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契約書にサインすると、最初に連れてこられたのは店の裏にある台所だった。
「ここが主な職場になる。営業前は店の清掃と仕込み、営業中は調理補助・完成した料理とお手拭きやカトラリーのサーブ・使用済み食器の洗浄と乾燥、営業後の掃除も頼みたい。今は仕込みが終わってるから、どこに何があるかだけ覚えておいて欲しい」
冷蔵庫の中にはすでに綺麗に切り分けられたハムやチーズの盛り合わせが、冷凍庫にはあとは揚げるだけとなった揚げ物たちが並べられており、食器や調理器具たちもきれいに整理整頓されている。
台所の設備はすべて俺には低い位置にあるのが少々ネックだがしょうがない。
「うちの食器類は全部食洗器で洗う。洗う前後に皿やグラスを確認してヒビや欠けがあったら足元の赤いコンテナに入れてくれ」
「薄いグラスも食洗器なんですね」
「ひとりだと手が回らなくなる場合も多いから最初からそういうものを買った。グラスの乾燥が終わったらこの棚に、皿類は元の場所に戻す」
丁寧に一つ一つ説明を受けて、一通り覚えたかを確認される。
「分からない事があったら呼んでくれ」
こうして店の営業が始まるとおつまみ類がポンポン飛んでいく。
そのほとんどはナッツや盛り合わせの類だが、それでもほとんどのお客さんが頼んでいるように思う。
指示通りに盛り合わせの皿とカトラリーを順番に並べて配膳口に置き、使い終わった食器を確認してから食洗器に入れて、時々裏に戻ってきたコータローさんの言うとおりに野菜を刻み皿に盛る。
それだけでも不慣れな俺にはてんてこまいのお仕事だ。
なので営業の終わった午前2時にはすっかりへとへととなっていた。
「初日にしては上出来だったな」
「ありがとうございます……」
むしろあれを全部一人で捌いていたコータローさんは何者なんだろう?と思う。
店には常に数人の客がいて、彼女達が好き勝手注文するのをひとりで捌きながら接客もこなしていた。
「店の掃除終わったら上がりだ、うちまで送っていく」
*****
早朝の南海電車でなんばから4駅、そこから歩いて10分ほどのところに2階建てのアパート・松虫荘がある。
金属製の外階段や玄関横に置かれた二層式の洗濯機が何とも言い難い古さを見せてくる。
(……ドラマとか漫画以外で初めて見たな、こんなアパート)
「104号室が空いてるからそこを貸す、契約書にも書いたが家賃はバイト代から天引きだ」
「ありがとうございます。ここ持ち家なんですか?」
「大家だ。築50年だからだいぶ古いが風呂トイレは付いてるしスーパーとコンビニも徒歩圏内にあるから、ひと眠りしたら行くといい。家具の類は前の住人が残していったやつを自由に使っていい。何かあったらここに電話を」
「はい、ありがとうございます」
鍵と電話番号のメモを受け取ると今日から俺の部屋になる部屋の扉を開ける。
その部屋は色あせた畳敷きの6畳間で、雑多な荷物があちらこちらに並んでいる。
もしかするとここは過去の住人の置いて行ったものを適当に詰め込んだ物置部屋の類ではないのだろうか?
けれども今の俺には部屋があるだけありがたい。
大阪に着くまで人目を気にしながらの仮眠しか取れなかったので、こうやってちゃんと寝られること自体が久しぶりなのだ。
押入れを開けて寝具を捜すとタバコ臭いせんべい布団や変な焦げ目のついたタオルケット、よく分からないアイドルの絵柄入り羽毛布団、汗シミで変色した枕が出てきた。
(枕カバーは……あ、ちょうどいいタオルあった)
未開封のタオルセットからバスタオルを取り出すと枕に巻き付け、せんべい布団の上に羽毛布団を敷いてタオルケットを被ればどうにか寝られる状態になった。
明日は部屋の掃除をしたら服や生活の道具も買って、お風呂にも入ろう。
島の外での暮らしへの期待を胸に、大阪最初の夜は終わろうとしていた。




