死なずの少女③
「カナビコ、前より老けてない?」
「ふぉっふぉ。気付かれましたかな? 実は少し前に、荒ぶる神との戦いで負傷しましてな」
見た目は確かに変わったが、それでも彼の纏う気配は、以前と変わらず貴いようで安心する。
「負傷と老けが、何か関係あるの?」
カナビコは畳に囲われた囲炉裏の前に正座をし、私達にも座るよう、手だけで促した。だから私も遠慮なく腰を下ろす。
「うむ。天つ神は歳こそ取らんが、大きな傷を負うと、それを治すのに莫大な霊気を使うのじゃ」
「だから老けたって事?」
「左様。……ところで、そちらのお嬢さん方はご友人ですかな?」
そう言ってカナビコはニッコリと笑う。少し老けたせいか、公園とかに居そうな優しいお爺ちゃんに見えてしまう。
「は、はい! 私は、国羊族のヒスイ・セキウと申しますッ!」
天つ神を前にかなり緊張しているのか、ヒスイは見事なまでに直角な最敬礼を見せながら自己紹介をした。
「わえっ。いえ! 私は、龍人族のユハン・アギトと申します」
同じくユハンもかなりの緊張っぷりを見せつける。――しかし今思えば、私は彼女たちのフルネームを初めて聞いた気がする。
「ははは! うむ、元気があってよいのお。蒼陽姫が良いご友人を見つけられたようで、わしも安心しましたぞ」
カナビコは顔をくしゃくしゃにして満足げに笑う。ズイエン学長も随分年寄りに見えるが、第三者にカナビコが校長と言っても納得しそうだ。
「それで、頼みたいこととは何ですかな?」
顎の白髭を弄りながら、翁は笑う。
「実はね、官学生じゃない部外者を、寮につれこんじゃったんだ」
「生徒じゃない者を?」
一瞬、カナビコの声がワンオクターブくらい下がる。…………やはり不味かったか?
「っふぉふぉふぉ! その齢にして男を連れ込むとは、何とも大胆ですなぁ!」
天井を仰いで大声で笑うカナビコ。少し勘違いをしているが、どうやら問題はなさそうだ。
「いや、男じゃないんだけどね。で、このまま寮に置いとく訳にもいかなくてさ、助言を求めに来たんだけど…………」
親戚のおじさんに頼みごとをしている気分だ。――少し気まずい。
「ふむ。少し話が見えて来ぬのだが、もう少し詳しくお聞かせ願えますかな?」
「うんっとね………………」
そうして私は、見世物小屋で見たことや、不死の呪い。そしてチヨヒメの事など、余すことなくカナビコに事情を説明した。その際の彼も、いくつか質問をしてきたり、眉でリアクションを取ったりと、けっこう興味を持っているように見えた。
「うーむ、不死の呪いに、人魚の肉。聞いたことはありますが、実際に見たことはありませんなあ」
「それでね、その童門一座の座長が相当ヤバそうな奴なんだよね。多分このままだと、チヨヒメみたいな被害者が増えると思うんだ」
囲炉裏を囲い、私達は暖を取りながら話を続ける。山の頂に建つ頂院は、いかんせん凍える寒さなのだ。
「ふむふむ。でしたら、一度そ奴らの所へ行ってみましょうぞ」
「え!」
それは意外な提案だった。私はあくまで、カナビコのアドバイスを求めに来たのだからだ。…………まあ、密かに期待はしていたが。
「――――いいの?」
「うむ。そのチヨヒメとやらも連れて、一座の反応を見てみましょう」
そういう彼の表情は、どこか楽しそうな雰囲気を帯びていた。まるで悪戯を企てる子供のような。
「いやー。カナビコが来てくれるなら心強いよ!」
「ふぉふぉ。実はわしは、大神様にお主の援護をするよう頼まれ、この官学に参ったのじゃ。この老兵で良ければ、何なりと申し付けてくだされ」
やはりそういう事だったか。アマハル様もなかなか心配性だな…………。少し嬉しいが。
「それはそうと、授業に遅れますぞ。早く行きなされ」
外から聞こえる鐘の音に反応し、表情を綻ばせながら彼はそう言った。
しかしカナビコに相談をしたのは正解だった。まさかここまで協力してくれるとは。
「し、失礼します!」
「失礼します!」
「失礼します。それじゃあ、次の休校日にね!」
そうして私たちはカナビコノ事務室を出る。しかし見た目は年老いても、中身は変わっていないようで安心した…………。
「ふえええぇ。緊張したよぉ」
頂院を歩いていると、ユハンが唐突にため息を噴き出した。それはヒスイも同じで、どうやら二人ともかなり緊張していたようだ。
「二人とも全然喋らなかったね」
――――と言って、私はついつい笑ってしまう。
「無理もないわよ! 天つ神とあの距離でお会いしたのは禊祓以来なの。本当に緊張したんだから」
「わえは生きた心地がしなかったよ…………」
アイドルの握手会でも言ったかのように、ホッと胸をなで下ろす二人。
「しかし、これでチヨヒメの事は安心できそうだね」
「そうね。さすが、ソウも神様なだけあるわ」
「まだ何にもしてないけどね」
正直わたしもかなり安心している。カナビコが味方になってくれるなら、まさに大船に乗っているような気分だからだ。
「さて、それじゃあ、次の授業は何だっけ?」
「次は邪学だよぉ」
「オッキュ先生かあ、私あの先生苦手なんだよなあ」
「ふえぇ。わえも少し苦手だよ」
などと言いながら、私達は無事、カナビコの協力を得られたことに絶大な安心を得ながら、月上院へ舞い戻った。
「…………ふむ。小生の第一回の講義に遅刻とは、身の引き締めが足りないのでは、蒼陽くん?」
「すいません」
「――――ヒスイ君?」
「申し訳ありません」
「――――ユハン君?」
「ふえぇぇ」
そうして無事、私たちはオッキュ先生の授業に遅刻してしまった。結構走ったつもりなのだが、いかんせん、頂院から月上院までの距離が長すぎたのだ。
「まあよかろう。三人とも空いてる席に座りなさい」
バラードのようにローテンポなしゃべり方。それに加え寝不足の様な白い顔。そして何を考えているのか全く汲めない眼。――やはり少し苦手だ。
「それでは、これより邪学の講義を始めるが、そもそも邪学とは何か分かる者はおるか?」
「はい!」
席に座るや否や、見事なロケット挙手を見せつけるヒスイ。流石は真面目っこだ。というか最近そのキャラすら忘れていた。
「ヒスイ君」
「はい! 邪学とは、荒ぶる神や妖などの特徴、生態、思想などを学ぶことです」
――おお。流石は真面目の申し子、パーフェクトな回答だ。私は知らなかったけど。
「左様。ヒスイ君が申した通り、この授業ではそのようなことについても学ぶ。だが、それだけでは自分の身は守れない。故に、ここではその防御策なども教えてゆく」
意外と真面目な授業だな。邪学なんて言うから、てっきりアブない系の授業かと思った。
「では教本を開いてください」
まだ新品の真っ黒い表紙の本。私はその教本をぺらぺらと流し読みする。まだ習っていない教科書の項目を見るのが好きなのだ。
しかし予想通り、この世界の教科書に写真などが貼ってあるわけもなく、どのページにも文字と画しか書かれていない。
――なんか暇そうだなぁ。
などと考えながら、風に吹かれた本のようにページをめくる。すると、私の目に一つの項目が留まった。
「…………人魚」
まさに今一番、私の中でホットな単語だ。まさかこんな所で情報を得られそうになるとはな。
……ええと、なになに? 人魚は極めて特異な種族であり、その個体数は少なく、如何な思想や生態系を持つかは未だ謎が多い。
「ふーん」
……さらにその力は国つ神さえも恐れる程であり、人魚は別名を神魚とも言われている。そして人魚の住まう国は、遥か海の向こうの島国であることが確認されており、天津神による探索が続いている。
「ふむふむ」
さらに人魚は事実上、天津神でさえも統治しきれない、その広大な海を統べている事から、中つ国では海神と称している国もある。
などと書かれてはいるが、結局、人魚に関してのページはその一枚のみで、それ以上のことは何も書かれておらず、私は落胆の気持ちから、その期待外れな教本にため息をまぶした。
――――これだけか。もっと不死の呪いについて知りたかったんだけどな。
「蒼陽くん」
「…………え? はい」
つい人魚の項目に夢中になってしまい、私はオッキュ先生の話を全く聞いていなかった。
「妖はどのようにして生まれるのか、また、何故死に絶えた時、その身体は灰の如し塵と化すのか。これが分かるかね?」
「…………えっと。呪いの一種だからですか?」
「違う。――全く、天つ神として少し知識が足りぬではないか?」
「すいません」
私の傍に立ち、その冷たい目で見下ろすオッキュ先生。もしかしたら彼も、私をよく思っていないのではないかと、勘ぐってしまう。
「あの先生」
「なにかね、蒼陽くん」
オッキュ先生は邪学のスペシャリスト。もしかしたら不死について何か知っているかもしれない。
「不死の呪いって、実在するんですか?」
「ほう。この小生の授業で、全く関係のない話題を出す気かね?」
「ああ、いや、何でもないです」
「……だが不死の呪いと言うのは、あくまでも伝説であり、その言い伝えによれば、人魚の肉を食らう事で受けてしまうと言われている」
少し小言がうるさいが、意外と丁寧に教えてくれたことに、私は少しギャップ萌えを感じた。可愛い所もあるじゃない。
「なるほど。有難うございます!」
「…………まあよい。ちなみに妖とは、人々の畏れや俗言から生まれる事もあり…………」
しかしまあ、一番関わりたくない先生に、目を付けられてしまったのは事実だ。この人の授業は大人しくしとこう。
――と、その想いが功を奏したのか、それから授業が終わるまでの一時間程を、私は何の問題も無く終わらせることが出来たのであった。
「ただいまー」
その夜。初めてのフルコマ授業に疲れ切った私は、クタクタになりながら部屋に戻り、隠し持ってきた夕食をチヨヒメに食べさせていた。
「美味しい?」
「…………美味しい」
ご飯はしっかりと食べるが、それでも感情らしき感情は戻らないチヨヒメ。あまりこういう事は思いたくないのだが、まるでペットみたいだ。
「ねえ。チヨヒメは何で不死の呪いを受けっちゃったの?」
「おっ父が殺したの」
「え?」
「人魚を殺した」
――人魚を殺した? それで呪いにかかったのか? いやでも、不死の呪いは人魚の肉を食べる事で受けてしまう物。という事は…………。
「そのお父さんが、チヨヒメに人魚の肉を食べさせたの?」
私は腹ばいになって肘を突き、モグモグとおにぎりを食べるチヨヒメを見上げると、彼女は静かに頷いた。
「…………なるほど。という事は、本当に不死の呪いはあるという事になるな」
さてどうしたものか。と考えていると、トントンと誰かが部屋の襖を叩いた。
「こんな時間に誰だ?」
時間は恐らく夜の九時くらい。良い子はもう寝る時間のはずなのに、一体誰だと苛立を感じながら襖を開ける。するとそこには、恐らく高学年らしき、見たことの無い女子が私を見下ろしていた。
――――ほんとに誰だ?
「どなたですか?」
「あなたが、ソウくん? よね?」
「ええ、そうですけど」
「小さな男の子が、外であなたを待ってるわよ」
小さな男の子。私の中でそれに当てはまるのは、ただ一人だけだった。




