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006:魔王は悲劇を認めない

006:魔王は悲劇を認めない


SIDE フェニックス


それからしばらくたったある日の夕暮れ時だった。

そのころには完璧にリーナのスケジュールを把握していた僕は、いつものように日課をこなして彼女の勧誘に励む。


まずは僕をペットにしたがる例の幼女を「今日は忙しいのだ!また明日なのだ!」と威厳たっぷりにいなし、次にゴミ捨て場の覇権を賭けた野良猫とカラス連合軍との激闘を制し、ヤマさんと廃品回収で小銭を稼ぐ。

そして、その日の稼ぎで買った焼き鳥を片手に、僕は最終目的地へと向かうのだ。


近所の孤児院へ、売れ残りのパンを届けるリーナ。

その通り道にある、都合のいい路地裏。

ここが今日のステージだ。


僕は建物の陰に潜みリーナの到着を今か今かと待ちわびる。

程なくして、パンの入ったカゴを抱えたリーナが路地裏に差し掛かる。


来た!!

僕は偶然を装って、壁のシミを眺めているふりをしながら彼女の前に飛び出した。


「やあ、リーナ君!奇遇だね!」

「…またあなたですか」

リーナは心底嫌そうな顔をしている。

素晴らしい!このツンとした態度こそ、後のデレを引き立てる最高のスパイスだ!


「夕暮れの空気は寂しさを運んでくるね。そんな時には、魔法少女になると良いらしいよ」

「他を当たってください」

いつも通り、僕の完璧な勧誘文句はスルーされた。

彼女が僕の横を通り過ぎようとした、その時だった。


ふわり、と空気が変わった。夕暮れの温かい光が、急速に色を失っていく。

僕の本能が、警鐘を鳴らす。これはまずい!

「リーナ、逃げろ!」


「え?」

僕の、いつになく真剣な声に、リーナが戸惑いの表情で振り返る。

だが、もう遅かったようだ。


路地裏の奥、光の届かない淀んだ闇の中から、ズリ、ズリ……と、何か重たいものを引きずるような不快な音が響いた。


「……だれ?」

リーナが震える声で問う。


街灯の薄明かりの中に、ゆらりとその人影が浮かび上がった。

そこにいたのは、かつては貴婦人であったであろう、ボロ雑巾のような何かだった。


身に纏っているのは、カビと泥にまみれ、あちこちが破けた古びたドレス。

その隙間から覗く体は、栄養失調の老婆のようにガリガリに痩せ細り、骨と皮だけになった胸元には、あばら骨が浮き出ている。


「あ、うぅ……」

彼女の歩みは、まるで壊れかけた操り人形のように定まらない。

それも当然だ。

彼女の体は、あまりにもいびつで、アンバランスすぎたのだ。


まず、痩せこけた細い首の上に、バランスを無視した巨大な肉塊が乗っている。

本来の顎や口があった場所が異常に肥大化し、赤黒い『巨大ヒル』となってぶら下がっているのだ。

その重みに耐えきれず、首は常にカクリカクリと奇妙な角度で折れ曲がっている。


そして、右腕。

枯れ木のような左腕とは対照的に、右腕だけが丸太のように膨れ上がり、骨のない軟体動物のような『触腕』へと変貌していた。

指先は溶けて消失し、先端には無数の吸盤が蠢いている。

重すぎるその右腕は、彼女の筋力では持ち上げることもできないのか、だらりと地面に垂れ下がり、濡れた音を立てて引きずられている。


頭部の重みと、肥大化した右腕。

右前方に崩れそうな重心を、よろめく足取りで必死に支えるその姿は、痛々しくも、生理的な嫌悪感を強烈に煽る。


だが、唯一人間としてのパーツが残っている「目」だけが、異様な輝きを放っていた。

落ち窪んだ眼窩の奥で、血走った眼球がギョロリと動く。

その視線が、若く瑞々しいリーナを捉えた瞬間、羨望と嫉妬、そして耐え難いほどの飢餓感でギラギラと燃え上がった。


「……ほしい。……その若さが、その時間が、ほしいぃぃ……ッ!!」

喉の奥から漏れるのは、理性ある言葉ではない。ただの渇望の呻きだ。

彼女の胸元、骨張った胸の中心で『黒真珠』だけが、持ち主の生命力を食らいながら妖しく輝いている。


間違いなく『楽園の七つの棘』の成れの果て。

『刹那の黒真珠パール・オブ・エフェメラル』に魅入られ、心身のバランスを崩壊させながら彷徨う、哀れで醜悪な犠牲者だ!



「しまった!もう一体目が活動を…!」

リーナは目の前の光景が理解できず、その場に立ち尽くしていた。

悲鳴を上げることも、逃げ出すこともできない。

恐怖で足が縫い付けられたように動かなかった。


「おい、聞いているのか!早く行け!」

僕が叫ぶと同時に、怪物の腕が鞭のようにしなり、リーナに襲い掛かる。


「ぴぃっ!」

僕はありったけの力で飛び上がり、リーナと怪物の間に割り込んだ。

怪人はそんな僕をまるで蝿でも払うように腕を振って弾き飛ばそうとする。


僕の小さな体が、吸盤の腕に叩きつけられた。

衝撃で息が詰まるが、構うものか!


「ぐずぐずするな! 走れ、リーナ!」

僕は翼を広げ、刹那の思考で魔力を凝縮する。

展開したのは、幾何学模様が刻まれた真紅の障壁。

これが今の僕に出来る全力の結界だ!


だが、それはステンドグラスのように美しく、そして、あまりにも脆かった。


パァァァンッ!!

乾いた破砕音が響く。 丸太のような触腕の一撃を受けた結界は、一瞬の抵抗すら許されず、ダイヤモンドダストとなって派手に散る。


「ぴぎゃッ!?」

勢いは止まらず、僕はゴミ箱へと叩きつけられた。

べしゃり、と潰れたカエルのような音がして、全身の骨が悲鳴を上げる。


だが、止まるな!

思考するより先に、体は動いていた。

僕は壁に叩きつけられた反動を利用し、弾丸のように再び飛び出す!


痛みなど無視だ!

僕は怪物の腕にしがみつき、渾身の力でその肉にクチバシを突き立てる!

「これでも、くらえぇぇぇッ!!」


しかし。

ヌルリとした皮膚はゴムのように分厚く、僕の攻撃は蚊ほどの影響も与えられない。


怪人は僕を一瞥すらせず、ただ邪魔な埃を払うかのように腕を振った。

圧倒的な質量差。

再び宙を舞う僕を置き去りにして、怪人はその虚ろな瞳をリーナへと向けた。


怪物の腕が、ありえない速さで伸びる。

骨のない軟体動物のようにしなり、リーナの悲鳴を飲み込むようにして、その首筋に吸盤状の腕が巻き付いた。

そして、顔の中心にある醜悪な肉の管が鎌首をもたげ、彼女の無防備な首筋へと殺到する。


「あ……ぁ……」

声にならない悲鳴が、リーナの喉から漏れた。

リーナは最初はバタバタと手足を動かして藻掻いていたが、次第に力が抜けていき両手がたらんと力なく垂れ下がっていった。


リーナの体から、温かい何かが、大切な何かが、ごっそりと引き抜かれていくのが見える。

怪人は首筋に深々と突き刺した管から、ゴキュ、ゴキュ、とポンプのような音を立てて、彼女の「時間」を、その生命そのものを、貪欲に飲み込んでいるのだ。


見る見るうちに、リーナの体に変化が訪れる。

艶やかだった栗色の髪は、毛先から急速に色を失い、白髪へと変わっていく。

瑞々しかった肌は水分を失って乾き、細かな皺が浮かび上がる。

ほんの数秒の間に、14歳の少女は老婆のように変わり果て、その瞳から生命の輝きが完全に消え失せた。


怪人がリーナの首筋から顔を離すと満足そうに天を仰ぎ、醜い触腕をリーナから外した。

糸が切れた人形のように、リーナはその場に崩れ落ちる。

僕は、僕の選んだ最高の原石が、物語の始まる前に砕かれる様を、ただ見ていることしかできなかった。


…いや、まだだ。

まだ、終わらせない!


僕は地面に伏せる、枯れ枝のようなリーナへ駆け寄る。

そして冷たくカサカサになった手をとって、薄れていくリーナの精神の奥深くへと僕の精神を潜り込ませた!



Liner Notes

■Track 06

【分類】

  [[3]:世界観設定] > [[33]:魔導・技術理論]


【日本語名称 / English Name】

 世界干渉術『結界』 / World Interference: Kekkai


【概要 / Overview】

 世界そのものに接続し、局所的に物理法則を上書きする技術の総称。

 魔導における基礎中の基礎であると同時に、極めれば宇宙の法則すら書き換え、あらゆる事象を再現可能にする究極の奥義とされる。


【特性・スペック / Properties & Data】 (一例)

・空間障壁(Spatial Barrier)

 不可視の力場を形成し、物理・魔法攻撃を遮断する。  

 なぜか「六角形のタイルを敷き詰めたような演出」を好む術者が多いが、コレと言って特に強度が上がるわけでなく、むしろ計算負荷が高くなる。

 実は、バリアのどこかに一か所出来てしまう六角以外のタイルの強度は他より弱めになっている。


・仮想触手(Virtual Tactility)

 いわゆる「マジックハンド」。

 結界の端面を意志で操作し、離れた場所の物体に干渉する。

 手足の不自由な動物型の悪魔にとっては、文明生活を送る上で必須の技術となっている。


・属性置換(Elemental Transmutation)

 形成した結界の性質を「炎」や「雷」といったエネルギー属性へ変換する技術。

 防御壁に触れた瞬間に敵を焼き払う、あるいは結界そのものを攻撃手段として運用する。


・空間機動・飛行(Spatial Maneuvering)

 足場を空中に固定、あるいは重力慣性を結界によって制御することで飛行を可能にする。  ただし、連続的な座標計算が必要なため演算負荷が極めて高い。


・衝撃波(Shockwave Generation)

小規模な結界を、対象に向けて爆発的に加速・放出することで物理的な衝撃を与える技術。  熟練度が増すと、透明なままな方が有効なのにも関わらず、なぜだか術者のパーソナルカラーに合わせた「色」を付けたくなってくる。



【特記事項 / Secret Note】

 上位存在(神や大悪魔)が引き起こす「不可解な奇跡」の正体は、そのほとんどがこの結界術の極致である。



Tags: #結界 #世界干渉 #絶望展開 #バッドエンド回避? #ひよこ奮闘記 #刹那の黒真珠


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