蛙の子は蛙、狼の子は狼5
「……なんで、こうなった」
「ナリスくんとおそろい!」と、はしゃぎまくったあげく、すやすやと寝てしまったローラの寝顔を眺めながらため息を吐く。
そのふっくらとした愛らしい頬に、浮かびあがっているのは忌々しいナリスのそれと揃いの番紋。
「……甘噛みをしながら言わなければ、成立しないんじゃなかったのか。ローグ」
「……一般的には、甘噛みをしながら口にするのが作法だが、想いが通じあった時点で、どちらかが『サテ・シュアレ・ナ』と口にした時点で、番は成立する」
……つまり、これは完全な番紋だと言うわけだ。
何度目になるか分からないため息が、また口から漏れる。
とりあえず、魔法で(呪術はローラが泣くので譲歩して……)ローラが成人するまで、キスや甘噛みも含めた性的接触を一切封じたうえで、今後はユーフェリアに子ども達を預けるのもやめ、極力ナリスとローラの接触機会を減らすように努めるつもりだが、果たして狭い村の中でそれがどれだけ効果を発揮することやら。
つくづく、ローラが来る前に呪術を発動できなかったのが、悔やまれる。……腐れ落ちればよかったのに。
「すまない……ミステ。ローラは、俺に似てしまったな。狼の子は、狼ということか……」
「いや、ローグが謝ることではないだろう」
ぺしゃりと倒れたローグの耳を、背伸びして指で物理的に持ち上げてやりながら、首を横に振る。ローグが責任を感じる必要は、何もない。
「……ミステ。ナリスが言っていたことだが……」
「あんなクソガキの言ったこと、気にするな。ローグ。私が、君を非難するはずがないだろう」
「いや……あれは、確かな真実だ」
耳をしつこく押し上げようとし続ける私の手を掴んで、ローグは真剣な眼差しで私を見下ろした。
「ミステは、魅力的な女だ。……周りの男が、何もなしに25年間も放っておくはずがない。ミステが28年間も男っ気がなかったのは、俺が無理やり番にしたせいだ」
「買いかぶり過ぎだろ。私は、全くもてないぞ」
「それは、ミステが気づいてないだけだ。……だが、それでも俺は、ミステを無理やり番にしたことに、罪悪感を抱けない。寧ろ、ミステが他の男に汚されなくてよかったと心底安堵してしまう」
……まあ、夫婦なんだから、それが普通じゃないか? 私だって、ローグに女性経験があれば面白くはないぞ。
というか、番云々関係なく、私はもてないし、自分の意志で恋愛をしてこなかったわけだが……過剰反応し過ぎじゃないか。
「それに……俺は、ナリスの気持ちも分かる。もし、俺がナリスの立場だったら、俺もミステに甘噛みしなかった自信はない」
「………」
「ローラに至っては、3歳の頃の俺と、全く同じだ………だからこそ、俺はローラとナリスの関係を否定はできない」
ローグは、私の手を自身の額に押しつけるような体勢で、項垂れた。
「………狼獣人にとって、それだけ番は特別なんだ。……他の誰より大切な、唯一な存在なんだ。だから……」
「………なあ、ローグ。前々から私は思っていたんだが」
……せっかくだから、この機会に言っておくか。
「君も含めて、狼獣人は番のことを、あまりに運命的に捉え過ぎてはいないか? 君に至っては、過去の私との出会いを大げさに神聖化し過ぎていると思うぞ」
一度番と定めた相手と、生涯添い遂げるその姿勢は美徳だとは思う。実際、番以外とは身体機能上の問題で契れないらしいから、その強制力の強さも理解できる。
だが、相手を番だと認識するに至るまでの過程は、そんな特別なものなのだろうか? 人間である私には、どうしてもそこが理解できないのだ。
「ユーフェリアの初恋は、ローグ、君なんだろう? だが、彼女の番はルフさんだ。その時点で、狼獣人が相手を番だと認識する能力のあやふやさを感じるのだが」
「……あれは、初恋なんてものじゃない。ただの子どもの独占欲だ。ユーフェリアの初恋は、確かにルフだ」
「番にして欲しいとまで、言ったのに?」
「だが、ユーフェリアは『サテ・シュアレ・ナ』とは口にしなかった。それが、答えだ」
……うーん。やっぱりよく分からない。何故、狼獣人はその辺りのあやふやさをすんなり、許容できるのか。これが、種族の違いなのだろうか。
「俺も、ミステと再会するまでは、番の特別さを理解できなかった。だが、再会したら痛いほどそれを実感したし、3歳の時俺がミステを選んだのは必然だと思った。もし、あの日あの場所でミステに出会わなかったとしても、俺の番はミステ以外にあり得なかった。絶対に」
両手を強く握るローグの目差しは、どこまでも本気で、迷いはない。その純粋な気持ちが、嬉しい反面、居たたまれない。
……いや、多分、私と出会わないなら出会わないなりに、ローグは別の番を見つけたと思うんだが……。そう言ったら、多分ローグは傷つくだろうな。
まあ、ローグはともかく、私はきっとローグに出会わなければ一生独身だった自信はあるのだが。
「……全ては、運命で必然か」
「ああ。そうだ」
「ローラとナリスも?」
「……番になったと言うなら、そうなのだろうな」
なら、話は早い。
「--なら。私とローグが全力で、ナリスとローラの仲を邪魔するのも、全ては運命で必然だとは思わないか?」
「……うん?」
全てが決められたことならば、話は簡単だ。だって過程がどんなものであろうと、結果は変わらないのだから。
「どうせ、最終的に番に落ち着くのなら、せいぜいそれまで引っかき回すくらい許されるだろう? 娘を取られる腹いせに」
どこの世界も姑は、子どもを取っていく相手に厳しいものだ。どうせ、私やローグが何をしようが、愛し合う二人は障害に燃えあがるだけ。ならば、とことんナリスの嫌がらせに専念して、この苛立ちを晴らさせてもらおうではないか。
私はまだまだ全く、ナリスの無礼を許してはいないのだから。
思わず悪魔的な笑いが口から漏れる。覚悟しとけ。ナリス。私は、理事長の件で色々地味な呪術も習得してるし、一度恨んだ相手にはしつこいぞ。ローラにばれない範囲で、泣かせてやるからな。
そんな私を、ローグは唖然と見つめていた。
「ミステ……改めて、お前は人間なんだな。狼獣人の俺には、ない発想だ」
「悪いか?」
「いや……惚れなおした」
すっかり耳がピンと持ち上がったローグに、にいっと笑いかける。
「ローグ。私は人間だからな。番の制約なんて、知らない。実際、縛られているのかもしれないが、はっきり言ってその実感はほとんどない」
「……………」
「だが、それでも私は確かに君を愛しているし、これからだって愛し続けるぞ。子ども達がいつか愛する人を見つけて独立してもなお、ずっと君だけを愛し続けてみせる。……それは、番紋のせいではなく、私自身の意志だ。勘違いしてくれるな」
いつか、ローラだけではなく、リュースもまた自身の番を見つけることだろう。
同じように反対したり邪魔したり、すったもんだあるかもしれないが、最終的には二人の意志を尊重するしかない。
いつか、愛する子ども達は、この腕の中から離れていく。……だが、ローグだけは一生離す気はない。いつか死が二人を分かつまで、隣にい続ける。
それは、番だからじゃない。……ローグ、だからだ。ローグを愛しているからだ。
運命はあるのかもしれない。必然はあるのかもしれない。
だが、私はそれ以上に、自分の意志と想いを信じたいのだ。
「……本当に、3歳の俺の慧眼には、頭が上がらないな」
掴んだままの腕をひかれ、そのまま抱きしめられた。
「ミステ……サテ・シュアレ……」
いつものように言いかけて、ローグを言葉を止めると、小さく笑って言い直した。
「……愛している。これからも、ずっと。ただ一人、お前だけを」
そして、いつものように優しく首に甘噛みしたのだった。