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早開き 【四】


「ねぇ、もう戻らない?」

「そうしよ。だって早苗ちゃん見つからないし」


 私は遊びの中から抜けていく他の友達を見つけた。あんまり話したことない友達だったので、私は声をかけることができなかった。鬼役がいなくなったかくれんぼはもう成立しない。


 あんまりだと思った。


 さなちゃんは優しいから、きっとこの子たちを許すだろう。けど、そんなの納得いかない。悪いのはさなちゃんじゃないのに。このまま一人ぼっちにされたさなちゃんは嫌な気持ちでいっぱいになってしまう。そう思うと、私はいてもたってもいられなくなった。一生懸命いろんな場所を探して、へとへとになるまで歩き回った。


 さなちゃん、かくれんぼうますぎる。これじゃ、私もあの子たちと同じになってしまう。そうなることだけは、すごく嫌だった。どんなに時間をかけたって、へとへとになったって、必ず探さないと。私はさなちゃんを何が何でも見つけ出したかった。

 

 草むらが風で揺れる。空き地の茂みの中、小さなくしゃみが聞こえた。


「あ……」


 私はその中に潜んでいたさなちゃんと目がばっちりと合う。


「あーっ! もう少しだったのにぃー!」


 跳び起きたさなちゃんは、悔しそうに言ってのけた。私は嬉しい気持ち半分、嫌な気持ち半分で、胸の中がもやもやしている。


「……さなちゃん」

「んー? なにくぅちゃん」

「え、と……鬼の子、もうやめちゃってるよ」


 私は悩んでいた気持ちを断ち切って、きっぱりと言い放った。それが正しいことだと思ったから。


「んー、知ってるよ」

「……え?」


 何でもないように言うさなちゃん。私は驚いてしまう。


「くぅちゃんが鬼じゃなかったのに探しにきてくれたから、そうかもって思ってた」

「そ、そうなの?」

「うん。でも、見つけてくれて、ありがと」


 にっと笑ったさなちゃん。私は、さなちゃんのことが大好きだった。誰にでも優しくて、心が強くて、遊び心を忘れない。


「嫌じゃ、ないの? 途中で遊びを抜けられて」


 さなちゃんは遠いどこかを見つめながら言った。


「嫌だけど、仕方ないよ。私、そういうの慣れちゃったから」


 しゃがみこんで土いじりを初めだす彼女の背中。私にはそれがとても寂しげに見えた。男の子にずるいと言われるさなちゃん。きっと今まで、たくさんの遊びをしてきて、こんな風に仲間外れにされることもあったんじゃないかな。そんなとき、さなちゃんはどんな顔をしていたんだろう。いいよって、優しく笑っていたんだろうか。背中を向けて、一人で遊び始めていたんだろうか。


 わけも分からず、涙が出てきた。


「え? くぅちゃん! どうしたの?」


 啜り泣きを聞いたさなちゃんは、私の肩に触れて心配そうな声を出す。聞こえなかったら嫌だった。だから私は、声を振り絞った。


「わかんないの? さなちゃんの代わりに泣いてるの!」


 口を開けたままぽかんとしたさなちゃんが、私を見つめる。ひどいことだと思った。さなちゃんと遊びたいからやってきた人たちのくせに、敵わないからって自分勝手に遊びを抜けるなんて。そしてそんな子を簡単に許してしまっているさなちゃんも、私には堪えられなかった。


「さなちゃん本当は寂しがってるんだ! そんな風に見えたよ!」


 その言葉を聞いたさなちゃんは、優しく私の頭をなでて笑った。


「そっか、ありがと」


 ありがと、じゃないよ。もっと怒って、自分を大事にしてよ……私まで嫌な気持ちになっちゃうじゃん。


「仕方ないことなんてないっ! 私がずっと、傍にいてあげる! さなちゃんが寂しい想いしないように、どこにいても、探して見つけてあげる!」


 さなちゃんの目を見つめる。賢くて、優しくて、大好きだった彼女の顔。


「わかった、もう、いいよ」


 震える声がした。

 

 それでも私はさなちゃんに向かって言う。


「よくない! 我慢しないでよ! 私、ずっとそばにいるんだから!」


 体から力が抜ける。こんなに叫んだのは久しぶりだ。さなちゃんは、泣きながら笑っていた。


「くぅちゃん。私、待ってる」


 頬に落とした彼女の涙が、私の瞳に映った。



 ◇◇◆◇◇



「山井……」


 誰かの悲鳴が聞こえた気がする。


 意識の縁を歩き回り、冷たいアスファルトが頬にくっついていることをようやく知る。地面が上にあるのか下にあるのかもよく分からなかった。暖かい血が広がって、お腹から胸に繋がっていく。


「さな……ちゃん……」


 横に倒れた彼女の姿。私は痛みを堪えて彼女の元へと這いずった。雨が降って泥水が流れる。


 あぁ、早苗の着ていた綺麗な洋服が台無しになってしまう。早苗、はやく起きて。そして、家に帰ろう。


 鋭い痛みに呻き、私はお腹を抑えた。とんでもない量の血液が地面に流れている。歯を食いしばって、腕に力を込めた。自分の心配よりも、早苗の心配をしろ。私はそう言い聞かせながら、溢れ出る血液を握りしめ、彼女の顔を見た。


「……さなちゃん?」


 早苗の顔はすぐそこにある。青白い唇。目蓋は開けっ放しで、どこにも焦点があっていない。虚ろそのものとなった彼女の肉体から、同じような赤い血が流れていた。身体中の痛みが消えるほど、私の心と体が離れていく。


 鋭い雨が頭を叩き、彼女の髪の毛を濡らす。私は一生懸命に彼女の前髪を整え、優しく呼び掛けた。


「さなちゃん、さなちゃん……ねぇ、起きて……」


 頭の中で彼女の名前が反響する。だめだよ。さなちゃん。こんなところで寝てちゃ。


 雷の音がどこか遠くで鳴った。闇の中、溶けていく、早苗の顔。どんなに離れていたって、私は彼女のことを一人にはさせない。絶対に、離れたりなんかしない。


 そうだよね。私たちは、ずっと一緒なんだから。



 ◇◇◆◇◇



 降りしきる雨の音がいつの間にか聞こえなくなっていた。目を開けると、見慣れない景色が周りを取り囲む。


 あれ、どうして、私。


 考えがまとまらず、意識も定まらない。仰向けに寝かせられた私の体。白い掛け布団。あれこれ考えようとするが、脆弱な思考はすぐに霧散してしまう。戸惑う私は大きく息を吸う。


 微かな消毒の匂い。そうか、アルコールを、手に付けたんだ。


 覚えている。一人で、椅子に座っていて……あれは文化祭の日だった。手繰り寄せた糸、記憶をしっかりと結びつける。


 そこは生徒指導室で……最初に会ったのは、藤先生。私、中学のことを聞かれて、何も言えなかった。本当は、いじめを受けていた蘭を守りたかっただけなのに。うまくいかなかった。誰かが悪者になれば、また団結すると思った。私、蘭を傷つけた。


 頭に痛みが走った。


 咄嗟に額に触れようとした時、自分の腕から伸びる太い管が見えた。私は不思議に思う。どうしてこんなものが腕に刺さっているのだろう。いつ怪我をしたんだろう?


 蘭の叫びと、重なった男の顔。そうだ、山井が襲ってきたんだ。蘭ちゃんを……大事に思っていた人。扉の鍵を閉められて、それから、捕まりそうになって抵抗したんだ。怖かった。本当に怖かった。


 一度は諦めかけた私だったけど、力いっぱい歯向かった。ガラスが割れて、外から早苗が助けてくれた。私を、助け出してくれた。


 冷たくなった彼女の顔が、脳裏をよぎる。


「ぐっ……う……」


 ――頭が、痛い。お腹が、痛い。


 まるで、ナイフでお腹を裂かれたような痛み。息が苦しくなってくる。だけど、もう少しで全部思い出せそうなんだ。


 澄桜と杏香と早苗の四人で遊びに出掛けた。早苗と写真を撮った。安城と前園をみかけ、それで、それで。


 空が暗くなり、雷が鳴る。夕立を知らせる淀んだ空気に包まれて。みんな帰った。私と早苗は残り、そして。


 早苗は叫んだ。逃げてって。


 ――心臓が、痛い。


 そしたら、山井が現れた。黒っぽい服の下に隠した、銀色の光。彼女はその光に、何度も、何度も、何度も。


『お前が、篠崎か』


 山井は確かにそう言った。激痛が全身を巡る。体に装着された何本もの管が、点滴スタンドを強く引っ張った。


 私は呂律の回らない口で叫んだ。


「さぁちゃん…さぁちゃん……!」


 ここは病院? 早苗はどこ? 彼女は、彼女は……!


 必死であがく内に、枕元に置いてあったナースコールが目に入る。力強く押したつもりだったが、震える指がそんな簡単な動作でさえもどかしくさせた。


 扉が開き、白い服の看護師が入ってきた。私が彼女と目を合わせると、その看護師はベッドの傍まで来て尋ねる。


「光島さん! 気が付きましたか? お名前、言えますか?」


 私はしゃべりだそうとしたが、喉がカラカラでうまく声が出ず、咳き込んでしまう。


「大丈夫ですよ。ゆっくり、落ち着いてください」


 看護師の女性はペットボトルから伸びたストローを私の口へ運んでくれた。

 口内を潤した私は、小さな声で言った。


「みつしま、くるみです……!」


 雨は止んだっていうのに。


「さなちゃんはどこにいますか……!」


 耳の奥、頭のどこか。ずっと雷の音がしていた。



 ◇◇◆◇◇


 

 暗い部屋の中。誰かが入ってくる。


「電気、点けるね」


 力のない、優しい声だった。閉めきったカーテンを開けることもせず、沈んだ空気がずっと渦を巻く。私は部屋の電気が眩しくて、腕の中に頭を隠した。


 海の中にいるみたいなくぐもった物音。誰かが私の体をそっと包み込んでくれる。暖かい。私はどこにいるんだろう。


 何かをずっと、探している。

 足りない何か、欠けた何かを。


 私にとって、とても大事なものだった。空を突き抜ける飛行機に大きな翼がいるように。海を渡る船に力強いファンがいるように。私の心に灯るはずの光が、暖かな光が必要だった。


 早苗は死んだ。


 救急車で運ばれている時には、もう命を落としていたそうだ。腹部を数か所刃物で刺され、生きるために必要な血液がみんな失われてしまった。彼女の体は冷たい海に投げ出されたように、死の闇へ落ちていく。


 魂の抜けたあの顔が、焼きついて離れない。


 早苗が残してくれた笑顔も涙も優しさも温もりも、すべて灰になった。クリスマスの飾りにあんなにはしゃぎまわっていた彼女は、もうこの世にいない。私の隣から、世界から、いなくなってしまった。


 彼女の匂いをかぐことも、手に触れることも、話すことも、目を合わせることも、もう何もできない。


 私には、何も残っていなかった。早苗がいない世界なんて、何の興味も湧かない。見えない、聞こえない、感じない。泡になって、消えていく。

 

 死のう。


 早苗は私が殺した。私のせいで彼女はここに戻ってきた。私が早苗の名前を山井に口走ったから、狙われた。私が山井を許したから、こうなった。全部、私のせいだ。


 こんな世の中で、一人で生きていたってどうしようもない。私だけ生き残っても、しょうがないんだ。立ち上がった私は、自分の机を漁る。カッターやハサミ、コンパスの先を探したが、鉛筆一つ出てこない。


 だめだ、ここでは死ねない。どこか、別の場所で。


 ふと、学習机の棚の上、ランドセルが目に入った。私が昔使っていた赤いランドセル。早苗も、同じ色だった。


「あ……」

 

 早苗が残してくれたもの、もう一つだけある。それを手にしてからでも、遅くはない。


 ドアノブをひねって、私は久々に歩く感触を確かめながら、廊下を進んだ。居間に行き着くと、誰かがそこにいた。


「くるみ……大丈夫なの?」


 水の中にいるみたいで、よく聞こえない。ママかな。


「うん。心配かけてごめんね。ちょっと早苗の家に、線香あげてくる。電話とか、しておいてくれる?」


 心配そうに覗き込むママは、少し間を空けてこくりと頷いた。家の中にいるのに、どうしてか知らない場所にいるみたいだった。冷たさも温かさも、どうだっていい。


 玄関で見送るママに、私はぎゅっと抱きついた。困惑するママ。小さく、だけどはっきりと呟いた。


「ママ、大丈夫だよ。私、死なないよ」

「くるみ……」


 泣き崩れたママを置いて、私は玄関を出た。外は思ったよりも明るかった。何日も学校に行ってないせいで曜日の感覚も時間の感覚もわからない。入院している間に年は越してしまったみたい。分厚いコートを着てないと、凍えそうなほど寒かった。


 私は無理をしない範囲でゆっくりと歩いた。住宅街の景色がなんだか新鮮で、近所の庭を懐かしみながら足を運ぶ。そういえば、以前早苗の家に行った時も、こんな季節だったかな。


 冬の花を横目に見ながら、私はのんびりと早苗の家に向かった。


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