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龍人の子、陽の元に堕つ  作者: 麗氷柱
最終章 君が代
201/202

【番外編】蒼空にも負けない

「ユキメー」


 山脈、天千陽の頂に位置する龍人の里。

 海のように広がる白雲と、青黒い空が美しい町。


「ユキメ!」

 

 まだ朝も早いその時間に、彼女の名を呼ぶ声が家中に響き渡った。

 そしてユキメは、その甲高い声に眉をひそめながら、顔だけを布団から出し。


「なに?」

「なにって、今日はヨウ家に新しい御子が産まれる日でしょ。こんなにゆっくりしてていいの?」

「うん。まだ時間あるから」


 そう言って、再び彼女はもぐりこむ。


「たく。もう140になるんだから、そろそろしっかりして頂戴」


 人間の年齢に直せば齢16となる彼女は、官学を卒業すると共にヨウ家の侍女となった。そうなった理由は、ただ家から近かったことと、年俸が良かったからに過ぎない。


「分かったよ。起きます」


 寝ぐせによってぼさぼさとなった髪を、彼女は手櫛で梳かしながら欠伸をする。

 そうして起き上がった彼女は、就寝前に準備しておいた袴の袖に腕を通した。


 着替え終えたユキメが居間へ行くと、そこには、既に食事中の父の姿。


「んん、やっと起きたのか?」

「お早うございます。父様」

「せっかく家から近い所で働いておるのに、こんな早うから起こされたんじゃ、たまったもんじゃないな」


 朝の白米を喉に通したユキメの父は、呆れたように笑いながらそう言った。


「全くだよ。母様は本当に真面目なんだから」

「なんか言った?」


 土間から顔を覗かせ、何の話をしているのか分からないと言った顔で、彼女の母親は声を飛ばす。


「なんでもない」


 母親の方へは顔を向けず、座布団に正座をしながら返事をするユキメ。すると父親は、そんな彼女に声音を落として問う。


「そう言えばユキメ、お前、昇進するんだって?」

「うん。私の仕事が認められたの」

「そうかそうか。凄いじゃないか。で、何の仕事をして認められたんだ?」


 なんとも嬉しそうな笑みを見せながら再び問うと、ユキメは、まだ朧げな目元をしぱしぱさせながら、手元に置かれた箸を持って答える。


「ヨウ家の御子の世話役だよ」

「御子って、長男のフウのことか?」

「うん。あの子が官学へ入れるよう、私が武鞭をしてあげたの」

「そりゃ凄いじゃないか! 流石はヨウ家に採用されただけはある」

「でもね、結構大変だったんだよ」


 ユキメは、次々と朝食を口に運んでいた手を止めて、大きくため息を吐いた。


「泣くわ喚くわ、挙句の果てには家出をするわで…………」

「そ、そうか」

「だから、今日生まれてくる子の世話はしないつもり」

「苦労が多かったんだな」

「うん。私に、子供の世話はまだ早すぎた」


 そうしてユキメは、刹那の内に平らげた皿を重ね、それを手に持って立ち上がる。


「じゃあ、そろそろ出るね」

「ああ。気を付けてな」


 父の言葉に頷いたユキメは、今度、母親がいる土間の方へと皿を持って行き、「ご馳走様」と言って皿を手渡す。


「しっかりね」

「うん。行ってきます」


 母親に笑みを返したユキメは、どこか重そうな足取りで玄関へ向かうと、のんびりと草鞋を履いて家を出たのだった。


「おはようございます」

「あら、お早うユキメ。今朝は早いのね」


 挨拶と共にユキメが戸を開けると、侍従のリーダー的ポジションである官長が挨拶を返す。


「ええ。母親にたたき起こされてしまいまして。私はもう成人なのにですよ?」

「ふふふ。親から見れば、子供はいつまでも子共よ」


 そこはヨウ家の給仕室。狭き門をくぐり抜け、ヨウ家の侍女となった者達が、家の主を世話するための準備をする部屋である。

 幾つも並んだ石かまどは息を吐くように煙を噴き上げ、休憩スペースでは数人の侍女達が談笑している。


「聞きましたかユキメさん」


 ここで一人の侍女が彼女に聞く。


「何をですか?」

「今日生まれる子、女の子だそうですよ!」

「ふむ。そうなんですね」

「あれ、もしかしてあまり興味ない?」


 そっけない返事をするユキメに、侍女は首をかしげる。

 するとユキメは、すぐさま首を横に振った。


「いえっ、そんなことは無いですよ。…………ただ」

「ただ?」

「今度の世話役は、降りようと思っているのです」

「ええ!? でもコウ様とリン様は、もうユキメさんに任せる気でいましたよ?」


 その言葉を聞き、ユキメは眉根を八の字にして肩を落とす。


「…………やっぱり」

「本当に辞退するおつもりですか?」


 そんな問いに答えることが出来ず、ユキメが俯いたまま黙っていると、その会話を聞いていた官長のマキが、ユキメの肩に手を置いた。


「まぁ、無理にやる必要はないわ。お二人には私が言っておくから、安心なさい」

「マキさん、ありがとうございます」


 だがそれも、束の間の安堵である。その瞬間は、ユキメが彼女の言葉に涙ぐんでいるとき、不意に訪れた。


「皆! そろそろ産まれるって!」


 一瞬にして張り詰める空気。


「カゴメ! 直ぐに産湯を持っていきなさい!」

「はい!」

「ユキメとオリンは清潔な布を!」

「分かりましたっ」


 的確な指示で皆を動かすマキ。そのおかげもあって、他の侍女達も、てきぱきと準備を進めて行った。

 だがユキメだけは、どこか曇り空のまま、箪笥から取り出した布を畳んでいた。


「ほら、行きましょう、ユキメ」

「…………はい」


 そう言って優しく笑いかけ、マキはユキメの背中を押す。

 それをされてしまえば、彼女も行かざるを得なくなるわけであり、ユキメは家を出る時よりも重い足を、必死に前へと出してリンの寝室へと急いだのであった。


「さぁ、もうすぐですよ!」

「はっ…………はっ…………」

「リン! もうすぐだぞ! 踏ん張れ!」

「あなた…………っ」


 ユキメが真っ白な手拭を持って寝室へ入ると、陣痛は既に始まっていた。

 妻の手を握るコウ。そしてそれを見守る侍女たちと、赤子を取り上げるための準備をするマキ。

 その空気は常に緊張しているが、しかしユキメも二度目の経験であるがために、冷静さはなんとか保ち続けていた。


「リン様! あと少しですッ」

「ひっ…………ひっ」

「もう少し!」

「リン! 頑張れ!」

「…………うんっ」


 そして陣痛が始まってから四時間が経ったとき、遂に赤子は、小さな産声と共に、その全身をこの世界へ露わにした。


「お…………おぎゃあ」

「う、産まれた!」

「産まれたぞリン! 私たちの子だ!」


 へその緒を切られ、産湯に浸けられ、そして雲のように白い布にくるまれた小さな赤子。

 父のコウは、重機のように厳つい腕で赤子を抱き、その顔をリンへと見せる。


「ええ。とても可愛いらしい」


 雪のように白い肌と、その体には似つかわしくない角。そして、太陽のように輝く瞳。


「きゃぁぁっ、何て可愛らしいのでしょう!」

「目はリン様に似ておりますね!」


 そんなお祭り騒ぎの侍女たちを見て、リンとコウは呆れたように笑いながら互いの顔を見交わす。


「ほら、ユキメも見に行きなさい」

「いや、ですが私は…………」


 中々その輪に入ろうとしないユキメを見かね、マキはため息交じりに背中を押す。するとリンも…………。


「ユキメ、貴女にも見て欲しいわ」

「は、はい」


 主であるリンにそう言われては、頑固だったユキメも断ることが出来ず、彼女は、皆に見守られながらも、その足を一歩踏み出した。


「どうだ。可愛いだろう!」

「あなた、ユキメが困っちゃうでしょ」

「そ、そうか?」

「ええ。押しつけは駄目よ」


 汗だくのリンに叱られてしまい、彼はしゅんとして肩を落とす。

 だがここで、そんな二人の空気感は一瞬にして消えることになる。


「お、おおい、どうしたと言うのだユキメ」

「コ、コウが何か気に障る事でも言ったのかしら」

「…………いえ。違うのです」

「では、なにゆえ泣いておるのだ」


 緋色の目を揺らがせて、その透き通った雫を赤子に落とすユキメ。


「分かりません。分からないのですが、涙が、止まらないのです」


 その言葉と、赤子よりも泣きじゃくる彼女の姿を見て、二人は安堵のため息と、そして呆れたような笑みを浮かべた。


「ほら、ユキメも抱っこしてあげて」

「は、はい!」


 涙のままユキメが赤子を抱きかかえると、赤子も、まるで彼女に喋りかけているかのように泣く。


「おぎゃぁ。おぎゃ」

「ふふふふっ。泣くのが下手でございますね。ソウ様は」


 彼女がその名を呼ぶと、赤子は嬉しそうにきゃっきゃと笑う。


「ユキメよ。なぜその子の名を知っておるのだ? 皆には隠していた筈なのに」


 コウは、何とも不思議そうな顔で首をかしげながら問う。するとユキメは、涙をあふれさせながら微笑む。


「ただ何となくですが、その名が頭に浮かんだのです」

「……そうか。やはり、この子の名はソウで決まりだな。リン」

「ええ。蒼空のように明るく笑うこの子には、ぴったりだわ」

「あ、あの」


 ユキメは赤子を抱えたまま、ここまで決して外さなかった視線を二人に向け、そしてこう言う。


「この子の武鞭も、私に任せてはくれないでしょうか」


 彼らを真っ直ぐと見据えては、その表情に力を入れるユキメ。そして、その言葉を聞いたリンとコウは、その笑みのまま頷いた。


「ああ。もちろんだ」

「ソウの事もお願いね」

「はい! このユキメ、骨身も惜しまず励みまする!」


 こうして世界は、全ての願いを余すことなく成就させた。

 一度は離れてしまった絆。しかし彼女たちは、それを再び、その手の中へ還らせたのである。


 そして二人は心に誓った。

 この先の未来、この手だけは、何があっても離さないと。

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― 新着の感想 ―
[一言] よかった…なんだか安心しました。最後の願いとして、やっとそれなりの幸せが手に入りそうでよかったです。ユキメが泣くところもなんだか心にくるものがありました…これ何目線なんでしょう。二人のこれか…
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