白
side秋弥
噂が真実だろうと何も晴れないし楽しくもない。
ただ、ゾクリと粟立つなにかを感じた。
きっと俺は、木瀬野さんが好きだから。
そんな人が謝るのがみたいのだ。
カンベはどうでもいい。好意っていうのは、相手をいじめたくなることらしい。
「俺が好きだから、謝ってくれるんですよね? 俺が好きだから認めてくれたんですよね? 俺が好きだから真実から逃げないんですよね」
信じられる気がする。
「ね? 好きって、こういう、逃げ場の無い、重みのあることなんです」
ぽんぽんと沸いてくる、金とインクと紙の無駄遣いで出来る塊なんて、なんの嬉しさもないんだ。そんな好意なんて、本屋に行くのさえパニックになりがちな今の俺には、全く視界に入りもかすりもしていないのに。
だから、嬉しかった。
こんなに俺を想ってくれた人は、生涯でももういないかもしれない。
何度も拒否をしていた。気持ちだけでは、恋はできない。
あまりにしつこくて面倒なときは、形だけ付き合って振ることで二度と寄り付かなくする。
一度は関わったのだからと思わせればもうやって来ないのだ。
「だけど、気付いた。
俺、『これ』が好きなんだ……! アハハハハハハハ!!」
いつの間にか好きだという気持ちがさんざん蹂躙されて、徹底的に潰されることに、興奮を覚えるようになっていた。
「好きだって言えば、何をさせてもいいんです! 愛してると言えば相手は許してくれるから!」
木瀬野さんは何も言わなかった。
「嫌いなわけでもないし、そのままにしておこうと思ったんです。だけど……やめました、好きだから、誰より傷付いて欲しくて」
『その方』が、俺に裏切られる姿は良いと思った。
ここにくる前に、何を言おうとしていたか、全部抜けていた。
人を裏切ることと裏切られることは、愛情の一種なのだ。
「誰も来ないのが、悪いんですよ。他の人たちも紹介してくれませんか?
唯一繋がる人にしか謝ってもらえない。
その人たちのぶんまで、愛そうと思います」
電気を消す。
いつもポケットにいれていたハサミを手にとる。倒れこんだ木瀬野さんの眼球の前に、落とさないようなバランスで掲げてそれを翳す。
「そんな、情報なんか、簡単には……」
「エクレアをね。食べようとしたんです。それでね」
「秋弥、くん?」
「好きだから、って言って虫が、入ってたんです」
「秋弥くん」
「俺を困らせたいから、折ったって言うんです」
「秋弥くん」
「びりびりに、破かれてた、んです。俺を怒らせたいから。
ゴミが捨てられたんです。俺に、見て欲しいからでした。殴られたんです。ずっと、ずっと。
俺が、俺が、好きだと言わないから」
「秋……」
「俺が何をしたんですが何をしたんですか何をしたんですか何をしたんですか何をしたんですか何をしたんですか何をしたんですか何をしたんですか何をしたんですか何をしたんですか」
「っ……」
「あ ああああああ゛ああ――――――――――――好き、好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだー好きだ好きだー好きだ好きだーー好きだ好きだー!好きだ好きだー!」
「……、秋、弥……くん」
「好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだあああああー好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだーああああ!
これでいいかー!
満足かああああああああ」
どす、どす、と僕を蹴っていることにはまるで気がついていないかのようだ。与えられる衝撃に息が詰まる。
なのに、なぜか僕は動けずにいた。
「好きだー!好きだー好きだ好きだ好きだ好きだ好きだ好きだあああ゛あーあああああーアハハハハハハハハハハアハハハハアハハハッ! アーッハハハハハハハハハハハ!!!! 好きだ俺も好きだ俺はお前をああああああああああははははははははー!」
強引な他人の好意が、どれだけ迷惑なものなのか。どこまで人をおかしくするのかをかいま見たようだった。
他人が強引に意識を向けさせることは、彼には犯罪者のようなものらしい。
心の底では、「誰も居ない」空間を愛しているのかもしれない。
それを、奪ってしまった。
河辺……いや。
「僕たちがやりました」
蹴られた箇所をなるべく気にしない風におきあがり僕は言う。
「聞いてんだろ、好きだと言わないからあんなことするんだろ満足か、いくらでも言うから消えればいいのに! 好きだといえば、あいつらはいなくなるのか」
彼には、『誰』が見えているのだろう。
これまで傷つけられてきた誰かたちだろうか。
「好きだって、言ってるじゃないか、まだ不満か? 望んだくせに望んだくせに望んだくせに望んだくせに望んだくせに望んだくせに望んだくせに望んだくせに」
そうだ。
彼は望んだことを、している。好かれるまで続く暴行から逃げたいから。
「好かれれば満足だろ?
なんで、なんで、なんでムカつく表情なんですか
ほら、好かれたんだから笑って、くださいよ。アハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
好かれたくない好かれたくない
好かれたくない好かれたくない
「ほら、笑ってください、喜んで、喜べよ! 好かれなきゃ許せないんだろ」
好かれたくない好かれたくない
好かれたくない好かれたくない
好かれたくない好かれたくない
好かれたくない好かれたくない
好かれたくない好かれたくない
好かれたくない好かれたくない
好かれたくない好かれたくない
好かれたくない好かれたくない
好かれたくない好かれたくない
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
殺してくださいー!
殺してください!!
俺には感情がないから生きていけませーん!
人間じゃありませーん!
人間じゃないんです!!
アハハハハハハハハハハハハハ!!!
政治家が法案でも作るんでしょう!!
早く撃つなりなんなりして、排除してください」
彼は錯乱したまま、しだいに、僕さえも見えなくなっていた。
そうだ……
ぼんやりとした頭が、彼が僕に紹介を頼んでいたのを思い出す。
売れ、ということ。
カンベに関わった人たちを。聞いてどうするかはわからないけれど、『実感』を持たせるのと、なんの情報もないのとで、向き合い方が違うのかもしれない。
でも、まずは……
少し起き上がっただけのような姿勢で僕はどうにか携帯電話からアドレス帳を開いた。河辺に、連絡をとると彼ことを知っていると言う鵜潮を紹介してくれたので電話をかけた。
出ないだろうと思ったが通話が繋がる。
鵜潮は彼と仲が良いらしい。
「うん。それで、秋君の部屋の写真も持ってるよ」
……?
僕は単なる同級生ということにして会話をした。 彼は、玩具のおしゃべり鶏みたいに、一度話を始めたら止まらなかった。
筆箱も同じだとかそれをいままで喜んでたのに急に批難されたという話になった。
なぜだろう?
背筋にぞっとするものを感じるのは。
秋弥君はもともとはそんなにキツい性格ではなさそうだった。
ただ……そう、なんというのか『こういう』人間を寄せ付けやすいところがある。
「一緒に買いに行ったの?」
「いや、次の日買いに行ってきたやつを見せた。その日はなんも言わなかったけど、酷くない?」
何度も似たことをしている口ぶり。
「……」
鵜潮の強い思い込みによる、妄想ではないだろうかという思いが強まっていく。
秋弥君も恐らく心のなかでは複雑な部分があったのだろう。
いじめられていたんだけど、彼は友達になってくれたと言っていた。
けれど、秋弥くんからは思えば一度たりとも鵜潮の話題を聞いたことがない。
『そこまで』の信頼関係があるようには、僕には全く思えなかった。
……これは、恐らくは、みんながいやがって「遠ざけていた」パターンだろう。
クラスに一人は居る場合のある、いじめられるタイプの中でも厄介な『原因があるのに自覚がない』もの。
思い込みが強く、人との距離感がわからない、
本人は真面目なつもりで頑固になってマイワールドのなかで発言して振る舞う。
なにか彼を落ち着かせるヒントがないかと思ったが、彼は火に油だろうということが判明した。ありがとう、と通話を切る。
side秋弥
自分が何をしているかはよく覚えてない。
逃げるように部屋から出て降りたつもりが、知らない部屋に居た。
テーブルがあり、そこに水が見えてなぜだか飲もうと思った。
もはや自宅だと錯覚している。
予想していた味ではなく口の中が苦くて辛くて、いたい。
強烈な苦味と酸味の混ざる味にむせて吐き出す。泡とともに、それが床にこぼれた。
泡?
手にしたものを見たら食器用洗剤だ。
なんで洗剤を飲んだんだろう?
俺は洗剤が好きだっけ?
頭が回らなくなっている。
前も、絵の具を食べたことがあったけれど、なぜこんなの食べたんだろう?
洗剤には独特の渋味とえぐみがある。
しばらく舌の上にその感触が残り、咄嗟に唾液が口を満たす。
あまり美味ではない。
水を……水、を。
ふらふら歩いていたら、流しを見つけた。蛇口を捻って出てきた水を飲む。
しばらく余韻が続きそうだが、すぐ吐いたからさほど飲んではいないだろう。
口をぬぐって、冷静にあたりを見たら知らない場所だった。こんな部屋、知らない。俺の部屋は? あちこち見渡して、続いている廊下を見つけた。持ってたハンカチで周りを拭いてから立ち去る。
歩いている間は、ひとりぼっち。
なんだか悲しくて、腕を引っ掻きまくると腕や首から血がだらだら伝ってきた。身体がぽかぽかする。
「う……ふぇ……」
嗚咽ににたなにかが零れた。苦しい。
「あはははははは」
すぐに、笑いに変わった。
「あはははははははは!!!!!」
ふと、周りを見ると「好きだー」「受け止めてくれー」と、叫ぶお化けが沢山あたりに広がっていた。
ぞろぞろ溢れてまとわりつく。
スキダ、スキダ、と不気味な言葉。理解できない言葉を俺に押し付けてくる。
「好き、怖い……嫌だ……嫌だ、好き、嫌、だ」
俺は好かれるために生きてるわけじゃない。
「スキダ、スキダ、スキダ!」
「オレノモノ……」
「オレノモノ」
恐ろしい顔をした、ゾンビみたいな怪物が、ぞろぞろ俺を囲むから、廊下から動けなくなった。
表情がひきつるようになり、恐怖で心臓がバクバクと暴れる。
「オマエハオレノモノ」
「ユルサナイ」
「ドコニモイカセナイ……」
「来ない、で、来ないで……」
泣きそうになりながら訴える。
「メイヨナコトデショ?」
「スキナンダ」
「シカタナイ」
町中にある迷惑な広告たちが、頭にちらついて重なる。
まるで、それの具現化が、このゾンビたちの言葉だ。
「仕方なく、ない、帰って、来ないで、名誉なんか望まないから、来ないで……」
頭が痛く、熱を持ち、呼吸が苦しくなってくる。怖い……
なんで俺が好きなのかもなぜこんなに居るのかもわからない、けれど、この化物は人の話が聞けない。
輪になって囲まれると、沢山の腕が俺に絡み付いてきた。
そして「スキダヨ」と不気味に笑って一斉に首や腕をひねり上げてくる。
どたばたと足音を響かせ、数がどんどん増えていく。
そのぶん、さらに腕や首に巻き付く手が増えていく。
身体が重たい。
ぎゅうぎゅうと力の入るそれらに、動くことすらままならない。
少しずつのし掛かってくる重量が増えて、骨がキシキシと悲鳴をあげ始めて、俺も悲鳴をあげる。ゾンビたちは怒りを露にした。
「オビエルナンテ、ユルサナイ……!」
「カンジョウヲダスナ」
怒るのも怯えるのも許されなかった。
笑顔を要求されて、無理矢理笑顔をつくる。
「アハハハハハハハハハハアハハハハハハハハアハハハハハハハハハハアハハハハハハハハアハハハハハハハハハハアハハハハハハハハアハハハハハハハハハハアハハハハハハハハアハハハハハハハハハハアハハハハハハハハアハハハハハハハハハハアハハハハハハハハアハハハハハハハハハハアハハハハハハハハアハハハハハハハハハハアハハハハハハハハ」
「ああああー!!
わああああああああ!!ああああああああああ!!」
頭をガンガンと床や壁に打ち付けながら無我夢中でもがく。
世界が歪む。
毒キノコ、お花畑、暴れる牛たち。
いろんなものが見えた。
心の奥が、痙攣している。ドキドキというより、ひくついている。
ひくついた鈍い、振動が続いていて、それが鈍く、身体中に血をめぐらせる。
無理だ。
もう無理だ。
未練なんかない。
怖かっただけなんだ。
いきる楽しさを知りたかった。
だけど、未練なんか、
いきればいきるだけ
見つかる。
なんて不毛なんだろうか。
こんなときですら誰のことも思い浮かばなかった。そこに「恋」なんかなかった。
――結局俺は 沢山の好意から逃げるために、都合が良い相手を探しただけなんだろう。
助けてほしかった。
誰かが好きなふりをすれば、
あのゾンビを一掃できたのに。
たった一人を我慢すればいいんだから。
木瀬野蘭汰様
いかがおすごしでしょうか。
挨拶が手紙になってしまい、すみません。
あれから、中途半端になりました。
未練なんて、なかったです。
俺は目を背けただけでしたから。
いろんな本や広告が目につくなかで、誰かと歩く。
それは自分一人が晒し者になった世界のなかで
周りにじろじろ見られて比べられながら歩く気分でした。
誰かと居ようと
意味を成さないくらいに。
全部が実感を無くしていて。
目を背けようと、歩くたびに、
幾度となく突き放される、一人の世界は
耐えがたいものでした。
名前を呼ばれるのが
きらいです。
自分を認識されるのも
なによりも きらいです。
間接的にでも、
存在を晒されるということ
耐えられるはずもありません。
「別にいいじゃないか。想いは恥ずかしいことじゃない 」
あれから、少しして
違う人が、本で
言っていた言葉ですが、
俺は恥ずかしいからじゃなくて
少しのことで死にそうなのに余計な刺激をしないでもらいたいと、
そう思った。
恥ずかしいのは、その
上滑りのほうですね
なにもかもが刺激となり、俺はその視線に、感情に、ただただ、痛め付けられました。
何をとっても、痛みしかありません。誰も 俺に直接言いに来ないくせに。
許せないと、あれから、
そう言ったら、なんていわれたか。
「そんなに来て欲しいのか、ビッチじゃないか」
顔も見たくないのに、
来させてやる、くらいなのに。
なぜ、こちらが見下されるのかは
理解に苦しむものでしたよ。
side???
――街は今、選挙とかしてるらしい。
あの車マジうぜぇな。
部屋に居ても退屈だが、公共騒音も窮屈だった。
窓から外を見たら親戚のおじさんが見えた。
野菜を持ってきたらしい。
いままで来なかったくせに、最近は何故かおすそわけに来る。
時期も時期。
功名党の人の話を延々とするんだよな……
親戚はあの『美額学会』に居る。
そして功名党のバックが、あの学会らしい。
まったく……選挙ってみんな似たような気するし、よくわかんねえ。
玄関のコンクリートを、爪先でつつきながら靴を履く。
(『学会』とあの党と言えば、つい最近も立候補だなんだと騒いでいたりしたっけ?)
なんかよくわからん。
社会って苦手だな。
side スズシロ
あいつに一日会わないってだけで随分長く感じる。
ただでさえ最近まで避けてて、やっと関わってくれたばかりなのだ。
だけど気がかりなことがある。
俺が関わろうとするごとに、悪化しているのは気のせいか?
この前もなんだか不安定だったし、あまり俺の話を聞きたくなさそうだった。
気のせいだと思うが、理由はわからなかった。
「嫌われている?」
口に出した途端に変な笑いが出てしまった。
「まさかな……あいつ俺のこと好きだし」
だけど、じゃあなぜ、俺に顔を見せるたびに衰弱していくんだ?
もともと自由気ままなところはあったし、あいつはわかりにくいというか。
うーん、さっぱり理解出来ない。
放課後、暇だから久々に部屋にある本を読んだ。
あいつが散らかしていったりしててやっと整えた本棚。
まったく……
好きな相手じゃなきゃ怒っているだろうに、あれが普段の秋弥の自由なところだと思うとなんだかほほえましくもある。
「今日はどうしているかな」
もしかしたら家庭とかいろいろ大変だったらしいから、ストレスをためているだけだろう。
俺も力になってやらないと、と思ったが、いつも空回りし続けている気がした。
「……信頼されてないのかねえ」
あれが怖いよ、と言われたらそれに一緒に向き合ってやるし、あれが嫌だと言われたらそれを一緒に考えてやれるのに。
彼はそういうとき『怖い』『嫌だ』 だけしか言わない。
「言わなきゃわかんないっつの」
イライラしても仕方がない。
家に来たときの秋弥を思い出す。
今みたいに本を読んだりしてしばらく放置しているときとか。
俺が反応するまでこちょこちょしてみたり、いつのまにか俺の携帯からRPGを起動して、勇者の装備を全部バニースーツに着替えさせ、名前を『変態』に変えるなど謎ないたずらをしては遊んでいる彼。
俺がしょうがないなという顔をすると、楽しそうに笑う。
そうそう……ちょっとSなところもあって。
想像すると俺のなにかが瞬く間に元気を取り戻していた。
ズボンのチャックを下ろし、四つん這いになる。それから携帯にある秋弥の声をセットだ。
画面に触り、データBOXを出そうとしつつ自分も触る。
「んっ……あぁん」
あれ、押してないのに音声が開いた?
まあきっと数秒後には彼の声が流れ出す。
二つある小さな首をいじりながら気持ち悪い声を出す。
「んっ、んぁ……秋ぃっ、」
『もーしもーし?』
「やぁ、あん……」
気持ちいい。
『綺羅でーす』
え……。
画面は、通話画面を開いていた。
「う、わ……っ!」
『あのさー、秋君、どうしてるか知らない?』
綺羅ちゃんは特に触れず単刀直入。
確か隣のクラスの子で秋弥と同じ中学の……
「こほん。それが、俺にもわからない、なぜ俺の番号を」
極めて紳士的に返答する。
『あんたらと前に話した子から聞いたんです』
さよなら俺のプライバシー。まあ、この子はあまり言いふらさないかな。
「そう。秋弥はつい最近も会った。
少し体調が悪いみたいだから、行っても困るだけだと思う。
そっとしてやってくれないかな」
「そうしたいんだけど……鵜潮って子が居てね」
また新たなワードが増えた。
「彼、昔からなぜか秋君につきまとってて。それが秋君が好きな人を『奪った』からみたいだよ」
奪った……?
耳を疑う。
秋弥は、どちらかというと人と距離を置くタイプだ。奪うなんてことが出来るほどに恋愛なんか知らないだろう。
「私もなんか知らなーい。でもね、ずっと秋君を真似して自分もそうなろうとしてるみたい。
好きになって貰えるって思ってじゃない?
まぁ、周りからはそういうので、嫌われてるみたいだけど。
嫌がってても見えてないみたいで。秋弥になんか! っていつも言う子だったからね」
勘違いしている。
彼みたいなのなら誰でもいいだろうと好きな相手まで、自分以外を全て値踏みしてバカにしているみたいだ。
聞いていてもイライラした。
「そいつが、どうかしたのか?」
「アカウント作ってバカやってるみたい。
秋君の部屋の内装とかを真似た部屋の写真を紹介したり、俺が秋弥だ、とかわけわかんないこと言ってるし好きな相手は枕で落としてきたとか書いてる……」
あいつ、 どっちかというと 攻めの方が 好きそうだぞ。とは、さすがに俺は言わなかった。あれ絶対隠れSだ。
素直に枕になって相手の下につくなんて舌を噛み切るだろう。
「あり得ない、絶対あり得ないわ」
『それでね、私が聞きたいのは秋君が元気そうかってことと、あと、鵜潮があんなバカをやらかしてるんなら、秋君の部屋まで来ていたってことじゃない? なんかそういうのに執着されるとさ、不安だよね、今は平気なのかなと』
綺羅ちゃんは、正直いって、ただのちゃらんぽらんな不思議ちゃんかと思ってたんだ。
案外しっかりした子なんだと俺は密かに反省する。
「あぁ、あいつは元気。この前も会ったから。ただ、うーん、具合はほんとたまにしかよくならない見たいで。ちょっとぼーっとしているかな。
鵜潮の件は、今、聞いた。あいつ何も言わなかったし……」
「ハァ、結局、何も言えないような信頼なんだね」
グサッ。
心に刺が突き刺さる。
つかえねー、と言われてるようでさすがになぜ俺がそんなに呆れられてるのかわからない。
「『なんかあれば言え』と俺は何度も言いました」
「あんたってあれだよね、昔のドラマで見る、紙みたいなの渡して『此処に好きな金額を書きなさい』みたいなやつ」
「うっ」
「気にした? ごめーん。
でもね、秋君って異様にめんどくさがりだからさぁ。
考える必要があるときしか考えない子だと思うしー、そこは私と似てるんだけど、なんていうかなー。
あんたは、ただ、圧をかけただけだね」
グサッ。
「あ、圧って」
「別に、わざわざ言わなくたって出来ることはあると思うな。
いつも通りに接してほしそうならいつも通りにするとか、さ。追い詰めたってしょうがないでしょ」
「…………おう」
じゃあね、と、曖昧なことを言い残されて通話は終了し、俺は一人になった部屋でまた四つん這いになった。
Side 秋弥
どこをどう歩いたかもわからない。気づいたら外をふらふら歩いて家の近くまできていた。
母が立っていた。
紙を……いや、『別のノート』を持って怖い形相だった。
「読んだわ! 遺書なんか書いていたのね!!」
『これ』が読まれていた……
「私を置いていくなんて許さない、許さない、許さない」
『彼女ら』は平気で俺の心に踏み入る。心配だとか理由をつけて。
俺は昔から、何をしたのかわからないことでこうやって怒られ過ぎて、もうよくわからない。
「勝手に読んでごめんなさいだろ……? なんでキレるんだ?」
「あんたがこんなの書いてるから心配で見はっているんじゃないの!」
俺は、心を持つことも。現実で生きていくことも許されないんだ。
「カンベって人からも聞いたあの人もあんたのせいで苦労してるんでしょ。あんたが死ねば苦労することなんかないのに!」
そうだ、もともとアイツが俺のふりなんかするから、そのせいで目立っているのに。
ガクガクと揺さぶられながら、ぼーっと考える。
「あの人、仕事がなくなっちゃうから必死に、いろんな会社に頭をさげてお情けをもらってるんですって……そんな惨めになったのよ、かわいそうに」
「寒いから、部屋に、はいる」
わかるのは、外が寒いってことくらいだ。
思えば、俺のことが好きだという人が俺を幸せにしたことは、生涯で一度もない。
なのに国は、恋愛を持ち上げ、しない相手を斜めに構えて見下ろすと、人権さえ認めない。
だから俺が幸せになる日はこないのだ。
こんなだから同性であっても恋愛ができるならマシだろうとすら思う。
部屋に籠ると、悲しくて辛くて、たまらなくてよくわからない涙が出た。
好かれたくない。
ほんとの愛なんて、形だけならいくらでも手に入る。でも、そんなのゴミだ。
俺が好きなやつはみんなへんな毒されかたをしてて、頭がおかしいのしかいないと思うから嬉しくもない。
欲しいのは……
俺のことがさほど好きじゃないけれど義理があるからと手を伸ばしてくれるようなやつで。
案外、枕営業をしてる人が手にするのは『そういう』コネなのかもしれない。本物ではない義理が積み重なる。
信用がなくなれば崩れるけれど数だけ得るにはいいだろうな……
考えてみたら羨ましくて、でも浅ましく身体は売りたくないし……
なんて思いながら、ぼんやりと手首に刃を当てた。
「……も、やだ、よ」
自傷やセルフネグレクトが止まないのは、愛情から逃げる唯一の手段だから。横にスッと動かすと簡単に皮膚はさけて、赤い血が流れる光景はもう見慣れた。
心が痛いと、さほど痛くならない。
血がうまく出てくる日と切り方が浅かった日があって、それは気分によった。今日はそこそこ血が出てきた。
「痛い? 痛い?」
嫌だとか、つらいとか考える頭の片隅を裏切るようにして、俺は自分を痛め付ける。
跡になると後に面倒となにかで昔聞いていたからか、治癒しそうな深さを保つ理性があって、なんだかかなしい。
だけど、唯一の現実逃避。
誰も守れない。
少なくとも俺の心は誰にも守ることができなかった。
本当に欲しいものは、誰もくれないんだ。
「まだ部屋に居るの? 私今、手が離せないから代わりにシチューを作って!」
階段のそばから、母さんの声がする。血がある程度止まったら早く降りようと思った。
俺はホームレスになる技能なんかないから此処にいるだけでもマシかもしれない。
「牛乳つかってしまいたいから、グラタンでもいいわよ!」
「はい、わかりました」
返事だけ投げておいて、ティッシュに軽く血を染み込ませる。
傷口は絆創膏を何枚か貼って袖に隠した。
なんのために生きてるんだろう?
誰のために生きていくんだろう?
どうでもいい。
いつか死ぬんだと思えばあらゆることがどうでも良いのに。
次の日は、ひたすら部屋でぼーっとしていた。外はひっきりなしに車が走っていたけれど、俺のなにかはそれらの活発さと真逆に、ただ停止しつづけている。
カーテンの向こうは、誰かの楽園で、誰かの戦場。そんなことを考えたら不思議と愉快にもなれた。
河辺からメールが来る。
「あのノートお前の姉が見てるけど、止めようにも、止めてくれない」
うーん。
ノートってなんだっけ。
「俺は止めているんだ。ただ名前があれば良いから。でもあいつ自制が効かないみたいで俺にまで文句を言うし」
ぼんやりした頭が少し覚醒する。
そうだ。
カンベに利用されて……
文面を読んで、また胸がずきずき痛んだ。
俺があのバカ姉に見せたくなかった一番の理由は此処にある。
あいつは周りの心情を読み取れないし、やめろと言ったって聞くことが出来ないのだ。
こちらから避けて、触られたくないものはみんな自主的に隠しておいてさりげなく接することでしかあのバカ姉から逃げる手段は無い。
「なんで……なんで見せたりするんだよ」
メールを打った。
姉は精神年齢がかなり低い。
ダメだと言ったことでも自分の勝手で押し通してしまう。
泣けば我が儘が通じる子どものままだ。
だから、一回でも捕まればアウトなのだった。
「使えると思ったから」
返信にはそうあって、俺は唖然とした。
会話はすぐに電話に切り替えて続いた。
「は? なに、それ」
「だから、お前の身代わりにしておいて、騒ぎが落ち着いた後でお前と……」
俺がどんな思いで隠してきたかも知らずに、しかもわがままに巻き込んだのか?
信じられない。
こいつはどれだけ身勝手なんだ。
「本当はお前が大事なだけで!!」
めまいがした。
苛立ちしか沸いて来ない。
俺はなによりも『そういう』手が嫌いだ。
河辺が汚いやつだとしか感じられない。
「俺が大事なものを全部壊す行為がか?
お前がやってきたのは全部、ただの破壊行為だ。ストーカーの癖に、そういう身勝手が一番吐き気がすることも知らないのかよ」
河辺は、気がついたときには逆鱗製造機になっていた。それ以外に、ない。
一挙一動が全て俺の逆鱗に触れる存在だなんて、珍しいにも程があるくらいに、彼の好意というのはひたすら俺の大事なものを一つずつ潰す行為だった。
「……やり直せないのか?」
彼が言ったのはそれだけで、まるで自分以外の家族を殺されたあとの部屋のなかで、血まみれで聞いてくるかのような不気味さがあった。
「お前が、人間としてやり直せ」
悲しいくらいに、ただただひたすら彼には許せない、だとか死ねばいいのにという感情しか沸かない。
いったいどうやったら、そんなに間違いしか選べないんだ?
なんだか悲しい反面、戸惑ってもいた。
俺を怒らせるだけしか出来ない人間なんていうのが居ると思わなかった。嫌がらせしてた、って言ったら許せたかもしれないのに。震える声で、俺はただ、叫ぶように告げた。
「お前がしたことは……周りの人の侮辱と利用、あと冒涜、破壊行為、犯罪。それだけだ、一生許さない」
河辺には、俺をひたすら不幸にする才能があるらしい。
嫌だ、とか要らない、とか、これだけはやめてほしいということを的確に掘り下げて無理矢理渡してくる。
さよならすれば、そばに居ない間は幸せになれると思えた。
生きている間、まだ河辺に触れられていないものだけをかきあつめて、それを抱き締めていよう。
それだけが救いだ。
俺の希望は、河辺が居ないこと。
彼は逆鱗に触れる以外をしない。
だから……河辺さえいなければ、その時間を幸せと呼べるような気さえしてきていた。
朝、することもないのでゲームをしていた。
別にゲームが好きなわけでもないけど。
俺が殴られない時間の記憶がそうさせるのだろうか……『この中』で『感じたこと』には、カンベも入って来られない。
どこか安全な世界でもあった。
「ただいまー!」
が。
入って来るやつは、一人いた。
ニヤニヤしながら、俺の顔色をうかがうバカ姉。
「お前がしてるゲームのこと、河辺君に伝えといたよ」
バカ姉は『河辺の入って来ないスペースである場所』を、当人にばらしてきたらしい。
「へぇ」
早く出ていってくれないかなと俺は上の空。
怒っているときくらいは滞りなくしゃべっていたのに、普段の平常心では会話をする気にならなかった。
「お前の趣味沢山知ったよ。あ、本書いてるんだっけ? 読んだんだけど」
「早く出てけ!!」
「そんな言葉遣いはないでしょ!?」
顔を真っ赤にした姉は、大声をあげた。
「人が親切をしてるのに! 私がなにをした!? ふざけんなよお前今日こそ許さないから」
掴みかかられ、殴り付けられる。、ドス、ドス、と鈍い音がした。
「お前なんなんだお前が悪いだろうが!」
母が無理矢理止めに来て、バカ姉は撤収された。
河辺にすぐ連絡をした。
「バカ姉だけはやめてください。お願いします」
彼から来たのは信じがたい返事だ。
「代わりだから。すぐ終わる」
あいつが居ると、それだけで俺は終わってしまう。なぜなら、自制が出来ないしょうがいがある上に、平気で俺につきまとうから。
ニヤニヤした顔。
明らかに代役を楽しんでいるうえに、俺に嫌がらせをするいい手を見つけた顔。
昔学校でいじめられていただけあって、家では幼い俺を叩いたり殴ったり異物を食わせようとする鬼畜だった。
ノートも、バカ姉から逃げる手段のうちでもあったのに。
そんなやつに、またいいネタを与えた。
なにもしないで、って。なにもしないでくれさえすれば、よかった。
それだけで良かったんだ。
たったそれだけのことだったんだ。
河辺が本当に、俺のいやがることしかできないやつだということを実感しながら、俺はバカ姉からも逃げなくてはならないということを自覚した。
どこにも居場所も救いもない。それは「こいつ俺が嫌いなんじゃないか?」 と思ってしまうレベルだった。
せめて、河辺の感情をどうにかして砕ければ少し返ってくるものもあるのかもしれない。
でもどうやって……
「そうだ」
ふと、SNSには河辺の作品の酷評をしている人が居たのを思い出す。
俺は綺羅にメールを打った。
昼になったくらいだったから返事は遅いと思いきや、すぐ返事がきた。
「やっほ~☆ 元気にしてる?」
「うん」
「なんかわかんないけど、無事そうでよかったよ」
「うん、心配かけて、ごめん。いろいろあって」
「で? 用事は」
河辺が余計なことしか、しないことを話した。
やめてくれと言っても傷口に踏み込むことも。
ただの友達ってことにした。
「俺の声も聞けないやつが、俺のためになんて言うのはひとりよがりだよ。
そういうのって、一番嫌いなんだ」
「確かに、私も、それは河辺が悪いと思う。しかもなんの説明もないんでしょ?」
「俺、もう一生、あいつを許さないかもしれない……」
綺羅はあははは、と笑った。
「いいんじゃない? 別に。灸でも据えないと、そういう人はわからないと思う。それに、
秋君のためにしてたっていうなら、ここでの正義は
秋君の気持ちなんだよ。
俺は悪くないという相手は結局自分勝手だから」
大事な相手を想ってやったことが悪くないなら、この世からほとんど犯罪が無くなるのかもしれない。
「俺の笑顔がみたいって、言ってたから、さよならする。
あいつが俺のためにやることは全部俺を否定して傷つけてえぐる行為だから。絶交すればきっと、少しずつ前みたいに笑える」
「嫌いなのに、優しいね」
「それで。そのために頼みがあるんだった」
頼みを話すと、いいよ、と快く引き受けてくれた。
夜、ご飯を食べていると母さんがやけに真面目に俺を呼んだ。
「なに」
「再婚しようと思うの」
「ああ、そう」
どうでもよかった。
俺にはこれからも将来が訪れないんだから。
「相手は?」
「河辺さんって人。素敵な方よ。小説家なんだって!」
母か。
姉の次は、母。
俺はどこまで晒されれば良いんだ?
「青山にすんでて……作品も読ませてもらったんだけど。あなたも読みなさい」
それは。
だって、それは、俺の……
「っ!!」
読むなとも口に出来ないまま、箸を投げ捨てて部屋から飛び出す。
「っ……あ…………ぁ、あ」
もうやめてくれ。
一人にさせてくれ。
どうして。
どうして、一人になれないんだ?
二階に戻って動悸を押さえようと呼吸を繰り返す。姉も母もみんな河辺によって変わっていく。
俺の心も、拠り所もみんな彼に奪われていく。
混乱したまま、ハサミを腕に当てた。
震えた手ではうまく切れなくて、皮がピーラーで剥いたみたいにぺろんとはがれて、より痛々しいことになった。
「皮膚って……表皮の内側って、こんなに白いんだ」
驚きで涙が引っ込む。
読んでいた小説の殺人事件の現場ではあまり詳しく書かれてなかった。
けど、人って、白いんだ。
水死したときは、こんなふうに、皮はぺろんとはがれて手袋みたいになるらしい。
小さい頃、細胞検査技師になりたかった。
ちょうど地震で原発問題があって汚染が危ないからと諦めた。
どき、どき、と鼓動が揺れる。
誰に会っても、何を言われても感じない。
皮の下の皮膚が白いってだけで、涙はひっこんでいて、じわりと滲み出した血なんか気にならなくて。ただ感動していた。
母さんも反対したっけ、なんて思ったけれど俺はやっぱりこういうものが好きなのだった。
細胞や死体と、接したいな。
刑事も良い。
異臭は得意ではないけど、それでも、好きなものだった。
俺は夢中で皮膚に傷をつけた。
赤、白、赤、白……
表皮の層。
危ないものだから、と周りから言われるものにばかり夢中になってしまう。
俺は、悪い子なのかもしれない。
でも……死んだ人間自体は危ないものじゃない。
「俺を、ゆるして」
身体につけた傷から、沢山の血が溢れてくる。
ぺろんと垂れ下がった皮と、薄い桃色。白。赤。
「俺、は、好きなんだ……すき、なんだ……」
危ないことは、あるかもしれない。
だけど、それも含めて。
「ごめんなさい、俺を、ゆるして」
危なくてもいい。
だって、ただ、白を見たってだけで、俺はこんなに浮き立つんだ。
じりじりと、あとから痛みがやってくる。
血がなかなか止まろうとしない。
「なんで……なんで、こんなに、幸せな気持ちになるんだ?」
止まった涙がまた溢れてくる。
身体を引きずるようにして、机から救急ケースを出すと、
ひとつずつの傷にテープを貼った。皮をきった方がいいのかもしれないけれどなんだかもったいなくて、そのままにした。
病んでいるからなのか、皮膚に感動しているのか、その両方が、俺を捕らえて離さない。
ドキドキ、ドキドキ。
涙をぬぐって、改めて考えてみる。こんな気分ははじめてな気がした。
俺はきっと、普通の生き方が出来ないだろう。腕を切っただけでこんなに嬉しいなんて、知ってしまったら……
もっと知りたかった。
けれど家族は平凡や普通を望んでいる。
だから大反対する。
無理だ。
無理だ、どうしても。
こんな幸せを、知らなきゃよかった。
こんな生き方が叶うなら生きたいって、思ってしまうじゃないか。
普通じゃなくて、危なくて構わない。
皮膚を切ったときのような、幸せな気持ちになりたい。
殺したいというわけじゃなかった。
ただ、なぜこんなにも、心が揺れるのか知りたかった。
たとえ危なくても。
辛くても。
好きで、好きで、好きで好きなんだ。
この血のためになら、危ないと言われたところなら、生きられるかもしれない。
夜中に階段を降りて行くと母さんに会った。
沢山テープを貼り付けた腕は見るからにボロボロ。
しっかりした長袖じゃなかったから隠しきれていない。
けれど、それをどうしたの? とか聞かれることはなかった。
「はやく寝なさいよ」と言われただけ。
うなずいてはみたものの浴室に向かう背中を見届けて……
部屋からもってきた薄い上着を羽織って玄関に向かう。
頭のなかはごちゃついていたが、曲はかけられない。
プレーヤーはもってない俺は、最近よく起きるようになった携帯の再起動で苦手な音を防げなくなった。
パニックになるかもしれないと思ったけど、新しく買うためのお金ももったいないし、また再起動や停止したら同じことだ。なにも防ぐ手だてのないなか、外に出る自分を誉めたい。
ねんのため手にしていた携帯は、ポケットから出すとすでに『 充電がありません』が表示された。
誰も居なくて、携帯もまともに動かなくて、何一つ救いがない。
溢れてくる情報を遮断することも許されなかった。
「あっれぇー!?」
ぐちゃぐちゃな思考のまま、なるべく人がいない道を選んで歩いていると、そんな声。
コンクリート壁のそばの溝のところで、少年がなにか探しているようにしゃがんでいた。
「ない、ない、俺の財布がないー。ピンクの財布、ピンクい財布なんだけどな」
どうやらピンクの財布をなくして、探しているらしい。
やがて、がばっと振り向いた彼は俺を見た。
「なあっ! ピンクの長財布しらね?」
ぽかんとしていたら、彼は、あれ? という顔をした。
「俺だよ俺……いまや真っ白な俺。 白似染 緑っ! みどりくんって呼べよ」
「ああ、隣のクラスの」
彼はうなずいた。
「また音楽きいてたのか? 学校じゃそんなもん聞いてないで、俺と話せよ? な?」
「嫌」
断ると、一瞬目付きが変わる。そしてすぐ明るい笑顔になり、俺を、びっと指差して言う。
「俺と話せ。
問答無用! イヤホンつけてたら引き抜く!!」
「そんなのいいから。ピンクの財布を探せば? 見つからないんだろ?」
「そうなんだよぉー、せっかくのペァロット・ツモトなのに……」
ブランドだろうか。
よくわからない単語が出てきた。
「ぺァロット高いんだぜ?」
「頑張れよ」
無視して行こうとしたら、強引に腕をつかまれる。
「一緒に探せよ、な?」
あそこでおごるから!
ぴっ、と指差された彼の指の先には『_KOH_ 』という店があった。
飲食店みたいだ。
「やってんの、あのカンベさんの親戚らしいぜ」
そういうのどこから回るんだろうか。
そんなことを考える。
「まあ、俺友達なんだけど! 俺も昔小説書こうとしたことがあってさ。でも周りの作風と似たようなのしかできなくて……あ、_KOH_ってな、ある人の名前っぽくしてみたらしいぜ」
河辺、だろうか。愛されているんだな。
「店長のしおりさん、美人なんだ」
財布どこかな??
「話してるんだけどォ!」
みどりが吠えた。
財布は結局、彼の懐から見つかった。
「あらー。ごめんご!」
「帰る」
帰って寝よう。
「コーヒー一杯だけでも! なっ? なっ? しおりさんに会いにいこう?」
別に興味はないけれど、白似染はあまりに必死だった。
「高めなやつ」
「ええ……お手柔らかに。今日のお前、あんまりしゃべんないんだな」
「は?」
「昔はもっと……って、ああ!! なにそれ腕、痛そう!」
「は? 切っただけだけど」
胸ぐらを掴んで強く殴る。これは、バカにされている。
「切っただけでなんでそんな反応されなきゃならない? なにか迷惑かけたか?」
ふと、人を殺してみたいと思った。
沢山の人が……特にカンベが教えてくれた。
俺は、切りたかった。血とか見て生きたかった。 なのに、好きなものを遠ざけられてきてつらかった。
小さい頃、見なくて良い、汚いと、避けられたものが全部俺はみたかった。
あいつも、心のそこから、ただ利用するために付き合っただけだ。
俺を好きなら理想を踏み潰して砕けば傷つけるのは容易いと思ったけどまったく傷つかなかった。
こんなことなら。
素直に、利用してバカにするためだけだと言えばよかった。
価値を無くすためだけ。誰でもよかった。
あいつに価値なんかなかったんだから。
「っ……」
みどりを蹴る。
特に意味はない。
「……ぁ」
内蔵をさわりたい。
内蔵をさわりたい。
内蔵をさわりたい。
「じゃ」
しばらく胸ぐらを掴んだ手を放して立ち去るために背を向ける。
さっき感動した自分がばかみたいに思えて悔しい。
切った皮膚はこんなにきれいなのにあいつなんで嫌そうな顔したんだ、って傷ついた自分がいた。けど、普通は腕を切ってそれを見ても喜ばないんだと気づく。
泣きたくなった。
俺が綺麗だと思うものは否定されてばかりだという気がする。
後ろの方で、みどりが「なんだよあいつ」と呟いていたのも気にならない。
腕から、テープが一枚剥がれた。血が固まってきた薄いピンク色の皮膚が見えている。
それを見てひどく興奮する俺は、やはり普通には生きていられないのだろう。
翌日から、休学して時間もあるからアプリでホラー小説を書き始めた。
我ながら別に面白いとかじゃないけど、好きに血を流したり出来た。
主人公が皮膚を切り開くシーンには自分もまた興奮した。
部屋には姉も来るけど、だったら誰にも教えない場所で書けばいい。
それがうまく誰もじゃませずに完結できたなら、きっと俺は未練がなくなる。
そんな気がして、
おまじないで書き始めた。
それが終わったら、泣くのも終わるだろう。
携帯を手に、血まみれになる様子を綴っていく。キャラクターは苦しんでいたが、俺は幸せな気持ちになっている。
数ヵ月やっていたら、メールが来た。
「盗作ですよね?」
そんな、ばかな。
性癖が同じ人がまだ居る?
ほぼ自分にしかないような理想を書いているのに、誰かとまったく同じなんて指摘があまりにも信じられなかった。
その人も血や内蔵が好きなんだろうか。
だったら、この苦しさがわかるかもしれないという気もする。
腕を切ったのを指摘されただけで、さっきもすごく辛かった。
「枝折さんの作品ににています」
「カンベさんにもにている」
メールがそんなもので埋まる。誰かは知らないけど確かにカンベの例もある……
教えてもらったアカウントをフォローして、いつも通り血なまぐさい話を書いていた。
数十日あまりで台無しになった 『おまじない』だから、だったらせめて共感くらいはしてもらいたい。そしてブロックしよう。
血や内蔵の話を、とても真面目に書いた。どうせ物好きしかいないので喜ばれていた。そして『枝折さん』たちもその一人なら……大喜びするような内容だ。
ぐちゃぐちゃで、どろっとした、内蔵や皮膚……
昼ごろに枝折さんからメールが来ていた。
「リアリティがない。
そんな血とかで人は喜ばないので共感できないし、ん?と思います。ちゃんとやってください」
一番、ん? と思ったのは俺自身だ。
ちなみに枝折さんの載せている作品「金魚鉢の残り水を啜っている」を見ていると、確かにグロテスクな内容だった。
『そういう』意味なら俺はちゃんとやってるけど。
個人コメントも不思議だ。
「私みたいなのと違って、遊んで書いた学生でしょ?」
みたいな、フォローしたとたんにやたらと俺を意識したことばかり言っている。
確かに、枝折さんはデビューが決まったとかで意識が高い。
遊んで書いたという煽りも、誰も喜ばないという決めつけも残念だが……
今の時代はSNSで簡単に繋がれる。連絡可能である『本人』より先に、部外者から盗作だと騒がれる立場…… 嫌な感じ。
夕方、家に知らない人が来た。
「あ、枝折さんですか!?」
わくわくした表情の二人の女子が声をそろえた。
「違います」
「でも……ここに」
彼女たちは、スマホに表示された画面を見せた。そこには、俺の家の住所。
え?
「うしおさん、っていう大親友さんに、聞いて、来ました」
「私たち、ファンで!」
つっこみどころが多すぎて、なにを言えばいいかわからない。
「あいつ優しいからアポ無しで平気だって……」
「そんなことないです」
鵜潮を締めなきゃいけないことだけはわかった。いや、まず住所。
どこにも載せてない、んだが……
もしかして、と思い当たったのはいきなり部屋にきて携帯を構えていたあの日。
なんとなく頭で線が繋がったのは木瀬野さん、カンベ、それから、鵜潮。
あいつ……カンベの、なんなんだ?
どうにか帰ってもらったけれど、本当、カンベに絡まれてからは最悪なことばっかりだ。
ひと欠片も感謝したいことは起きなかったし、生きる希望を根こそぎ奪って全部捨てただけの迷惑な存在だった。
死刑でいいくらいに。
あいつが居なければまだ続いていたのかもしれない。
だけどあとは死ぬだけというのも気楽なものだったし、血まみれになることの快感も教わった。
俺は、もう生きていけない。
少なくとも普通には生きられない。
生きていない人のそばで生きたい。
あとはみんなエキストラにしか見えなかった。生きて動くものは、どこか現実じゃないゾンビかなにかで、誰かが糸で歩かせてる。見える景色もジオラマのセットかなにかで、誰か画家とかがみんなで風景を描いてる。
俺は二次元のなかにすんでいるんだ。
誰かが何か言うのは、台本があるからだし、本屋の本だってこれも撮影用に、並べている。
お店の食べ物も、小道具らしく作為的にならんでいた。
関係者が誰も連絡すらしてこないのは、そういう映画撮影の最中だから。俺が腕を切ったのも、あまり意識してないけど台本に書いてあってそれをしたんだと思う。
図書館の近くの道は、またポスターを張り替えている。主役の人がここを通りかかるのを待っているのだ。
アニメをつけると、誰か主人公の台本に沿っているような作為的な話しか見かけない。
この街全てが誰かのドラマであって脚本通りに毎日動く。
俺は、なんの役だろう?エキストラのひとり?
もう二次元から出られない。
その舞台中で、漫画や小説を開くと今度はそこも俺の役をやってる。
歩いたりしゃべったり。誰かに自我まで演技させられてるんだろうか。
ひとつひとつの行為全部が、誰かの漫画や小説の姿で、ぽんと現れるから、俺はなにもしゃべらず閉じ籠るのがいいかもしれない。
今閉じ籠るシーンが、放映中?
それから近くの本屋に行った。
俺が本屋にいったシーンの漫画を探して棚を見て回る。そう、今現在だが、早かったらもう売ってるだろう。
「あれ? ないなぁ」
木瀬野さんに甘えた、シーンも探すけど、見つからなかったので、あのシーンはボツだったのかなと思った。もう一度役柄を確認したかったのに。なんだか苛立った。
「なんで見つからないんだよ!」
店員の前で怒鳴る。
店員はなにこいつという顔で俺を見ていた。
「俺が、本屋にいるシーンも撮影されてるだろ!」
店員も役者だ。箔をつけよう、となにかに思ってまた騒ぐ。
「カメラ回ってんだろ!!! 無くしたのか!!! なあ無くしたのか!!!なんでなくすんだなんで!ふざけんなよ死ねよ!!」
「警察を呼びます」
「ああ、呼べ!警察はどんな役だろうな!」
どこまでが現実で嘘なのか、わからない。
カンベたちのせいで人は勝手に訪ねるわ、盗撮されるわ、勝手に作家と混ぜられるわで、とても同等な力がないと、個人では、二次元から抜け出せない。
商品のラインナップも、テレビの内容にも、干渉できないから。
頭の片隅ではわかっている気がする。
これらの作り物を、纏めるには『権利』を得るしかない。だけど。
カンベが言っていた。身内も、親の仕事も、何もかも把握済みだと。
だから、社会に出るようなことはするなって。
ヤクザってやつが、脅しに来るだろう。
――巻き込まれただけで?
嫌いな『元凶』
作家(様)たちに、わざわざ絡まれてまで。
「ははは……あははははは!あはははは!あははははははは!あはははっ!」
頭が真っ白になる。
死ぬときはどんな死因にしたらいい?




