幼き少女の心は穢れ
龍文書―55
【天羽羽斬】:龍血の力で作り上げる一振り。雲の様に軽く、鋼の様に堅い。本来はしっかりと握って振るもの。
「っああああああああああああああッ!」
無様に転がる細い腕。それは鎌を強く握りしめたまま、オガの老爺から切り落とされた。
「天羽羽斬」
自身の真っ赤な刀身に血を吸わせ、私の頭上で浮遊する血刀。
――――気づけば私は、天羽羽斬に彼の腕を落とさせていた。
「ふぐぅ! よくもォ! よくも俺の腕をぉ!」
腕を抑え、情けなく地面を転がりまわる老人。村長ミカヅキとは比べ物にならない無様さだ。
「分かりますか。それが私の痛みです……!」
涙を抑え、しかし目つきを尖らせ、ナナナキヒメは老夫婦に言い放つ。その言葉の中に、最早悲しみは一切残っていない。
「ああ! 私のオガオミや!」
全身に土をまぶすかのように転げまわる老爺。そんな彼に老婆が駆け寄った。
「その涙は、彼女の為には流れぬのですか?」
醜く泣きじゃくる老夫婦に、私は怒りを抑えられずにいた。少なくともナナナキは、彼らの為に涙を流したというのに…………。
「ええい、うるさいィ! こんな、こんな娘なんぞ拾わなッ――――」
天羽羽斬が老婆の骨ばった首を竹の様に斬り落とす。
「仮にも母親を名乗るならッ! 絶対にその言葉は口にするなッ!」
――――怒りに任せての咆哮。私の声ではない様だった。
「ひっ! オガミチ!」
怒りの表情を浮かべたまま転がる首。しかしそれは、しばらく地面を転がったあと塵と化し、灰のように大気中に散っていった。
それは奇しくも、あの時私が殺した小鬼たちと同じ消え方だった。
「物の怪?」
ユキメが小さく呟く。
「どうやらこやつらは、神の姿に化けた妖怪だった様じゃのう」
カナビコが表情を曇らせながら、虫を見るような目を老爺に向ける。
「貴様らァ……。許さぬ、許さぬぞぉ」
唾液柱を何本も建てながら叫ぶ老爺。そしてその頭髪は抜け落ち、真っ白な髭も空へ舞い散る。
二本の脚は、石どうしをぶつけるような鈍い音を立てながら重なると、遂には一本の太い足になり。さらに両目も大皿のような大きな一つ目となって、瞬きするたびにギラギラと目玉を照りつかせた。
「一本足か、妖怪らしいのう」
もともと醜かった肌色は土のようにさらに醜く変色し、所々に太い毛が生えているのが余計に気持ち悪い。
「あと少しで、あと少しで神に成り代われたというのにぃ!」
そんなポストの如し図体の一本足は、その脚力を活かしナナナキに飛びかかる。…………しかし。
「払い切り!」
天羽羽斬が宙を舞い、その筋骨隆々とした太い足を豆腐のように切り落とす。
そして激しく悲鳴をあげながら転がる一本足。あまりにも弱すぎる。弱すぎるがゆえに目立つのは彼らの卑劣さ。弱小ゆえに、己よりも弱い神を餌にし、そんな彼女らに毒を盛って川ノ神に食べさせたのだ。
「雑魚が…………ッ」
ナナナキの方へ目を向ける。そして涙を浮かべて夫婦から目を逸らしていた彼女は、私の眼だけを見て頷いた。
「もう、未練はありませぬ」
「分かった。……ユキメ、サカマキ。彼女を安全な場所へ連れて行って」
「御意ッ!」
サカマキの気合の入った返事が山にこだまする。
そしてナナナキを守るように立っていたユキメは、ゆっくりと彼女を抱きかかえると、微笑んで私の方へ目を向けた。
「……ソウ様。お気をつけて」
「うん。ありがとうユキメ」
そうして二人はそのまま、ナナナキヒメを背負いながらこの場から姿を消した。
「おのれぇ。おのれぇ……」
マンホールのような口から、下水のような臭いを漂わせてこちらを睨むオガ。本当に醜い。
「物の怪よ、その罪に見合う罰として、これからお主を斬首の刑に処す」
「クソガキがぁ、お前に何が出来るぅ」
「これは天陽大神の勅令だ。覚悟せよ」
片腕と足を失い、苦しそうに唸る一本足。そんな彼の胴のように太い首元に、私は天羽羽斬を添える。
「最期だ、何か言い残すことはあるか?」
――――私がその言葉を吐き捨てた時、家の引き戸がガラガラと音を立てる。
そうして中から這い出てきたのは、あの美しさと可憐さを失い、もはや見る影も無くなったヤチオヒメだった。
「…………お、おかあさま」
母親を呼ぶが、それは決して、あの老婆に言ったものではない。
「ふふ! ぎゃははははははァ! 間抜け共めえ! お前らも哀れな蛇神の餌になるがいいぃ」
虫に喰われたかのような肌。そして吐き気を催す程の漂う悪臭。ヤチオヒメもまた、ナナナキと同じように毒を盛られていた。
「お前、お前は……。お前らは何処までクズなんだッ!」
天羽羽斬を細かく振り下ろす。
激しく空を舞うその刀は、まさに私の感情そのものだ。
「あッぎゃぎゃッぎゃがやぎゃあぎゃががァッ」
死なない程度に、「もう殺してください」と、その醜い口から懇願されるまで、私は何度も振り下ろすつもりだった。
足元から順番に、ミリ間隔で千切りにする。
「ぐぎゃあ! 助けッ……! もうッ、やめッ!」
何も聞こえない。
「死ねッ! しねぇッ! 死んでくたばれぇぇえ!」
「許してッ! 許してくださいッ! ご、おごご、ごめん、ごめんなさいぃッ!」
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あぁぁぁああ゛!」
――――気付いた時には、一本足は半身までを失っていた。
「ソウ様。もう、死んでおります」
カナビコの声が遠くから聞こえてるみたいだ。
私の中には何も残っていない。……虚無だ。
目の前に転がる死体を見ても、私は何も感じていない。何も、感じない。感じることが出来ない。
しかし私の目からは涙が零れる。悲しい涙でも、悔しい涙でもない。ただただ虚しい空っぽの感情だけが溢れてきた。
頭が真っ白だったが、しかしその片隅に残っていた彼女の存在が、私を再び引き戻す。
「や、ヤチオ。ヤチオヒメをウヅキに診せなきゃ!」
すぐさま彼女の元へ寄る。
「…………お、おかあさん。……お母さん」
苦しそうにもがくヤチオヒメ。風が触れただけでも激痛が走るため、肌が着物や地面に擦れないよう、必死に体を硬直させている。
そしてその胸元には、真っ赤な肉塊が括りつけられている。
私がそれに気づき、さらにその肉塊が“大熊の肝"だと分かった時、既にそれは姿を現していた。
天つ神、天大紅高雷神は、下界に降ってから三日三晩、ひたすら大熊を探している。
――――黄美山脈にて、オクダカは一人落ち枝を踏みながら山を登る。
剣神「…………………」
ふとオクダカは、獣が木に付けたと思しき傷を見つける。
――――それをまじまじと舐めるように眺めるオクダカ。
剣神「…………………ん」
どうやら大熊が付けたものではなかったようだ。
そうして再び歩き出す。
剣神「…………………っ」
拾った枝を振り回しながら歩いていると、彼は何か柔らかい物を踏んでしまう。
足元を見ると、盛り塩の様に山を成している黒い物体。
剣神「…………………スンスン」
どうやら獣の糞のようだ。
剣神「…………………ッ!!」
草鞋を脱いで、底に付いた糞を木にこすりつけるオクダカ。
剣神「…………………フー」
全く大熊が見つからず、ついつい肺から酸素が漏れる。
しかしオクダカは気付いていなかった。先ほど踏んでしまった糞は大熊のものであり、それを知らず知らずのうちに、熊のテリトリー内で木にこすりつけてしまっていた事を。
剣神「…………………」
鼻の鋭い大熊は、自身のテリトリーを侵されたと勘違いし、オクダカを探し始める。
剣神「…………………」
しかしオクダカはまったく気づいていない。
大熊「…………………」
剣神「…………………」
――――近づく両者。
ここで大熊がオクダカに気付く。
剣神「…………………」
しかしオクダカは気付かない。
大熊「…………………」
茂みの中から近づく大熊。
剣神「…………………ふぁっ」
眠そうなオクダカは大きな欠伸をした。すぐそばに待ちかねた大熊がいるというのに。
大熊「…………………」
大熊は十分距離を近付けたところで、いつでも飛び掛かれるように準備をする。
――――しかしここで、耳の鼓膜に突き刺さるような甲高い笛の音が響く。
剣神「…………………ッ!!!!」
そうしてオクダカは笛の音がした方角へと消えて行った。
大熊「…………………」




