旅立ち
季節は過ぎ、冬となっていた。
北の領地と言っても、このあたりでは平地に雪が積もることはめったにない。
お城では崩れた石積みを片付けて新たに城壁を積み直す作業が行われていた。
魔法の鏡の事件のあと、しばらく秋の雨が続き、土や川に残された毒を洗い流してくれた。
田畑はほとんど収穫が終わっておりこの年が豊作だったこともあって、被害は最小限に食い止められた。
毒で汚染された田畑には土壌改善の魔法がかけられた肥料が散布されて対策が取られており、来年の収穫には影響がないだろう。
城壁の修復もなんとかこの冬の間に完了しそうだった。
次の春には何もかもすべて元どおりになるだろう、と領民たちは胸をなでおろしていた。
トリルは、立派な牡猫に成長していた。
あいかわらず小柄なほうではあったが、体にはしなやかな筋肉がついていた。
トリルは力技よりもすばやさと正確さを得意としていたため、小柄な体はむしろ有利と言えた。
魔物を撃退した魔法が仲間たちからも賞賛されて一目置かれるようになっていたが、旅から戻ったトリルには仲間内の評価など気にならなかった。
昼の早い時間には、トリルはたいてい老船乗り猫のところにいた。
彼はこの城でいちばんの物知りだった。
トリルはゆっくり話す老猫のペースに合わせて辛抱強く話を聞いた。
街道のこと、馬車のこと、せっかちな馬たちのこと、のんびり屋のロバたちのこと。
宿場町、門前町、商売の町、鉄を鍛える工房のある町、そして港町。
様々な国の王都。
酒場の喧騒、よろず屋に両替商。
人間が大事にしているお金のこと。
「背中に乗るなら、ロバがいい。
馬のやつらは、ちょっとしたことで驚いて跳ねよる。
牛も静かだが、のんびりというよりボーっとしておるからな。
こちらがふり落とされても気づかないことがあるから、ふみつぶされんように注意するんじゃ。
ロバのやつは大人しくて親切なやつが多いが、見かけによらず利口じゃ。
乗せてもらうお礼にいろんなお話を聞かせてやることじゃ」
「町にはそれぞれ、ボス猫がおる。
年寄り猫が仕切っている町は安全じゃ。
ただし、最初の機会に挨拶を忘れないようにな」
「いいか、なにがあっても、人間の金に手を出してはならん。
人間の食べ物を失敬したくらいではせいぜい物を投げつけられる程度だが、金を取ったりすれば、どんな温厚な人間も目の色を変えて追いかけてくる。
取った金を返しても、許してはくれん。
たった一枚の銅貨が原因で、叩き殺された仲間もいたよ。
金は人間を変える。
わしが思うに、金とは人間の魂でできとるんではないかな」
「ネズミがいなくなった船からは、すぐに降りろ。
やつらはわしらよりも鋭い感覚を持っていて、沈没する船がわかるんじゃ。
それにネズミがいなけりゃ、船旅の間の食事もままならんからな。
船を降りるときは、人間にはっきり見えるように堂々と降りろ。
ま、ほんの少しの恩返しじゃな」
老船乗り猫の話を聞いているだけで、トリルは世界中を旅している気分になった。
日がずいぶんとのびて、四日に一度くらいは暖かくなるようになった晩冬のことだった。
トリルがいつものように馬小屋に行ってみると、干し草の指定席に老船乗り猫はいなかった。
こんなことは初めてだった。
歩けないのではないかと疑うくらい、彼はいつ見ても同じ場所に座ってまどろんでいたのに。
いやな予感がして、トリルは老船乗り猫を城じゅう探して回った。
心当たりがあるところはすべて当たったが、年老いた猫の姿はどこにも見当たらなかった。
最後に、城の墓所を探してみた。
お墓の中でもいちばん端のほう、城壁の影になって一年中陽の当たらないあたりに、古くはないが手入れもされず墓石に何も刻まれていない墓があった。
老猫はその墓の上に倒れるようにして伏せていた。
「おじいさん!」
トリルが駆けよって懸命に顔を舐める。
「ああ、小僧か。気持よく寝ていたんだ、そっとしておいてくれんか」
老猫は薄目を開けたが、目に力はなく、トリルが見えていないようだった。
「おじいさん、具合が悪そうだよ。こんな寒いところで寝ていないで、馬小屋に戻ろうよ」
「んん、やれやれ、こんなところにまでくるとはの。
わしはもうすぐ死ぬ。
誇り高い猫は、死に様をほかのものには見せないものじゃ。
わしのことは忘れて立ち去れ」
「でも」
突然の告白に、トリルは涙目になっていた。
「ふふふ。いつまでたっても子供じゃな。ゴホゴホ」
目を閉じて笑いながらせき込む。
「おじいさん。
ぼく、もっといろいろ教えてほしいんだ。
町のこと、船のこと、海のこと、ほかにもまだまだ知りたいことがたくさんあるんだ。
だから……」
トリルは涙がこみ上げてきて、言葉につまった。
「わしが教えることはもうないよ。トリル。
ここからは、お前自身の目で、耳で、全身で学ぶのじゃ」
「……はい」
トリルは、こみ上げる涙を飲み込んでうなずいた。
「ハミルという港町にたどり着いたら、『大あごのタイザ』という名の猫を探すといい。
ベンジャミンの紹介だと言えば、力になってくれるじゃろう。
もし生きていればな。
くっくっくっ、そういえば、ヤツとは賭けをしていたなぁ。
どちらが長生きするかとな。
わしはこのとおり、無駄に長生きをしたが、ヤツはどうかな。
ん?小僧、まだいたのか。
早く行け。
わしに恥をかかすな」
「はい。
きっとタイザさんに伝えます。
おじいさん、さようなら」
老船乗り猫は目を閉じて浅い息をくり返すだけで、返事は帰ってこなかった。
立ち去るトリルの耳に、老猫のつぶやきが聞こえた。
「ああ、サム。
そこにいたのか。
急にいなくなるから、心配したじゃないか。
さあ、次の港に向かおうぜ。
……そうだな、それがいい。
ここには長居しすぎたしな……」
冬に別れを告げる嵐が過ぎて、また春が巡ってきた。
トリルは南に向かう荷馬車の屋根に乗って、前方を見ていた。
すでに町の外壁の門を通りぬけ、あたりは田園風景が広がっていた。
家族には昨日のうちに別れを告げていた。
モリルは大さわぎしたが、マリルは批判的な視線を送っただけで何も言わなかった。
旅の準備などなかったが、城猫の目印になる縞模様はかまどの灰をなすりつけてわからないようにした。
町のシンボルである大時計はまだ見えたが、トリルは真っ直ぐ前を見てふり返らないようにしていた。
背後からバサッ、バサッ、と羽音が聞こえる。
トトッと鉤爪が屋根板をすべる音がしてふり返ると、月の輪模様のカラスが右隣に立っていた。
「よう、勝負はまだついてないぜ。おれに断りもなく逃げる気か?」
「ぼくは旅にでるんだ。ここにはいつか戻ってくるつもりだけど、どうなるかわからない。長くなると思うから、あの場所はきみにゆずるよ」
「ちっ、しかたねぇな」
そう言うと、カラスは羽ばたいて飛び去った。
しばらく街道を進むうちに、いよいよ生まれ故郷も見えなくなった。
さあ、ここからが本当の旅だ。
自分ひとりの力でどこまで行けるかわからないけど、なんとかなるさ。
気合を入れ直すトリルの頭上を、サッと影がよぎった。
羽ばたきに合わせて風が巻き起こる。
続いて左側に、ドサッと着地する衝撃が伝わってきた。
「おまえひとりじゃ頼りないからな。おれも行ってやるよ、相棒。
一度、海ってやつも見てみたかったしな」
ふり向いたトリルに向かって、カラスがにやりと笑った。
「そうだね、相棒。よろしくね」
トリルはにやりと笑い返しながら、ふたり旅も悪くないと思った。
《了》
城猫トリルの成長物語にお付き合いくださりありがとうございました。
トリルの冒険譚はまだまだ続きますが、お話はひとまず完結となります。
リクエストがあれば続きを書いてみようと思いますので、感想などリアクションをいただけたら幸いです。
さて、次の新連載は異世界スローライフもの。
かわいい灰色の毛玉子猫から打って変わって、冴えないアラサーおっさん賢者が王都の下町で繰り広げるハートフル?のんびり生活なお話です。
ポンコツ賢者の異世界スローライフをお楽しみください。
【新連載】『転生特典で全魔法習得済みなのにレベルキャップが5で詰んでます。~下町の賢者様、スローライフも案外忙しいですよ~』




