それから──
ツクヨミ、スサノオ、そしてウケモチ改めアワシマの三柱は、オオゲツヒメの遺した五穀を広めるため、葦原中国を旅する事となる。
アワシマの名は彼自身が表に出す事を憚ったため、古事記において五穀を広めたのは、彼の養母カミムスビの行いと記録されている。
「最初はどこに行くんだ? アワシマ」スサノオが尋ねた。
「つーか、お前らオイラについてくんのかよ」
「嫌か?」
「そんな事は、ねーよ。一緒にいてくれた方が心強い」
アワシマはぶっきらぼうに、しかし素直に言った。
「なら決まりだな。どうせオレも、高天原を追放されて行くアテがないんだ。
落ち着く所を探したいからよ」
「……また田圃を荒らしたりするんじゃねーぞ?」
「しねえからッ! 清めの儀式受けたばっかりだし!
第一そんな事したら、姉上に半殺し程度じゃ済まねえ……」
「……そ、それもそうだな……」
あの奔放で豪胆なスサノオをして、姉アマテラスの本気は心胆寒からしめるものらしい。
「……私はそんなスサノオが心配なので、しばらく同行するよ」
とはツクヨミの言。冷静を装っているが、これは明らかに見知らぬ土地を旅する事を楽しみにしている目だ。
彼は長い間、夜之食国しか世界を知らず、好奇心が抑えられないのだろう。
「それに……オオゲツヒメも。アワシマが五穀を広める旅をするならば。
気心の知れた仲間と共に行く事を、きっと願っていると思うよ」
こうして彼らの新しい旅が始まった。
ツクヨミが関わっているため、この記録は後世に残されてはいない──が。
彼らの足跡は、広められた五穀と共に葦原中国に着実に根付いていた。
何故なら──
「……これはッ……」
ツクヨミがふとアワシマの回収した、五穀の種を手に取った時の事だ。
彼の神力により、種の過去の記憶がツクヨミの頭の中に流れ込んでくる。
それはオオゲツヒメの記憶だった。
この時初めて気づいたが、彼女は片時もツクヨミの事を忘却していなかった。
「まさか……そうか。そういう、事か」
「……ツクヨミ? なんか嬉しそうだな」
スサノオが不思議そうに、ツクヨミの顔を覗き込む。
「オオゲツヒメが教えてくれたんだ。
神力に関わりなく、私の事を記憶に留める方法と、条件を。
ウズメの時もそうだった。私の力と深く関わりを持った神は……私の事を頭では忘れる事があっても、身体にその記憶を刻み込む事ができる」
オオゲツヒメの命──穀霊が宿った五穀の一粒一粒に、ツクヨミの記憶もまた宿っていた。
古来より農業は、季節を把握する事が重要であった。種蒔きの季節、肥料を施す季節、収穫する季節……
日本に正確な暦が導入されたのは7世紀半ばと言われるが、それ以前にも季節暦や祭りの日が存在し、農民の間で普及していた。
それは日々の月の満ち欠けを読む事で一定の周期を保ち、安定した作物を育てる事に繋がる。
余談になるが、潮の満ち引きが魚の産卵時期に影響を与えている事も、古来より知られており、これにより大漁の時期を把握する事ができた。
月の神ツクヨミが、農業や漁業の守護神としても崇められていた所以である。
(オオゲツヒメ……貴女は私を、二度も救ってくれたのだね。
黄泉の国では私の魂魄を。そして今は……星々の神が背負うはずの、忘却の呪縛からも)
ツクヨミはオオゲツヒメのお陰で、夜の世界の孤独から解放されたのだった。
三柱の旅はさらに続く。
「──なあアワシマ。お前、酒とか薬とか作るの得意だろ? 教えてくれよ!
あんなに凄い技術、みんなに広めないのは勿体ないぜ!」
「しょうがねえなあ……構わねえぜ」
「後世の人々に、オレの子孫に、その技術は連綿と伝わっていく訳だ。
そしたらお前は、医療や酒の神として神話に名が残るって寸法だぜ!」
「……調子いいなあスサノオは。どうせ酒が飲みたいだけだろう?」
「い、いやいやそんな事はねえ!
ホラ、あれだ。とんでもなく強い酒を造れたらさ。
どんな凶悪な敵が出てきたとしても、そいつを飲ませてベロンベロンに酔わせて楽勝だぜ!」
「へッ。まあ、そーいう事にしといてやるよ。じゃあとっておきの奴な!
この酒は美味いぜ~超きっついぜ! どんな化け物だろうとイチコロよ!」
「さっすが~アワシマは話が分かるぜ! これで美女がいれば完璧だな!
……という訳でツクヨミ。敵を油断させるための女装はお前が担当してくれ、なっ!」
「……スサノオ。殴っていいかい?
っていうかスサノオが見たいだけだろそれ!?」
「オレの将来の嫁探しに役立つかもしれねーじゃねーか!
なぁ頼むよツクヨミ~」
「…………!」
「……!?」
「……」
**********
各地を旅した後、スサノオはかの有名なヤマタノオロチ退治の英雄となり、妻となるクシナダヒメを娶って、出雲国の地下に家族と共に移り住んだ。
スサノオの子孫は後に、国造りの神オオクニヌシとして、その名を轟かせる事となる。
アワシマは常世国へと帰った。その際、スサノオの子孫が困難にぶつかった時、自分か自分の子孫を助けに遣わす事を誓った。
その時にアワシマは、自分の血を引く者に将来つける名前を木に刻んでいったという。
その木は後に案山子神となり、スサノオの子孫にアワシマの子孫の名前を告げる役目を果たした。
アワシマの子孫。スクナビコナとして伝わる、医薬や酒造を司る神である。
ツクヨミが何をしたのかは、やはり伝わっていない。が──
アワシマと同様、彼の子孫か、その力に連なる者を使いとして寄越し、スサノオの子孫を助ける約束をしたと言われる。
その神は己が持つ秘儀を文字や数値、楽や舞、形状の中に全て象徴として隠し、その本性すらも記紀神話から隠してしまったという。
知恵と魔術の神であり、名をオオモノヌシと言った。
(ツクヨミ奇譚 ~天岩戸異聞~ 完)
「ツクヨミ奇譚」これにて完結です。いかがだったでしょうか?
盛大に色々ネタを詰め込んだ結果、想定より遥かに長く、群像劇めいたマニアックな物語に仕上がってしまいました。
それでももし、お楽しみいただけたなら幸いです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
ご意見・ご感想お待ちしております。