たちは、口々に奇声を発する。
「口惜しや! あやつはアメノタヂカラオ!」
「高天原の『力』の象徴!」
「あなものものし! あな恐ろしや!」
思わぬ邪魔が入り、火雷は歯噛みした。
「おのれ……あと一歩というところで……
お前たち、何をしている! 早く我が下に集まらぬかァ!!」
雷神たちは火雷の怒号を聞くや、金切り声を上げて彼の方へと参集した。
火雷の下に集まった雷神たちはゆらめき、その身体は重なり、膨張する。
七柱の雷神がその力と存在を合わせ、偉丈夫のタヂカラオよりさらに大きく、禍々しい雷光を纏った巨神となった!
「ほう……俺を脅威と見なして合体するたぁ……
七柱がかりなら、このタヂカラオ様の力に勝てると踏んだか!
こっちとしちゃあ、的がデカくなって殴りやすくなって助かるがな!」
『ほざけ、タヂカラオ!
アマテラスの魂魄と共に、貴様の首も黄泉の国への土産としようぞ!!』
「上等だ! 高天原には今まで、お前らみてェな好戦的な奴はいなかったからな。
スサノオの奴も、なんつーか近づきがたかったしよ」
タヂカラオは筋骨隆々の肉体を軽やかに動かし、敵を迎え撃つ構えを取った。
「身体がなまってたところだ。相手してやるぜ雷神ども!
タケミカヅチの奴とどっちが上か! とくと見定めてやるッ!」
雷の巨神は、その巨体に似合わず稲妻の如き速さで、タヂカラオに肉薄する!
そこを迎え撃つべく、タヂカラオもまた右の拳を振りかぶり、全身全霊の力を込めて殴りかかろうとした。
だがその時、異変が起こった。
タヂカラオの拳は空を切った。殴るはずの巨体は、そこにすでに無かった。
「なん…………だとォ…………!?」
タヂカラオの一撃が届く寸前で、雷神たちは合体を解き、再び七柱に分かれて飛び散っていた!
「はははは! 愚かなりタヂカラオ!」
「我らの目的はあくまでもアマテラスよ!」
「貴様のような怪力馬鹿を、まともに相手するとでも思うたかァ!」
卑劣な事に、物々しき合体も、総力戦に見せかけた肉薄も、全ては火雷の謀だったのだ。
愕然とするタヂカラオを尻目に、雷神たちはアマテラス目がけて殺到する。その魂魄を黄泉路へと送るために。
「…………ぐ、くうッ…………!」
アマテラスはすでに膝をつき、意識も朦朧としていた。
もはや彼女に抗う術はない。
(……わたし、頑張ったつもりだけど……ダメみたい。
……ここで、死ぬのかな……?
死ぬ前にちゃんと……スサノオと……話したかった……な……)
薄れかけた意識の中、アマテラスの目に飛び込んできたのは。
見知った背中だった。
(……えっ……? ……スサ、ノオ……??)
迫りくる雷神たちの前に立ちはだかるその姿は。
幻ではなかった。確かに彼女のよく知る、弟のものであった。
(アンタ……なんでこんな所にいるのよ……?
危ないわ、穢れた雷神が……逃げ、るのよ……スサノオ……)
スサノオは機屋の穴の開いた天井から飛び降り、雷神たちの脅威からアマテラスを守ろうとしたのだ。
突然の乱入。六柱の雷神の突撃がスサノオの身体によって阻まれていた。
「てめェら……母上のところの雷神どもだな!?
なんでこんな事してやがる!?
姉上をこんな目に遭わせるなんて、聞いてねェぞ……!
このスサノオを……騙してやがったのかァァァァ!!」
雷神たちの攻撃を受け、スサノオも全身に傷を負い、激しく血を流している。
だが彼の怒号は、機屋に留まらず高天原中に轟いた。
攻撃を加えている側にも関わらず、雷神たちはスサノオの凄まじい怒りの前に、思わずたじろいでしまった。
(なんだ……スサノオの奴……騙されてたのね。単純、なんだから……)
アマテラスの中で様々な感情が渦巻いたが……最初に浮かんだのは、スサノオの一連の行動に悪意がないと知っての安堵だった。
(……高天原に来た時から、疑っててゴメンね……
でも……いざって時には、わたしを守ってくれる……のね……)
「どういう事だ。何故スサノオが侵入してきた?」
「大雷は何をしていたのだ! こやつを止めるのが役目であろうがァ!?」
目的を阻まれた雷神たちは口々に怨嗟の声を上げる。
だが……アマテラスは気づいてしまった。
スサノオが止めた雷神は六柱。一柱足りない。
スサノオの背後をすり抜ける、下劣な顔をした雷神が見えた。拆雷だ。
アマテラスの胸の部分に雷神の姿が重なり、即座に通り抜けていく!
「…………あッ…………」
アマテラスの意識は、そこで途切れた。
遥か遠くで、絶叫するスサノオの声が聞こえた気がした。