冴
あの日から何日夜を迎えただろう。今日もまだ夜も明けない時間に目が覚める。
ここしばらく、すごく夢見が悪い。夢の内容は思い出せない。ただ、毎晩、息苦しさだけを残して目が覚める
「……。」
いつもであればもう一度眠りに落ちるまで布団に潜り込むところを、諦めてごそごそと起き上がった。
障子を開け、見上げた空には高々と月が昇り、淡い光を放っている。
妖退治に山に入り、蝙蝠や白い蛇と出会った日から楓は山に入っていない。相変わらず妖気が安定していないのか、山自体が不穏な空気を放っていた為だ。
ぼんやり眺めた山は黒々と存在感を持って里を見下ろしているが、それまでのような、肌にまとわりつく禍々しさは薄れている
しばらく会っていない流風、そして妖になり巨大化してしまった蝙蝠、そして不思議な白い蛇。楓の足を外に向けさせるには十分な要素だった。
まだ朝と言うにも早い暗闇の中、楓はそっと家を出て、あの壊れた柵から里を出た。
幾分か警戒しながら踏み入れた山は、以前よりずっとざわつきがない。少し歩くと当然のように狐狸路が現れた。
歩き着いた先は、最後に見た日と何ら変わりない姿で佇むあの古木の元だった。流風や白鴉の姿は無い。
(まだ日が明ける位の時間だもの。当然だよね。)
流風達の不在を納得した上で古木の根元に腰を下ろす。見上げた枝葉が、白み始めた空にざわざわと影を揺らしていた。
寝不足の為か、それともここまで歩いた疲れなのか、少しずつ瞼が重くなる。
「眠…」
心地よい涼しさの風に目を閉じる。うとうとと眠りに落ちるまで、そう時間は掛からなかった。
「年若い娘が表で転た寝とは…おい小娘、起き…_」
「白鴉、眠らせてあげようじゃないか。事情は知っているだろう?」
夢か現か、話し声が耳を掠める。
目を開くと、流風と白鴉がこちらを向いて立っていた。
「ん…居たら起こしてくれれば良いのに。」
「おはよう。よく眠れたかい?」
眠たそうに目を擦りながら姿勢を正す楓に、流風が笑いかける。
「お前は警戒心がなさ過ぎる。こんな場所で阿呆面をして…」
「…仕方ないでしょ、寝不足だったんだから。」
欠伸混じりに言い返す楓の傍に、いつものように流風が腰を下ろす。
「僕が来る前から彼はここに居たのだよ。辺りを見張るようにね。」
(…守ってくれてたってこと?)
そっと耳打ちされた内容に思わず白鴉を見るが、その顔からは何も読み取れなかった。
白鴉から目を反らし、ぼんやりとこの先にある峠の道を眺める。
(峠…)
同時に、あの日見た光景を思い出した。楓が見ていた事が事実であれば、あの崖は作られたものになる。
昔の地形について知っているのは、と流風と白鴉を見比べる。
「ねぇ、白鴉。この先の崖って昔からあったの?」
ここはやはり妖の白鴉に聞くべきだろうと口を開く。
「聞いてどうする?」
楓の求めた答えは返らず、そんな問いが返ってきた。
「…何でもない。」
「教えてあげれば良いじゃない、ケチ臭い。」
カサカサと草を分ける音と共に声がした。声のした方向を見ると、草むらの中から白い蛇がにゅっと顔を出した。
「あ…。」
見覚えがある。妖退治に出たあの日に出会った妖だ。
「姐さん。最近よく会うね。」
どうやら流風も知り合いらしく、彼に“姐さん”と呼ばれた白い蛇は、するすると楓達の元へと近付いてきた。
「白鴉、あんたホント器小さいわね。その位教えてあげなさいよ。」
「しかし巴…」
渋る白鴉の言葉を無視して、白蛇――巴が楓に向き合う。
「この先の崖だったわね?あそこはずっと昔に地崩れを起こしたのよ。本当はあんな二瘤山じゃなかったの。…これで満足?」
やはり普通の山だったのだ。あの日見た光景と合致する。となると、地崩れを起こしたのはあの柔和な表情の青年なのだろうか。だとしたら、彼は何者なのだろう。そんな者が存在するのだろうか。
「それは…天災、ってこと?」
“天災であって欲しい。”そんな気持ちが楓に質問させた。
「「……。」」
巴と白鴉が一瞬口を閉ざし、流風がふっと笑いを漏らした。
「さて、神のみぞ知るといったところかな?」
「流風。」
冗談ぽく笑う流風を白鴉がジロリと睨んでいる。流風はそんな友人に苦笑いを寄越して口を閉ざした。
「言い得て妙ね。そうねぇ…妖達が信じてるお話、してあげる。」
「巴…」
楓に余計な事を吹き込むのを嫌っているのか、白鴉は良い顔をしない。
「お話よ、お話。本当かどうかなんて、わかったもんじゃない伝聞よ。それでも良い?」
そんな白鴉を軽くあしらい、巴が楓に向き直る。まるで子供に物語を語るような口調で、昔話を始めた。




