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ツクヨミ奇譚 ~天岩戸異聞~  作者: LED
第一章 陽が翳るとき
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九.落魂落日

 承前。時間は少し遡り、機屋(はたや)の天井にいたスサノオの様子を語るとしよう。

 彼は穢(けが)れの渦によって、中の様子が見えない事に思い至った。

 そして上がる悲鳴。見知った姉アマテラスの切羽詰まった声。

 スサノオはようやく、事態がただならぬものであることを悟った。


「おい! 大雷(オオイカヅチ)!」

「……何でございましょう? スサノオ様」


 スサノオの呼びかけに応じたのは、母イザナミからの使者である雷神だった。


「下で姉上の悲鳴が聞こえる! これは一体どういう事だ?

 オレが今までやってきた事は、母上に会うために必要だって話だったろう!?」


 苛立ちながら詰問するスサノオに、雷神は表情ひとつ変えずに答えた。


「お言葉を返すようですが……我が主イザナミ様は。

 これまでただ一つとして、スサノオ様に偽りを申し上げておりませぬ」

「ふざけるなァ!

 母上に会う事と、姉上が危険に晒される事がどう繋がるってんだ!?

 ……もういい! てめェの言う事なんざ信じたオレがバカだったぜ」


 相変わらず中の様子は、天井からでは伺い知れない。

 それでもスサノオは、姉の窮状を放っておく訳にはいかなかった。


「降りられるつもりですかな?

 イザナミ様のお言葉にない行動を取られるおつもりか」

「黙れ! オレの邪魔をするなら、まずはお前の首から叩き落とすぞ!」


 鬼気迫るスサノオに対し、大雷(オオイカヅチ)はそれ以上は何も言わなかった。


**********


 スサノオ決死の防衛も、あと一歩及ばず。

 七柱の雷神の襲撃のうち、六柱までは防いだものの。

 スサノオの防御をかいくぐり、八雷神(ヤツイカヅチノカミ)が一柱たる拆雷(サクイカヅチ)が、アマテラスの胸から巨大な『鏡』を奪い取った!

 雷神の割れ鐘のような下劣な声が、勝ち誇るように響く。


「はははは! 黄泉大神(ヨモツオオカミ)よ、ご照覧あれ!

 やりましたぞ! この拆雷(サクイカヅチ)が!

 アマテラスめの『魂』を奪い取る事に成功したのですッ!!」


 古来より、人や神に宿る霊を魂魄(こんぱく)と呼び、二つの陰陽の気が均衡を保っていなければならないと言われる。

 天からの陽の気を司るは魂(こん)。精神の源であり、死しては天に昇るという。

 地からの陰の気を司るは魄(はく)。肉体の源であり、死しては地に帰るという。


 拆雷(サクイカヅチ)がアマテラスより奪った『鏡』こそ。

 後に八咫鏡(やたのかがみ)と呼ばれる事となる神器。

 太陽の化身たるアマテラスの持つ陽の気の結晶であり、彼女の『魂』──すなわち精神そのものであった。


「拆雷(サクイカヅチ)。それだけでは足りぬぞ。

 アマテラスを完全に亡き者にするためには、『魄』である勾玉も奪わなければならん!」

「無茶を言うでないわ、火雷(ホノイカヅチ)!

 あの一瞬で魂魄(こんぱく)共々、我一柱のみで奪い去れと申すのかァ?

 ……それにもう遅い。外から物々しき足音が聞こえるであろう」


 拆雷(サクイカヅチ)の言う通りだった。

 異変に気づいた高天原(タカマガハラ)の神々が、次々と機屋(はたや)に駆けつけようとしている。


「これ以上、ここには留まれぬ。潮時ぞ!

 まさか我らだけで、タケミカヅチをはじめとする天津神(アマツカミ)全員を相手取れとでも言うのではあるまいなァ?」

「ぐッ……まあよい。

 『魂』である鏡さえこちらに有れば、もはやアマテラスの意識は戻らぬ。

 暗雲に覆われた天上と地上!

 穢(けが)れを祓う陽は翳り、二度と昇る事はあるまいて……

 者ども、引き上げるぞッ!!」


 火雷(ホノイカヅチ)の号令を受け、残り六柱の雷神たちも天井から暗雲に飛び出そうとした。が……


「…………返せッ…………!」

「!?」


 拆雷(サクイカヅチ)が機屋(はたや)から逃亡する直前、背後から恐るべき声が聞こえた。

 スサノオだ。あれだけの傷を負い、意識も朦朧としていよう。にも関わらず。

 飛び上がる拆雷(サクイカヅチ)に肉薄し、彼の持つ『鏡』に手を伸ばそうとしている!


「姉上の魂! 返しやがれェッ!!」

「ひいッ!?」


 スサノオの凄まじい執念に、拆雷(サクイカヅチ)は恐怖の悲鳴を上げた。

 だがスサノオの伸ばした手は、あと一寸届かず。雷神の頬を切り裂いただけで、力を失った。いかに三貴子の一柱といえど、この重傷でこれ以上動くのは限界だったのである。


(なんと恐ろしい……スサノオの力も。アマテラスの力も。

 あの女神、あれだけ弱っていたのに、ここまでの『鏡』が作れるだけの陽の気をまだ蓄えておった。

 三貴子の持つ神力、底が知れぬ。奴らが万全であったなら、我らことごとく打ち祓われておったであろうなァ……)


「待ちやがれてめぇらァ!!」

 タヂカラオが怒りの咆哮を上げる。有り余る力で再び織機を持ち上げ、空飛ぶ雷神たちに投げつけようとしていた。


「止めておけタヂカラオ」火雷(ホノイカヅチ)が嘲るように言った。

「我らはアマテラス様の魂である『鏡』を持っておる。貴様の投げる織機の盾にしてやってもいいのだぞ?」


「!……卑怯者どもがぁぁぁッ!?」


 タヂカラオの絶叫が虚しく響く。

 雷神たちの逃走を阻むものは、もはや何もなかった。


 大勢は決した。

 アマテラスの魂は雷神に奪われ、彼女は眠るように昏倒してしまっていた。


「──タヂカラオ! これは一体どういう──」

「──オモイカネ、コヤネ。すまねぇ、アマテラス様が──」


 駆けつけてきた天津神(アマツカミ)たちの喧騒が、スサノオの耳に遠くに聞こえる。


(…………あね……うえ…………)


 スサノオの意識が途切れる寸前、彼の心にあったのは屈辱と後悔であった。


**********


 この日を境にして、高天原(タカマガハラ)に暗い影が落ち、葦原(アシハラノ)中国(ナカツクニ)も全て闇となった。

 終わらぬ夜が続き、天上と地上に神々の嘆き悲しむ声が満ち、あらゆる災いが起こるようになった。


 古事記に記されし、アマテラスの「岩戸隠れ」である。



(第一章 陽が翳るとき 了)

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