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第四十八話:八月に横たわる謎

 それから僕は最寄りの警察署へ連行され、二日間に渡る事情聴取を受けた。当初は(みさお)さんの死に関与したのではないかと嫌疑の目を向けられていたものの、一部始終を目撃していた代表の証言により一応の疑いは晴れ事なきを得る。また科学技術規制委員会が秘密裏に県警へなにか交渉を持ちかけたみたいで、七日の晩に僕の身柄は解放されヘッドフォンは特別に許可が下り返却がなされた。

 遠縁の親族が語った内容では拝み屋のおばあさんは二十年以上前に不慮の事故と立て続く不幸により多くの債務を抱える天涯孤独の身となったらしい。しかし家を追われ借金取りに追われ人生にやけになりかけていたところを当時まだ弱冠ながら都の有力な霊能師として名を()せていた三八(さんぱち)のお父さんに保護されたという。心身の回復を待ったのち、長らく助手を務めた経験が幸いしたのか、絶望を味わい極限のなか活路を見出したのか、霊能の手練(しゅれん)を現しちょうど僕が生まれた翌年の春に免許皆伝に至り、のれん分けなる形で拝み屋になったのが主な経緯(いきさつ)であるとのことだ。

 しかしそのあとすぐ三八のお父さんが亡くなったため都市近郊の霊的相談は操さんが一手に引き受ける構図ができあがった。当初は師匠の仕事と身分を狙い己の手を汚さない方法で刺客を仕向けたと心ない懐疑的な見方をされただろう。けれど拝み屋のおばあさんは十数年の間ひたすら耐え続けたのだと僕は予想する。――自分の師匠を、命の恩人を葬った(かたき)たる猫又(ねこまた)を、みずから調伏せんと。

 操さんの葬儀は事情聴取を受けている裏でひっそりと執り行われたようだ。生前お世話になった人々が多数弔問しに訪れたけれど“拝み屋”の忌々しき名が先祖の墓に入ることを恐れたのか、遠縁の親族は遺骨の受け取りを拒否したと聞く。結果おばあさんは生前のゴタゴタおよび波瀾万丈を鎮めるかのごとく米才(よねざえ)の無縁仏を引き受け供養する私営の寺院の墓に納められ、静かな立地に身を休める運びとなったのだった。

 八月八日の八時前。僕は線香をあげに市内の山寺へと向け自転車を()いでいた。すでに陽は高く昇り、白亜の岩壁が照りつける日射(ひざ)しをはね返してきて黒毛の波に汗がにじみすぐさま乾いてゆくのを感じ取る。勾配のある坂を立ち漕ぎで登り通しやっとこさたどり着いた門の前には獣っ子一匹とて見受けられずひどく閑散とした印象だ。自転車を脇に()め、線香とライターを片手に門をくぐり、幾千もの墓石(はかいし)が立ち並ぶ青天井の霊園内部に足を運ぶ。見るからに迷いそうな中を操さんのお墓はどこだっけと思いながら眺めていると、ふと――どこかで嗅いだ覚えのあるようなお香の煙が鼻先をかすめる。風の向きを捉え気配(けはい)を追ってゆけば、そこには古寂(ふるさ)びた合葬墓と丁寧に供えられた仏花に、まだ火を()けられてそんなに時間が()っていないだろう独特のニオイを放つ線香が静かに煙をたなびかせていた。確かにこれは操さんの入った墓標で間違いない。けど僕より先にこんな朝早くいったい誰が。遠縁の親族か、古道具屋の店主か、それとも――。

 …………。

 まあいい。墓参りを済ませて早く研究所に行こう。しばらく顔を出せていないのだから。

 緑色の束を手に取りライターで着火し、香炉にまるごと供えた。墓前に手を合わせ目を閉じ拝み屋の冥福を祈る。頭の中でいまだグルグルとしているのは猫又のこと、三八の家族のこと、死に際にいわれた予言じみた言葉のこと。どれもこれも自分だけでは解決のしようがない問題だ。

(おばあさん……僕はどうすればいいのでしょうか)

 ♬♬♬♬♬♬♬♬~

 そのとき、スマホに着信が入った。目を開けてポケットより取り出し画面を見る。――三八だ。

 ピッ

『よォ、イッサ。元気か?』

「元気だけど今取り込み中」

『そっかそっか。そりゃスマンな。んで最近顔見せてねぇがどうしたんだ?』

「話聞いている???」

 丸二日ぶりに聞いた幼なじみの声。でも現在はいつもと異なるものが脳内に居座っていた。猫又が三八のお父さんの命を奪った事実、すなわち僕に取り()く怪異は三八属する人行潟(にんぎょうがた)家における仇敵(きゅうてき)といって差し支えない。平静を装ってみせるけれど、どう接したらいいかわからず内心ではうろたえる。ヤツは真相を知らないのか、本当に知らないなら先手を打つべきなのか。徐々に日射しが強くなり全身が汗ばんでゆく。

『こっちはさ、初めての“カイハツ”とやらが昨日無事うまく完成したってので研究所はお祭り騒ぎだったんだ。あのヨイチが大はしゃぎなもんだからこりゃイッサも呼ばねぇとって思って――』

「あ……あ、あのさザッパ。ザッパのお父さんって霊能師だったの?」

『え?』

 猜疑(さいぎ)をいかに解消するべきか判断をまごつかせている間に口が勝手に考えてもいないことをこぼしてしまう。電話越しに気まずい沈黙が走り、カナカナとこの時間帯には似つかわしくない(せみ)の鳴く声がいやに耳にこびりつく。向こうで発せられた疑問符に切り返す当てはなく発言をごまかす度胸はなく、押し黙る他ない僕に三八はあえて動揺を隠さず、しかし落ち着き払ってこう続けてみせた。

『イッサ……オレの父親が霊能師やっていたのを、その、どこで知ったんだ?』

「――それは今、ここでは言えないかな。ひとまず会って話がしたい」

『わ、わかった。イッサがそういうならオレは従うさ。すぐに家を出る。研究所で落ち合おうぜ』

 よろしくと通話切断のボタンに触れる刹那(せつな)、もう一つだけ確認したかった事柄が唐突に記憶の内にフッと降りてくる。操さんの館で見せてもらったあの写本はたしか三八のお父さんから譲り受けたものだったはずだ。であるならばその原本が人行潟家のどこかで(ほこり)をかぶり眠っているかもしれない。

「ついでにお願いしたいことが一つ。自分のヘッドフォンと似た紋様の載っている文献が、ザッパんちの蔵にないか探ってみてもらえないかな」

『別に問題ねぇけどよ、結局イッサのヘッドフォンってどうなったんだ?』

「……見つかりはした。でも、あまり形のいい見つかり方じゃなかった」

 ふたたび静けさが僕たちにできた隙間を通り抜ける。どこからか吹いてくるやわ風は誰かの子の墓前に供えられた風車をクルクルと回し始め、あたりにカラカラと哀切を交えた音がこだました。

『そうだったんだな。――すまねぇ。オレが居合わせなかったばかりに。けどさ、そう思い詰めんなよ? 安心しとけ。紋様が描かれた手がかりの一つや二つ、必ずや見つけ出してやるぞ!』

 こちらの浮かない心情を察したのか通話越しにケラケラと笑い出すやっこさん。違うんだ。僕は三八との関係がいつの日か最悪の結末を迎えてしまいそうなのが怖くて、下を向いている。どうか僕らの(きずな)にヒビが入らないことを、今はただ祈るしかできない。

『頼みごとは以上か? ……しょげてねぇでイッサも早く来いよな! 昼前には合流しようぜ?』

「わかったよ。それじゃ――あらためてよろしく」

 おうよ、の一言と共にこの一幕は意外とあっけなく幕切れた。ひとまず胸のつかえが取れて安心した僕は、一息つこうと水筒に入れていた麦茶に口をつけ喉の渇きを潤す。霊園は変わらず静謐(せいひつ)をたたえており、すり鉢状の地形に並ぶ墓石は亡き者を供養するための場であるにもかかわらずどこか無機質なイメージを与えてくる。……いつか獣と人が朽ちたとき、皆はどこへたどり着くのだろう?

「さようなら、操さん――切に安らかでありますように」

 カチャリ

 門に向け後ろを振り向くと肩にかけていたヘッドフォンは意味ありげに音を立てた。一人、いや二人分の形見となってしまったオーパーツの一種といわれる代物。もはや寝る前に聴く音楽でさえ得体知れずさゆえ不可思議なものとなってしまいそうだ。僕はふたたび自転車にまたがり、山道をゆるやかにくだり駅を経由して、みんなが待っているであろう研究所へとその行路を急ぐのだった。


 ウィーン

「イッサー!!! 会いたかったぜコンニャロー!!!」

「うわッ?!」

 グヮシャ

 正午よりすこし前、片南(ひらみなみ)研究所中央棟の入り口自動ドアをくぐるなりヤツに出くわし……という以前に待ち伏せされ跳びかかられ、反射的に裏拳が炸裂(さくれつ)する。けれど三八は(ひる)まず臆せず、これまでお預けを食らっていた分を取り戻すかのごとく体をこすりつけベッタベタに甘えてきた。こちとら暑苦しい外気をまとっているのに向こうはイヤじゃないんだろうか。空調が効いた館内が涼しい。

「もーどこをほっつき回っていたんだよダンナ~、ずっと寂しかったんだぜ?」

「だ……だから自分はザッパの旦那じゃないってば」

 今朝の出来事があった手前どんな顔で三八と接すればいいか悩んでいたものの、どうやらそれは杞憂(きゆう)だったみたいで思わず肩の力が抜ける。また六日の昼に七七(しちな)さんや四六(しろく)ちゃんと会ったときの記憶がよみがえってきてあの母親と家族仲あってこの息子なのだな――と、中学生らしからぬ感慨にふける他なかった。平たくいえば放任主義のなか自由奔放に育ってきたのだと予想立てをする。

「そんでここ二日の間にイッサのほうではなにがあったんだよ?」

「ザッパこそなにか手がかりらしい手がかりは見つかった?」

 僕たち二人は中央棟の廊下を歩きながら互いの進展について報告しあう。余市(よいち)陸斗(りくと)は工作場に出向いて“カイハツ”の最終チェックを行っているらしく館内はひどくガランと静まり返っていた。

「イッサが先な。ほれ、もったいぶらずに言ってみろよ」

「うーん、わかったよ。まずヘッドフォンを盗んだのは父親だった。自分が眠っている隙に部屋へ忍び込んで古物商に売りつけるつもりだったんだって」

「マジか。オレさ、イッサは好きなんだけどアイツのことすんげー嫌いなんだよな。感情的だし」

 実際やっこさんと父親とのファーストコンタクトは最悪だった覚えがある。僕がまだ都内に住んでいたころ三八が僕の家に遊びにきたさい、ヤツが棚からいかにも高額そうなウイスキーを落っことしたとたん、ニコニコと営業スマイルを顔に貼りつけていた父親が化けの皮が剥がれたかのように豹変し、大人げなく口汚く罵りあんたの家はどういった教育方針をしているんだと定番の文句で七七さんを呼びつけたんだっけ。

 と、そんな回想よりヘッドフォンの話だ。

「その一触即発な場面に拝み屋のおばあさんが唐突に割り入ってきて、 “私はヘッドフォンの紋様を知っている”っていわれておばあさんの館に案内されたんだ」

「あー、あれだろ? そこでオレの父親が霊能師だったのを明かされたんじゃないのか?」

「……話はそう単純ではなくて。ある文献を見せられたあと突如“お(はら)い”を始めるってなってさ」

 お祓いの単語に反応したのかヤツはピタリと足を止めた。廊下の突き当たりに差しかかった三八は息を殺し、モノクロの瞳に視線を交わらせてきてここだけの作戦会議に僕は巻き込まれる。

「おい――むやみにそのことを研究所内で話すべきじゃないとオレは思うぞ」

「え、なんで?」

「ヤゲンがいるからだ。それにイッサでお祓いとなりゃ――たぶん猫又関連だろ? すくなくともこの件で陸斗にいる胎児の怨霊とやらを刺激したくはないし、十中八九やべー事態だったろうよ」

 いや猫又と本当に因縁があるのは三八のほうなんだけど……とはとてもじゃないけれど口に出すのが(はばか)られた。本来なら相対する者同士が協力し合っているのが、今ばかりは奇跡的でならない。

「そりゃまあ。お祓いの最中(さなか)に猫又に憑依(ひょうい)されたかと思いきや窓を突き破って“科学技術規制委員会”を名乗る黒服集団がやってきて僕だけ連行されて、尋問を受けている途中に巨大な市松人形の怪物が襲いかかってきて、そこに――」

「イッサ、なあイッサ。しっかりしろ。大変だったのは十分わかったから結論だけにしとけ」

 ハッと気を取り直しヤツのほうを向く。三八は心配そうな面持ちで、こちらの様子をうかがっていた。流石(さすが)にここ数日の心労がたたったのか、いつの間に自分の世界へ入ってしまったみたいだ。

「ごめん。結論を述べると、拝み屋のおばあさんは死んだ。そして死に際に“人行潟先生は私の、霊能の師匠だ”って初めて明かされたんだ」

「……なるほどな。そんで今朝オレにその旨を伝えた、と」

「思いのほか長くなっちゃったね。自分がいいたかったのはこんな具合かな」

 結局話の核心には触れられるわけがなく、一連の報告をなんとか締めくくった。すなわち三八に多少の(うそ)をついてしまっているのだ。これがのちのち大きな軋轢(あつれき)とならなければいいのだけれど。

「おっし。じゃあオレのほうからも一つ、手がかりが見つかったぜ!」

「えっ」

 望み薄だと感じていた方面で予期せぬ吉報が届くと案外表情なるものは簡単にほころぶようだ。ヘッドフォンの紋様が人行潟家にあるとなれば操さんの言葉に嘘偽りはなかったのかもしれない。

「実はさ、実家にある古い蔵をダメ元で(あさ)ってみたら偶然それっぽい文献……ってよりか古文書が出てきてな。母親には蔵の物を勝手に出すなと再三注意されていたんだがコッソリ持ってきたぞ」

「ありがとう――その、中身はどんな内容なの?」

「あー……そこに関してすこし難があるんだ。イッサと一緒にヤゲンへ相談しようと考えていて」

 ここにきてヤゲンさんを頼みの綱にする姿勢に僕のなかで懐疑的な見方がやや強まる。あるいは古文書とやらは中学生では手に負えない代物であるとヤツは判断したのか。

「そ、そんな怖い顔すんなよイッサ?! ヤゲンは信用ならねぇが利用価値はあるってもんだろ?」

「ならいいんだけどさ。要するに、ヤゲンさんの研究室にザッパんちで見つけた文献を持っていくんでしょ?」

「そういうことになるな。オレだけじゃ心細いし、なぁ頼むぜダンナ~?」

 ヤゲンさんが信用ならない人物であるのはもはや事実といって差し支えない。一日(ついたち)の一件にしろ裏で暗躍した姿が容易に想像できる。六日の出来事にまで()んでいるとは邪推したくないけれど、事実がそうであったとてけっしておかしくない状況だった。ただヤツの主張するとおり他の情報通に思い当たるはずもなく、リスクはさておきヤゲンさんに相談するのが一番手っ取り早いだろう。

「……わかった。ザッパが望むのなら、自分はその責任の一端を担うよ」

「ん? やけに仰々しい言い方してんけど、――まあいいや。そうと決まりゃ研究室に急ぐぞ!」

 廊下最奥での会議を終えた僕らはヤゲンさんたちが常駐する研究室のある三階へ向け、観音開きの扉をくぐり入り口を通り照明の点いた階段をのぼった。フロアに上がると初めて研究所を訪れたときと同じく研究室の扉の上部にある小窓より煌々(こうこう)とした明かりが漏れておりなんだか懐かしい気分になる。僕が鋼板を三回ノックし、三八が研究室にいるであろうヤゲンさんに声をかける。

「おーいヤゲン。いるか~?」

「ヤゲンさーん。いましたらお返事くださーい」

 ドア一枚隔てた向こう側より物音がガザゴソと聞こえ始め、十数秒経たのちにセキュリティーロックが開錠され――ぼさぼさな髪の毛にいつにも増した猫背、ズレたメガネ、おまけにシカの枝角から羊のそれに似た器官に生え替わり耳がクマっぽいなにかに置き替わったヤゲンさんが姿を現した。なんだろう。腰をボリボリかいてすんごく眠たそうにしているのがすごい新鮮だ。ってよりこの人に眠いって概念が一応あるのか。

「んぁ? ……なんだ、一朔(いっさ)さんと三八さんじゃないっすかァ。お二方がここにおいでになられるなんて珍しいっすね~。なんか問題でもございやしたか?」

 ヤゲンさんはいつもどおりラフ極まりない口調で僕たちを出迎える。目の下にクマを作って疲れた顔を見せるあたり本職はここの研究員なんだなと納得せざるを得ない。

「体調が悪いんなら無理すんなよ……? そのー、実はヤゲンに相談したいことがあってだな」

「あーそうなら私にお任せくださいっす。どうぞ入ってくだせぇ、コーヒー()れるっすよ~」

 僕と三八は研究室に通されるなり――信じがたいものを目撃する。なんと、あの那仂(なりき)が部屋奥のソファーで丸まって毛布にくるまりスースー寝息を立てて熟睡しているのだ。ふだんのエネルギーが爆発しきっている姿との落差に、こんなかわいい一面があるんだと思わず感心する自分がいた。一方ヤツは体を震わしプッとふき出しそうになるのを必死にこらえている。コイツ、意地悪だな。

「連日の実験でよっぽどお疲れなんでしょう。所長は恥ずかしがり屋っすからむやみに起こすのは御法度っすよ? ほい、コーヒーできあがったんでこちらにおいでくだせぇ」

 ヤゲンさんは研究室における定番のごとく台所で水の入ったビーカーをガスバーナーで強く熱しコーヒーをマグカップに淹れ終えたところだった。那仂を起こさないよう細心の注意を払いながら僕たちは扉側のソファーに、ヤゲンさんはお盆に乗せた三人分のコーヒーをローテーブルに配置し窓側のソファーに、ゆっくり腰かける。まだ熱々の褐色の液体をすこしだけ口にし、ホッと息をつく。

「それで……ご用件はなんでしょか」

「ええっと、二日前に――」

 バシッ

「家の古い蔵でこの古文書を見つけたんが正体が知りたい。内容を確かめてもらえないか?」

 三八は僕が声を発するのを待っていたとばかりにリュックサックより“文献”を取り出し、机の上に出して見せた。どういうつもりなのかと左隣に座る白いオオカミに冷ややかな視線を送る。しかしヤツの目は“さっきもいっただろ、その話題はヤゲンにふらないほうが賢明だ”と、しかと訴えかけていた。

「……ご用件が二つあられるんでしたらお一方ずつお聞きしますんで、そう焦る必要はないっす」

 コトッ

 正面のケンタ・フラダイトはキョトンとした様子で僕ら二人のやりとりを見守りつつコーヒーを口に運びつつ、カップをローテーブルに置き(くだん)の文献を手に取りページをめくり出す。すこし落ち着いてからそういえばまだその古文書とやらを目にしていなかったと思い、あらためてヤゲンさんが注視する文献の表紙に目を向ける。そこには意外なことにたいへんわかりやすいあの紋様がデカデカと描かれており、逆に裏表紙のほうには僕の知らない細かな仮名(かな)とも象形ともとれるものがビッシリ書き記されていた。なるほど――どことなくおばあさんの館で見せられた写本と似通っているのが見て取れる。もしかしたらこの古文書が、あの写本における原本にあたるのかもしれない。

 ヤゲンさんはひとしきりページを読み終えたあと文献を机に置いてウーンと伸びをする。そのあとうなだれ大きくため息をつき、このように高らかに宣言した。

「こりゃあ私の手に負えませんわ」

 うすうす予想していた展開とはいえど好奇心旺盛な中学二年生が黙っているはずもなく、僕と三八はそれぞれ思い思いの疑問をぶつける。

「ヤゲン、お前は博識だと聞くけどわからないのはなんでなんだ? なにか理由があるのか?」

「正体もわからないのですか? ヘッドフォンに似た紋様が刻まれていて気になるのですが……」

 ヤゲンさんは軽く笑いメガネをカチャリと元の位置に戻し、顔を起こし意味ありげにヤツのほうへと視線を送る。その眼差(まなざ)しに“興奮”と言い表せそうな感情のうねりが(とどろ)いている様を僕はただ一人捉えた。

「――すこし長くなりますけどよろしいでしょうか」

 異形の研究員が前置きのあと語った事実とは以下のとおりだ。

 この文献もとい古文書とは、獣人固有の言語によって記された貴重な遺物の一つであるらしい。はるか大昔獣人が人間の先史文明を認識するまえ全種族が各々固有の言語体系を持っていた。しかしある石板がとある部族によって発掘されて以来まるで初めからそうであったかのごとく人間の言語が各地に伝播(でんぱ)し一方それぞれの種族の獣人が固有に持っていた言語体系は衰退の一途をたどり姿を消したという。

「あ! 人間の言語が刻まれた巨大石板のこと、授業で習いました。たしか名前はえーっと……」

「“カルタミナ・ストーン”だろ? ほれなんていうか――南アメリカで出土したっていうアレだ」

「あはは。お二方とも歴史はまだまだみたいっすね。でも、話はこれだけじゃ終わらないんすよ」

 そういった理由に伴って本来獣人が用いていた言語は主な史実より姿をくらましたものの、その前後に戦禍のあった地域ほど獣人固有の言語が彫られた土器や青銅器の破片などが出てくる傾向があり、獣人の発生した起源の解明がなおさら急がれているとのことだ。

 そういい解説を締めくくったにもかかわらずヤゲンさんは興奮を(あら)わに、こう続けてみせる。

「しかしながら私とて紙媒体でこういった言語が記述されたものがあるという報告は耳にした覚えがないっすね。もしかしたらこの一冊だけで既存の学説を覆す可能性すらあるやもしれないっす」

「ホントかヤゲン?!! そんなに価値のあるシロモノが家の蔵で平然と眠っていたなんて……純粋にワクワクしちまうぜ! 他になにかおもしれぇもんがないか、早く帰って確かめねぇとな」

 ヤゲンさんと三八が熱く熱く語らっている一方で、僕はといえばなぜそんな貴重そうな古文書にヘッドフォンと似た紋様が刻まれているのか、不思議でならなかった。このマークにはなにかしら隠された意味が内包されているのかもしれない。

 ヤゲンさんはふたたび文献を手に取りページをめくり、こうも弁じる。

「この体系は推定ですけどイヌ科、特にオオカミ獣人が昔用いていた固有言語と似通ってやすね」

 なにげなく述べられたであろう推察にもかかわらず、僕の脳内にかつて読んだ本のとある一節がふと思い起こされた。タイトルも著者も忘却したその本の記述に『オオカミ族は現文明の最初期に発生した獣人である可能性がきわめて高く、特にニホンオオカミの形質を持つグループにおいて獣人の“祖”と言い表すべき個体の血を強く引いている家族群が存在する仮説が提唱されている』という一文が載っていた記憶を、なぜだか唐突に思い出す。

 幼少期の僕からすれば不思議でしかなかった“オオカミ獣人をイヌ獣人と混同してはならない”なる世の中の風潮には、そういった理由があるのだと妙な納得をしたのが当時の感覚だった。しかし今になってその一節を掘り返すと隣に座っているやっこさんの存在がやけに意味深に見えてくることも事実といえば事実だ。

(ひょっとしたらザッパがその――いやいやそんなまさか)

 一人やきもきと考えを巡らせ悩んでいる間にもヤゲンさんと三八の議論は白熱し加速しとどまるところを知らない。冷静そうなヤゲンさんに対しヤツは机に身を乗り出し、尻尾をブンブン回す。

「相応のお時間を要するやもしれませんが解読を試みてみやす。内容がわかり次第お二方に先んじてお伝えするって話でよろしいっすか?」

「おうおうそうこなくっちゃな! これはヤゲンにしか任せられない仕事だから頼んだぜ!」

 しかし二人の会話がよほど大きかったのか、奥のソファーよりムニャムニャと寝起きであろう声が聞こえてくる。那仂がお目覚めの様子だ。

「ん……んぅ。か……カヲリ? そこに誰かいるのか?」

「おっ、ナリ――」

 瞬間――ヤゲンさんに僕ら二人は首根っこをつかまれスライディングと共に部屋の外へと連れ出される。あまりの素早さに驚く隙さえ与えられずポカンとする獣二匹にケンタ・フラダイトはフーとため息をつき、こう告げた。

「話の続きはまた今度にしやしょう。文献、コピーを取るのでお借りしやすね」

 ガチャリ ウィーン

 そう淡々と終わらせヤゲンさんは研究室の扉を閉じる。

 部屋の前で置き去りにされた僕たちは考えを再開するのにしばらくの時間を要したものの、ある“結論”が頭をよぎり互いの顔を見合わせ、二人仲良く(そろ)って同じ文言が口をついて出たのだった。

「過保護がすぎるでしょ!!」 「過保護がすぎんだろ?!?!」



「なんだなんだァ~? お披露目って割にはずいぶんと盛り上がりに欠けているんじゃねーか?」

 ここは第一工作場前。ヤゲンさんに留守番をお任せし、それ以外の僕含む五人が余市の招集により久方ぶりに集まって、中心には埃よけの布に覆われた“カイハツ”が鎮座する。三八がいつもどおりはやし立てるなかそのテンションに当てられ皆どこかそわそわと心待ちにしているようだ。

「ふふ……今日この記念すべき日に集まってくれて感謝する。俺たちはついに初めての“カイハツ”を成功させることができた」

 余市は上機嫌なのか意気揚々と僕らの前で高らかに演説をする。なんだろう……堂々たる姿勢に変わりはないのだけれど、ふだんの冷静沈着さが抜けやたらと格好つけているというか――平たくいうならば那仂みたいな饒舌(じょうぜつ)加減で弁じているのだ。なにか悪い物でも食べたんじゃないかと心配をぬぐえない。いったいこの三日間の裏でどんなドラマがあったんだろうか。

「それでは発表しよう――片南研究所における最初の“発明”、その名も『改式・穿天号(せんてんごう)』だ!!!」

 バッ

 埃よけの布が余市の手により勢いよく大袈裟(おおげさ)にまくり上げられ、とうとういわゆる“カイハツ”とやらがその全貌を露わにする。しかし姿を認めたとたん固唾(かたず)()んで見守っていた自分がすぐさまバカらしくなり、僕は落胆かつ困惑した面持ちをせざるを得なかった。どこをどう捉えたところで“発明”なる代物はただのありきたりな電動自転車にしか見えなかったのだ。という以前になんてネーミングセンスなのだろう。いつもの無骨っぷりとかけ離れたギャップといい中二病全開な命名チョイスといい本格的に余市がどこぞの所長の生き霊に取り憑かれたんじゃないかと不安になる。

「い、一朔さん!! これには深い訳がありまして……」

 そうとうゲンナリした顔色を僕は浮かべていたのか陸斗がすかさずフォローを入れてきた。(いわ)くこの電動自転車はヤゲンさんのサポートのもと余市と陸斗が一緒に主体となって改造を施し製作を行った初の発明品なのだという。聞くに那仂は開発に直接関わっておらず、ましてヤツに至っては要らぬちょっかいをかけるだけかけて、どうにもほとんど発明の概要については知らないらしい。

「それは大変だったね、自分がいなかった隙にザッパが粗相をしでかしてなければいいんだけど」

「そこはご安心ください。三八さんは一朔さんが不在の間ずっと寂しそうにされていましたから。それで、改式・穿天号の性能を確認したくて今はどなたかテストプレイに協力していただけないか乗り主もとい被験者さんを募集中なのです」

「諸君。開発成功の確証は運用試験あってこそのものなのだ、誰か立候補する者はいないかな?」

 工作場の軒下に潜んでいた那仂が、カツカツと靴を鳴らしこちらへ出向いてくる。大仰な口調でたいそうな御託を述べてはくれるけれど現実に則すのなら一見すると普通に見える電動自転車でも改造がされているとなれば話は別だ。まわりの様子をうかがいながらこんな怪しい自転車誰だって乗りたくないだろうと一人考えていた。

「ハイッ!」

 空気を打ち壊すかのような威勢のいいかけ声と共に、僕の手が己の意志に反し持ち上げられる。反射的に横を向けば真隣にヤツが立って同じく手をかかげていた。ギョッと硬直する黒猫と視線が合うなりアホはニカッと牙を()き不敵な笑みをたたえ、なんのついでなのかウインクまでかます。

(勘弁してよ)

 内心おそれていた事態に、臆した身体(からだ)は抵抗する(すべ)を知らず、また時すでに遅くあれよあれよと三八に引っ張られ僕は『穿天号』なる改造電動自転車の後方に座らされる。そもそも都の条例的にこのご時世二ケツはマズいだろうとツッコミという名の助け舟を乞うけれど、ここの連中がそんなささいなものを気にかけるわけがないと悟り、真っ白に(しな)びて己の置かれた状況をひたすら恨む。

「一朔さんと三八さん! ありがとうございます……けど、二人乗りでも大丈夫なんでしょうか」

「設計上問題ない。フレームを丈夫に作りモーターの熱暴走にも対策を施してある。心配無用だ」

「なあヨイチ、この“センテンゴウ”ってのはいったい普通の自転車とはどんな違いがあるんだ?」

 前方でサドルにまたがるやっこさんはいつの間にかバイク用と思しきゴーグルを取り出し装着し改造電動自転車のスイッチをオンにして、ブレーキやらギアやらをやたらめったらいじくり倒す。

「今んところチャリに変化はなんもねぇな。とりあえず、まずは漕いでみるか。おらしょっと!」

「あっ――」

「ん?」

 ギュイーン

 三八がペダルをかすかに踏んだときだった。モーターが突然けたたましいうなり声をあげたかと思えば、すさまじい加速度が体全体を襲い、刹那“魔改造自転車”は轟音(ごうおん)と共に工作場の敷地を突き抜けんとする。危機察知能力が発揮されたのか思わずヤツの背中に抱きつき衝撃に備えた。

「うぉッ?!」

 ブオー

 魔改造自転車――通称『改式・穿天号』はみるみる速度を増し、開発陣との距離が離れてゆく。

「穿天号は最大時速二百キロメートル出るのでスピードにはお気をつけくださーい!!」

 陸斗がそんなことを後ろで叫んでいる声が聞こえてくるけれどしょせんすべてあとの祭りだ。僕たち二人を乗せた“暴走自転車”は、今さらな忠告(むな)しく敷地を数秒要さずに縦断し、研究所の周囲を取り囲む(やぶ)の中に突っ込んでその行方をどこかへとくらましたのだった。



「あの様子じゃ穿天号はおそらく戻ってこないでしょう。余市さんは本当によろしいのですか?」

「なーに、ああいった試作機は何度も作ればいいのさ。俺はもっともっと改良を重ねたいからな」

「あはは。そうですね……一朔さんと三八さんには悪いですけど、余市さんが楽しいのならぜひ」

「諸君! その姿勢が開発にはとても肝心なのだ。片南の工学力、それでこそここに極まれり!!!」

 ポンポン

「へへ。(ねぎら)ってくれてありがとう、片南の所長さんよ――」



 僕らが工作場を()って、もうどれくらい時間が経っているだろうか。敷地を突っ切り藪をパワーのかぎりでなぎ倒し獣道をひた走る暴走改造自転車は、いつの間に公道へとおどり出たみたいだ。ここまで生きた心地がせず気絶寸前の意識を保っていた僕は、三八の呼びかけにハッと覚醒する。

「……ッサ、おいイッサ。目ぇ開いてみろよ」

 目? うながされるままに目を開けると――そこには予想だにしなかった壮観が広がっていた。

 燦々(さんさん)とふり注ぐ日光に照らされた、鮮やかな緑がまぶしく映える木々。右手の崖下を流れるキラキラとした川としつらえられた落差工に、どこまでも連れていってくれそうな山道と標識。そしてはるか遠く雲の間に垣間見える峰々は緑に覆われ、まるで青空にてっぺんが届きそうなほど猛々(たけだけ)しくそびえ立っている。瞳を通し認識する景色は、まばたきする時間さえ与えてくれずコロコロと移り変わり、自然と人工物が共存する世界はこんなにも美しいのだと、僕はひたすら圧倒されてしまう。

 本来ならカンカン照りで外にいるのすら億劫(おっくう)なはずなのに自転車の速度に合わせ打ちつける暴風が熱を奪っていき、ただ夏の青さだけが僕とやっこさんの間を、心の距離を埋めてゆくばかりだ。

「どうだ――意外と夏も悪くないだろ?」

 くぐもった声で三八にそう語りかけられた。僕はそれに対し無言で目の前の真っ白な背中をギュッと抱きしめ応えてみせる。前を向く三八の表情はうかがい知れないものの僕にはこの返事に満足げな表情を浮かべる相棒の姿が容易に想像できて、なんだか(いと)おしくて仕方がなかった。

「……へへッ」

 だけど“火遊び”は往々にしておちおちとはしていられないものだ。

『そこの危険運転をする二人乗りのじ、自転車?! 今すぐ止まりなさい!!』

 どこよりか通報を受けたのか、はたまた巡回中目に留まったのか。一台のパトカーが、背後よりサイレンをかき鳴らし迫ってくる。

「やっべ、ウソだろー!?」

 ヤツはあからさまに焦るけれど一方の僕はといえば異なる感覚が胸中に渦を巻いていた。拡声器によって放たれているこの声……どこか耳なじみがあるのだ。

『繰り返す!! そこの危険運転する二人乗りの自転車、止まり――』

「あっ」

「なッ!?」

「へ?」

 速度をあげ僕たちと並走したパトカーの右座席、そこに見覚えのある人物――正確にいえば先日尋問を行ってきた科学技術規制委員会の“代表”が、マイクを持って声を荒らげていたのである。

 お互いがお互いを認識するとお互いが慌てふためき、持ちこたえたパトカーとは対照的に自転車は取り乱し蛇行を始めた。向かい風にかき消されるがまま各々が各々疑問を吐き散らかす。

「一朔くん?! なんで君がこんなところに……」

「代表こそこのエリアが管轄だったのですか!?」

市刀(しがたな)さん、もしやあいつが六日の事案における“対象”の……」

「イッサ、お前いつの間にポリ公なんかに目をつけられていたのか?!」

 三八は予期せぬシチュエーションについ後ろを振り向くけれど事態はとうに取り返しのつかない状況に陥りつつあった。双方混乱のなか、僕は風切り音に負けまいと空気を吸い込み大きく叫ぶ。

「ザッパ!!!! そんなのあとでいいからとにかく前!!!! 前!!!!」

「えっ――」

 ガッシャーン!

 腑抜(ふぬ)けた声が発せられたのも(つか)の間――僕ら二人を乗せた暴走自転車は急カーブを曲がりきれずタイヤはバチバチと火花を散らし、せっかくの“発明”は一切の速度を落とさずにガードレールへと正面衝突を起こした。

 チュドーン!!

 そのまま暴走自転車は大破のみならず爆発四散して、周囲に破片と残骸と煙を()き散らかす。僕とやっこさんは勢いそのまま宙に放り出され空中で姿勢の制御がままならないまま容赦のない自由落下が刻一刻と迫っている。……この感覚はどこかで身に覚えのあるものだ。

 そうだ、ようやく思い出した。廃団地探検でもたしかこんな体験をしたんだっけ。僕があの団地の一番高い棟から落ちたとき、自分の中にいる“地獄”が口を開いて下で待ち構えていた死霊の群れを無理やり引き剥がし呑み込んだのだった。またたく間にすべてが終わったあと猫又が爪で一棟を切り裂き、命からがら生き延びたのが事件の顚末(てんまつ)であったことも記憶している。

(また操られて同じ過ちを繰り返すのだろうか……それか、なんらできずに死ぬのだろうか)

 嫌な予感に駆られた僕は身じろぎする気すら起きず、宙に躍った体を空に任せようとした。

 ガシッ

 !!!

 しかしその浅はかな予感を打ちのめすかのごとく、影は現れおもむろに黒い手に白い手がきつく固く結ばれる。――三八だ。僕たちはもう片方の手もつなぎ、数コンマの間、しばし見つめあう。

 ここで言葉が聞こえるわけがなく言葉を発しようとする気もなくまた見え透いたやり取りはなくただ“見つめあう”――表現はそれだけに尽きる。けれど僕ら二匹の中で互いの魂を(かたど)る数々は輻輳(ふくそう)しあって、確固たる密約が果たされたように感じられた。うるうるとかすむ瞳にアホの朗らかな笑顔がとてもまぶしいのだ。さながら……僕と三八は太陽と月みたいな仲なのかもしれない。

 刹那、流れのゆるやかな水のたまり場にしぶきを大きくあげ、手をつないだ僕たちは落下する。

 ゴポ ゴポポ……

 光と音の波が乱反射する中、あらためて目を見開くと、ヤツの素っ頓狂な顔がそこにはあった。きっと僕も同じ顔を浮かべていたのだろう。互いにその表情がとにかく面白くて仕方がなくって、そぞろに息を漏らせど吹き出すのをこらえる。

「ぷはッ」

「ぷはぁ」

 水面にあがって息を吸うなり、二匹揃って示し合わせなく高笑いが同調した。

「アハハハハハ!」

「ギャハハハハ!」

 やがて海へ(かえ)る川のせせらぎさえ身体より()でし(うしお)でさえ、空の色をそのままに映すばかりだ。されど今かぎりは、誰がなにを言おうと、夏の青はただ僕らの黒と白に委ねられているのだった。


 八月八日〇時半。市刀代表、祭瑞(さいたま)自治体戸籍情報管理センターに入所。

 ピピピ ウィーン ガチャッ――

 静まり返った深夜未明、代表は“あるもの”を探すため業務時間外なのにかかわらず権限を用いて戸籍情報センターのとある一室へと入った。すでに施設の主電源は落とされており、その一室には生ぬるい空気と特有の無機質なニオイが跋扈(ばっこ)している。月あかりと常夜灯が不気味に射し込み周囲を照らすなか、代表は“骨躙(ほねにじり)”と名前のついたファイルとディスクがないか、くまなく目をこらす。

(!! あった――)

 ようやくそれらしき戸籍謄本を見つけ手に取りかけたそのときだった。

「それ以上深入りしないほうがいいっすよ」

 カチャッ

 不意に背後より声を投げかけられ何者か確認するまでもなく拳銃を取り出し、代表は声の主がいるほうへ反射的にかまえる。

 バッ

「ぷっ……ヒヒヒ」

 しかし身をひるがえせどそこに人影は見当たらず、代表が先ほどいた位置より小馬鹿にするかのような引き笑いが発せられるのみだ。

「お前は誰だ……アストラル・アークマトンの内通者か差し金か?」

 代表はたじろぎながらも自身の背後にたたずむ謎の人物に問いかける。

「落第点っすね。ああ、後ろは振り向かないほうがいいっすよ――。命ガ惜シケレバノ話、ダガ」

 そういい人間の形を成していた人物の影は――メガネを外したとたん、右半身に魑魅魍魎(ちみもうりょう)と形容するのがふさわしい幾種もの動物の形質を発現させ、化け物のそれへと姿を変容させた。

「ひぃいッ?!?!」

 代表は声にならない悲鳴をあげ腰砕けとなり、立つことすらままならなくなってしまう。

「要求はなんだ!! もしや六日の一件に関連のある条件か!?」

 床にへたり込み背後に存在する異形をけっして見るまいと必死にこらえ、泣き言のごとく代表は異形の影に向かい、必死の交渉を行い虚勢を張る。

「及第点ダ。コチラノ提示スル命トシテハ片南研究所……ソコニ所属スル五人ノ子供タチ、特ニ骨躙一朔ト人行潟三八ヘノ警察組織ノ過度ナ干渉オヨビ秘密機関ト特殊部隊ノ一切ノ介入ヲ禁ズ」

 そう述べメガネをかけ直すなり、異形の影は元の人間である姿に戻った。

「要するに国に従事するあなた方は今後うちの研究員に一切の手出しができないってことっすのでなにとぞ~」

 異形だった者は態度を一変させおどけてみせるが代表はまったく生きた心地がせず、むしろ口調の裏に隠れた禍々(まがまが)しさに戦慄を覚える。

(俺はいったい“ナニ”と対峙(たいじ)しているんだ……?)

 パラパラ

「…………」

 もはや恐怖に放心しきっていた代表だったがまたもや不意を突かれ動けなくなってしまう。攻撃をくわえられたわけではない、座り込んでいた床にただあるものを提示されただけだ。だが、その“あるもの”が問題だった。

 骨躙一朔の出生記録と遺伝子検査結果――父親と母親の毛色から本来ならば産まれるはずのない“黒”が実在してしまっていることへの疑問、新聞記事の切り抜きと古い死亡届の写しと二十年以上は経過しているであろう機密文書。そして、 “写本”の束。

『発生源不明の毒ガスが原因か――米才市産婦人科で新生児二百人以上が死亡』

『人行潟(旧姓:三嶽(みつたけ))○○ 西暦????年??月??日??時頃死亡 死因:詳細不明』

『先史文明における獣人発生を目的とした人工島の建造ならびにその衰退における調査報告』

 どれも内容は穏やかとはほど遠いものであり、なおかつそれぞれの情報があたかも呼応しあっているかのように感じられる。

 代表は否応(いやおう)なく理解させられた。これらは獣人の社会――いや文明を根底より揺るがしかねないある種の“禁忌”であるのだと。また、その十字架がただの少年二人に託されているという事実も。

「これらをお探しだったんじゃないっすか?」

 ふと上に気配を感じ代表がそのほうを向くと、人間か異形か不定な存在――ケンタ・フラダイトであるヤゲンの顔が目の前にあった。その面持ちは悪意に満ちており瞳は黒く塗りつぶされ口元をひどく(ゆが)ませ白い歯を異様なまでに剥き出した形相は、今にもすべてを呑み込んでしまいそうだ。

 ジョロロ ブクブク……

 未曾有の恐怖に代表は泡を吹いて(おび)え軽く失禁する。そんなニホンザル獣人の耳の元で、ヤゲンは一言こう(ささや)くのだった。

「ここまで知ってしまわれやしたからにはあなた方とて我々に協力していただく他ないっすね~。……ようこそ、 “ネクロマンサー計画”へ」

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