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穴ぐらは死臭に満ちて


 ぴたり、ぴたりと滴り落ちる水滴に、俺は眉をひそめた。

 外の身を切るような乾いた寒さとはうってかわって、ここは生暖かい空気が淀んでいる。

 足元には濁った水が流れ、苔だかカビだかわからないものにまみれた、ひび割れだらけの石畳が続く。

 小さなカンテラの頼りないあかりがそれを照らし出されていた。

 ジメジメと陰鬱で、どこか()えた臭いがする。

 まったく嫌気のさす場所だ。

 俺は臭いの元凶であるところのソレ(・・)に一瞥をくれて溜息を吐いた。


 それは肉だ。

 そうとしか言いようがない。

 強いて言うなら臓物を思わせる肉塊だ。

 異臭を放ちながら気味悪く脈打つそれが、壁と天井と言わずそこら中にへばりついているのだ。

 この街で生まれ育った俺ですら、吐き気を催す光景だった。


 だと言うのに、だ。


「さしあたっての危険はないんだな? 少年」


 枢機卿(カーディナル)の追跡を逃れるために逃げ込んだ井戸の先。

 街の地下に張り巡らされた地下水道を少しばかり進んだ頃。

 教授(プロフェッサー)を自称するどう考えてもイカれた女はそう訪ねてきた。

 わざわざ名乗ってやったのに、相変わらずの少年(・・)呼ばわりに腹がたつ。

 だけど言い争ったところで無駄に気力と体力を使うだけだ。アレはそういうヤツなんだ、と開き直るしかない。出会って間もないが、それだけは理解できた。


「アレはここまで追って来ない。たぶんな」


 ため息混じりにそう告げると教授(プロフェッサー)は頷き、酷く場違いに見える女中(メイド)服を着た少女に何やら指図をして作業を始めてしまった。


「腕を見せなさいプリシラ」


 その声にふと思い出す。

 そうだ、こいつの右腕は切り飛ばされたままだった。

 肘の少し下あたりでバッサリだ。

 普通なら死ぬほど血が吹き出て、気が触れて散々わめき散らした挙句死ぬ。そう言う傷だ。

 それなのに、この人形みたいな少女は平然としている。

 一体どう言うカラクリなのか気にならないといえば嘘になった。

 それに、名前に見てくれ、どうしてこうも亡くした妹に重なるのか。その疑問もずっと胸の奥にのたうっていた。


 枢機卿(カーディナル)はこの地下水道まで追って来ない。理由なんか知ったこっちゃない。

 縄張りみたいなものがあるんだろうーーと、囚人兵たちは考えている。ーーが、それも実際のところは定かじゃない。

 ただ経験則として知っているだけだ。

 事実として奴が追ってくる気配はない、そのことが何より重要で、他のことは大したことじゃない。

 それでも、ここが安全か? と問われれば答えはノーだ。

 ここじゃ気を緩めた奴から死ぬ。

 そこら中の壁や床や天井にへばりついてる肉塊が、元は何だったのか? それをちょっとばかり想像してみれば、ここも相当にヤバい場所だってすぐにわかるはずなんだ。


 まぁ、クドクドと何が言いたいかって、そんなヤバい場所で俺は周りに注意を払わなきゃならない筈だった。

 それなのに、だ。

 まったくもって困ったことに、あのプリシラの腕がどうなってるのかが、どうしても気になって仕方がない。

 だから俺は、露骨にならない程度に様子をうかがった。


「違う、そっちじゃない」


 声に吸い寄せられるように視線を向けた先で、腕を見せろと言った教授(プロフェッサー)に対し、プリシラは無表情なまま持っていた切り飛ばされた方の腕を差し出していた。

 何とも珍妙な光景だ。


「いや、そっちも見ておくか。貸しなさい」


 小首を傾げたプリシラから教授(プロフェッサー)は腕を受け取ると、その切断面をしげしげと眺める。

 それから、「ふむ」と少しばかり考える素振りを見せた。


「応急修理出来そうにはないな。腕ごと取り替える(・・・・・)としよう」


 何の感慨もなくそう呟くと、教授(プロフェッサー)はプリシラの肩へ左手を伸ばす。

 探るようにしばしまさぐったかと思うと、空いている右手をちぎれた袖の中へ潜らせる。

 そしてーー勢いよく引っ張った。肩をしっかりと掴んだまま、捻るように回転を加えながら。

 プリシラの小さな体が弾みでふらつく。

 教授(プロフェッサー)が一体何をしたのか一瞬わからなかった。


「ふむ、肩の関節に問題はないようだ」


 そうこぼした教授(プロフェッサー)は右手に持ったものを無造作に目の前に掲げてみせる。見る角度を変え、時折なにやら頷きながら検分するそれがプリシラの腕だったものだと気づく。


 つまりだ。

 まったく信じられないことに、教授(プロフェッサー)は、プリシラの右腕を引き抜いたのだ。

 目を疑う異様な光景だった。

 腕を引き抜かれる瞬間、プリシラの口から小さく声が漏れた。

 それでも、わずかに身じろぎしただけで、眉一つ動かさないプリシラの在り様が、異様さを一層きわ立たせていた。

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