20数年後 前半
20数年もの月日が流れた。
あれから、ダグラスとの間に長男のリヒトと長女のフィリア、次男のカイ……3人の愛おしい我が子を授かり、その3人も、もう成人してしまった。
20数年とは本当に長い期間だ。
最初はぎこちなかったダグラスとの結婚生活も、日々のゴタゴタを処理しているうちに、絆が深まっているように思う。
貴族の政略結婚にしては、上出来な家族だと思う。
と言うよりも、あのダグラスが私に対してあんなに過保護になるなんて、20年前の私なら考えられなかっただろうな。
◇◇◇
リヒトは侯爵家を継ぐため、カイは補佐をする為に、同じ屋敷にいるが、フィリアは違う。
フィリアは、半端者だった……。フィリアが半端者と知った時、自分のしでかしてしまった重大さの他に、得も言えない何かが、心に渦巻いた。
私のせいで、自分の娘を半端者してしまった後悔とそれ以外にも半端者に対して何か心揺さぶられる出来事があった筈なのに何故か思い出せない。
こう言う時が、時々ある。
私の記憶は、所々抜けがあるのは分かっていた。
アーレン王国の結界を維持する私は、結界と繋がる際に、一部記憶を結界に置いてきてしまったらしい。
普段は全く気にも留めないけれど、時々無性に寂しく感じる時がある。
そういえば、この10年ほど結界の効率化を目指し、国単位で整備が進んでいる。
その弾みで置いてきた記憶が私に戻る事はあるのだろうか?
◇◇◇
書斎で、研究報告書を書いていると珍しい来訪者が来た。
リヒトの侍従であり、フィリアの護衛騎士でもあるオリバーだ。
焦茶色の髪と目、護衛騎士としてはやや細身ではあるが長身であり、精悍な顔つきであるオリバーは、何か決意したような目でこちらを見ていた。
侍従としても護衛騎士としても優秀。
更に、結界の効率化にも関与していて、多忙な筈だ。
卒がないので、基本的に、意味のない行動をする事はない。
私に会いに来るなど本来は、皆無な奴だ。
一体何の話なのか……フィリアに何かあれば、リヒトに先ずは報告して、私はリヒトかダグラスから聞く筈だけど?
オリバーは扉を閉めた後、慇懃にお辞儀をした。
「お久しぶりです。アリシア様」
「えぇそうね? オリバーがここに来るなんて……何かしら?」
「私も忙しいので単刀直入に聞きます。
失われた記憶を取り戻したいですか?」
まず、オリバーが、その事を知っているのに驚いたが、それはまぁ置いておこう。この男の情報収集能力は凄い。気にするだけ損だ。
今の問いに、20年前なら即座にYESと答えていただろう。
記憶を失った直後は、欠けた部分に苛立ちと寂しさを覚えたものだ。
けれど、時が経つにつれて変化していった。
優しい夫と可愛い子供達……毎日忙しいけれど、充実している生活があって、無理に取り戻さなくていいと思うようになったのだ。
その中でも私が欠けた記憶を積極的に取り戻そうとしなかったのは、ダグラスの存在だった。記憶の事をダグラスに相談した時、彼はとても狼狽えていて、私が記憶を取り戻す事を拒絶しているようだった。彼のあんな姿は初めてだった。
最初は訝しみ、絶対に記憶を取り戻そうと思っていた。
けれど、ダグラスと心を通わせるにつれて、彼がどれだけ私を大切にしてくれているか、よくわかる出来事が多々あった。
そして、月日が経つにつれ、彼との信頼関係が構築されると、記憶は戻らない方が良いと思うようになった。
今はどうだろう?
オリバーの真剣な目……多分ここで『記憶はいらない』と言えば、もう2度と記憶は戻ってこないような気がした。
それくらいの分岐点なのだと思う。
20年たった今はどうだろう?
……20年の月日、長い期間にダグラスとの信頼関係はかなり深いものだ。
今なら、どんな記憶が戻ったとしても、ダグラスとの信頼関係は、壊れる事はない気がする。
ダグラスに心配をかけるのは心苦しいけれど、これが最後のチャンスなら、ここはYESというべきなのでは?
「戻せるのなら戻したいわ」
私も、真剣に答えた。
「それが悲しい過去であり……今更取り返しがつかない事であったとしてもですか?」
重苦しい声で聞いてくるのだから、多分記憶は今の私にとって重荷になるものなのだろう。
それでも……。
「こそまで言われたら、尚更知りたいわ?」
私は挑発気味に答えた。
私もいい歳だし、動揺する事も少なくなった。
辛い過去であっても今の私なら受け止められる。
「そうですか……貴方の記憶を戻す方法が見つかりました。今から戻しても?」
「えぇ。構わないわ」
かなり急だと思ったが、今しかないのだろう。ちょっとした不安を覚えたが、動揺は表に出さずニコリと笑う私に、オリバーは眉を寄せた。オリバーが提案してきたのに、記憶を戻すのは躊躇しているようだった。
「では……今から始めます。
もし取り戻した記憶を忘れたければ、後から消す事も可能ですので、無理はしないでください」
「あらそう、ありがとう?」
私がおどけて言うと更にオリバーの眉間に皺がよる。
私は哀れまれる事が嫌いだ。
どんなに辛い過去でも笑顔で乗り越えてやる。
そんな気持ちで臨んだ。
……そうして私の記憶は戻った。
ドン! と言う地響があり、焦ったが、それよりも膨大に流れてくる大切な記憶の方が大事だった。
あぁ……どうして忘れてしまったのだろう?
私が心から愛したラルフと私の大切なもう1人の我が子バネッサの事を忘れてしまっていたなんて……。
涙を流す私に、オリバーが声をかけた。
「やはり……記憶を消しますか?」
「まさか!? 絶対に嫌よ!!
どうしてこんな大切な記憶が結界に……」
オリバーが、経緯を説明してくれた。
ラルフが私を思って記憶を消した事。
ラルフとバネッサは2人とも元気で暮らしている事。
そこに今フィリアが、暮らしている事……。
あーそーですか? ラルフが勝手にそんな事をしたのね?
ラルフに対して怒りが湧いてきた。
これは殴り込みに行くしかないだろう。
幸い、今の処置で、完全に結界と私は分離されたみたいだ。これで国外へは行き放題。
ならば殴り込みに行く必要があるだろう。
そう思っていたら、オリバーが、珍しく驚愕の表情をしていた。
「どうした?」
「思ってた以上に、結界との結びつきが強かったようです。結界に揺らぎが生じています。早急に対処が必要でしょう」
私が記憶を取り戻した事で、結界に綻びが出たようだ。あり得る話だと思っていたら、扉がノックされた。
返事をすると現れたのはリヒトだった。
「オリバー、緊急招集だ」
「分かっています」
「結界の事か? 結界に関してもそうだが、トライア地区もだ。あっちにも問題が起こった」
「分かった。早急に対処を……」
「だがそっちじゃない。もっと重要な事だ」
オリバーの言葉を遮ったリヒトの言葉に、オリバーは眉をあげた。
さっきよりも更に苛立っている。オリバーにとって最も重要な人物は1人しかいない。
「フィリア様に何か?」
「まぁ、間接的には関係ある事かな?
まぁ、でも呼び出し? バネッサがオリバーを亜空間に連れて来てだって」
「そうか……分かった」
バネッサの名前を聞いて動揺していたオリバーだったが、直ぐに落ち着いたところでこちらを見た。
「アリシア様。申し訳ありませんが、私が行くまで結界の方をお願い出来ますか?」
「私に出来るの?」
「えぇ、結界の管理室の椅子に座っていただくだけで大丈夫です」
「そう? 分かったわ」
「よろしくお願いします」
オリバーは頭を下げた後、直ぐにでも転移しそうだったので、一つ伝言を頼んだ。
今からバネッサに会うなら、ラルフにも会う確率は高い。
「もし、ラルフに会ったら伝えてくれる?
『言いたい事は沢山ある。首を洗って待っとけ』って」
私が、不敵に笑う。
私の怒りが滲み出ていたのか、リヒトには、ちょっと引かれたが、オリバーは慇懃な態度で、了承した。
「かしこまりました。必ずお伝えしましょう」
緊急招集について、話が長くなるのとアリシアの出番はないので、こちらでは割愛させていただきます。(アリシアは座っているだけなので)
興味のある方は、『半端者の私がやれること〜』を読んでいただければ幸いです。




