第11話 御前会議
時は数日遡る。大ヴェイバル帝国104代皇帝ヴェイバル・フリードル・ウルム・ザクセンは激怒していた。
皇帝の憤りが始まったのは何もここ最近の話ではなく、即位以来27年、ほぼひっきりなしに癇癪を続けている。原因は明白だ。皇帝が皇太子時代より主張し推し進めていた、旧帝国領西ヴェイバルを巣食う逆賊ユニタリ、その征討作戦が30年弱に渡り全く成果を上げていないからである。
しかしそれだけならば、過去300年と変わらぬことである。ユニタリを名乗り神聖なる聖地と皇帝領を不当に支配する勢力に対する懲罰の試みは、これまで幾度となく失敗してきたからだ。
今日の怒りが一層強いのには、加えて直前に決行された一世一代の作戦の失敗が響いていた。「光車作戦」と名づけられたその作戦は、30年ぶりにこの地に降臨するとされる優者、その保護が目的だった。
御前会議にて、皇帝はもう人生何度目になるか分からない怒声を上げる。
「何故失敗した! 彼奴らの国境軍は、聖地より離れた場所にて待機していたと報告されていたではないか! 主力が居らぬ状況で、何故精鋭部隊が殲滅される! 最新鋭の車両と火器を伴った部隊ではなかったのか!」
ガン!
叩かれた机は精緻な彫刻が為されたもので、如何ほどの価値を持つか分かったものではない。皇帝自身が会議の度にその彫刻を愛でるように撫でていることは大臣らにとって周知の事実であった。そんな机にヒビを入れることを厭わないほど、皇帝の憤りには凄まじい物があった。
怒りに震える声で、皇帝は側近に命ずる。
「……ラクシム、光車作戦に投入した戦力を述べよ」
「は、陸戦精鋭部隊の人員32名、機動陸戦車2両、対地ミサイル車3両、回転翼機1機になります、陛下」
「そうだ。この編成はなんだったか述べよ、ダンガン将軍!」
怒鳴られた初老の男は、ガタンと弾かれたように立ち上がり、その肥え太った大きな体を縮こませながらビクビクと返答した。
「は、わ、私が具申した編成でっ、ございますっ」
「ただ具申しただけではあるまい。『この数でも電撃的な作戦を行えば、十二分に作戦を遂行できる』、そう言って具申した編成ではないのか!」
「そっ、その通りであります!!」
最早不憫なほどに顔を青くしたダンガン将軍。それを憐れんだのだろうか、ラクシムが挙手する。
「しかし皇帝陛下……畏れ多くも、私めが耳に入れた情報を奏上したいのですが……」
ラクシムの発言の続きを促すよう皇帝ザクセンは頷く。
「……述べよ」
「これは国境付近に住まう現地臣民からの報告なのですが……優者一行には当時、隊長を含む国家親衛隊の精鋭が同行していたとか」
その言葉に走る衝撃。
「国家親衛隊……!」
「なんという……」
「……あの魔法部隊か……っ!」
忌々しげに顔を歪める皇帝。国家親衛隊、それは隊長のレイミール・ヴィリアを筆頭に、ユニタリ一の魔法の使い手達により組織された精鋭部隊。任務内容は特殊部隊のそれでありながら、その圧倒的な知名度と人気により公然の秘密となっている歪な組織。
特に隊長のレイミールは、単身でヴェイバル帝国陸軍一個大隊に匹敵する作戦遂行能力を有するという研究結果もあるほどの力を持った、歩く戦略兵器である。先立つ侵攻作戦においても戦車15両、戦闘機32機が彼女一人の手により撃破されている。それがあの場に居たとなれば、幾ら精鋭とはいえ三十余名ほどの兵士たちがどうなるかなどは考えるまでも無い。
「……現地協力者からの報告によりますと、敵方の攻撃激しく、跡には遺体すら残っていなかった、と……」
「何だと!?」
「酷すぎる……!」
仮にも文明国を名乗り、帝国を名指しで「蛮族」と非難したこともあるユニタリが、その一方でこのような残虐な行いを行う。そのダブルスタンダードに、大臣たちの心中は恥辱と怒りに塗れる。
「……悪魔の技、邪法を用いる邪教徒共め……!」
敬虔なエルトロ教信者である皇帝ザクセンにとって、ユニタリにおいてエルトロ神話が歪んで伝わっていること、それすらも不快極まりないことだというのに、加えて建国以来ヴェイバルにおいて禁じられている悪魔の業たる魔法を用いるユニタリは、もはや不快を通り越して理解できない恐怖の対象ですらあった。
「……陛下、僭越ながら意見の具申を」
そんな怒りに震えるザクセンを前にして、一人挙手する者が居た。
ミケイラ・エンゲルス。齢24の若さにして大ヴェイバル帝国内閣官房副長官の座に納まった、新進気鋭のエリートである。
「……許そう」
「先日も、戦略研究部会を通じて奏上した通り、ユニタリの魔法装備の鹵獲及び解析を、国策として行うことを改めて提案――」
「ならぬ!」
にべもなく、ミケイラの献策を一蹴する皇帝。
「あれは悪魔、そして悪神より与えられし穢れた技! 人としての矜持に懸け、あのようなものを使うことは赦されぬ!!」
「しかし――」
「くどいぞ、ミケイラ」
ミケイラの言葉を遮ったのは、皇帝の側近ラクシムであった。
「それは一度閣議を通し、既に却下された提案である。それをもう一度直訴するなど、無礼にも程度がある」
「――よい、ラクシム。ミケイラ副長官もまた、国を憂う愛国者である。国を想っての意見ならば、発言する行為自体を止めはせぬ」
しかし、と前置きしてから、皇帝ザクセンは続けた。
「大ヴェイバル1186年の歴史において、我々帝国民は悪魔とは異なる、光栄ある孤独の道を歩む人類としての矜持を保ち、人の業たる科学文明の下に発展し続けてきた。魔法の道に走ることは、それを守ってきた先帝達、そして臣民たちの思いを踏みにじることとなるのだ。誇りある帝国臣民ならば、そのことを心得よ」
――――
「科学に頼れ、と叫ぶ人間が神話に拘泥するとは、一体なんの皮肉なんですか?」
大ヴェイバル一の都、首都アレイダムの繁華街で、ミケイラは管を巻いていた。右手に酒の入ったジョッキを持ち、顔を赤くしている様子からは、先ほど御前会議の時に見せていたエリート然とした雰囲気は感じ取れない。
「そう言うな。我々が処罰を恐れず自由に発言出来るようになっただけ、先進的になったのだ。100年前ならお前は斬首されていたぞ」
ミケイラを諌めるのは、同じく御前会議に居た男、それもその時ミケイラを叱りつけた人間だった。ラクシムもまた手にジョッキを握り、この繁華街では場末の方にある居酒屋の席を埋めていた。
「それは先帝陛下の尽力のおかげでしょう? 今上陛下によるものではない」
それでもミケイラの愚痴は止まらない。
「大体、未だ原文も見つからない、1000年も前の伝承に従い続けるってどうかしてるでしょう! いくらこの馬鹿広い国土を纏めるのに、宗教の力が必要だからと言って……政教分離の原則なんて、もう700年も前に優者によって伝えられているんですよ? 学問じゃ初等部で習うことです」
ガッと、ジョッキの中身を空にするミケイラ。
「かぁーっ! ……確かに私は、歴史ある正統な帝国たる大ヴェイバルの臣民であることに誇りを持っていますし、建国の神話に関しても信奉はしていますよ……けれど、全部を信じてりゃいいって訳じゃないでしょう? 事実、魔法を用いているユニタリは、あんなに発達している。文明の停滞の原因を優者の不足に求めて、人さらいの計画を立ててもあの魔法部隊に遮られて失敗する。神話に拘泥していては、この国は沈みますよ」
「お前、絶対に公の場でそれを言うなよな……」
あまりの物言いに呆れたように笑うラクシム。このミケイラと言う人間は、この保守的で頭の固い国においてこんなことを平気で言える、行ってみれば阿呆だった。
ミケイラとラクシム、彼らは大学の先輩と後輩と言う関係だった。保守的なラクシムと革新的なミケイラ、正反対な政治主張を持つ彼らは、大学内の政治討論会で対決したのを切欠に知り合った。その日のうちに意気投合した二人は、何かある度に意見を戦わせる良き友となり、政治の世界にお互い身を置くようになった今でもこうして交流を続けていた。
「しかし……或いは、神話、神話と言うのが間違いなのかもしれんぞ?」
「……どういうことですか」
突然遠い目をし始めるラクシムを、ミケイラは怪訝そうに見る。
「神話とは、神の話と書くわけだ。だが実際、伝承のエルトロ神話の内容を考えてみろ。あれは神が主役の話などではない。人が悪神を克服し、支配に置くまでのあらましを語った話だ。そういう意味では、俺はあれを人の話、人話だと思っている」
「人話……」
耳馴染みのない言葉を、口の中で転がすように呟くミケイラ。
「つまりあれが史実であると?」
「そうは言っとらん。あそこに描かれているような悪魔に悪神などが実在したとは考えておらぬが……しかし火のないところに煙は立たぬ。悪魔になぞらえられる存在が居るのと同じように、ひょっとすると悪神も実在したのかもしれない……そういう意味で、あれが全て欺瞞だとは限らん」
その言葉に、再びミケイラは眉をひそめた。
「悪魔になぞらえられる……機人のことですか。私は、それに関しても疑問なんですがね。先輩には以前話したでしょう。私が研修官時代に、国境付近の村落に飛ばされた話を」
「……覚えているとも」
「私は、あの時ユニタリ人に負わされた怪我を、現地の人々に治してもらいました。どうやって治して貰ったか、お話ししましたよね?」
「……しかし、気絶していたんだろう」
「治癒魔法です」
その言葉に、居酒屋の喧騒が一瞬静まり返る。誰もが、こんな明るい酒の席の場に相応しくないフレーズを聞いたような気がして、気まずそうな顔になる。暫くラジオから流れる音楽のみが、店内を満たした。だがやがて皆気のせいかと思い直して、再び店は賑やかになっていった。
「……声の大きさには気を付けろ」
その注意に耳も貸さず、ヒートアップしたミケイラは言葉を続ける。
「私は、あの村で機人に治癒魔法を……悪魔にしか使えず、悪魔にしか効かないと言われた魔法を掛けられたんです。ユニタリ陸軍の大口径火器の掃射に当たって、右肩から先が吹き飛んだ感覚を、今でも夢に見ます。けれど、あの村で目が覚めた時にはもう治っていて、今こうしてピンピンしている! 治癒魔法が効いたということならば、私は悪魔なんですか?」
「幻覚でも、見たのだろう」
「けれど、傷痕だけは確かにあります! 見ますか!?」
そう言っておもむろに上着を脱ぎはじめるミケイラを、ラクシムは大慌てで止める。
「わっ! 止めろ、止めろ! こんな場所ではしたない真似をするな! 政府の顔に泥を塗るつもりか!?」
政府の名前まで出した必死の説得により、ミケイラはようやく落ち着いたようだ。ラクシムは大きなため息を吐いた。
「全く……嫁入り前の女が、自らを貶める様な真似をするな」
頭を抱えるラクシムを意に介さず、彼女は言った。
「私は当の昔に、この身を帝国に捧げています。ユニタリの脅威を肌身をもって味わった人間として、あの国の力を帝国にも導入する、そのためならば、力を惜しむ気はありません」
「……全く」
強く、自分の意志を曲げずに、国を護るために国を変えようとする気概。その純粋な真っ直ぐさに、ラクシムは眩しそうに眼を細めた。
「皇帝陛下といい、この国には強い女が多いな」
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