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ひとりぼっちのラーメン戦争~鶏白湯と消失の午後~

「不思議だ……飽きない」


 一通り麺を食い切ってしまった奴の丼を見て俺は一応の満足を得る。


「……俺の分残ってないじゃねーか」


「はっ! いや、すまないね。でもこれ、僕を満足させるためのものだろう?」


「まあそうだけどよ……。その飽きない正体はそのスープの上に乗ってる、『それ』だ」


 俺は白濁のスープの陰に隠れた茶色の欠片ともじゃっとした黒い物体を指さす。


「揚げたオニオンチップ。そして岩ノリだ。啜っているうちに色々変化して、楽しめるだろ?」


 香ばしいチップが口の中で鶏の旨味を所々で締め、さらに普通の海苔ではなく、岩ノリなのがポイントだ。その『のそっ』とした食感と岩ノリ独特の潮の香りが見事にこの白濁のスープに絡み、麺と共にほろりと溶けていく。


「いやあ……これも、完成度は凄く高いね! 美味かった!」


 ――でも。


 そう言ってラトは悪戯な笑みを浮かべる。


「確かに感動したよ。でも、それは前の二つに比べても多少上程度の――」


「お待ちどうです!」


「!?」


 ラトが言い掛けた瞬間――『最後の一杯』が俺たちの前に運ばれてきた。


「え? だって、これが最後の一杯じゃなかったのかい?」


「お前にはな? 先に3つはお前用に注文通しておいたが、これは――『俺用』だからな」


「へ?」


 鳩が豆鉄砲を――形容しがたき深淵なるものが辣油を浴びせられたような顔をして俺を見つめ返した。


「食いたきゃ分けてやるが、俺がメインで食いたい、最後の一杯だ。だからほとんどお前が食ってる分には文句言わなかったろうが。心が読めるのに、分かってなかったのか?」


 いや、分かってなかったかもしれない。だって、これが運ばれてきたタイミングは俺の指示じゃない。3つの食券を先に提示し、後からサッと俺が一枚だけ見せて目配せしただけなのだ。それだけで察してくれた店員が気を利かせただけだ。『冷めないように』と。


「ほとんど俺が食う。お前には分けてやるだけだ。沢山食いたきゃ、お前が自分で頼むんだな」


 そう言ってから俺は最後の一杯に向かい合った。


『味玉辛味鶏白湯そば』に。


 先ほどとは違う、僅かにツンと香る、辣油の香り。そう、この鶏白湯の上には辛い、海老辣油が掛けられている。

 ――旨味をたたえた乳白色と赤みが美しく映える。

 スープを一口掬い、オニオンチップと共に口に運ぶ。

 海老の風味が香ばしさと共に辣油に合わさり、それが揚げたチップに染み込み、鶏白湯の優しく甘い味わいと喧嘩することなくすべてが掛け合わされていく。

 そしてそこに玉ねぎのみじん切りだ。

 辛味がさらにそれと合わさり、爽やかさ与えつつ、玉ねぎの辛味と油の辛味が交わり更に複雑に絡む。


 シャク、じゅわ、ピリッ。


 それに追い打ちをかけるように辛味を纏ったままの麺が喉を通り抜ける。そこに、味玉を齧ると甘い、卵の黄身がまた辛味と交わり、舌の上にはすべての味わいが乗って来るのだ。

 辛味と甘みが競い合う口内――海老の、鶏の、岩海苔の、味玉の、チャーシューの、辣油の、旨味すべてが弾け合う。まさに――。


「宇宙だ――」


「あ!?」


 一口喰って呆けていた俺の手元から辛味鶏白湯の姿が失われていた。代わりに俺の横のに座る名もなき無貌の神の手に、それは収められている。


「お、おま! それ俺のだろうが!」


『黙れ』


『――』


 瞬間、圧倒的な殺意が俺の上に押し付けられた。身動きが――取れない。


『喰う。我は、宇宙を喰う』


 圧倒的な神の意志を前にして縛られたように俺の身体は動かない。何か超常的な力だろう。


「くっそッ――」


 もっと食いたい。まだ食いたりないのに――だが。


「食うなら――残すなよ」


 返事はなかったが『愚問だ』と言う意志だけは伝わってきた。奴はいま、食欲の権化だ。後は――好きなだけ喰わせてやろう。


 シャク、ずりゅ、もしゅ、もにゅ、ずりゅ。


 この辛味鶏白湯そばは、鶏白湯からわずか50円上がっただけの代物だ。しかし、その50円の差が、両者の間に明確な差を生み出している。

俺はこれは「支払うべき対価」だと思っている。俺は通常の鶏白湯よりも圧倒的にこちらのほうが好きだ。――そこ、ただ単に辛いものが好きだとか言わない。


「――はぁ」


「あの~、こちらはどうしましょうか?」


 固まっている俺に対して店員が器を持って困っている。そういえば、もう一品頼んでいたのだ。サイドメニューを。


「そこに――置いてやってくれ……」


「は、はい」


 か細い声で俺は答えることしかできない。頼んだサイドメニューは『炙りチャーシュー丼』だ。

 白米の上に豚バラのチャーシューを乗せ、バーナーで炙り、刻んだ長ネギを散らしただけのもの――。しかしこれが、美味い。

 炙った豚バラから染み出た脂を白米が吸い、さらに焼けた香ばしい香りが食欲を刺激する。そしてネギがしつこくなりかけた口の中をシャキ、という食感で僅かに引き締める。そしてその本領は――麺を喰い終えたあとの、スープの残った丼にあるのだ。


「――おい」


『分かっている』


 奴は俺の思考を読んだようだ。そうだ、麺を喰い終わったスープにその白米を『漬ける』のだ。


「おオオオオオオオオオオオオオオッ――」


 スープを吸った白米人ならぬ声が分体である幼女の姿から漏れる。奴の全身は歓喜に打ち震えていた。


「無限――そう、無限の宇宙だ――」


 そう、それが肥満デブ宇宙コスモ肥満症宇宙ヒマンセンシズだ。

 炭水化物とタンパク質と脂質と油分の融合体、名もなき肥満体デブを量産する代物だ。


「あ――はぁ」

 満足そうな声を奴が上げた直後、俺の身体の拘束が解けた。


「――うん、美味しかったあ……」


「満足したか?」


 それこそ愚問だと思ったが、奴は窺うような瞳を俺を見つめた。


「ああ、今は『読んで』ないから安心していいよ?」


「ん?」


「僕の答えを言う前に、最後に一つ質問があるんだ。『本当にこのラーメンで世界が救えると思って』連れてきたのかい?」


「ああ……」


 何だ、そんなことか。

 そんなこと、分かり切ってるだろうに。


「んなわけあるか。馬鹿馬鹿しい」


 この店は美味い。しかし、こいつの満足とはまた別の次元の話だということぐらいよくわかっている。


「『俺が』満足したいから連れて来たんだ。一番好きなラーメン喰ってから死ぬなら後悔なんてねえからな」


 世界を救うラーメンなんて言われてまともに取り合うほうが間違っている。俺に出来るのは自分の一番食いたい、美味いと思っている場所に連れていくことだけだ。こいつが世界を食べようが、俺はこの味をずっと覚えていたい。それだけだ。


「――わかったよ。それじゃ、僕の答えだ」

 

 奴は俺に笑いかけ――答えを告げた。


     ◆


「あれ?」


 気が付くと俺はばあちゃんの屋敷で大の字で寝ていた。


「移動した覚えは――ないんだが?」


 外はもう夕暮れ時、俺は何が何だかわからなかったが、いつの間にか、寝ているうちにでもここに来たのだろうか? でも、昨日は『でか〇を食って寝ただけのはず』なんだが……。


 昨日からの記憶が曖昧だった。何か、すっぽりと大事なものが抜け落ちているような感覚がある。思い出せるような――いや、思い出してはいけないような……。


「まあ、いっか」


 夕飯時に近づいているから、何か食って帰ろうと思うが、あまり腹は減っていない。


「パンでも買って帰るか」


 一瞬脳内にラーメンが思い浮かぶが、今は食いたい気分じゃなかったのですぐに打ち消した。なんか、暫く食いたくないような気もする。

 

「さて、せっかく来たし、掃除して帰ろう。来週には新しい客が来るしな」


 ――また、くるね。


 一瞬、そんな空耳が聞こえた気がした。


今日は色々突発的な出来事がおきまくったので遅れました。

月末になるにつれ少し仕事が立て込むので若干遅れる気味になるかもしれませんが一応週5更新できるよう頑張ります。


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