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銀座の夜の郷愁 前編

「はぁ……」


「どうした、ミリアル?」


「……いや、ううん……」


「何だよ、歯切れ悪いな」


「いや、別に……」


「あ、もしかしてダイエット中か? ならそのチャーシュー貰おうか?」


「違うって! いいの、これは食べるから……」


「そうなのか? お気に召さなかったか? 新作の鰹冷やしラーメン」


「いや、美味しいわよ? 魚の風味がぷんと香って、冷したお汁もすごくキレがあって……ってそういうことじゃないんだけど!」


 二人は近所のラーメン屋で横に並びながら昼飯を食べている。以前ニャルラトホテプとラーメンを食べた店なのだが、既にミリアルも通っている。通っているのだが……。


「あのね! 週3とか通い過ぎじゃないの!?」


「ええ~?」


 そう、目下の私の悩みはこれ……デート場所の、というか一緒にご飯を食べる場所の『被り』問題である。私の恋人、藤間伸介は割と胃に忠実だ。その時その時に食べたいものを食べに行く。そして今彼の胃はずっと『ラーメン腹』だった。


「別に美味しいから問題なくない?」


「っっっ……そう言う問題じゃないの!」


 私だって別に味に飽きた、とかもっとお洒落なお店に行きたいと言っているわけじゃない。彼は同じ店をヘビーローテーションしても平気なのかもしれないが、たまには変化が欲しいことだってある。しかしそれだけで文句を言うつもりは本当はなかった。真に私が嫌だったのは――。


「――ご馳走様」


 兎も角私は鰹冷やしラーメンを食べきり外に出る。美味しかった。鰹の出汁を雑味なく取り出し、得てして味が濃くなりすぎる汁を冷やすことでサッパリといただける。しかもこのラーメン、通常メニューの麺ではなく特注品の細麺という念の入れようだ。この細麺が鰹出汁に絡みちゅるちゅると子気味良く喉を通る。この夏の限定メニューだそうだが、味も食べ応えもとても良かった。そう、ご飯そのものに不満があるわけじゃないのだ。ただ――本当に一点だけ……。


「――なあ」


 店を出た信号待ちの間に彼に後ろから声を掛けられる。


「何かしたなら謝るわ。ちゃんと教えてくれたら俺も……」


「何でもない」


「いや絶対なんかあるだろ? でも俺もわかんないことを謝れないから……」


「っっっもういい!」


 ついつっけんどんな返事をしてしまった。そんなつもりはなかったというのに。


「――そうか……うん、わかった」


 彼はそれ以降何も言わず家路についた。私は軽い自己嫌悪と、そう――味わったことのない気持ちと格闘していた。『ホームシック』である。


     ◆


「帰りたい……わけじゃないのよね」


 そう、実家に良い思い出は少ない。別にエルフの里に未練はない。ただ、誰しも多少の郷愁の念はあるものだ。私にとってそれは、母の笛の音色に近いのかもしれない。病気で亡くなった母は私が寝ぐずると笛を吹いてくれた。星に照らされた母の姿は、とても――美しかった。


「――もう、聞けないのだけれど」


 そう、私をエルフの里に縛り付けていたものはもうない。戻る理由はもうなく、もうここが私の居場所である。覚悟も、愛もここにある。それでもなお――寂しさが募ることあるのだ。


「あ――今日の晩御飯の準備しなきゃ」


 最近は私がよくご飯を作る。レイが行方不明になって以降その傾向は顕著だ。嫌ということはない。むしろ幸せである。しかしまだ慣れていないから覚えることも多く大変だ。


「――ミリアル」


 ふと居間の机の上で頬杖をついていたら、後ろに伸介が来ていた。


「なあに? ああ、夕ご飯は炊き込みご飯と豚しゃぶにでも――」


「あ、いや今日の晩御飯は作らなくていいよ」


「え? 何か用事?」


「いや、そういうわけじゃないよ。ただ、ちょっと出かけようかと思って」


 何よ、私のご飯よりも大事な用事? ちょっと腹を立てかけたのだが――。


「ミリアルに来て欲しいところがあるんだよ。デートってことで、夜の20時ぐらいに」


「別に構わないけど……急ね」


「それは謝るよ。でも、ちょっとだけ付き合ってよ。後悔はさせないから」


「それで、何処に行くの?」


 私はてっきり近場だと思っていた。幡ヶ谷、笹塚、中野駅付近、もしくは新宿、彼の好きな安くて美味しいお店ばかりのラインナップのどれかに――。しかし彼は、私の知らない地名を答えた。


「銀座、行ったことないよね?」


     ◆


「ここ?」


 彼の案内してくれ場所について、私はまず驚いた。兎も角――そう、街が全体的に『高そう』なのである。


「――お洒落って言うのかしら?」


 経験は浅いが雰囲気で分かる。通りの人の服装も何処となく清潔感と高級感が漂っている。ジーンズにTシャツの彼の格好はみすぼらしいとは言わないが、街には合っていないと思う。


「こんな場所に何かあるの?」


「ん、着いてからのお楽しみ」


 彼は飄々としたものだ。地下鉄の駅から降りてその地下から直結しているビルの中を歩く。煌びやかな店が並び、ビルの中は華やぐ。その店のどれにも彼は目もくれず、エレベーターの前に立ち止まる。


「7Fかな」


 そうして昇った先、エレベーターを降りるとそこにも様々な商品が立ち並ぶ。


「可愛いわね、これ」


「日本各地の酒だね、パッケージが可愛いだろ?」


 これが酒瓶なのか、と私は驚く。豚や何かを可愛らしく描いた絵が張り付いていたり、面白い形の瓶も多い。


「あっちにはおつまみ――あと奥にはアクセサリとか、インテリアとか、小物だね。時間があったらもうちょっと見てたいけど、もう始まっちゃうから店に行こうか」


 そう言うと彼は左にあるカフェに入っていく。


「予約した藤間です」


 そう言うと私たちは窓際の二人席に通された。


「――綺麗」


「だろ?」


 全面ガラス張りの窓から見える夜景は煌びやかで、正面に大きなHERMESという文字を掲げたビルが飛び込んでくる。こちらでは異世界――と呼ばれる私の故郷、それと全く違う夜の風景に私は……。


「注文は?」


 店員にそう聞かれた彼は答える。


「ああ、軽めにしよう。腹いっぱいだとちょっとね」


 意外な答えだった。だって、ご飯を食べに来たのではないのだろうか?

 ふと店内の奥を見れば、何やら見慣れないものが見える。形状から推測するに――楽器、だろうか?


「えーと、お酒飲める?」


「え? ええ……」


「俺はちょっと苦手なんだけど、雰囲気って大事だからね。俺も頼むわ」


 そう言って彼はジン、という種類のお酒を、私はワインを貰う。


「スイートチリとサワークリームのフライドポテトと、後はそうだな……」


「お肉でしょ?」


 彼にそう指摘すると苦笑いを浮かべられる。


「バレバレか。じゃあこのランプ肉のステーキで」


 彼の手元の紙のメニュー表を見ると結構なお値段に見える。これだけでもう四千円は超えている。いつもの彼なら考えられない店チョイスだ。


「ねえ……どうして今日は」


 そう訊ねた瞬間、拍手を受けた一団が楽器のある店の奥へと向かっていく。若い男性4人がそれぞれ担当と思しき楽器の前に付いて、音を合わせていく。その音色は、どこか――。


「確かに、飯だけだったら割高に思うかもしれないけど」


 彼は私の疑問に答える。


「それを差し引いても、きっと、気に入ると思うよ」


 彼の言葉と同時に音合わせが終わったのか彼らは観客である私たちに語り掛けた。


「どうも、和楽器歩カフェライブへようこそ。本日演奏を務めさせて頂きます×××と申します」


 和楽器、カフェ?


「今度我々のチームとしての初CDが出ます、和楽器でアニソンと言って……」


 彼らは前口上をすますと私がまだ戸惑っているうちに演奏が、始まったのだった。

銀座東急プラザ7Fのカフェでは定期的に和楽器のライブが開かれています。


そう、今回の話、実はダイレクトマーケティングです。


https://www.samuraijband.jp/discography.html


なにせ嫁がカバー描いてますからね!

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