第13倭 黄泉平坂、混濁に捧げる詩
天之鳥船「雷鳥」は因縁の地、「葦原の国」へと降り立った。
意宇国の湖、宍追いし道の東、中海南側に広がるその地は、眼前に広がる穏やかな紺碧と裏腹な様相を顕していた。思い出の地は、あの不自然な亀裂から噴き出す、管理者の「絶望の記述」による、全てを無に帰す「昏き闇」に蝕まれていた。積み上げられた積年の「禍々しき想念」が、天を貫く漆黒の石柱と化して聳え立つ。
だが、それ以上に、「記述」の侵蝕を、阻み、抗い、真っ向から弾き返し、荒々しく峻烈に轟く、「雷鳴の如き気配」に満ち溢れていた。その雷鳴の先に、遥か地底まで続くような、大地の裂け目が観えてきた。
「……観じます。ここの……遥かな深淵で……「終焉の記述」に抗い続けている巨大な『意思』……!」
ヤチホコが「観之眼」で、裂け目に生じている「空間の歪み」を捉える。すると、あの「始まりの遺跡」にも似た、巨石造りの見事な彫刻の施された荘厳な門が顕れた。それはかつて「希望の器」の為、己が身体を捧げたスサノヲが隠遁し、復活の刻を待ちながら神威を蓄え、管理者の「記述」を「詠い直霊」て阻み続けている聖域――「根源の国」への閭門であった。
「お父さま……。ずっと独神、あの恐ろしい記述と戦っていたのね……」
スセリが震える声で呟いたその瞬間、大地を揺るがす咆哮が、雷鳴の如くヤチホコ達の脳裏を撃ち抜いた。
『――来るが良い、我が娘よ。そして、外なる魂を持ち、今世の我が息子でもある「希望の器」よ! 我が残滓、荒ぶる氣力を遣い、スセリの「脆弱な隠れ蓑」を……「真なる神器」へと詠い直霊さんが事、真に叶いしか、己が想念をわれの前に顕せ!!』
声の主は観えない。だが、その圧力だけで周囲の空間が歪み、アメノオハバリが、畏敬を顕す様に震え、鈍色の光を放つ。
「スセリちゃん、行きましょう。……カンナ、聴かせてあげましょう。詠い直霊された僕達の『希望の詩』を」
「ヤチホコ様……。もう逡巡しません。必ずや響かせましょう、その声に秘められた想いと共に」
意を決したように、凛とした音を響かせてカンナも応える。
「怖い……嬉しい……懐かしい……? わからない。ボクは……どうしたいの、されたいの……? 苦しい……胸が、痛い……」
紺碧の瞳に血に塗れた紅が、割り入る様に明滅し、混濁を露わにスセリが呟く。黙って優しく手を握るはミチヒメ。
「……自分を信じて。あなたの……ヤチホコくんへの『想い』を、ね」
「ここはおれ達が護っておく。余計な事は考えず、安心して行って来い。スサノヲさまに宜しく伝えてくれ」
「……刻を超えた再会が、幸多きモノになりますよう、ここより祈りを籠めてお待ちいたしますわ。ご武運を」
タカヒコ達に入り口の護りを任せ、門を潜り坂を下りてゆく。途中、観えない抵抗感があったが、構わずに進み降りて行く。最深部にある千曳の岩に、堂々と座する巨躯の姿が。白銀のうねる長髪を靡かせ、数多の戦を潜り抜けてきた傷だらけの逞しい身体。始祖須佐の王。その手に握られるは、立派な真輝銀の輝く剣。
以前、今世の彼の父フツノミタマは、「供犠の神剣」を嘆き、己が身を「剣之神威」と化した。その苛烈さを見届けたスサノヲが、考え抜いた末に編み出した結晶がこの剣である。それは、「大いなる真理」より、自ら望んで宿らんと欲す魂を「神降ろしさせた神剣」、『アメノハバキリ』であった。
「……『ここ』だとボクでも霊体が……『観える』。ご無沙汰ですお父さま、スセリです……凄い傷……。どれだけの刻をお独りで戦ってきたのでしょう……」
「彼の女神に苛まれつつも、良くぞここまで来れたであるな、我が愛しき娘スセリよ。そして……ほう。供犠の罪業を己が『詩』で直霊たか。我が前世の父神、根源神威の魂を受け継ぎ、彼の刻でさえ成し得ぬ『記述の超越』を、今世、成し得つつあるか」
振り向いて喜びを顕したスサノヲは、ハバキリを構えるや否や、峻烈な氣当たりをぶつけてきた。
「その偉業は認めよう。しかし、幾万の刻を『独神』護り抜きしわれの想い、この手にあるハバキリの『覚悟』、これらを超越する事出来ねば、娘に眠りし前世の母神、『怨嗟の破壊』を詠い直霊せん事など到底叶わぬ! 受けてみせよ! 『慈愛の荒神』!!」
大地を踏み抜き、猛りしスサノヲが強烈な一撃を放つ。それは、世界を護らんと、「無慈悲な記述」を断ち切らんと欲す、愛と怒りの想念の一撃。その想いの丈が力の奔流となり、ヤチホコに襲い掛かる。目覚めさせたカンナを握り締め、スサノヲの痛烈な「想い」を受け止める。
「――くっ! なんて、重い……こんな『想い』を抱えて、永き刻をたった独神で……!」
「われ同様、そなたにこの世界すべてを背負い、愛し、護り抜く気概は在らんか否や!」
ただ独神、世界の崩壊に陰で抗い続けてきた存在の叫びが猛る!
「うぅっ! わ、解りません! でも、今、目の前にいるスセリちゃんを救いたい……! その『想い』だけは間違いありません! カンナ!」
ヤチホコは、裂帛の気合でスサノヲの剣撃をはじき返し、剣を振りかざして、溢れる想いをカンナに籠めて『詠い』上げた。
「――虚空を以って『絶望』を『希望』で包まん! 響け、僕の『愛の想念』!」
澄み渡るような美しい旋律が空間中に響き渡る。それはスサノヲの放った「永劫の孤独」を、柔らかに包み「詠い直し」ていく……。
「なっ……われの神威を……包みて、和したりか!?」
驚愕したスサノヲは、刮目してヤチホコとカンナを見据え、緩やかに剣を降ろし気勢を治める。その眼からは、幾万の刻の孤独を洗い流すような、清々しい一筋の滴が頬を伝う。
「猛りを以って抗うならば、儀は成り難し。されど……この『想い』ならば……許されし刻無き今、『四氣』足りぬれど、砕けんが前に我が娘を、真なる神威の器へと、『詠い直霊』叶うやもしれぬ……! 父神殿……そして外なる魂をも宿せし我が愛すべき息子、ヤチホコ(希望の器)よ……。われもしかと見届けよう。因縁のこの岩に封ぜし、我が虚空の氣力をも用いて、『目覚めの儀』、取り計らうが良い!」
黄泉平坂最深部、その先に広がるは、理の外側にある「虚無」の空間。この、現世と幽世を繋ぎ封じる存在こそ千曳の岩。幾万の刻の中、スサノヲが管理の記述を打ち砕かんが為に、封じ蓄え続けてきた彼の虚空の権能眠りし処。意を決した表情でスサノヲは、己の相棒を千曳の岩へと突き立てる。岩に奔った亀裂より、この根源の国を覆いつくさんばかりの「虚空」が噴き上がり、岩を太極に据え、八卦の陣が展開されていく。
「……始めるぞ、ヤチホコ、いや『神謡者』よ、我が封ぜし虚空を以って儀を成せ。ハバキリを『巾木』と成し、至らぬ『四氣』を補え! 間隙を縫い、我が娘を蝕みし絶望の記述を『詠い直霊』せよ!」
スサノヲの咆哮と共に、紅蓮に輝く彼の猛々しい「虚空」が、岩はおろか、八卦図すべてを覆いつくして吹き荒れる。
「……スセリちゃん。必ず助けてみせます。これからも一緒に希望を詠う為に! カンナ! 参ります!」
震えながらも懸命にうなずくスセリを、ヤチホコは優しく抱きしめ、父の剣の元へそっと寝かせ、白銀の氣力を噴き上げてアメノオハバリ(カンナ)を天へと翳す。呼応する様に、吹き荒れるスサノヲの権能が急激にカンナへと集束していく。
「……『大いなる真理』よ……我、新たなる神謡者、ヤチホコの名を以って願う! 我が虚空に応えよ! この優しき器、砕かれんが前に盤石なる神威へと――『詠い直霊』給え!」
白銀と紅蓮、二つの交錯する「虚空」が、煌きながらスセリの身体の理を紐解いて、新たに「産霊」上げていく。骨、筋、氣力徹りし経絡、霊力徹りし霊絡、そしてそれらを神威と成す魂……。「父の相棒」を守旧の右手に、変革の左手に「カンナ(オハバリ)」を掲げ、ヤチホコが詠い直して行く程に、スセリの身体は管理者の干渉を一切受け付けない、「真なる神威の器」へと昇華されていく。
(……ああ。……これだったのね。ボクがずっと恐れいていたのは……)
すべて解かれ混沌の海に沈みゆく中、「スセリの想い」を護っていた「脆弱な器」が神威へ近づく程、封じられし「イザナミの想い」が鮮明に浮かび上がってくる。
かつてのイザナギとの幸せな日々……。突然湧き上がった想いによる争いと別れ……対立……。最後「破壊の記述」に侵されたまま、荒れ狂う『四氣』を振りかざし、己の伴侶を『輪を廻ら』せる寸前まで追い詰めし事……。間隙を突き、彼女を抱きしめたまま、己諸共オハバリで貫いて終わらせたイザナギ……。
「書き換え」られ、保管されし魂を、身命を賭して外に送った子神達。
『――イヤよ、もう二度と「輪を廻ら」せないで……。わたくしがちゃんと止めを差し上げるわ……。貴方を、その剣を、そして世界を……。その果てで、二神で嘲笑いましょう……』
昏き紅の眼に光る鈍い銀色の瞳。スセリの口をついて背後の女神の幻影が、血の朱に塗れ嘲笑する。器から迸るはまごう事なき神威の威厳。しかしそれはあまりにも昏く、激しく、夥しい流血を想起させる、「根源の怨嗟」の紅に染まっていた。「器」は昇華されたスセリだが、四氣を欠いた空虚の間隙に、植え付けられた「怨嗟」が黄泉還る。
「スセリ、ちゃん……?」
「……触らないで! 今の『わたくし』……ボク、には、ヤチが……『貴方が』……『壊すべき的』にしか観えないの……。ボクの中の彼女が……もう耳元で囁き(ピリマ)を投げかけてくる……! 『……ゥフフッアハハハ!』」
辛辣に叫ぶスセリ、そして内側から沸き上がる昏き嘲笑に呼応して、根源の国全体が荒れ狂う。その瞳は、彼を愛する一人の乙女のものではなく、世界を呪う破壊の女神のそれへと変貌していた。
「は、母君……! しかしその気勢顕す彩りは――呪われし根源の巫女! 積み上げし我が力以っても足りぬ、か……。器は相成れど、『四氣の誓約未然故の代償。このままでは、彼の『偽りの怨嗟』を書き込まれし『災厄女神』の再臨になりかねん! 已む無き……。ヤチホコよ、刻が無い。『男』としての『乙女』の愛し方を授ける。それは……美しきも愛しきも、咎も過ちもすべて共に分かち合い、包み込む事なり! 受け取れ! 『緋徒乃詩』にて管理の扉開き、この神呪を成せ!」
イザナミを確信し、愕然として俯き跪いていたヤチホコを、スサノヲの檄が雄々しく揺さぶる。
「ち、父上!? それは一体どの様な……?」
「虚空にて詠い上げ、扉開きてオハバリを己が胸に向け誓え! すべてを永遠に分かち合わんと!」
スサノヲがヤチホコの懐を剣で指し示すと、石版が青白く輝く。そこに浮かぶは……「永久にすべてを分かち合う神呪」であった。
「……わかりました。詠います! スセリちゃん、中にいるであろう楓ちゃん、そして前世の妹、イザナミ……。僕は君達を、怨嗟の闇から救い出してみせます。その為なら……スセリちゃんの『盾』にも、イザナミの『枷』にだってなってみせます! 『緋徒よ!……』!」
ヤチホコはカンナの切っ先を己の胸に向け、「緋徒乃詩」を詠い、権限の扉を強制的に開いていく。放つは自らの魂とスセリの深淵とを直結させる禁忌の呪、『一蓮托生呪』……!
「――虚空に睦まじき緋き糸を紡ぎ、我が身命を賭して昏き闇を覆い隠さん。……苦しみも、怨嗟も、すべて分かち流転の果てまで『一蓮托生』に!」
カンナを徹し、ヤチホコの胸から鮮烈な緋色の一条が放たれる。それはスセリの四肢を、優しくも絶対的な力で「編み上げ包み込んで」いく。すべてが編み込まれた光条に包まれた瞬間、スセリから噴き出るイザナミの狂気が和らぐ。立ち昇る狂気が、ヤチホコが彼女を「想う」熱量で中和され鎮まっていく。
「……ヤチ……。あつい……すごく、あたたかいのが……ボクのなかに……」
スセリの瞳に微かに光が戻り、彼女は崩れる様にヤチホコの腕の中に沈み込んだ。彼女の苦しみ、そして管理者に書き込まれた怨嗟のすべてを、今、ヤチホコがそのすべてで受け止めていた。
鎮まり返りし千曳の岩。アメノハバキリを納めたスサノヲが、優しくも険しい眼差しで、スセリを抱え膝をつくヤチホコを見据えた。
「……見事なり。しかし、この呪はそなたの身命を削り取る。流れ落つる『刻の砂』は止まらぬ。ヤチホコよ、向津日霊女の元に戻り、書状を受け取り雒陽へ向かえ。賜りし導に従いて、更なる西の果てに聳えし、『天地を貫きし叡智の聖塔』を目指せ。彼の扉を開き、世界の終焉を詠い直霊す為の『聖なる詩片』を手に入れよ」
逞しく巨大な指で、宿命の星々を指し示す。
「扉を開くには、根源神威に匹敵せん、強き『五大』顕す事を要す。……地、水、火、風。彼らの誓約を叶えよ。そして、儀にて喪わんが前に、『ヒルメ』が遺せし根源の氣力、霊力と手を取り合い、高めし力を、そなたの虚空で纏めあげて放たれよ。さすれば伝説の扉は応えるであろう」
スサノヲは言い終えて、ふと宙を睨め据える。すると、瞬く間に八卦図が虚空へと展開され、鮮烈に煌きながら回転し始めた。夢幻に移ろう卦の連綿なるさまより、「世界の記述」を読み取ったスサノヲが、最後の伝言をヤチホコに託す。
「……我が息子が一人、オオトシへ。『共に征け』と。旅の中、必ずやそなたの、われより受け継ぎし『血脈への誇りと力』が必要たらんと。我が想い、しかと伝えんが事、頼むぞ」
ヤチホコは、スサノヲの眼を真っすぐ見つめ深く頷き、眠れるスセリを抱えて立ち上がる。
「父上……そしてスサノヲ。我を呼ばんが為、そなた等が身命を賭した事、決して無駄には致しません。この『僕』が、すべて成し遂げてみせます……!」
「征くが良い。我が父神殿、そして我が魂の炎継ぎし、若き希望の器たちよ!」
スサノヲに見送られ、スセリを背負い地上へ還ろうと坂を上がる。来た刻同様、奇妙な感覚の処を抜けていく。振り向くと……「観之眼」無しにスサノヲを観れなくなっていた。
(そうか、『此処』が現世と幽世の境界……!)
スセリを背に地上へ還ったヤチホコは、タカヒコ達と合流する。雷鳥は東方より昇る陽光と共に、キクリ達、そしてオオトシを迎えに飛翔する。微睡みの中、微かに眼を開き、朝の日差しを観るともなく見つめ、朱に染まる紺碧の双眸。
(その眼の色……! いいえ、必ず、紺碧を、深紅を救ってみせます!)
美しさが先立つ筈の輝きが想起させる不安を払拭し、ヤチホコは雷鳥の翼を、黎明の空へとはためかせた。




