第9話 マジックフェスタリオ
俺はウキウキ気分でホテルの一室を飛び出した。その軽やかなステップたるや、今にも身体が宙に浮いてしまいそうなほどだ。この世界は重力が弱いのかも、なんてな。
ホテルのロビーまで降りると、そこには見覚えのある顔があった。その人は前に見た時と同じように、短く刈りそろえられた頭をガシガシと掻いている。
「あ、えーと、ターベンさん、でしたっけ。おはようございます」
「おう、優者サマにおかれましてはご機嫌麗しゅう」
「止めてくださいよ、まだ優者にはなってないんですから。メルドーさんから聞いてないんですか?」
「優者」という言葉が発された瞬間、ロビーを行きかう人々の視線が一瞬集中するのを感じて、俺はビクビクしていた。ここ数日街を出歩いていて改めて気づいたことだが、この国の人間の優者に対する関心度は恐ろしいほど高い。
「聞いてるさ。だからこそ、ここに来たんだぜ?」
「……どういうことですか?」
「メルドー殿が不審がってるんだよ、ここ数日の優者サマを。『文化体験の申し出を全て断って、優者受諾の件も先延ばしにして、毎日街にフラフラ遊びに行ってる』ってな……だから俺に確認して来いって命が回ってきたんんだ」
なるほどなあ、確かに最近はメルドーからの連絡は適当に受け流してばかりだったから、そりゃ怪しまれるわな。
「すみません、心配お掛けして。けど、大丈夫です。単に、新しく出来た友人に街を案内してもらってるだけですから」
ターベン、ひいてはその向こうのメルドーを安心させるように言い切る。
「……女か?」
「……何故それを」
動揺に固まる俺に、ターベンは何の気なしに言い放った。
「ま、そうだろうと思ったよ……優者サマ、まあここ数日で多少の片鱗は感じてるだろうが……優者ってのは多大な権限、権利、地位、名誉が保障された、この国じゃとんでもなく重い立場だ。それだけに、その利権のおこぼれを狙って、優者に近づいてくる連中も沢山いる」
そう言ってターベンは、俺の耳元に口を近づけ、ひそひそと伝えてきた。
「――付き合う相手は、よく選んだ方が良いぜ。それに、いくら先代優者の前例があるとはいえ、浮気はユニタリでも不徳だ……まあ俺なら、どちらも選ばないがな」
言葉の内容を理解するまえに、ターベンはさっと離れると、「じゃ、おデート頑張ってきてください、優者サマ」と言い、身を翻してさっさとロビーから出て行ってしまった。言われた俺は立ち尽くす。
ターベンは「付き合う相手はよく選べ」と言っていた。つまり今俺が交流している相手は、優者の身分を狙った女だと。そして浮気――これはマイカのことを念頭に置いた発言だろう。そして「俺ならどちらも選ばない」、とは、一体……。
――ま、どうでもいいわ。完全にエルレシアにほだされている俺はそう割り切った。
だって、あんなに美人だし、気立ても良いんだよ? これで実は悪女とかだったら、そっちのほうが逆にありがちすぎる。このテンプレからちょっとズレた異世界なら、むしろマジでエルレシアが俺に好意を持ってるとかの方があり得そうだ。
そんなむちゃくちゃなエクスキューズを考えながら、俺は再び歩みを始めた。のんびりしていたら遅刻してしまう。
――――
「待った?」
「いえ、今来たところです」
きっとどんな世界でも通用するであろうお約束の会話をしながら、エルレシアと会話を交わした。
今日の彼女は割とラフな格好だ。黒い長そでのワイシャツにローライズのデニムパンツ。素材が元の世界と同じかは知らないけれど。足のラインといい、白い素肌と言い、シンプルなのに彼女の特徴が引き立てられているる服装にドキリとする。
ちなみに俺は先日彼女に見立ててもらった服装だ。別にわざわざ書くようなことじゃないけれど、女性に服を選んでもらうなんて初めてすぎて緊張しっぱなしだった。それをまじまじと見た彼女は言う。
「……うん、やっぱ似合ってるよ」
「ありがとうございます、エルレシアさんが選んでくれたおかげです」
「もう、だから敬語もいらないし、エルレシアって呼んでよ」
そう言ってふわりと笑うエルレシアから、仄かに柑橘系の良い香りがした。うわ、でも匂い嗅いでるってバレたら絶対気持ち悪がられるな、そう思って平静を保つ。それに呼び捨てもため口もまだハードルが高すぎるんです、すいません。
柑橘といえば、この世界の食べ物ってどうなってるんだろうな。今んとこ出されてるもんは見覚えのある料理ばかりで、味も美味しいけれど、食材は全然違ったりして……逆に知らない方が良いかもしれない。
さて、今日も今日とてエルレシアとデート……じゃなかった、異世界文化の実地体験である。レイジン各所を巡りながら、ユニタリやこの世界の伝統について触れたり、学んだりしている。
実は同じようなことをメルドーが提案して来たけど、宛てがあるからと断っていた。先ほどターベンが言っていたのはそのことだろう。
裏切り者だと、尻軽だと罵倒してくれて構わない。けれど、超絶美人のエルフと、色黒ムキムキスキンヘッドおじさんから同時に同じ申し出されたら、誰だって前者選ぶでしょ!?メルドーだってきっと男より女を選んでくれる……選んでくれるよね?
3日前はレイジンの繁華街を二人でめぐり、一昨日は国立歴史美術博物館とやらに向かった。ちなみに両方、彼女の授業が終わったあとだ。昨日は大学のゼミがあるということで会えなかったが。
そして今日向かう先は、この4日間の中でも特に興味を抱いている場所だ。スマホに表示された行先の名は、「マジックフェスタリオ」。
―――
電車に乗りながら、昨日までの話の続きをする。内容はユニタリ、ひいてはこの世界ティオスの歴史だ。
「……それで、7つの西方保護領は革命を断行、連合して帝国支配に反旗を翻した。それがユニタリ革命。統一暦でいうと800年代ごろだったかな。以来ユニタリは帝国から独立し、独自の発展を遂げはじめたってわけ」
「へええ……じゃあもしかしてそれ以前は、優者って帝国の支配下で動いていたってこと?」
「そういうことになるね……ああ、実際結構ひどい目に合わされてたらしいよ、ほら」
そういって彼女が見せてくれたのは、「中世の優者たち……歴史の悲劇の被害者たち」というウェブページだった。
「……帝国の発展に寄与し得ないと判断された優者は、偽物であるとされ、幽閉、あるいは処刑されていた、ですって……」
「……俺、この時代に転移してきて良かったわ」
心底胸をなで下ろす俺。聞く限り、大ヴェイバル帝国とはやはり空恐ろしい国だった。
彼女曰く、この世界の神話は数千年前から始まるらしく、その頃は「古代帝国」という国が栄えていたらしい。古代帝国はこの惑星ティオスを、発達した科学技術により支配していたとか。
しかしその古代帝国はある時崩壊、その後の混乱を治めたのが「優者」なのだという。そのため優者は、この神話を信奉する人々にとって崇敬の対象なのだと言う。
「けれどそれを快く思わない人々が居た。優者以前にこの世界を支配していた人々、古代帝国の末裔ね」
「じゃあ、大ヴェイバル帝国ってのは……」
「そう、古代帝国の継承を謳っているの。だから優者に対しても、形式上は国民の支持を得るために保護してたけれど、実際には弾圧してたみたい」
そして、それを許すことが出来ず反旗を翻し、優者が現れるジーハンの地を保護したのがユニタリなのだという。
「……まあ、この神話のどこまでが正しいかなんて、わかんないんだけどね。結構、ユニタリ的に都合の良い筋書じゃない?」
「まあ、確かに……こっちの世界でも、自分の政府に都合の良いように歴史を書き換えるってのは、古今東西問わず有り勝ちなことだったし」
人類のカルマみたいなものだ。勿論、歴史に唯一絶対の答えなどないのだろうけれど。
それにメルドー曰く原文は遺失しているのだという。内容が元来の者から変わっている可能性は否めない。
「……ま、とにかくヴェイバルはおっかない国だってことだな」
「そゆこと。だってあっちじゃ、いわゆる純人しか認められていないらしいし」
「ジュンジン……」
言葉の響きと、少ししなだれたエルレシアの耳からなんとなく見当が付いた。きっと、亜人の系統を親に持たない人を指すんだろう。
「だから東ヴェイバルとはまともな国交もないみたいだし、民間での交流も薄い。国際条約も、それこそ独立のときだから、300年前に結ばれた休戦協定くらい……かなり不気味な国なのよね」
それでも、300年間攻め続けて居ないということはそれなりに理性的な国なんじゃないか、とも思った。こっちの世界でそんなに長く平穏が続くなんてことは無かったからな。
しかしメルドーや大統領のくれた情報によると、向こうは相当発展が遅れているという。単に対抗できないから、身動きが取れていないだけなのかもしれない。
「……ま、こんなもんでいいかな。ごめんね、なんか暗い話になっちゃって」
「いやいやいや、俺が頼んだことなんだから。ありがとう、凄く参考になりました」
「どういたしまして。……さて、そろそろかな?」
エルレシアは電車内のディスプレイを見てそう言った。「次は、マジックフェスタリオ前」という表示に、俺の胸は躍った。
――――
マジックフェスタリオ、レンタルされる杖で、簡易な魔法を楽しめるテーマパーク。そんな説明文を見た時から、俺の胸は早鐘のように鳴りっぱなしだ。だれかが胸の中の鐘でピンポンダッシュしてるんじゃないかってくらいに。
外見はドーム型球場のようだが、サイズが凄い。高さは200メートルはありそうで、東京ドームがを縦に積んで4個分って感じだ。中の広さなど直感的には分からないレベルで、単純に4倍の二乗してみると、16倍の広さはあるということになる。正直、中に入る前から圧倒されている。
「えー、こんなんでビックリしてたら心臓持たないよ? はやくいこ?」
そういってエルレシアは、なんと俺の手を掴んだ! ヒイィ、小さくて俺より細いはずなのに、なんでこんな柔らかいんだ。女体の神秘の一端に触れた俺は言われるがまま中に引きずり込まれていった。
内部は、もうすさまじかった。円状のドーム内部は、いくつかの扇形のセクションに分かれていた。中心のラウンジからその各所の様子がうかがい知れるのだが、どこもかしこも賑やかだ。
ドカンドカンと景気の良い音が上がっているのは、「火炎魔法体験コーナー」だ。プロテクターを装着した男が、係員の指示に従ってメルドーが持っていたような杖を握っている。広々とした演習場のような場所の真ん中には、この施設のマスコットキャラ、「フェスタくん」の張りぼてが何枚か立てられていた。
男は、杖をひょいっと振る。次の瞬間一戸建ての家ほどのサイズの火球が炸裂! 衝撃に火炎コーナーを囲う壁がびりびりと揺れる。というか。
「フェスタくぅぅぅーーーーーん!!!!!」
叫ばざるを得なかった。やがて煙が晴れると、そこには無残に塵と化した何かの残骸が地面に散らばるばかり。
「酷いや……フェスタくんにはなんの罪もないだろうに」
ドームの形を意識したであろうまんまるとした形と、それにそぐわない濃い顔立ちが、中々好ましいキャラクターだったのだが。
「けど、まさか人のマネキンを置くわけにもいかないじゃない?」
エルレシアさん、さらりと怖いこと言わないで下さい。
――――
水魔法コーナーでは、発生させた水による水流で流れるプールが作られており、実際にその中で泳いで遊べるというのが売りになっていた。残念ながら12月なので水着を持ってきていなかったのだが、エルレシアの水着を見るためならば自分、手段を厭わないつもりであります。
…そう、こちらの世界も丁度2月、冬の最中だったのだ。一か月が35日あるけどな。
このレイジンは大陸の西に位置しており、緯度もそれほど高くない。冬でも温暖なのだが、流石にプールに入れるほどじゃあない……と思っていたが、パンフレットを見るとなんと温水プールだと書いてあった。マジかよ。ちゃんと調べておくべきだった……。
中では水着を着た人々が、男女入り混じって楽しそうに泳いでいる。服を着たままプールを覗くというのも中々背徳的だが……中の女性たちは、スタイルの良い人ばかりだ。褐色のあの女性はエルレシアと同じように耳が長いけど、肌は褐色で、夏を先取りしているかのようだった。ダークエルフというやつか。
あの少し紫がかった肌をした人は……まるで爬虫類のような目をしている。その黄色い目は、うっすらと見える鱗のような体表の紋様と相まって妖艶だ。って、目が合った。すると彼女はにやっと笑って、ちろちろと赤い舌を出した。まるで蛇だ。ひぃっ、エロい。恐怖と性欲に一瞬で飲まれた俺は、まさに蛇に睨まれた蛙のように固まる。
そういう風に立ち尽くしていると、別のところを見てきていたエルレシアが近寄ってきた。
「……プール入りたかったの? じゃあ今度またこよっか。今度は、水着も決めてからね」
マジで!?
「マジで!?」
あ、心の声が漏れてしまった。
「マジマジ。まあでも今日は仕方ないから、別のところいこ?」
そう言ってぐいぐい引っ張ってくるエルレシア。名残惜しいけど、水着コーナー……じゃなかった、水魔法コーナーを後にした。
――――
「やっぱ私たちと言ったら、これでしょ!」
他にも土魔法(好きな形状の粘土を形成できる)とか、氷魔法(夏はかき氷、冬は雪だるまづくりが楽しめる)を見て回ったが、最後にエルレシアが連れてきたのは風魔法のセクションだった。
「風……これがどうして?」
どうにも風魔法という言葉が、「私たちといったら」というフレーズに繋がらないような気がするのだけれど、エルレシアはそうではないようだ。
「中に入ってみれば分かるって。さ、いこいこ」
そう言って強引に押されれば簡単に連れてかれてしまう。
――――
「……なるほど」
中に入って分かった。そういうことか。
「ね? やっぱこれでしょ?」
いや、確かにそうかもしれないけど……。
中では何人かの人間が、あの日のひったくりのように宙ぶらりんに吊り上げられていた。あれ、風魔法だったのか。
「ねね、持ち上げる方と持ち上げられる方、どっちやりたい?」
「え! そりゃ、持ち上げ……」
る方に決まっている、のだが、改めてエルレシアを見る。こんなに可憐な女性を、果たしてあんな川釣りの魚のような目に合わせていいのだろうか、いや、良いわけがない。それに気が付けばなんと、彼女は既に杖を持っていた。いつの間に。いずれにせよ、選択肢は無かった。
「……られる方です」
「よしっ、じゃあそこに立って」
言われるがまま立つと、係員が出てきてヘルメットとプロテクターを着けてくる。うわ、バンジージャンプじゃんこれ。
「あの、エルレシアさん。これ、誓約書とか書かなくても大丈夫なやつなんですか?」
「ん、大丈夫だよ」
ほっ。どうやらそこまで危なくはないようだ。
「さっき私が書いといてあげたから」
何を言ってるんだこの子は! 「いくよー!?」じゃない、ちょっ、怖いっ、杖を構えないで!
「――それっ!」
瞬間、俺の意識は飛んだ。
――――
「……おーい、ケイジく~ん」
間抜けな叫び声が下の方から聞こえてくる。なんだと思って目を開いてみたら。
地面が、めっちゃ遠くにあった。
「うひっ!!? うわ、うわ!?」
首をぐりんぐりん回すと、身体が明らかに宙に浮いてることが分かった。けどふわふわというよりも、グイッと持ち上げられているようで物凄く不安を煽る。
「あ、目が覚めた? だいじょうぶ~!?」
下の方から呼びかける声はエルレシアのものだった。凄い小さく見えるけど、心配してくれているようだ。
……いや、心配してくれてるみたいだけど、気絶してる間に降ろしてくれれば良かったですよね?
しかし彼女の毒気の無い声に、その文句も飲み込む。いかんいかん、こんなことで嫌われてはいけない。せっかく自分を評価してくれている人なのだから。
「だ、大丈夫です!」
「そっか~! ねね、今そこってどんくらい? 脇に、高さの表示があると思うんだけど」
「高さの表示って――」
言われるがままに横の壁を見て、絶句する。
高さ、37メートル。
およそ、ビル十階分の高さに匹敵する高度だった。
「ちょ! 早く降ろして、降ろしてーっ!!」
マジで年甲斐もなく叫んでしまう。だけど身体は凍り付いたように動かない。少しでも動いたら真っ逆さまなのではと、恐怖で竦んでいるのだ。
「わかったよー、いくよー?」
そう言ってエルレシアは杖を振り上げる。
「わっ! ゆっくり、ゆっくり降ろして!」
「えーっ? 早くなのか、ゆっくりなのか、どっち?」
そう言って杖を揺らすもんだから、俺まで揺れてしまう。
「うわあ!! ひっ、落とさないでよ、絶対に、落とさないで!!」
「……それは、落とせってこと?」
やめろ!! 異世界まで来てこんなもん通じなくていいから!!!
必死の説得が実り、ようやくふわりと地面に近づき、戻ってきた。一切身動きは取っていないのにゼエゼエと息をしてると、エルレシアがぼそりと言った。
「この建物、風魔法のために高さ200メートルもあるのに」
係員さん、このエリアだけ屋根の低さ2メートルくらいにしてください。