01 魔法少女へのいざない
何か悪いものが街を覆っている。
学校に行く準備を整えて家を出た俺は、空に漂うそれを感じ取った。
「紅一、おはよう」
名前を呼ばれて振り向くと、同級生の少女が手を振りながら近づいてきた。彼女は森谷桜乃。幼馴染といえるのか分からないが、小学生の時に彼女が近所に引っ越してきて以来、仲良くしている。
「桜乃、おはよう。今日も早いな」
「今日も朝練だからね」
桜乃はバレー部に所属している。中学3年生ともなると、最後の試合も近い。うちの学校はスポーツが強いわけではないが、バレー部は熱心にやっている方だし、最後の大会にかける想いもあるのだろう。
「紅一こそ、今日はやけに早いじゃない」
「なんか目が覚めちゃってさ」
そうは言ったものの、一般人には分からないであろう邪気を感じ取っていることも、早く起きてしまった原因の一つだ。
「ふーん。ま、いいや。行こうよ」
桜乃はそう言うと、学校に向かって歩き始めた。
「ああ、そうだな」
俺も桜乃の後から歩き出した。こうまで邪気が強いと今日中に街中で何かが起こるとは思う。ただ、俺や桜乃が巻き込まれる可能性は低いだろう。
だから大丈夫だと、朝の時点ではそう思っていた。
◇
桜乃と談笑しながら歩いていると、まもなく校門が見えてきた。朝練の時間なので、生徒の姿はまばらだ。
「じゃあ、私は体育館に行くから」
「おう、頑張れよ」
「ありがと。またね!」
そう言うと桜乃は歩いていった。
俺はその後ろ姿をしばらく見送ると、下駄箱の方に向かった。すると、朝練で来ているクラスメイトの男子二人に声をかけられた。
「よお、紅一。今日は森谷と一緒なのかよ」
「俺が早く起きたから、たまたまね」
「あの森谷とご近所さんだなんて、羨ましいねぇ」
二人は桜乃が入っていった体育館の方を眺めていた。
この手の言われ方はよくあることだ。桜乃は可愛い。誰もがそう言っているし、俺だってそこに異論はない。その桜乃と一緒に登校してきたのだから、男子生徒としては感じるところはあるのだと思う。
「去年卒業した先輩達も何人か告ってたし、誰もが撃沈したから彼氏いるんじゃないかって言われてたよな」
「そんで真っ先に疑われたのが紅一だったよな。お前、本当に付き合ってないの?」
「ないよ」
仲は良い方だと思う。親同士の付き合いが深いから一緒に遊ぶことも多かった。けれど、そんな関係になんてなっていない。
桜乃が告られた時は相談された。どの時も、そういう気持ちが分からないというものばかりだった。桜乃はまだ、恋とかそういう気持ちが芽生えたことがないようだった。
「はぁ……」
考えていたらため息が出てしまう。
「紅一も苦労しているみたいだな」
「頑張れよ。俺等じゃとても届かないし、応援してるぞ!」
そう言うと、二人は部活の練習に戻っていった。
「……」
昔はこういうことを言われたら否定していたが、最近はその気力も失せてしまった。
回りの話を聞いていると、桜乃の美貌を強調する言葉をよく聞くが、俺は彼女の内面もよく知っている自負がある。悩みを打ち明け、打ち明けられ、その時の言葉のラリーも正直心地よい。
だから俺なら行けるのではないかと自惚れたことだってあるが、内面がよく分かるからこそ、桜乃の俺への感情は歳の近い兄弟のようなものだと分かってしまう。
「どうやったら進展させられるのかねぇ」
ふと、俺はそんな本心を呟き、校内に入っていった。
◇
その日の最後の授業を受けながら、俺は外を見ていた。
だいぶ来ているな……。
街を覆う邪気を見ながら俺はそう思った。
この邪気の元となっている魔物がいるはずだ。人の悪意が集まって顕現したものか、あるいは単に違う世界からやってきた邪悪な存在か。いずれにしても、こういった闇は秘密裏に祓われる。一般人は知らないこの世界の裏側だ。
万が一に巻き込まれても面倒だし、俺はお祓いが済むまで学校にとどまることにした。
◇
「あれ、紅一まだいたんだ」
「桜乃……? あれ、もうこんな時間か」
教室で本を読んでいたら、部活を終えた様子の桜乃に話しかけられた。そんなに時間が経っていたということだ。今日はバレー部が一番遅かったらしく、他に生徒は見当たらない。
ふと外を見ると、邪気は未だ健在だった。こんなに大きいなら奴らが気づいていないはずはないのに、どうして未だに祓われていないのか。
「ちょうどいいや、一緒に帰ろうよ」
「バレー部の皆は?」
「皆方向が違うもん。今日は真っ直ぐ帰るから解散した」
「そっか……」
俺は再び外を見た。桜乃と一緒に帰れるのは嬉しいが、邪気がこのままの状態で下校して良いものか。
「ほらほら、そうと決まれば準備して!」
「あ、ああ」
桜乃に無理やり鞄を持たされた。こういう時に不意に距離が近づくから思わずドキっとしてしまい、邪気のことを忘れて帰る流れになってしまった。
まあいいか。俺と桜乃が巻き込まれることなんてないはずだ。
二人で下駄箱に向かい、すれ違った先生に挨拶をしながら帰路についた。
「バレーはどうなの?」
「調子良いよ。先生も、今年は去年より行けるとか言って燃えてるし」
「楽しそうだな」
「うん、うちのバレー部は良いとこだったと思う! 紅一も部活とかやれば良かったのに」
「何言ってんだ、一応軽スポ部に入ってる!」
「軽スポーツ部は別枠でしょ」
桜乃の言うとおり、週に一回程度集まって軽く運動するだけの部活だ。大会もない。人生の後々になって、もっと何かに取り組めば良かったと後悔する人が出てくる可能性だってあるのは分かっている。
「俺はほら、父さんから引き継いだものがあるから」
そういうことにしてある。亡くなった父が残した研究を継ぐために若い内から取り組んでいるのだと。
「それは凄いことだけど、学生時代には別のことをやっておくのも良いと思うよ」
「そうかもしれないけどさ」
「高校では両立してみたら?」
桜乃がクスクスと笑いながらそんなことを言った。その表情が綺麗で、俺は少し見惚れてしまった。
「どうしたの?」
「い、いやなんでもない!」
顔を覗き込んでくるその距離! そういうところだぞ! 桜乃は他の人にはこういう態度を取らないから、尚更勘違いしてしまいそうになる!
「痛っ!」
目の前の桜乃に気を取られていたら、不意に右手に痛みを感じ、俺は叫んだ。
「紅一、どうしたの?」
「なんだ、一体……。え……?」
右手を見ると、何かに掴まれた痕があった。状況を察して周囲を見ると、邪気に囲まれていた。
襲撃された!? なんで俺達を!?
「こ、紅一! あれ何!?」
桜乃が悲鳴を上げるように叫んだ。そちらを見ると、薄暗いモヤが発生しており、中から無数の青い腕のようなものが伸びて、こちらに向かってきていた。
「桜乃、逃げよう!」
「え、ち、ちょっと!!」
俺は桜乃の手を取り、走り出した。
まずい、まずい! 魔物に襲撃されるのはまずい! 奴らは何をしているんだ! どうしてこの魔物は放置されている!?
俺はともかく、一般人である桜乃が攻撃されたらひとたまりもない!
「あっ!」
桜乃の声が聞こえると、掴んでいた彼女の手から急激に重さを感じた。
「うわっ!」
その力に引きずられ、俺も転倒してしまう。
「い、痛い! 何なのよこれ!」
見ると、青い腕が桜乃の脚を掴んでいた。さらに別の腕が伸びてきて桜乃や俺に迫ってくる。
俺はとっさに桜乃の脚を掴んでいる青い腕を踏みつけた。そこから腕は千切れ、桜乃が自由になる。桜乃の脚には、俺の右手と同じように掴まれた痕が出来ていた。闇の力で握り締められたのだ。
「こ、紅一……!」
桜乃が後ずさりをし、背中が俺の身体にぶつかった。
「っ……!?」
桜乃が見ている方向を見ると、人が四つん這いになったような不気味な青いものが、昆虫のような動きでゆっくりとこちらに歩いてくるところだった。その化物の肩からは、先ほどから俺達を襲撃していた青い腕が何本も伸びている。
「ば、化物!?」
「くそっ!」
その魔物の方向だけでなく、グネグネと伸びる腕に逆方向も塞がれて逃げ道がなくなってしまった。俺はとっさに桜乃を後ろにして背中で庇った。
まさか、こんな事になるとは! 魔物に襲撃されるなんて、本来はありえないほど低確率な出来事のはずだ! どうしてこうなった!
「グルル!」
魔物はうめき声を上げると、青い腕を俺達にけしかけてきた。
「ぐっ!?」
青い腕に横薙ぎにされ、俺は道路に倒れた。さらに青い腕が触手のようにうねり、脚に巻き付かれて宙吊りにされる。
「紅一!!」
「桜乃!!」
脚が万力のような力で締め付けられるのを感じたが、それより俺は桜乃に青い腕が迫る光景から目を離せなかった。
桜乃は鞄で青い腕を牽制する。宙吊りにされている俺を助けようとこちらに来ようとしているようだった。しかし、それは魔物にとって何の障害にもならないだろう。青い腕に捕まったら桜乃は殺される!
それだけは許さない!
俺は、この窮地から脱するため、禁じられた力を解放しようとした。
しかし、その時、
『桜乃、戦え!』
突如聞こえてきたその声と共に、桜乃の頭上が白く輝いた。さらに、青い魔物が、いや世界が停止した。
「え……?」
桜乃は呆気に取られて頭上の光を見た。
『桜乃、魔法少女になるんだ!』
「魔法少女!? 桜乃、ダメだ、聞くな!」
俺はとっさに叫んだ。
魔法少女、闇を祓う存在。本来はこの魔物もこんなに邪気を振りまいていたら魔法少女に事前に倒されていたはずだ。
ここまで放置していたのは……。まさか、桜乃を勧誘するためだったのか!!
「そうすれば紅一を助けられる?」
『ああ、友達は助かる』
「桜乃!」
桜乃と光の存在との会話に俺は割って入ろうとしたが、声が届いていない。
「分かった、お願い!」
『ようこそ桜乃!』
光の存在からピンク色の光体が桜乃に移動し、そのまま桜乃の身体が光り輝く。
制服を着ていたはずの彼女の服がピンクを基調とした魔法少女の衣装に変化、髪の色が美しいピンクに変わり、桜乃は魔法少女に変身した。
『戦うんだ、魔法少女ユーラル・ハート!』
変身した魔法少女は元の名前ではなく魔法少女名で呼ばれる。ユーラル・ハートというのは桜乃の魔法少女としての新しい名前ということだ。
ユーラル・ハートは地面を踏みつけると、一瞬で俺の位置まで移動して腕を振り抜いた。ピンク色の波動が辺りを一閃し、複数の青い腕が消し飛ばされる。
俺の脚を拘束していた個体も消滅し、俺の身体は地面に落下したが、ユーラル・ハートにお姫様抱っこの形で受け止められた。
「紅一、大丈夫だった?」
「あ、ああ……」
俺の体重を軽々と支えるその力に驚きはしない。魔法少女であれば容易いことだと知っていたからだ。
『祓え、ユーラル・ハート!』
「任せて!」
ユーラル・ハートは拳にピンク色のオーラをまとわせ、青い魔物に向かって拳を突き出した。すると、ピンク色の魔法光弾が魔物を襲う。
「ギャアアア!!」
それが魔物の断末魔となり、魔物は一瞬で消滅した。周囲に溢れていた視認できるほどの邪気も消えた。
『想像以上の力だね、ユーラル・ハート。ボクの見立ては間違っていなかった』
光の存在がそう言うと、光が収まり、そこには猫のような形の白い生き物が浮かんでいた。
「一体、この力は何なの? あなたは一体何者?」
「ボクはユリール。魔法少女のチーム・ユーラルを担当する妖精さ」
「さっきから言ってるその魔法少女というのは……?」
「順を追って説明するよ。まずは変身を解くんだ。分かるよね?」
「え?」
ユーラル・ハートはそう言われると、目を閉じて深呼吸をした。するとピンク色の光が収まり、元の制服姿の桜乃に戻った。
「そうだ、紅一!」
桜乃はそう言うと、俺の方を見た。手を肩に乗せ、俺を覗き込んでくる。
「大丈夫だった!?」
「ああ、俺はな……」
やってくれたな、妖精め!
俺はそう思いながらユリールと名乗った妖精を睨んだ。
魔法少女の仕事など、ろくなものではない。身を削って闇と戦って、傷つき続けるのだ。最悪の仕事のことだって知っている!
桜乃がその立場に立たされてしまうとは!
何よりも……。
俺は……、俺の一族は、かつて魔法少女に倒された闇の勢力の末裔なのだ。完全に力を放棄したわけではなく、まだ研究を続けている。
魔法少女にはバレないようにずっとやってきた。しかし、こんな身近に魔法少女がいることになってしまうとは。しかもそれが桜乃だなんて。
今回ばかりは、俺は自分の宿命を呪った。




