朝
「ねぇ、リン。」
柔和で優しい笑顔がこちらを向いている。
「キミと出会えて良かった。こんな晴れやかな気持ちで誰かと会話出来るなんて思わなかったからさ。」
屈託の無い笑顔が、キラキラと輝いて見える。
「これからもずっと一緒に居てくれる?」
(“リン”さんは、どう答えたんだろう?)
こちらを見つめるこの笑顔が、後に哀しく歪むことになるのだ。そう思うと、胸が少し痛んだ。
「…い、おい楓!起きろって!」
身体を揺さぶられて目を開いた。柾と、少し離れた場所に喜助がいる。
「やっと起きたか。お前どうした?寝ながら涙なんか流して…怪我でもしてんのか?」
「…大丈夫。」
ゆっくりと起き上がる。記憶がまだ混ざっている。
「ねえ。ここ、誰か他に居なかった?」
朧気な記憶では流風の声がした気がしているのだ。しかし柾は首を横に振り、喜助は黙っているだけだった。
「二人は、何ともないの?」
「んん?まぁな。まぁ俺、気ぃ失ってたからよくわかんねぇんだけど。」
柾が喜助の方に視線を飛ばす。彼は先程と変わらず、神妙な顔をしたまま黙っている。
「さっきからずっとあんな状態なんだよ。」
「あの妖の蝙蝠は?」
「逃がしたんだってよ。」
(……。)
意外に思った。
喜助の妖への容赦の無さは楓も知っている。
その喜助が、自分たちに危害を加えようとした妖を殺さず逃がすなんて。
「喜助くん…」
「はよ帰ろ。眠いわ。」
いつもの喜助らしくない覇気のなさを疑問に思い、楓と柾は顔を見合わせる。反対する理由も無いため、喜助の後を追った。
自分たちが滑り落ちてきた斜面を避け、傾斜が緩やかになってから元の場所へ戻ろうと山の奥まで入る。
「……。」
意識して周りを眺めると、如何にも山を形成していたのではないかと思われる大きな岩がそこら中に転がっている。
あの夢の通り、ここは昔窪地ではなく山の高みだったのではなかろうか。本当にあの青年が、この地形に作ったとしたら。
(人間の成せる技じゃない。じゃあ…あの人は何者?)
「おい、あれ…!」
柾の声に思考を止める。視線の先には、木にぶら下がる大きな黒い塊がある。
「…あの蝙蝠?」
昨晩一戦交えた妖蝙蝠だろう。他の仲間の姿はない。警戒の視線をこちらに向けながら、それでも襲い掛かってくる様子は無い。
“突然妖になり、姿が変わる。…耐えがたい恐怖だろうね。”
喜助の胸中に流風の言葉が過る。
「そっとしておいてあげようよ。」
「大きいってだけで、普通の蝙蝠並みの知恵しか無さそうだしな。」
楓と柾が、喜助を諭すように話し掛ける。
「……。」
喜助は無言で蝙蝠へ近付く。
「喜助くん…!」
「安心しなや。殺さへんし。」
刀に手を掛けるのではないかと慌てる楓に、一言断り、ゆっくりと蝙蝠の方に歩み寄る喜助。蝙蝠は喜助に怯えて威嚇している。
「すまん。」
喜助は静かに頭を下げた。
「許せとは言わへん。俺がお前の仲間山ほど殺したんは事実や。…すまんかった。」
喜助に敵意が無いのが伝わったのか、蝙蝠の威嚇が止まった。頭を上げじっと蝙蝠を見て、もう一度謝り、喜助は二人を促してその場を去った。
「どんな風の吹き回しだろうな。」
「…さぁ?」
喜助の中にどんな変化が生まれたのかはわからない。
その背中は、行きよりも逞しく感じた。
「君のお説教が効いたかな?」
「…説教などしていない。」
「ほう?ともあれ、あの蝙蝠は大丈夫そうだ。」
流風たちが蝙蝠を遠巻きに眺めている。
「あの小僧が刀を抜いたら、お前はどうするつもりだったんだ?」
白鴉が流風をちらりと見た。
「さあ?僕は彼らを信じていたからね。」
「信じる、か。まぁ…小僧が刀を抜いたところで小娘か童が止めただろうからな。」
「はは、そうだね。」
流風の目は遠ざかっていく喜助達の姿を見送っている。
「あの小娘も運がない。わざわざこの時期に獏に出会すとはな。」
「それなんだが…奇妙だと思わないかい?」
漸く流風が白鴉に向き直った。先程の穏やかな表情とは打って変わって、真剣な眼差しだ。
「獏の妖力が膨れ上がり過ぎているな。」
「そう。そして、破魔の里へ向けられた、溢れんばかりの敵意。何かしらの意図を感じざるを得ない。」
見送っていた喜助達の姿は、もう見えない。
「どう動く?」
「……。」
「入れ込むなと言っても…無駄だろうな。」
溜め息混じりに白鴉が呟く。
流風は答えず、笑顔だけ白鴉に寄越し、空を見上げる。妖の山に再び朝がやって来た。




