詩片の狭間 赤銅の残り火と風の囁き(ピリマ)
王子授乳せし大地の鎮護の杜を背に、雷鳥は再び、黄金の砂塵舞う空を突き抜け、雲上へと舞い上がった。
船内に以前のような賑やかさはない。空座となったヒメの定位置が、刺さるような空白となって一行の胸を突く。
ヤチホコは操縦桿を握る右手の感覚を、一つ一つ噛み締めて確認した。
「打ち直霊」した鈍い赤銅色の輝き。それは外傷の瘢痕ではなく、「誓いの覚悟」が脈動する、重く、熱い桎梏だった。
「……痛みは、ないの?」
無防備の背より声をかけられ、ヤチホコは思わず肩をすくめる。ミチヒメだ。
彼女は先程の抱擁の残り火を振り払うように、努めて冷静な、指導者としての眼差しで彼の右腕を覗き込む。
「痛み……というよりは、重いです。この腕だけ、異なる理の重さが課せられている様な」
「……当然よ。それはもうただの身体じゃない。あなたの『想念』で強引に打ち直霊した、師匠の宿るこの籠手、そしてあなたの剣同様、『生命之法具』だもの」
ミチヒメはヤチホコの横に座り、窓下に流れる雲海を見つめた。
「……さっきは、あんなこと言ってごめんなさい。でもね、ヤチホコくん。あなたに何かあったら……。その、誰が『詠い直霊』するのよ。心配しているこの『想い』……忘れないで、ね」
「はい。……貸し、一つですね」
真っすぐ見つめ微笑みを携えるヤチホコに、ミチヒメは一瞬だけ顔を赤らめ、「二つよ、もう!」と顔を背けた。そのやり取りを、やや後方の座で班勇とオオトシが静かに見守っている。
「……聴こえる。湖も……叫んでる」
窓際に張り付くようもたれ掛かっていたスセリが、低く、透き通った声で呟いた。
観ると、閉ざされた船内にも関わらず、小さな風の渦がいくつも生まれては消えていく。
「スセリ殿、貴女の『風』を徹し、王の想いが顕れている様であるな」
班勇が歩み寄り、彼女の隣に立つ。
「彷徨える湖は、ただの水場に非ず。それは「豊穣の至純」。風が淀めば、水は腐り、大地は死ぬ。管理者共が仕掛けた『乾上がり』は、この地の廻りを根本から絶とうとする、邪悪な記述でありまする」
「ボク、わかるよ。……おとうさまの嵐とは違う。もっと、冷徹な、鋭い風。班勇さん、ヤチ、急ごう。風の王が力尽きる前に」
ヒメの喪失時、己の無力さの痛感したスセリの中に「二度と喪わない」と言う覚悟の想いが芽生え、静かに、しかし確実に力強さを増しているのが、緋色の糸より流れ込み、ヤチホコの腕枷鎖が鈍く輝く。
「ミケヒコ、ミヅチちゃん。……大丈夫?」
ヤチホコが後方を向き二人へ声をかける。
ミケヒコは膝の上に置いた拳を固く握りしめたまま、前を見据えていた。
「……むろんだ。純陀翁に言われた通り、『風』は止めさせぬ。ヒメに代わり、オレの火で皆の道を照らしてみせる。……もう、二度と遅れは取らん!」
その隣で、ミヅチがヤチホコの右腕を労りを籠めて見つめ、小さく、しかし力強く頷いた。
「ミヅチも、おにいさまの『誓い』と共に。……『至純之水』、絶対に持ち帰りましょうね」
ヤチホコは、ミヅチの頭を優しく撫でて、己の腕枷鎖を強く握りしめた。
「……恐らくあの渦巻く嵐の下かと思われまする」
班勇の指す先、雲海が暴れ狂う姿が観える。
彷徨える湖、ロプノール。
そこには、世界の理を書き換え水を奪わんとする「管理者」と、誇り高き「風の王」が待ち受けている。
「詠いましょう、皆。……僕たちの覚悟の詩を!」
雷鳥の翼が、決意を乗せて急降下を開始した。




