007:一般少女は死にたくない
007:一般少女は死にたくない
SIDE リーナ
意識が、溶けていく。
手足の感覚も、路地裏の石畳の冷たさも、痛いという感覚も、もう何も感じない。
音も光もない、完全な暗闇の中で魂がなすすべもなく拡散していく。
もう私の心は人の形すらとどめていない、残っているのは消える寸前のむき出された魂の最後の灯火。
ああ、私、死ぬんだ。
パンの焼ける匂いも、お父さんとお母さんの顔も、もう、何も思い出せない…。
私という輪郭が、どんどん曖昧になっていく。
寂しい。
怖い。
誰か…。
私の全てが、無に還ろうとした、その時だった。
何かが私の中に入ってきた。
そして、その何かは暗闇から守ってくれるように、消えかけの私の魂をふわりと包み込んでくれた。
それは温かい光。
神様みたいに大きくて、恐ろしくて…なのに、なぜかとても安心する。
『――君は、このまま終わりたいかい?』
声がした。
消えかけた私の意識の、最後の灯のかけらに直接響いてくる荘厳な問いかけ。
でも、私はこの声を知っている気がした。
『君の温かいパンも、優しい家族も、友人たちとの語らいも、憧れのあの人との未来も、すべてここで終わらせていいのか?』
彼の言葉が、暗闇に波紋を広げた。
暗闇に溶けてしまったはずの記憶に、ふわりと色が灯っていく。
お父さんとお母さんの笑顔。
ソフィアやクロエとの他愛ない時間。
ユリウスさんの優しい眼差し。
……そして、夕暮れ時の路地裏で、いつも私を待っていた、あの小さな黄色い影。
そうだ…この声は…あの、おかしなひよこだ……。
この一ヶ月、毎日毎日、飽きもせずに私に付きまとっていた、変なストーカー……。
最初は不審鳥だと思っていた。
正直、少し鬱陶しいとも思った。
でも……いつからだろう。
夕暮れ時に、あの黄色いモコモコした姿を見つけると、少しだけホッとしている自分がいたのは。
一生懸命に翼をばたつかせて、私の気を引こうとするあの姿を、少しだけ「可愛い」と思ってしまっていたのは。
……けれど。
その愛らしい見た目に反して、口を開けば飛び出すのは、決まって呆れるほど自信に満ちたあの言葉だった。
『リーナ! 君には才能がある! 1000年に一人の逸材だ!』
『君のその『平凡』は、神が与えた才能なんだよ!』
『あまりにも『平凡』すぎて、魔王であるこの僕の目ですら見つけるのに苦労したくらいだ! 逆に神秘的ですらある!』
『何者でもない君だからこそ、何者にだってなれる! その類稀なる『凡才』を、僕のプロデュースで『伝説』に変えてみせようじゃないか!』
いつも偉そうで、ケンカを売っているとしか思えない失礼な誘い文句を並べて、私の周りをちょこちょこと飛び回っていた、あの小さくて温かいひよこ。
「魔法少女」だの「生き血」だの、変なことさえ言わなければ、友達になってあげてもいいかな……なんて。
……そうだ。
間違いない。
この温かさは。
この、私を包んでくれている懐かしい温もりは……あいつだ。
あのおかしなひよこが、消えそうな私を必死に繋ぎ止めてくれているんだ。
『……君は、このまま終わりたいか?』
さっき聞こえた声が、もう一度、心に響いた。
今なら分かる。
これは、彼の声だ。
『…やだ』
消えそうだった私の魂の灯火が、ほんの少しだけ、強く揺らめいた。
『……わたしは、まだ……死にたくない…… もっとみんなと笑っていたい。 恋だってしてみたい。』
『わたし……』
『……まだ、なにも……はじまって、ない……』
私の魂が燃え上がるのと同時に、私を守ってくれていた気配が大きく膨れ上がった。
暗闇を切り裂き、神々しくも恐ろしい、巨大な不死鳥の姿へと変貌していく。
「っ……!」
そのあまりの神々しさと、圧倒的な威圧感に、私の魂が本能的に縮こまる。
怖い。
生物としての格が違いすぎる。
今の私なんて、彼の吐息一つで消し飛んでしまう塵のような存在だ。
『ならば、契約しろ』
頭上から降り注ぐ声は、雷のように重く、絶対的な響きを持っていた。
それは拒否権などない、魔王からの「命令」のように聞こえた。
けれど。
彼は、そこから一歩も動かない。
優雅に、そして尊大な態度で、私に翼を差し伸べたまま、ただじっと「私の返事を待って」いる。
……どうして?
どうして、待ってくれているの?
もし彼がその気になれば、私の意思なんて消し飛ばし、力尽くで支配することだって簡単なはず。
その時、ふと、あの黄色い姿が脳裏をよぎった。
『今日はここまでのようだ!また明日ね!』
私の周りをちょこちょこと飛び回っていた、あの小さくて温かいひよこ。
ああ、そうか。
彼は、ずっとそうだったじゃない。
この一ヶ月、毎日毎日、しつこいくらい勧誘に来たけれど。
彼は一度だって、私に無理強いをしたことはなかった。
私が「嫌だ」と言えば引き下がり、私が無視をしても、ただ私の日常の端っこで、私の選択を待ち続けてくれていた。
この恐ろしい姿になっても、彼は変わっていないんだ。
どれだけ強大な力を以てしても、彼は決して「私」という個人の領域を土足で踏み荒らしたりしない。
いつだって、最後の最後は、私の言葉を、私の意思を、尊重してくれている。
『僕と契約し、魔法少女アルカナ・フレアとして戦え。そうすれば、君に再び命を与えよう』
『ここで終わるはずだった君の『悲劇』を僕と君とで『最高のハッピーエンド』に書き換えようじゃないか!』
彼の言葉が、胸に染み渡る。
それは、私を支配するための命令じゃない。
共に運命を覆そうという、対等なパートナーへの提案だ。
恐怖は……まだある。
足がすくむような威圧感もある。
でも、私はこの「魔王」の本質を知っている。
あの優しくて、紳士的で、ちょっと抜けている「ひよこ」こそが、彼の本当の姿なのだと信じられる。
フェニックスは雄大な翼を、慈しむように、ゆっくりと私へ差し伸ばしてくる。
あとは私がその羽に触れ、頷くだけでいい。
そうすれば、この壮大で力強い魔王の翼は、死の冷たい暗闇から私を容易く拾い上げてくれるだろう。
――けれど、ダメだ!
何故そんな風に思うのか、今の私には分からない。
記憶も、理性も、死への恐怖さえも、そのほとんどが既に暗闇に溶けて消えてしまっているはずだから。
今の私は、ただ消えるのを待つだけの、実体のない「何か」でしかないはずなのに。
けれど……
冷たい死の闇に晒されて、一切の装飾を剥ぎ取られ、最後に残った私の魂の雫が、仄かな熱を持ってこの温かな救済を拒んでいる。
理屈じゃないんだ。
これが、私が私で有るための最後の、そして唯一の「答え」なんだ。
この差し出された運命だけは、受け取るんじゃない、私が、私の意思で掴み取らなきゃいけないんだ。
それが、私であり。
それが、そんな私をあんなに求めてくれた、彼への、今の私に出来る唯一の信頼の証なのだから。
助けられる存在じゃなくって、助け合える存在になるために!
いつか、泥だらけになりながらも、彼と対等に笑い合いつづけるために!
「……待ってッ!」
叫ぼうとした喉は空気へと透け、掠れた声が暗闇を震わせる。
その拒絶の響きに、フェニックスの救いの翼が止まった。
驚きに大きく見開かれた彼の瞳が、私の意図を、傲慢なまでの覚悟を瞬時に汲み取ってくれた。
次の瞬間、その瞳に宿る光は色を変えた。
「保護者」としての憐憫が消え、一人の「共犯者」を見据えるような、鋭く熱い眼差しが私を射抜く。
差し出された熱を自ら拒んだ刹那、待っていましたと言わんばかりに、漆黒の寒気が私の存在を容赦なく奪っていく。
足元から、そして指先から。
私の魂の輪郭は脆い砂細工のように、虚無の風にさらわれて崩れていく。
視界も、音も、自分という概念すらもが急速に薄れ、意識の境界線が闇に溶け出していく。
五感も、記憶も、感情すらも希薄になり、今の自分が本当に「在る」のかさえ分からない。
正直に言えば、あまりの恐怖に、頷いておけば良かったと今更な後悔が脳裏をよぎる。
けれど、これほど限界の状況になっても、彼は動かない。
一歩も歩み寄らず、ただその黄金の双眸に、「お前なら、ここまで届くはずだ」という残酷なまでの信頼を宿して、私の足掻きを見守ってくれている。
最高だ!
彼は待っていてくれるのだ。
魔王に見初められた救われるヒロインじゃない、私が私のまま、その手を掴み取る瞬間を!
(まだ……まだ、私は、消えてない……!)
感覚の消えた右手を、あらゆる方向へ拡散している意識の熱を、ただ一点へと集束させる。
もう目も見えない、何も感じない。
でも、それでも、私はその「存在しないはずの腕」を、必死に、がむしゃらに前へと突き出した。
「わたしは……魔法少女に……なります!」
声にならない魂の咆哮が、暗闇を震わせる。
私の指先が、彼の黄金の羽に、確かに触れた。
だけど、私の意識はそこでぷつりと途絶えた。
限界まで伸ばした腕も、叫びの残響も、夜の海に落とされた一滴の墨のように、ただ静かに、闇へと溶けて消えていく。
あとに残ったのは、リーナという存在のすべてが燃え尽きたあとの、冷たく残酷な静寂だけ。
(ああ、私……もう、……何も残って、……)
思考が薄れ、言葉も闇に溶けていく。
最後に残った微かな魂の灯火すらも、虚無の深淵へと吸い込まれようとした、その時。
『あぁ…………。契約……成立だ』
沈黙の中、響いたのは、驚くほどか細く、震えるほどに熱い、彼の声だった。
それは、重々しい魔王の威厳を脱ぎ捨てた、こぼれ落ちたむき出しの言の葉。
自分でも制御しきれない慈しみに喉を詰まらせ、あふれ出す感謝と安堵を噛みしめるような、魂の震えがそこにはあった。
次の瞬間、死に絶えた空間を、フェニックスが爆発的な「熱」で焼き裂いた。
それは深淵に溶けた私の魂を、死の淵から力ずくで奪い返す「略奪」の炎。
漆黒の虚無を焼き裂き、黄金の業炎を纏った不死鳥が、絶望の底へとその鋭い爪を突き立てた。
『――キュオォォォォォォォン!!』
不死鳥が、その矜持さえ投げ打つような、狂乱の叫びを上げる!
暗闇を灼く猛禽の咆哮は、世界の理を書き換える絶対的な命令となって、死という摂理を力ずくで焼きち切り、闇の中に散逸しかけた私の「欠片」を強引に掻き集め始めた。
それと同時に、漆黒を塗り潰すように、視界のすべてに大小様々な黄金の魔法陣が展開された。
星々のように煌めく無数の術式が、奪い返した私の粒子を熱い命の炎へと変える。
その眩い火群は、銀河の深淵に横たわる私を目指し、一斉に集い、渦巻きはじめた。
何千何万という命の炎が複雑に絡み合いながら、私の形に編み上がる。
形を成したばかりの器を満たすように、闇にさらわれたはずの「私」の記憶と感情が、圧倒的な熱量を持って私の中へと流れ込んできた。
――大好きな父さんと母さんの、温かな手のひら。
――早起きした朝の、香ばしいパン屋の匂い。
――名前を呼び合って笑った、ソフィアとクロエとの何気ない日常。
――そして眉間に皺を寄せながらパンを選んでいるユリウスさんの笑顔。
セピア色だった断片が、灼熱の血が巡るたびに鮮烈な色彩を取り戻していく。
その光景の中に、偉そうでいて、誰よりも嬉しそうに翼を差し伸ばしてくる『ひよこ』の姿が重なった。
……ドクン!
停止していた私の世界が、その鼓動で動き出す。
それは単なる鼓動じゃない。
死の闇を払って、再びこの世に舞い戻った、苛烈なジェネシス(再誕)のリズムだ。
太陽みたいな黄金色の熱量が、聖なる血潮となって私の全身を駆け巡る。
フェニックスが絶望という名の灰の中から、私の新しい命を燃え上がらせてくれたのだ。
私はゆっくりと、瞼を持ち上げ、自身の胸に手を伸ばした。
指先から伝わる、爆ぜるような生命の躍動。
胸の中心で荒れ狂うこの灼熱のぬくもりは、きっと私とフェニックスの新しい絆の証なのだろう。
視線を上げれば、そこには黄金の炎を揺らす、雄大で不敵な不死鳥の姿があった。
もう、恐怖も絶望もどこにもない。
私は、自分の中に流れる彼の熱を感じながら、最高に生意気で、不敵な笑みを投げかけた。
それに応えるように、不死鳥もまた黄金の瞳を細め、満足げに喉を鳴らす。
交わした視線。
それだけで十分だった。
「「さぁ!行こう!相棒!!」」
その瞬間、祝福の光が爆ぜ、世界から冷たい闇が消し飛んだ!
さあ、ここからが私達の物語だ!
今、この世界に、新しい私達の産声が響きわたった。
Liner Notes
■Track 07
【分類】
[[2]:登場人物紹介] > [[21]:魔法少女・関係者]
【日本語名称 / English Name】
リーナ・サトウ / Rina Sato
【概要 / Overview】
王都立中央学校に通う14歳の少女。
実家であるパン屋『陽だまりベーカリー』の看板娘。
平穏な日常を愛していたが、黄色いひよこ(フェニックス)との出会いにより、数奇な運命に巻き込まれてしまう。
【特性・スペック / Properties & Data】
・基本データ(Personal Status)
6月30日生まれ(蟹座)のO型。
身長・体重ともに平均的だが、毎日のパン作り(重量のある小麦粉袋の運搬など)によって、同年代の少女よりも丈夫な足腰と意外と優秀な体幹を備えている。
・嗜好と特技(Skills & Tastes)
得意なことは「パンの陳列」。
好きな食べ物は『大空イカの塩辛』や『月光茸のクリームパスタ』
趣味は劇場鑑賞
・性格と弱点(Personality)
誠実で守ってくれるようなタイプが好み(例・ユリウス)。
座学(記憶系の教科)や、怪しい勧誘(フェニックスを含む)に対しては強い苦手意識を持っている。
【特記事項 / Secret Note】
彼女の密かな楽しみは、劇場鑑賞した際のチケットや記念品を日記に貼り付けてデコレーションすること。
将来の夢は「素敵な人と結婚して、平和に実家のパン屋を継ぐこと」
最近の悩みは「父親の臭いに言葉に出来ない苛立ちを感じる事」と、学校帰りにあやしい言動を繰り返すひよこに付きまとわれることである。
Tags: #魔法少女誕生 #契約成立 #アルカナ・フレア #平凡の才能




