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魔族少女の人生譚  作者: 月餅
第一章 すべての始まり
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第十話 再開する日常

 エリヌが部屋を去ったあともしばらく、私はその場から動けなかった。


 扉が閉まる音は確かに聞こえたはずなのに、妙に現実感が薄い。

 まるで静かな嵐が通り過ぎた後みたいだった。


 部屋の中には再び朝の静けさが戻っている。

 窓の外では鳥が鳴き、遠くで誰かが笑っている声も聞こえる。

 なのに胸の奥だけが落ち着かなかった。


「……だから言っただろ」


 ぽつり、とカロナ先生が呟く。


 私は顔を上げた。

 先生は窓際へ立ったまま、頭を軽く掻いている。


「底が見えないやつだと」


「……」


「まあ向こうから来られたらどうしようもないがな」


 疲れたような声だった。

 けれどその横顔には、どこか諦めにも似た色が滲んでいる。


 先生は小さく息を吐くと、こちらへ振り返った。


「とりあえず、お前は朝食を食ってこい。今日はまだ正式な授業停止にはなってない」


「え、普通に授業あるんですか?」


「完全休校にすると余計混乱する。生徒連中は今頃お前の噂で盛り上がってるだろうしな」


「うわぁ……」


「覚悟しとけ」


 その一言だけで胃が痛くなった。


 昨日の訓練棟での出来事は、どう考えても隠し切れる規模じゃない。

 半壊しかけた訓練場。

 暴走した魔力。

 カルラを吹き飛ばした瞬間を見ていた生徒だって大勢いる。


 今の私は、間違いなく学園中の注目の的だ。


 最悪だった。


「……行きたくない」


「そう言うと思った」


 先生は即答した。


「だが行け。ここで閉じこもる方が後々面倒になる」


「精神論みたいなこと言いますね」


「教師だからな」


 珍しく少しだけ笑う。

 その軽い空気に、張り詰めていた気持ちがほんの少しだけ和らいだ。


 私はゆっくりベッドへ腰掛ける。

 視線が自然と手元へ向いた。


 黒い羽根。

 朝日を受けたそれは、静かに鈍い光を返している。


 エリヌは、あれを見ても驚かなかった。

 むしろ知っていたみたいだった。


 あの白い樹についても。

 私の魔力についても。

 何もかも。


 胸の奥に小さな違和感が残る。

 あの人は、どこまで知っているんだろう。


「……先生」


「ん?」


「エリヌ様って、昔からあんな感じなんですか」


 問いかけると、先生は少しだけ考えるように目を細めた。


「昔から妙に完成されていたな」


「完成?」


「子供の頃から“大人”だった。周囲をよく見て、必要な言葉を選んで、相手が欲しい反応を自然に返す。だから誰からも好かれた」


 そこで先生は一度言葉を切る。


「だが逆に、あいつ自身が何を欲しがっているのかは最後までよく分からなかった」


 静かな声だった。


「昔から、妙に空っぽな奴だったよ」


 その言葉が何故か胸へ引っかかった。


 空っぽ。

 あの穏やかな笑顔からは想像しづらい言葉だった。


 ふと、さっきのエリヌの表情を思い出す。


 私が“強くなりたい”と言った時。

 あの人は、少しだけ安堵したように見えた。


 まるでずっと探していた何かを見つけたみたいに。


「……っと、そんな話をしている場合じゃないな」


 先生がわざとらしく手を叩く。


「食堂に行くぞ。私もついて行く」


「ほんとに監視なんだ……」


「当然だ」


 先生はきっぱり言い切った。


「あと、お前」


「はい?」


「今日は何があっても挑発に乗るなよ」


「……そんな荒れそうなんですか」


 すると先生は、心底面倒そうな顔をした。


「お前、自分が今どう見られているか分かってるか?」


「……危険人物?」


「半分正解。もう半分は“得体の知れない存在”だ」


 その言葉に、胸の奥が少し冷える。


 否定できなかった。

 昨日、自分自身ですら自分を怖いと思ったのだから。


 先生はそんな私を見て、小さく息を吐いた。


「だからこそ、お前が普段通りでいろ」


「普段通り……」


「堂々としてろって意味だ。俯いている方が余計怖がられる」


 その言葉は、不思議なくらい真っ直ぐ胸へ入ってきた。


 私はしばらく黙っていたが、やがて小さく頷く。


「……分かりました」


「よし」


 先生は満足そうに頷くと、そのまま部屋を出ていった。


 扉が閉まる。

 一人になった部屋の中で、私は小さく息を吐いた。


 静かだった。

 けれど今度の静けさは、昨日までの不気味なものとは少し違う。


 嵐の前でも。

 後でもなく。

 何かが、確実に動き始めている。

 そんな予感に近い静けさだった。


 私はゆっくり立ち上がると、制服へ着替え始めた。


 窓の外では、朝の陽射しが学園を照らしている。

 そしてきっと、この扉を開けた瞬間から、昨日までとは違う日常が始まる。




   ◇




 食堂へ向かうまでの廊下は、妙に静かだった。


 いや、正確には静かではない。

 人はいる。

 話し声もある。

 朝の学園らしい喧騒だって確かに存在している。


 ただ、その空気が不自然に私を避けていた。


 廊下を歩くたび、周囲の声が一瞬だけ小さくなる。

 視線が集まる。

 そして、私と目が合った瞬間に逸らされる。


 ……最悪。


 私は内心で頭を抱えながら歩いていた。


 隣ではカロナ先生が腕を組み、何事もないみたいな顔で歩いている。完全に護衛だった。

 教師が横についているせいで、余計に注目を集めている気がする。


「……先生」


「なんだ」


「帰りたいです」


「まだ朝だぞ」


「じゃあサボります」


「却下」


 即答だった。


 私は小さく唸りながら視線を前へ戻す。

 するとちょうど向こう側から数人の生徒が歩いてきて、そのうちの一人と目が合った。


 ぴたり、と相手の足が止まる。


「……っ」


 その顔には、露骨な緊張が浮かんでいた。


 昨日の訓練棟にいた生徒だ。

 たぶん、私の暴走も見ていた。


 周囲の空気が僅かに張る。

 私は何か言おうとして――やめた。


 何を言えばいいのか分からなかったからだ。


 すると、


「廊下の真ん中で立ち止まるな。邪魔だぞ」


 先生が言った。


「ひゃ、ひゃい!?」


 生徒たちは弾かれたみたいに道を開け、そのまま慌てて去っていった。


 先生はそれを見送りながら小さく息を吐く。


「……だから言っただろ」


「いや今の私悪くなくないですか?」


「まあ半分くらいは向こうが勝手に怯えている」


「半分は?」


「お前の顔」


「えぇ……」


「死ぬほど気まずそうな顔してる」


 図星だった。


 私は思わず顔を覆いたくなる。

 だが実際、今の私はたぶんかなり酷い顔をしているだろう。

 昨日の件を思い出さない方が無理だ。


 先生はそんな私を横目で見ながら、少しだけ声を落とした。


「……時間が経てば落ち着く」


「そうですかね」


「人というのは噂に飽きるのは早い」


 経験談みたいな口調だった。


 そのまま階段を下り、一階へ出る。

 食堂が近づくにつれて、人の気配も増えていった。


 扉の向こうからは朝食の匂いが漂ってくる。

 焼いたパンの香り。

 スープの匂い。

 普段なら空腹を刺激するはずなのに、今日は妙に胃が重かった。


 私は食堂の入口で足を止める。


「……入りたくない」


「諦めろ」


「今ならまだ逃げられる気が」


「逃げたら追いかける」


「圧が強い」


 そんなやり取りをしていると、先生が先に扉を開いた。


 途端。

 ざわ、と食堂の空気が揺れた。

 朝食を取っていた生徒たちの視線が、一斉にこちらへ向く。


 静かになる訳ではない。

 けれど確実に空気が変わった。


 私は一瞬だけ足を止める。

 無数の視線。


 好奇。

 警戒。

 恐怖。

 興味。


 色んな感情が混ざっている。


 胸の奥が少しだけ重くなる。

 けれど。


 ――堂々としていろ。


 先生の言葉が脳裏を掠めた。

 私は小さく息を吸うと、そのまま食堂へ足を踏み入れる。


 すると次の瞬間。


「おーい、ウィディナ!」


 場違いなくらい明るい声が響いた。


 反射的に顔を上げる。


 食堂の奥。

 窓際の席で、カルラが片手を振っていた。


 周囲の空気が一瞬止まる。


 それも当然だった。

 昨日、私に吹き飛ばされた本人が、何事もなかったみたいにこちらへ手を振っているのだから。


 私は思わず目を瞬かせる。


「……何してんのカルラは」


「見れば分かるだろ。助け舟だ」


 先生が小さく呟いた。


 私は再びカルラを見る。


 額にはまだ包帯が巻かれている。

 けれど本人は気にした様子もなく、不機嫌そうな顔でこちらを見ていた。


「早く来てよ。ご飯冷めちゃうじゃない」


 その言い方が、あまりにも普段通りで。


 私は思わず、小さく笑いそうになった。


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