1話1
何の生物の物かはわからない角、ド派手な短剣、この辺りじゃ見かけない植物を植えた鉢。誰でもこの部屋に通されればまずは視線を泳がすことだろう。
テーブルを挟んで正面の長椅子に座る男は、剛健という言葉をそのまま人間にしたかのような初老の男だった。俺よりも一回りも二回りもある丸太のような腕、獅子を思わせる逆立った針金のような白髪、彫刻のように凹凸の激しい顔は、笑っていても威圧のようなものを感じさせる。
勝つことはまあ、不可能に近いが、逃げることはできるだろう。ただ、捕まったとしたら道具など使わずに俺の体をいくつかに小分けしてしまえそうだ。猫型の獣人かとも思った。やつらの雄は彼のように大柄で獅子や虎を彷彿とさせる。しかし、毛の生えた耳も尾も見当たらない。この恵体でどうやら人間をしているらしい。
多分母親が旦那に満足できなくて、獅子か虎かと寝たに違いない。
彼の名はヴォルター・ヘルツォーク、統括官/マスターと呼ばれる冒険者訓練学校のトップであった。
その横には見目麗しい美女が、主人に傅く侍女のように静かに立っていた。ただの美女じゃあない、ドエライ美女だ。メリハリのありすぎるグラマラスな体に、妖艶な顔、長く豊かな美しい黒髪は光を反射して輪を作るほどだ。敬虔な無神論者の俺は神は信じないが、どうやら天使というものはケツがデカいらしい。納得するよ、神の御使いのケツを見てれば死んだやつも迷わずあの世に行ける。なるほどな。
仕事柄そこそこ目利きはできる。いや、むしろそれが本職みたいなものだ。軽く見ただけでもあのよくわからない生き物の角や、装飾の施された短剣がどれほどの価値があるかなんて想像に容易い。だが、俺は懐に入らないものにはあまり興味がないたちだ。
だから経験と本能が言っていた。この部屋の中で最も手に入れたいと思うのはこのケツだな、と。
ヴォルターが何か喋ってるが、悪い。俺はずっと彼女の肢体を眺めていた。懐に入らないものには興味がないが、入れれるものには興味があるんだよってね。
あれから、ドラゴンから命を拾った俺は、王都グリムヴァルドホールドの冒険者訓練学校へと移送されたのだ。
グリムヴァルドホールドは巨大な城塞都市であった。山脈をそのまま切り出したのかとも思える、空を突くような鈍色の防壁に囲まれた巨大な都市。
初めての経験であった。都市の門というものを、あれほどすんなりと入ったのは。
いつからか、いや初めからかもしれない。俺の中で門というものは、ただの壁と同じか、避けるものか、乗り越えるものとしか思っていなかった。
うやうやしく兵士たちに運ばれた俺は、顔も隠さず、誰にも不審がられることもなく通り抜けたのだ。しかも、日が出ているうちに、だ。
ある種の高揚感が俺を満たした。折れた脚の痛みが一瞬頭の外に飛び出したくらいだ。
その後も俺は兵士に連れられ、冒険者訓練学校へと向かう。
最初の印象は、そうだな、まるで城だった。派手な意匠や飾りこそ無いものの、灰色の巨大な建物が俺を待っていた。
どうやら、俺が思っている以上に冒険者というのは金回りがいいらしい。ここにグリムヴァルドの王様がいるといわれても、なんら疑わないほどの建物を構えているのだから。それで使っているのは、冒険者になる前の雛鳥ってことなんだろう?親鳥はどれほどため込んでいるんだろうな。
冒険者訓練学校に着くと、そこで彼に出会ったのだ、統括官、ヴォルターに。
俺に労いと歓迎の言葉をかけると、俺の脚の状態を見て少し苦笑をしてから、部屋へと案内してくれた。
リッドが本来使うはずだったろう部屋だ。
簡素で寂しい部屋ではあった。机とベッドくらいしかない。しかし、その誂えは精密で、使われている木材は上質そうだ。かなり高価だ。俺の目にはそう見えた。
そして机の上には、一本の火の灯されていない蝋燭が立っていた。夜になにか用があれば自由に使ってもいいということだろうか。傍らには綺麗な木製の箱がある。大きさからして、予備か。
ふと気になって俺は蠟燭をもう一度よく見てみた。そして少々驚く。
蝋燭は少しオレンジがかった色をしている。濁った白色ではない。そして、多分こいつからだ。部屋にほのかな甘い香りが漂っている。香りの中にわずかに混じる花の匂い、獣脂じゃあない。こいつは蜜蝋だぞ。
蜜蠟はとても高価だ。獣脂で作ったものと違って煙や煤があまり出ない。そして長持ちだ。
本来ならば教会くらいでしか使わない、神聖なものだ。その教会だって財政を傾かせながら蜜蠟を買っている。それをただの読書用にか。自分たちを神か何かだと勘違いしているらしい。
あの箱に本当に予備が入っているのだとしたら、くすねて売っ払ってバッカスにでも祈りをささげるよ俺は。
ベッドも綺麗だ。
あれほど綺麗なベッドは、デカい仕事がうまくいった夜にだけ許された、高級娼館の柔らかな寝台くらいしか見たことがない。金を積めばいくらでも笑ってくれる女たちと、くだらない自慢話。酒に飲まれ女に溺れ、泥のように眠る。
あれもまあ、悪くはなかった。
もう何日もご無沙汰だ。
美しいベッドを見るだけで体の一部が反応しそうになるが、それは脚の痛みが許さなかった。
色気の前に、まずはこの脚か。
そう思うと、妙な可笑しさと情けなさが込み上げてきた。
そして統括官は、回復魔法を使える者を寄越すから、脚が良くなるまではしばらくゆっくりしていてくれと言い残し、去っていった。




