お仕事
好きな清掃現場の条件として上げられるのが、まず物が少ないこと。
椅子や机があった場合、動かすことが可能なら一旦、移動しなければならないからだ。物を移動させて床を洗い、ワックスを塗り、乾かした後にまた物を元の位置に戻す。これだけで、時間も手間も二倍以上になる。
次は、かなり汚れてはいるが清掃すれば綺麗になること。
お金をもらって掃除しているのだから、綺麗になって当たり前じゃないかと思う人が多いのだが、取れる汚れと取れない汚れがある。何か月も汚れを放置して完全に床に染み込んでしまったら、それはもう取ることができない。汚れに見えるが実は傷だった、なんてオチもよくある。
細かく厳選するならまだあるが、大きく分ければこの二つがとても大切なのだ。
そして、自分はこの清掃現場に満足している。今日の担当現場は体育館。
創魔学園には体育館のような場所が二ヶ所ある。普通に運動するための体育館と創魔の実習をする戦闘訓練用だ。戦闘訓練用は建物の材質が特殊らしく、頑丈で魔力の付与までされているらしい。
こっちの運動用は元いた世界にある普通の体育館と何ら変わりない。
「いやー素晴らしい。だだっ広い空間。床には何も置かれてないから洗いたい放題。心が躍る!」
ポリッシャーも回し易いし、適度に汚れているのもポイントが高い。
「……凄く楽しそうね」
気分が高揚している自分と正反対なテンションのメイラが呆れているようだ。
「やりがいがあるじゃないですか。邪魔な物の移動もしなくていい。広い敷地を遮るものが無いという好条件。血沸き肉躍るシチュエーションですよ!」
何を言っても無駄と悟ったようで、メイラはそれ以上何も言わず作業に戻った。
この体育館、ワックスもちゃんと効いているようなので、丁寧にやれば大抵の汚れは落とせるだろう。ワックスをしていない床だと床の材質そのものに汚れや傷がつくので、ポリッシャーを回したところで取ることができないことが多い。
バスケットコート三面ぐらい入りそうな体育館なので結構な大きさだが、このポリッシャーを使えば時間の短縮も可能だ。
「ソウさんの使っているポリッシャーって、私たちが日頃使っているのと形状がちょっと違うよね」
「これは、新しく開発されたポリッシャーでして、想具と使用者契約しているので私以外が使うことができないのですよ。ここに来るまでに専門の機関で訓練していました」
という設定になっている。
「そうなんだ、ちょっと使わせてもらいたかったけど、それじゃ無理かー。残念」
申し訳ない。完全な作り話だけど触らすわけにもいかないから。
そもそも、ポリッシャーが受け入れられている現状にも驚いたが、それもそのはず。この世界にはポリッシャーもバキューム(汚水や砂利も吸い込める大型の業務用掃除機)も想具として存在していた。ここ十年で実装されたらしい。性能は向こうの世界と遜色ないようで、一度使用させてもらったのだが違和感なく動かせた。
だが、さすが創魔と言う名の魔法が存在する世界だけあって、原動力が電気ではなく魔力。俺が使っている聖想陽具のポリッシャーと同じくプラグを体に差し込むことにより、使用者の魔力を利用して動くシステムになっている。もちろん、差し込むといっても物理的に刺すわけではなく、プラグのような物を体にくっ付けるだけだ。
似たような仕組みになっているのは、立案、設計、製作を担当したのが学園長だからだ。長い年月をかけ、清掃機器を想具として作り上げた学園長の強い意志と努力は最早、執念と呼んでもいいレベルだろう。
そのおかげで、こっちでも普通にポリッシャーが使えるのは楽でいい。こういう床面が広い場所でこそ清掃機器が本来の力を発揮できる。
こびりついている汚れが簡単に剥がれていく。清掃機器としての能力も上がっているのではないだろうか。無限に溢れ出る洗剤の成分が良いのかもしれない。なんにせよ、気持ちがいいぐらいに床面が綺麗に磨かれていく。こういうのが清掃やっていて良かったと思う瞬間だな。
「ソウさーん、バキュームってこんな感じで大丈夫ですかー!」
ミュルは初めてバキュームを扱うようで、初めは緊張していたようだが、今は体操着姿で奮闘してくれている。
「そうそう。かなり上手だね。ミュルがバキュームで吸った後を、シャムレイはモップで拭いていってくれたらいいからー」
ミュルに続いてシャムレイがモップ片手に淡々と丁寧にやってくれているようだ。清掃の仕事は指示されたことを、きちんとやること。当たり前だが、これが清掃員としての必須条件。業者によっては、それすらできない大人がいるのだから困ったものだ。
彼女たち二人は一生懸命やってくれている。バイトで雇ったとしても全く問題が無いだろう。手際があまりよくないのは、初めてなのだから当たり前。そんなもの慣れれば大丈夫。
二人が作業服代わりに身に着けている体操服なのだが、下は昔懐かしい黒いブルマに似ている。上は白の体に密着したタートルネックの長袖。これを考えたのも、学園長らしい……趣味丸出しだな――ま、まあ、悪くないセンスだとは思う。
ただ、元の世界では絶対に採用されないデザインであるのは確かだ。体操服というより新体操のユニホームに近い。
「二人とも筋がいいわね。魔法使いになれなかったら、一緒に清掃業やらない?」
冗談めかしてワックス担当のメイラが言う。
実際に彼女たちが同僚になるというのなら歓迎するが。
「それ、いいかも!」
「うん……ソウさんと一緒。楽しそう」
二人ともまんざらではないようだ。
「でも、ゴメンね。手伝わせてしまって。本当なら、もう二人来るはずだったのだけど」
結構な広さがある体育館なので当初は四人でやる予定だった。けれど、急に別の仕事が入ったらしく、二人がこられなくなってしまった。仕方なくメイラと二人で仕事を始めたところに、ミュルとシャムレイが通りかかり、今に至る。
「いいんですよー。掃除の仕事興味ありましたし!」
「……綺麗になると楽しい」
二人とも清掃員としての素質がありそうだ。こっちの世界で独立して、二人を誘い清掃業を始めてみるのはどうだろうか。あっちの世界では不況の影響と負の遺産があって散々だが、この世界では人気商売だから需要もあるだろう。二人がいてくれたら看板娘としての集客力も抜群だろうから。
「さあ、まだ清掃途中だから、頑張っていこう」
「おーーっ!」
「おー」
本当に良い子たちだ。この元気の良さも若さからくるのかね。若さか……そういえば、近頃は十歳ぐらいの年の差なんて関係ないという風潮だが、それは若い方の女性が二十代だから成り立つのであって、十代相手になると世間の目も冷たい。
もっとも、この世界ではかなりの歳の差結婚も当たり前に行われているのかもしれないが。この考えだとミュルやシャムレイと付き合いたいみたいに思われそうだな。実際、そんな気持ちは微塵もないが――歳の離れたお姉さんがいるなら紹介して欲しいような。
「あっ、どうしよう……段々バキュームが重くなってきた」
汚水を吸い込み過ぎて重くなってきたらしく、ミュルが少し辛そうにバキュームを押している。
「ごめん言い忘れていた。バキュームに汚水とゴミが溜まったら、上部を開けて中に溜まったものを流してきてくれるかな」
バキュームと言うのは汚水や砂利も吸い込める、大型の業務用掃除機の事なのだが、一般家庭の掃除機とはかなり異なっている。
まだうまく歩けない赤ちゃんが歩行訓練用に使う、四輪の手押し車のような台の上に四角いバケツのような回収タンクが乗っている。その回収タンクの前面にホースを繋げる穴があり、ホースの先に掃除機の吸い込み口であるスクイージーが付いている。
そして回収タンクの上部に蓋をするように、バキュームの心臓部であるモーターヘッドが載せられている。このモーターの吸引力により砂利や汚水も容易に吸い込むことができる。
「ソウさん、手がお留守だよ。後がつかえてますよー」
うちで使っていたバキュームと姿形がほぼ同じである、この世界のバキュームをまじまじと見つめすぎていたようだ。
慌ててポリッシャーを再稼働し、残りの清掃を続けた。
「今日も良く働いたー。さて、夜食に置いておいた菓子がどっかに」
今日のお仕事も終わり入浴も済ませ、部屋で一人寛いでいると、ふとあることに気づいた。
俺って勇者として召喚された……よな?
それなのに待遇はお世辞にも良くない。清掃員として考えるなら文句はないのだが。昼は清掃員、夜は勇者のバイトをしている感覚。我ながら良く働いている。
普通なら疲労が溜まって、体が不調をきたすレベルなのだが、膨大な魔力が宿った体は殆ど疲れることは無く、ある程度の疲労を感じても、少しの睡眠で疲れを完全に吹き飛ばしてくれる。
夜のバイトと言えば、この世界にいる汚生魔獣は、初めて会った猿もどきのように大昔にやってきて野生化したものと、汚生魔人によって新たに召喚されたものとに分けられる。
街で戦った人型の汚生魔獣は後者に当たるらしく、この国を狙っている汚生魔人の一人が汚生魔獣の召喚を得意としているそうだ。
汚生魔獣は夜になると力を増し活発になるのは理解したが、ほぼ毎日、規則的に出てこなくてもいいだろうに。
もっとも、その規則制のある出現パターンのおかげで、学園側も情報を集めやすく討伐隊を組むこともできるのだが。あの日も、およその出現位置を割り出してくれていたので、遭遇できた。
この世界における汚生魔人の数自体はかなり少ないらしく、汚生魔獣を使役することによって数による不利を埋めているそうだ。
以前は、街の近くまで汚生魔獣が来ること事態があり得ないことだったらしい。だが、数年前ぐらいから、汚生魔人側の勢力が更に増してきているそうで、この国だけではなく近隣諸国には滅亡を待つだけの小国も少なくない。援軍を送るどころか、この国を守れるかも危うい情勢で現れた洗浄勇者の存在は、最後の希望。
汚生魔人討伐という大任を背負っているのだが、あの召喚したての戦いから一度も汚生魔人とは会っていない。汚生魔人という存在、正直未だにわかりかねている。基本知識は訊いておいたので、ある程度は把握している。
まず汚生魔人は、こことは別の世界から来た存在だそうだ。この世界にやってきて初めて会った第一異世界人であるゴルも言っていたが、汚れた世界と呼ばれる場所からやってきたという話だ。
俺も別世界の住人だが、それとは少し異なるらしい。自分のいた世界はまるで別次元のはるか遠くの世界らしい。そして、汚れた世界はこちらと簡単に行き来が可能な隣り合わせの世界。
汚生魔人は生まれつき汚生魔人であり、人と変わらぬ外見をしている。ただし、汚生魔人は全て美形だそうだ。人間の中には、容姿に引かれ汚生魔人に寝返った者までいる始末らしい。
これを知り、個人的な妬みによりやつらを倒す理由が増えた。
生まれつきと言えば、汚生魔人は誰しも一つ特殊な能力――『異能』を持つそうだ。これは、汚生魔人であれば誰しもが持つ特別な能力なのだが、基本、役に立たないどうでもいい能力が多いらしい。が、稀にかなり強力な能力を持つ者がいるそうなので、油断は禁物だと釘を刺された。
余談ではあるが、その力を元にして二つ名がつけられるそうだ。ゼフルーが「無音のゼフルー」と名乗っていたということは、異能が無音に関係があるということになる。
無音か。騒音のゼフルーに改名した方がいいのではないだろうか。無口とはお世辞にも言えない汚生魔人だった。それらしき能力を使わなかったが、それは使う暇がなかったのか、全く役に立たない能力だから使う意味がなかったのか。謎が残っている。
あれから、汚生魔獣や盗賊団を叩き潰したりはしているが、根本である汚生魔人を倒さないことには、無駄な消耗戦が続くだけ。それは俺に言われるまでも無く、学園長も理解している。
あの時、学園長は――
「そう遠くない時期にこの国を狙っている汚生魔人との総力戦が始まります。そのための準備はしてきましたが、正直戦力が足りているとは言えません。ですが、国民は限界なのです。汚生魔人の影響が強まってきた昨今、百年もの長きに渡り汚生魔人の脅威に怯え、生きてきた人々の精神は崩壊寸前です。表面上は変わらぬ日々を過ごしているように見えるかもしれませんが、何かきっかけがあればすぐに壊れてしまう危険な状態です」
俺の馬鹿な質問に、そう答えた学園長の顔は苦渋に満ちていた。
「だからこそ、勇者殿に力を得てほしいのです。国民に希望を与え、多くの想いを受け取ってもらいたいのです」
創魔を失い自らが戦場に赴くことが不可能となってしまった学園長の、この国を想う気持ちは誰にも負けないものがあるのだろう。策を講じ、伝説の勇者を作り上げ、国を救う最良の道を未だ探し続けている。俺の知らないところで、きっと別の策も用意しているに違いない。
「汚生魔人との総力戦か」
口にしてみたが、実感が湧かない。この世界に来てまだ一ヶ月ぐらいなのだが、戦闘は何度もこなしている。命のやり取りもしている。自分が死ぬことに対する恐怖は不思議とない。これは勇者を信じる人々の想いが心に働いているのか。それとも、身近な人の死を目撃したことにより、死への抵抗感が無くなってしまったのだろうか。
「――どう思う?」
誰もいない空間に語りかけてみたが、答えは返ってこなかった。




