異世界の違い
「ちょっと、何でうちの玄関もやってくれないのよ! 中に入って、ちょっとポリッシャー回すだけでしょ!」
少しぽっちゃりした中年女性が、清掃中の俺に絡んできている。
怒り心頭と言った感じで、唾を撒き散らしながら怒鳴ってきている相手を、少し懐かしく感じてしまう。世界が変わっても似たようなクレイマーはいるもんだな。
俺はいつものように薄い笑みを貼りつけ、丁寧に対応する。
「申し訳ありませんが、今日の仕事は街路の清掃となっていますので、既定外の仕事は出来ないのですよ」
「何よ! あんたたちは私たちの税金で養われているんでしょ! ちょっとぐらいサービスしなさいよ!」
あー、これも似たような事を言われた経験がある。
「そう言われましても……そうですね、貴方の家をサービスで清掃したとしましょう。それを見た近隣の住民はどう思います?」
「サービスをしてくれるいい清掃員だわって思うでしょうね!」
何故か自慢げに胸を張っている。自分の意見が正しいと疑いもしていないようだ。
「そうでしょうか。貴方が隣の住民だとしたら、その家だけ掃除してもらうなんてズルいって思いませんか?」
「ま、まあ、そうかもね」
図星だったらしく、自信満々の表情が崩れる。
「そうなると、そのちょっとしたサービスを他の家にもしないと不公平になるわけです。そしたら、どうなると思います? 全部の家の玄関を清掃していたら、街路の清掃なんて全く進まなくなってしまうのです」
俺の意見が理解できたようで、悔しそうにしながらも反論はしてこない。
これぐらいのこと考えるまでもなくわかりそうなものなのだが、こういった苦情は結構多い。元の世界でマンション共用部の清掃をやっている際に、何度言われてきたことか。
「そういった理由で、清掃範囲外の仕事はできないのです。申し訳ありません」
「なら、仕方ないわね……しっかり、仕事しなさいよ!」
吐き捨てるように言い放つと乱暴に扉を閉め、女性は家の中に引っ込んだ。
やっと、退いてくれたか。ここの住民は清掃員を見つけると何かと絡んでくることで有名らしい。
「あ、あの、ありがとうございました!」
頭を下げた拍子に清掃用の帽子が地面に落ち、薄い青色の長い髪が目の前で大きく揺れる。俺に礼を言ってきたこの女性は、さっきのおばさん――ご婦人に絡まれていた清掃員だ。
俺より先輩ではあるが新人らしく、ああいった相手の対応が苦手のようで、困っていたところに助け舟を出したのが、さっきの状況になる。
「いえいえ、あまり気にしないでください。何処にでもいますから、ああいう方は」
「ソウさんは、私と同じ新人なのに全然物怖じしませんね。凄いです!」
勢いよく頭を上げた女性清掃員の顔を俺は思わず、まじまじと見つめてしまった。
帽子を深く被っていたのでわからなかったのだが、この女性清掃員、かなり、いや、尋常ではなく――地味だ。
失礼なことは重々承知なのだが、何というか特徴が無い。町中で何人かすれ違う人の中に一人は存在しそうな顔をしている。決して、人より劣る顔ではなく、むしろ美形寄りの筈なのに記憶に残らない顔つきをしている。
ミュル、シャムレイの両名を見ているので、美人に対して評価が厳しくなったのかもしれない……自分の事を棚に上げて。
「ここで働かせてもらう前にも、似たような仕事をしていましたので慣れているだけですよ」
「そうなのですか。私は初めての仕事なので緊張してしまって、失敗ばかりです」
「清掃業というのは、こういったクレーム処理以外は、あまり人と話す機会もありませんからね。このような苦情もいずれ、良くも悪くも慣れてしまいますよ」
ほんと、嫌でも慣れてしまうものだ。昔、定期清掃で入っていた現場の一つに、クレーマーマンションと呼ばれているマンションがあったのだが、そこは本当に酷い場所だった。
五階建てのマンションの一階ごとに厄介者が住んでいるという問題の現場。元請けからの依頼だったのだが、元は別の業者に頼んでいたのだが次々とリタイアしていく為、うちに回ってきたという曰くつきだ。
各階に強敵がいるなんてどこのRPGだと言いたくなる。
ちなみに苦情の内容は、
一階は清掃の音がうるさい。
二階は共用部廊下の汚れ(長年放置していたサビ)が取れていない。
三階は清掃範囲外の手すりが汚れている。
四階は以前少し清掃をかじったことがある住民の様で、やり方の指図をしてくる。
五階は共用部に大量の荷物を置いているお婆ちゃんを説得。
となっている。通常なら半日で終わる筈の仕事内容なのだが、毎回丸一日かかっていた。
「あの、どうかしましたか?」
「いえ、ちょっと昔を思い出しまして。さて、仕事も半ばですから、お互い残り頑張りましょう」
「はい! ありがとうございました」
最後にもう一度頭を下げ、大きく手を振る女性清掃員に手を振り返すと、街路の清掃に戻った。ポリッシャーのパッドをブラシに交換し、街路の敷石を磨いているのだが路上の清掃なので洗剤は出さずに水のみで磨いている。
「おい、あんた。俺たちには敵わねえが、中々やるじゃねえか」
清掃中に声を掛けてきたのは、ロッカールームで絡んできた顔つきの悪いイケメンもどきだった。あの時とは違い、睨みつけるような表情ではなく、少し困っているような、照れているような妙な顔をしている。
「何の事です?」
「あのいちゃもんババアへの対応に決まってるだろ。あのババア厄介でな、毎回絡んでくるんだよ」
「ルイス。清掃員がそんなこと言ったらダメだよ。清掃員は心も清掃も清く正しく美しく。がモットーだろ。ねえ、キーガ」
「メッツの言うとおりだ。口が過ぎる」
緑頭の背後から注意を口にしながら現れたのは、ロッカールームにいた残りの二人だった。
今の会話でわかったことは、緑頭がルイス。
女の子みたいな少年のような、おそらく青年がメッツ。
体が大きいのがキーガ。という名前だ。
「ごめんね。ルイスはあんなこと言った手前、素直に褒められなくて。口は悪いけど、中身は単純でいい奴だから」
メッツが片目を閉じながら拝むように片手を前に出し、頭を何度も下げてくる。何というか……男だとわかっているのだが、とても可愛らしく見える。そっちの趣味は無いが、男相手なのに照れてしまいそうになる。
そんなメッツと対照的な巨漢のキーガが、後方で腕を組んだ状態で頷いている。
「そうなのですか。気にしていませんから大丈夫ですよ」
「良かった、ソウさんが良い人で。あ、そうだ。自己紹介まだだった。僕はメッツといいます。これから同僚としてヨロシク!」
メッツから差し出された手を握りしめる。
ん、なんだこの感触は。何というか異様なまでに柔らかい。普通、清掃業をしていると手にマメができたり、皮膚が硬くなるものだが女の子の手みたいだな。
「あっ、ソウさん、どうしたの?」
声も中性的なので、本当に性別の判断に苦しむ。何となく男だと思っていたが実は女だという線もあるのでは。
「ああ、そいつ男だぞ」
懸念が顔に出ていたのだろう、ルイスの突っ込みに俺の直観が正しかったと安堵する。
「キーガだ。よろしく」
メッツの手がすっぽり収まる大きさの手が眼前に突き出される。
キーガとも握手を交わしたのだが、手のマメが硬質化している。これこそ清掃員らしい手と言えるだろう。
「まあ、なんだ。わからないことがあれば、こいつらに聞きな。俺に聞くんじゃねえぞ、面倒臭いからな」
そう言ってルイスは踵を返すと、その場から立ち去っていった。
口は少々悪いようだが、根はそんなに悪い奴には見えない。他の二人は良識もあり性格も良さそうだ。職場の人間関係はとても重要なことだ。今のところ、嫌な同僚も上司もいないので順調そのものだな。
あ、まあ、なんだ。異世界まで来て俺は何やっているのだと疑問に思ったら、負けなのだろう。最近、ふと我に返った瞬間とても虚しくなるので、暫くは時の流れに身を任せるのもいいかもしれないなと、思い始めている。
この世界に来て初めての休日。俺は初めてプライベートで町をぶらつくことにした。
西洋風の建物が並ぶ街並みの中に、日本家屋が何軒も見える違和感に、もやもやする気持ちを抑えながら、この国――聖浄国についての説明を脳内でおさらいしている。
自分がいるこの国は聖浄国といい、学園長が洗浄勇者を浸透させる為に創立した国である。この国の首都、といっても町は国に一つだけで、現在滞在中の創魔学園都市。他には近隣や各地に村が幾つかある程度の小さな国だそうだ。
数百年前は巨大な国の最西端にある魔法学園都市だったのだが、三百年前に汚生魔人が現れ、その対応に追われた国王は暴挙に出たことにより事態は一変する。
自分が住む国の首都を守る為に国中の戦力を集中させ、各都市にお前たちは自力で何とかしろと言い放ったのだ。それに反発した各都市が独立を宣言し、この大陸には多くの都市国家が設立された。
創魔学園もその一つだそうだ。
「兄さん、兄さん! ラムーネどうよ! キンキンに冷えて美味しいよー」
小学生ぐらいの子供が、路上で水の張った入れ物に沈んでいる、ガラスの容器を取り出し俺に見せつけている。
この街にいると、実は異世界じゃないんじゃないかと感じる要因がこれである。
そのラムーネと呼ばれた物は、どうみてもラムネだ。飲み口がビー玉で閉じられているところも、屋台で見かけるラムネの瓶以外の何ものでもない。
「一つ貰おうかな」
「毎度ありー」
渡されたラムーネを一口飲む。ああ、味はラムネとは全然違うな。甘さ控えめの柑橘系の味がする。
俺の妄想日記『黒の書』が翻訳され、一般に広まったことにより、作中に出てきた道具や、食べ物が再現されているのだ。
挿絵担当のアイツが絵の練習にもなると、妄想日記で触れた道具や食べ物についての挿絵を、最後の方にまとめて事細かく書き込んでいるので、それを参考にしたモノが街に氾濫している。
全く同じ用途で使える物もあれば微妙に異なる物も多く、その代表例が食べ物である。見た目の再現はほぼ完ぺきなのだが、味の再現は難しいようで、口に入れた時の違和感にまだ慣れそうにない。
露店を眺めてみると『たこやき』『おこのみやき』『やきとり』といった屋台定番の看板が見受けられる。『ファイニージュース』や『モルダ団子』この世界ならではの料理を扱った店も、当たり前だが存在している。
「異世界物の定番と言えばあれなんだが、ここら辺にあるって聞いたんだけどな」
今日の散策目標の筆頭である、ある建物を探しているのだが、今のところ見つかっていない。結構大きいからすぐわかると聞いたけど。
「おおっ、あれか」
目標物を発見し思わず声が漏れた。打ちっぱなしのコンクリート造りにしか見えない、灰色の外観をした無骨な四角い建物。窓の配置からいって三階建てのようだ。
その建物には扉もなく、入り口は壁をくり抜かれて作られたあの穴だろう。その穴の上に巨大な看板が建てつけられていて、大きな文字で『フリーターギルド』と書かれている。
フリーター。つまりこの世界においての冒険者の事なのだが、あの文字だけ見ているとハローワークみたいだな。
出入りは自由らしいと予め聞いていたので、俺は緊張しながら入り口を潜り、中へ足を踏み入れた。そこは巨大なホールになっていた。
「はい、ご依頼の件ですね。先日、ホンブロングのフリーターチームが達成をしました。ええ、はい、では成功報酬をお預かりしました」
「ええと、最近、チームを首になったと。その原因はわかっていますか? 自分から脱退ですか。ですが、貴方はもう三チームも辞めていらっしゃいますよね。この状況だと次のチームを見つけるのは。特技は棒術と土系の創魔ですか、正直微妙なラインですね」
「報酬は隣の受付でお願いします。はい、既に連絡はしていますので大丈夫ですよ」
カウンターに並ぶ職員らしき人々はかなり忙しそうに仕事をしている。フリーターらしき人たちも、順番に列に並び、特に騒がしくすることなく規律を守っていた。
……イメージが違いすぎる。荒くれ者とか、建物内の酒場とかはどうした。何処からどう見ても、役所や病院の受付としか思えない。
フリーターは鎧を着こんだ者も多いのだが、武器を所持している者が全くいない。ギルド内を見回すと、よく見ると入り口の壁際にロッカーらしき物があり、武器を所持したままギルド内に入った物はそのロッカーに武器を預けている。
預けるのを忘れてそのまま中に進もうとした者は、警備の者が駆け寄り説明を受けているようだ。俺は武器を所持していなかったので、何もおとがめなしだったらしい。
「これも俺のせいか」
元の世界での日常描写も細かく書いていたので、それに影響された結果だろう。
なんだろう、皆が大人しくルールを守って行動している。素晴らしい光景の筈なのだが、ネットゲームの中でも規律を重視する、日本人を見ているような気持にさせられる。
悪いことではない。悪いことではないなのだが、この人たち実は中身全員日本人じゃないのかと、疑ってしまいそうになる。
「ここはもういいかな……」
何度も妄想してきたファンタジーの定番である、冒険者ギルドを夢みていた俺の期待は無残にも打ち砕かれ、とぼとぼと家路についた。




