明けの明星
本日二話更新してます。
冷たい風が火照った頬を撫でていく。絡まる様な潮の匂い。月の光を移した水面はキラキラ輝き、何もかもがゆっくりと動いている様に見えた。まるで、時間が止まったようだった。
すうっと息を吸い込むと同時に――殴られたような衝撃。少し遅れて爆発音が響いていた。びっと何かが頬をかすりジワリと熱を持つ。痛みを感じる暇なく、視界に入ったものに私は息を飲んでいた。
まず……し――。
そう思う前に身体が宙に投げ出される。爆風か何かだったんだろう。助かった――と思う反面『助かってないじゃん』と私は心の中で叫びを上げるしかなかった。
海面に叩きつけられる――。どっちにしても死ぬんだ。
ごめんなさい。ごめんなさい。呪文のように誰ともなく心の中で謝りながらぐっと歯を食いしばり目を閉じる。耳から入ってくるのはごうごうと風を切る音。皮膚に感じるのは空気の冷たさ。
えっと。まだ?
叩きつけられる衝撃はまだなの。
痛いのだろうか。一瞬だといいなぁ。諦めモードでそんなことを考えながら両手を合わせた。まるで神に――この国で言う竜――祈るようにして。
どうか皆が幸せでありますように。なんて殊勝な事を考えてみる。なんか良いことを願ったら得を積めるかななんて?
……。
……ん。
……えっと。
……長くない?
まだですか? あ。もしかしたら死んでいるのだろうか。私は祈りの体制のまま固まっていた。
とは言え、相変わらず風切り音は続いているし、身体を包む空気も冷たい。しかしながら落ちる感覚はそこには無く、どちらかと言えば浮遊しているような気がする。
耳元で鳥が羽ばたく様な――にしては大きいが――音が聞こえてかっと目を見開いていた。
「は?」
見えるのは一面の夜空。首都で見ることのできない、まるで田舎に居た頃に見た空枷そこにはある。掴めそうで掴めない。星空に手を伸ばして傷だらけのそれに現実なのだと漸く気付いた。
「え?」
なんで――。という前にばさりと翼が揺れる音にかき消される。
翼。いや。羽根だ。蝙蝠よりも白い大きな羽根で広げれば男性が二人程容易く入れそうな気がする。その羽根から考えれば私が座っているのは背中だ。白いうろこは氷のようだったがその下に血が通っているのだと分かるくらいには温かかった。そのままのを滑らせれば長い首。蜥蜴よりも凛々しく大きな牙。甲冑を被った様なごつごつとした顔には薄い青色の両眼。それは私を見ると安堵したように喉を鳴らした。
その姿は神々しい。
私は軽く息を飲んでから在りえないと呟いていた。
だって、それは色こそ違えどいつか者が手足りの中で聞いた『竜』によく似ていたから。もう絶滅してしまったのに。
なんで。
「あなたは――っ」
と私の声をかき消すようにぐらりと竜の身体が揺らぐとどんっと隣に衝撃が走る。その様子を竜は不快そうに見ていた。
ぜーはー。と息を付いてからボロボロになってしまったオースは恨めし気に顔を上げる。
「お、お前っ。何処見てんだよ。落ちたらどうしてくれるんだ」
鳴らした喉が『うるさい』と聞こえたのは気のせいだろう。本来竜は喋ることなど出来ないが心を通わせたものとは会話が成り立つのだという。
ということは心を通わせている?
神さまと? 信仰心の薄い私でも『すごい』となるのは当然だと思うの。
「……止めろ。その尊敬の眼差しで見るの。言いたいことは何となく分かるけど違うからな? んな事より無事でよかった」
はー。とオースは息を付いて疲れた様に空を仰いでいた。ボロボロの身体。小さな傷は元より深い傷も多々あるようで血が衣服を赤く染め上げていた。ただ止血は出来ているようで竜の白い背中を汚すことはなかった。
「だ、大丈夫ですか?」
「ん。手当はしたから。大丈夫だろ?」
さして痛くないように平然と述べるオース。いや、痛いよね。って突っ込みたくなる。
ええと。
大丈夫なのかな? ……再びベッドの住人になるという予感だけはした。オースは大欠伸をするとごろんと背中に寝そべってしまう。再び竜が嫌そうに睨んだがもちろん意に返すことはなかった。
「疲れた。このまま帰るからアンタも休むといいよ」
「帰るって……竜。竜?」
今更ながら『竜ってなに』にたどり着く。
「それは――まぁ後でな。それより質問は一つだけど。俺眠いし。アンタはこれでしか移動できないし」
「……はぁ」
聞きたいことは沢山あるが何を聞けば良いのか。考えて遠くに離れ始めた魔法院が見える――どうなっているのか海上に浮かぶ城のようだ。それがガラガラと崩れるのを見ながら口を開いていた。
「ええと。あの、大事にしたくなかったのでは?」
大騒ぎな予感しかしない。修復は出来るのだろうか。……自慢してたから出来そうだけれども。
「結果無かったことになっただろ」
泰然と言って退けるオース。……そうなんだろうか。無かったことにはなっていないような気がするし、その理論はちよっと強引なような。私は頭を捻るが、狸寝入りを決め込んだオースがそれ以上話すことは無かった。
竜だけが慰めるように『ぐるる』と喉を鳴らしてくれる。それに『ありがとね』と告げて私は大空に目を向けた。
風を切って水平線を行く――夜が明ける迄。
天井では明けの明星が輝いている。




