追跡者
別視点
――どういうことだ。と彼は口元で転がしていた。ガラガラと崩れていく建物の中でぼんやりと立ち尽くす。その視線の先には見渡すばかりの水平線と暗い夜。そして星のように輝く一つの姿が遠ざかって行く。それはとてもぼやけて『何が』と特定できるものではなかったのではあるけれど、彼はその正体を知っている。
は。と乾いた笑いを彼――ユスリハは漏らす。
「だ。大丈夫か?」
熱風と冷気が入り混じり、湿気が皮膚に張り付く中慌てて走ってきたのは魔法士の一人だ。相変わらず深くローブを被っているその顔は相も変わらず見えなかった。尤も興味が無いのでユスリハにはどうでもいい事だったが。
「ああ、問題ないよ。――ね。君。あれが見える?」
ユスリハが指さした先にはもう埃のような点になってしまった白い点だ。それでも星のように輝いて異彩を放っている様に見えていた。
魔法士は訝し気にユスリハを見てから視線を空に投げるがそこには想像できる以外のものは何もないように思えた。要するに夜の海と空。そしてガラガラと崩れ落ちる足元だろうか。魔法で浮いている為もちろん落ちることない。
「え? はぁ。いや、何も視えないけども。何かあるのか?」
幻覚でもと言いかけて口を噤む。それを気付かないユスリハは肩を軽くすくめて見せた。
「やっぱ阻害かなぁ――いいかい? 君には見えないかも手だけど、あれは竜だよ」
「なるほど。竜」
なるほどぉ。などと大げさに魔法士は頷いているが、実際は『あー。はいはい。またなんか言い出したよ。このサイコパス』程度にしか思っていない。それどころか、此処を壊した責任は誰がとるとかユスリハにすべて追わせることができないだろうかと考えている始末であった。元々場の責任者は彼なのではあるが。
魔法使いレベルに到達する魔法士の戦いなんて止められるわけがないだろというのが彼の弁だった。
「おまけにあの被験者――確かオースとか言ったっけ? は完全適合者だ」
忘れていたけれど、あれは『被験者』だ。実験する側のユスリハは人の顔などいちいち覚えない――元々人と認識していない――が、魔力の『紋』を感じることができた。魔力は人によって違うからその形が『紋』として感じられるのだが、それが特殊だった思い出がある。
まさか。と魔法士は呟いて考えるように口を開いていた。実験に携わっいたわけでもないのであまり知らないのではあるが、オースの名を聞いて思い出すことはあった。
「オース・ユエス……。確か第三期被験体で唯一生き延びてるとか――。でも完全適合者だなんて」
まさか。と声を震わせた。
完全適合者――『偽』魔法石を身体に取り込んで拒否反応もなく無限に魔法を扱える人間のことを言う。尤も今までそんな者が現れた気配などないが。大抵一部適合に留まり、そのほとんどが即死又は二年以内に死を迎えている――。一部例外を除いて。
なんて馬鹿で無駄。酷い実験だと個人的に魔法士は思っている。それを噯にも出さないが。それを言ってしまえばこちらが被験者となることは目に見えていた。
わが身は可愛いものである。
「僕の言うことが信じられない?」
「……まさか」
その顔には明らかに『はい』とも書いてあるが、フードで見えないのでその表情がどんなものか見えることはない。ただ雰囲気で悟ったらしいユスリハは『はぁ』とワザとらしく溜息を付いてからすっと水平線に目を向けた。
漸く本当に漸くではあるが、口元に付いているべったりとした血に気づいて乱暴に拭う。自身の血を見たのは何年振りかと軽く――どこか楽し気に口元を歪めて見せた。『ひいっぃ』と浮ついた悲鳴が出そうになって魔法士はぐっと口元を押さえている。興覚めついでに殺されるかもと考えてしまったからだ。
「まぁ、いいや。君は報告を。僕は――そうだね。あれを追いかけるよ。『どちらも』大事な研究対象だからね」
「いや、オース・ユエスは兎も角として、あれ竜なんだろ? どうやって」
竜なんてものは魔法使い以上の力を持つ。何せ人間に死しても『力』を今なお分け与えているものなのだ。魔法士が言うとユスリハはゆらりと視線を魔法士に向けた。
にこりと笑う。
「あのおねーさん。多分オースではなく、竜の縁者だよ。だから、おねーさんを押さえれば何とかなるしね。それに。君の知らない事もある」
「知らないことか?」
「うん。教えないけど」
じゃあね。と軽く手を振って、ユスリハは踵を返し、とんと足場を蹴った。
落ちていく――。そう思って魔法士は慌てて下を覗き込んだが、そこにはユスリハは居ず、暗い海と瓦礫があるだけだった。




