第9話 バイトに初出勤
店長は津宮さんに対して答える。
「だって椿ちゃんと物部くん、何かひと悶着あったみたいだし」
思わず「あっ」と声が出そうになる。
ひと悶着と言うほどの出来事ではないけど、何もないとも言えない。
というか、俺から弁明も詳細も話すべきじゃない。
津宮さんは、この間あったことを思い出したのか、頬を赤く染めていた。
「だ、大丈夫です……あれは私の勘違いのせいなので、問題ないです」
「了解! じゃあ、物部くん。合否の連絡は数日中に」
「あ、はい! わかりました。今日はありがとうございました」
俺は深くお辞儀をして、店から出ていった。
津宮さんに話を振られたときはどうなるかと思ったけど、手ごたえは悪くない。
後日、パン屋から連絡が来て無事採用になった。
◆ ◆ ◆
放課後、俺は背筋を伸ばして座っていた。
採用連絡後、すぐに初出勤の日が決まった。
流石に攻略本にパン屋バイトのコツなんてものは書いてないのだが……それでも起きるイベント一覧というものは書いてある。
バイト初日から起きるイベントもあるので、まじで色々と緊張している。
「およ? 物部くんがゲームやってないなんて珍しいね」
「まあ、最近は現実がゲームみたいなもんだから……?」
緊張のあまり変なことを口走ってしまった。
俺はこの世界がギャルゲーだって知っているけど、みんなは知らないし、知らせていいはずもない。
そんな俺の都合はともかく、頭のおかしい発言なのは変わらない。
「現実がゲーム……凄く素敵だね!」
だけど、柿森さんは同意するように頷いてくれた。
何かかが琴線に触れたのだろうか。
「現実が最近の物部くんにとってみれば、ゲームくらい楽しいってことでしょ? やっぱ人生エンジョイしてこそだよ!」
明るい柿森さんらしい言葉。
確かに俺はこのギャルゲー世界を楽しむために、頑張ってるんだ。
「柿森さん、ありがとう。じゃあ、そろそろ俺、行くから」
「あ、うん! また明日!」
ちょっとだけ緊張が抜けた俺は、学校を出てバイト先へと向かった。
◆ ◆ ◆
バイト先のパン屋に着く。
店内に入るともう既に、津宮さんがパンを並べていた。
「おはようございます!」
店内に誰もいなかったし、俺は津宮さんに元気よくあいさつした。
なんか調べたところによると挨拶は基本「おはようございます」と「お疲れ様です」らしい。
「あっ……おはようございます。店の奥で店長に従って着替えてきてください」
すごい事務的な対応だ。
いかに学校が同じとはいえ互いに面識はない……さらに初対面でやらかしてしまっているので話しかけづらいのだろう。
避けられている感はあるが、俺は話しかけないわけにもいかない。
俺の目的としての都合もあるけど、他にも理由もある。でも、とりあえずは津宮さんの指示に従おう。
「分かりました。着替えてきます」
俺は店の奥へと向かい、店長の指示にしたがって着替える。
赤いエプロンをつけてハンチング帽をかぶった。
「おっ、中々似合ってるね!」
「あ、ありがとうございます」
まさか着替えただけで褒められる。ちょっと嬉しい。
「じゃあ今日はレジの使い方を覚えようか。私は裏方作業があるから、やり方は椿ちゃんから聞いて!」
「わ、わかりました」
「おーい椿ちゃん! 物部くんにレジを教えてあげて」
「え!? りょ、了解です」
店長は俺を津宮さんに引き渡すと、すぐに裏へと消えてしまった。
ギャルゲー世界の都合の良さなのか、それとも店長が忙しいのか。
まあ、何にせよ。津宮さんと距離を縮められるチャンスかもしれない。
「今日からお世話になります。物部次郎と言います。高校二年生です。よろしくお願いします」
二人っきりになったので、一応自己紹介を。
これもやった方が良いって、ネットに書いてあったぞ!
「こちらこそよろしくお願いします。津宮です。じゃあ、店長に言われたとおりにレジの使い方を――」
津宮さんからレクチャーを受けた。
まばらに来るお客さんを相手にしながら、やり方を習っていく。のだが……。
人がいなくなったタイミングで、俺は思わず呟いてしまう。
「覚えること、多すぎません?」
「そうですかね? 売ってるパンの名前を覚えるだけですよ」
この店バーコードがパンに張っていない。
そのため、パンのバーコード一覧のような場所から読み取っていく。だけど画像も何もないし、商品名だけなので暗記する必要があるのだ。
「津宮さんはどうやって覚えたんですか?」
「…………食べて、です」
ちょっと俯いて恥ずかしそうに答えてくれた。
いまいち、言っている意味が分からないので、もうちょっと詳しく聞こうとしたら、店内にお客さんが入って来た。
「へえ~ここが椿ちゃんが働いてる店なんだぁ」
なんかガラの悪いおっさんが津宮さんの名前を出しながら入って来た。
津宮さんがごくりと唾を飲み込む音が聞こえた。
トラブル対応……それが初出勤時に起こるイベントの内容だった。
厄介事を起こすのが、今入店して来た男というわけだ。




