たった一太刀。その一振りが救う魂。
龍文書―55
【太陽】:世界を照らす光。作物を育て、穢れを祓い、人々に安らぎを与える。
二つに裂けた舌をちろちろと覗かせる大蛇。
しかし首は二本しか残っておらず、その一本ももはや腐りかけていた。恐らくナナナキの腕を喰らった際に、その毒が体に回ったのだろう。
「なんとも、哀れな姿だな。ヤヅノミコオズチよ」
カナビコが憐れむ。
最早神としての威厳を失い、腐り落ちた首をぶら下げて引きずるその姿は、大川の主とは到底言えなかった。
――――毒がまわり頭が混乱しているのか、大熊の肝を嗅ぎつけたヤヅノ蛇神は、ただただ一直線にヤチオヒメの元へ迫る。
「カナビコ、ヤチオヒメを西ノ宮へ!」
彼女を守るように立ち、カナビコに叫んだ。
「しかし! わしが風に変えられるのは一柱だけですぞ!」
「分かってる! コイツは私がやるから、早く行け!」
そうだ。これは私の戦いだ。私と白兎族の、ヤヅノ蛇神との最後の弔い合戦だ。
「早くしろ!」
「致し方あるまい!」
彼は鳥と呼んでいた笛を銜え、めいっぱいその筒に息を吹き込む。
悲鳴のような黄色い音色。その美しいとは言えない耳をつんざくほどの騒音に、蛇神は身をよじらせる。
そして笛を口から離し、骨の髄まで酸素を取り込むと、彼はその名を叫んだ。
「オクダカアァァァァァアッ!」
――――雷光、その一瞬の煌めきが奔り抜けた刹那、蛇神の腐りかけた首が空を舞う。
ふと蛇神の首元を見ると、刀を振り下ろした直後の男神が見える。
「ジジイてめえ! もう蛇神見つけてんじゃねえか!」
私に「何だお前」と言ったアホ侍だ。
「ずっと熊探してた俺がアホみてえじゃねーかよ!」
「やかましい! お前は大神の御神使を守れ!」
「はあ!? お前はどこ行くんだよ!」
「ソウ様の命で、この女神を西ノ宮へ連れてゆく!」
ヤチオヒメを腕に抱くカナビコを見て、オクダカは大きく頷いた。
「か弱い女神が困ってんなら、早く行ってやれ!」
「ソウ様の事は頼んだぞ!」
カナビコの身体が風が纏う。
「命に代えてもだろ? その女神には後でちゃんと、俺が助けたって言うんだぞ!」
「っは。うつけが」
呆れたように笑ったカナビコは、そのまま疾風の如く姿を消した。
「お姫様、俺の背に掴まれ」
「――――誰がお姫様だ!」
こんな時に何だコイツ! 調子が狂う!
しかし、腐りかけてたとはいえ、巨木のように太い首を、たったの一太刀で切り落とした彼の腕は心の底から信用できた。
「いいから早くつかまれ! “還り”もまだ使えないんだろ!」
「ッああもう!」
布団のように広い背に飛び乗る。しかし確かに広いが、岩のような背筋が邪魔で心地は良くない。
「いいか、俺がおひい様の脚になる。だからおひい様は攻撃に専念してくれ!」
「そのおひい様って呼ぶの止めろ!」
「いいねえ。可愛いとこあるじゃねえか!」
彼はそう言って、私を両腕で支える。――――そして気付けば、私たちは一瞬にしてヤヅノ蛇神の背後にいた。
「はやっ!」
私たちの後をついて来るように、黄金の雷電が悲鳴を奏でる。
「これが雷の術、電光石火だ」
何が起きたのか分からず混乱していると、オクダカが叫ぶ!
「――――今だ、断てッ!」
その言葉にはっとした私は、すぐさま天羽羽斬に叫んだ。
「払い切り!」
しかし血刀は、蛇神の肉に食い込みはするものの、それを切り落とすとまではいかなかった。
「何やってんだ! 刀の使い方がなってねえぞ!」
「うるさい! 刀の使い方なんて知らないんだよ!」
――くそ! 筋肉に食い込んで刀が抜けないッ!
「ああもう! しっかり掴まってろ!」
彼は私にそう叫ぶと、再び瞬間移動を使い、蛇神の首元に喰らいつく天羽羽斬を抜き取った。
瞬間、蛇とは思えない咆哮! その痛みに怒り狂う蛇神は、鞭のように尾を振り回す。
「苦しませずに殺してやれ!」
「だったらお前がやれ!」
オクダカの頭を殴る。
「痛って! おい! 俺は手癖の悪い女は嫌いだぞ!」
「バカ! 前見ろ!」
――――異常な速さで残像を生む尻尾。それは突風を巻き起こし、地面を荒々しく削りながら私達へと迫るッ。
しかしオクダカがこれを見事に躱す!
「ははは! やるじゃん!」
私の毛先を掠り取った尻尾に、思わず笑いが零れる。
「いいか! もう一度奴の背後に回る! 今度はしっかり断て!」
「りょッ!」
次こそはと身構える。しかし彼はまだ電光石火を使わない。
「それとよく聞け! 刀は力任せに斬るんじゃねえ、刀に力を乗せて斬るんだ!」
「分かりづらい! 食べ物を斬るならどんな感じッ?」
「――――なんだそりゃッ」
「どの食材を斬る感覚に似てるか言え!」
一瞬の間が空き、オクダカは答える。
「赤なすびだ!」
赤なすび!? 何それ! いや待て、家庭科の授業で聞いたことあるな。……赤なすび、赤なすび。
「――――トマトね!」
「赤なすびだって言ってんだろ!」
ちんたら喋っていたせいで、蛇神は次の攻撃を私たちに仕掛ける。
残った最後の口を広げ、仲間の仇と言わんばかりに吠える大蛇。その牙は私たちを貫かんと、目にも留まらぬ速さで加速した。
――――しかしここで、オクダカが瞬間移動で蛇神の頭上へ飛ぶ。
「奴の首が伸びきってる! ここを狙うぞ!」
「オーライ!」
私は天高く天羽羽斬を舞い上げる。陽の光を浴び、己の紅さを見せつける刀。
しかしその殺気に中てられたのか、蛇神は首を守らんと凄まじい速度でとぐろを巻き始めた。
「首が隠れちまった! しょうがねえ、思いっきり切りつけろ!」
「無理無理! 流石に痛めつけるのはナンセンス!」
蛇神も被害者だ。出来れば一瞬で終わらせてあげたい。
「分かったよ!」
そう言って彼は瞬間移動で姿を消した。――――空中に私を残したまま。
「え! どこ行った!?」
下を見ると、オクダカが蛇神の目の前で蛇神を挑発している。
「ほうら、こっちだぞお。おいでええ」
マジもんの馬鹿!
しかし毒に侵されているからか、蛇神はその挑発に食らいついた。
「今だッッ! 断ち切れ!!!!!」
トマトを切る感覚。トマトを切る感覚!。トマトを斬る感覚ッ!
――――輪切り。これだな。これなら一瞬で終わらせられる。
ごめんね。痛かったよね。苦しかったよね。でももう、終わらせてあげるからッ!
「うぉらぁぁぁぁぁぁあッ!」
…………天羽羽斬はヤヅノ蛇神の首元に喰らいつき、骨を断ち斬ると、そのまま彼の首を斬り落とした。
感触こそは伝わってこないが、命を絶つ瞬間というのを、私はこの時初めて感じた。




