ゴーストライターが暴力団を使って押しかけてきて大変なことになっていた話
俺にはストーカーが居る。
それが誰かは知らないけど、部屋を立ってから戻るとノートに開いた後があったり、誰にも告げなかった買い物先に、同じ時刻に居るやつがいる。
気味が悪かったが、日に日に慣れてしまって、最初のうちは警察にしていた相談も、「侵入が証明できないんじゃあねぇ……」と鼻で笑われてからは、どうでもいい気がしてしなくなった。
なんつーか、疲れた。
芸能人だったとかならわかる気がするが、よりによって、ただの平凡な高校生に、そんなことが起きてても、なんていうか、笑われるだけじゃないだろうか。
あぁ最近あったことといえば教室に入ったとたんに「浮気者だ」と、罵られたことだった。なんのことやらさっぱりわからない。
夕日が傾き、今日が半分くらい終わりかけていた頃。
住まいの一軒屋から、徒歩10分のスーパーを目指して出掛けた。
暑すぎるから、アイスでも買おうと思ったのだ。
半袖のシャツから伸ばされた腕に丁寧に日焼け止めを塗ったが、おかげで汗でぬるぬるしている。
いつものクセで、携帯のメモを開いて今日のことを書いた。
「アイスを買う。
もなか、か、もちにしたい」
書いてないと忘れがちだ。
「それから、ボールみたいなやつ」
誰も見ないから
「 ボールみたいなやつ」で充分、自分には伝わる。
夕暮れの、紫と赤と青が混ざりあうような奇妙な空を遠目に見ながらも、俺は飛んできた、ボールに、気がつかなかった。
「ごめん、心のキャッチボールがしたくて」
「いたた……」
頬を擦ったボールに涙目になりながら見上げるとやたらと真っ黒い髪に紫の唇をした知らないやつ。
「誰だ」
「太田。ボールを投げ合えたらと思ったんだ」
知らないやつから話しかけられたのは、小林以来だ。小林って誰だっけ。
未だによくわかっていない。

冷たいタイプの俺にキャッチボールだの言う意味がわからんというか誰だコイツ。
「昨日も、見てたよ」
俺は無視して携帯で空の写真を撮る。あ、よく撮れた。
最近、謎のハエみたいなのとよく上空で会うし、写真にうつるときがあるので(どうせヘリかなんかだが)それに会うのが日課みたいなもんだった。ただ、今日は会えなかったなあ。
「楽しかったね、買い物デート」
え?
いつデートしたの。
「そうなんだ」
よくわからない受け答えをしてしまった。
「俺、きみみたいなのと付き合えて、ラッキーっていうか」
俺、きみみたいなのを知らないっていうか。なんで、俺とキャッチボールしようとしたんだ。軽く頭がパニックになる。
「きみの写真のためのフィルムストックが今、なくっていて、
撮影が出来なくて悪いんだけどさ」
はぁはぁと息を吐きながらそいつは言った。
「我慢は身体に毒だから、とりだめする代わりに、こうして会いにきたんだ」
よし、関わってはならないと判断して、俺はささっと背を向けてあるく。変なやつだ。
あんな変なのが、俺を脅かしてたのかという妙な怒りもあった。
こいつは、なぜ、俺に構うんだ。
不思議でたまらない。
「我慢していろよ。他にすることないのか」
「ないよ」
笑顔で言われる。
本当に、暇人みたいだ。
こいつ誰なのだろう。
俺の行く先々に現れなくたってよくない?
店内に入ろうと、歩みを進めたら、ついてくる。
その店は、昔からあるとこで、狭いながらにぎっしり商品を詰め込んだような場所。
客はなんとか通る場所がある感じだったが、近いし、馴染みがあるしで、わりとみんなに親しまれていた。
手慣れた感じにアイスのあるコーナーを見つけると、もなかのやつを蓋を開けて取り出す。ボールみたいなやつはまた今度にした。
「これこれ、っと……」
「本当に、アイスが好きだな」
「びっくりした!!」
後ろから囁かれて仰け反ると、居たのはそいつだった。
「買い物にきちゃ悪い?」
「いいとか悪いとかじゃないよ」
にらんでいると、うさぎが、べーっとやっているイラストの描かれたアイスを手に取り、彼は、「おれ、これが好きなんだー」
と言った。
至極どうでもいい。
無視して、商品をレジにもっていった。
会計をしている間は、いろんなことを考えた。何を考えたかは、あまり意識しなかった。
帰宅してみると、身体にあせもがひろがっていた。ポケットから出した局所麻酔剤が微妙に配合された痒み止めを塗る。
塗りながら心にも麻酔はあるんだろうか……
などと謎なことを思う。あるのなら、きっとそれは言葉だろう。
「あー、痒い、やっぱ痒い」
やっぱり痒くて、ついチューブを投げ捨ててしまう。
敏感肌というか、ただでさえイライラすると痒くなる肌が二重に痒くなって悶える。
やばい、これじゃあ好きな相手の前で服を脱げない、などと自虐してみたけどなんの意味もないそれは余計に俺をむなしくさせる。
外に出て空気でも吸おうと一階に降りた。
戸を開けて玄関から出ると、ポストには紙が入っていた。
「またか」
ぐしゃぐしゃに破れて、ゴミみたいになった紙。「櫻井」 と書いてある。
数日続いていたが、誰かの間違いだと思って気にしたことがなかった。
紙をとりあえず、近くの地面に投げた後で俺はめいいっぱい酸素を吸い込もう、と呼吸をした。
視界の横では名前も知らない植木が、日光に照らされてきらめいている。というか、暑い。
夏を物語るようだった。
頭の片隅で、誰かが勝手に投函していく紙のこと、行き先を把握している謎のストーカーについてを考えてみる。
同一人物がやってるんだろうか。
きっと、この名前の人物について何か思わせたいのだろう。
それがあいつの自分の名なら、こんな風に捨てるみたいにして俺に見せないはず。
あんなにぐしゃぐしゃだと、うっかり見逃すかもしれないから、主張の強そうな彼には向かないと思う。
背伸びをして、遠くを見つめた。
視線を感じやしないかときょろきょろ辺りを見渡したが誰もいなかった。
くだらないと呟きかけて他人を意識して強く見下すようになるとおしまいだよと、ばあちゃんが言っていたのを思い出した。
必死になって語気を強めるのは、心が寂しいからで、どうにかして悪口を考えるのは頭が寂しいからだとかなんとか。
危なかった。
今、どちらも寂しい人間になるところだった。
その後、課題をするために部屋に居たらどたどたと足音がして母が帰ってきた。
「ただいまー」
買い物袋を両手にさげて、疲れたようにしているので、二つとも持って家に入りやすいようにした。
「お疲れさま、何買ったの」
「ん? お米とか、野菜とかセール中だったのよぉ」
「あ、そう」
暢気に笑う姿を見て、
俺より倍生きてることをつい忘れそうになる。
「台所に運んでおくね」
袋を抱えて歩いているうちに、なぜだか外に行きたくなった。
「あぁそうだわ、そこのゴボウ、
テーブルにあげといて」
「ゴボウね、はいはい」
ゴボウ。ゴボウか。
と意味もなく繰り返した。
荷物を運び終えると、さっさと二階に戻る。机の棚に置いていたクリアファイルがなぜだか机の上へと動いていた。
「あれ?」
この中身は、俺が大事にしている宝物。
言葉記録メモと読んでいたけれど、実際の名称はなんだってよくて、
口下手な自分に理解者が居たらいいなという妄想で生まれている、自分を励ませそうな言葉を綴るだけの記録帳。
小さい頃、心理カウンセラーになろうとしたときに、相談にのってくれたカウンセリングの先生が言っていたことを忠実に守っている。
毎日、記録をつけること。次の日、そのあなたを励ますこと。
友人の死後、毎日心を閉ざし続けていた俺は、今も日課を守っていた。おかげで、最近はよく眠れる。
愛着がありすぎて、ノートを握りしめたまま寝てしまうこともあったくらい。
これだけあれば、明日も眠れる。
誰に当たることもなくて友達とも笑顔で居られる。
遅刻ギリギリで教室に入ると、友人たちにセーフだなと出迎えられる。
ノリで、いえーい、と意味もなくはしゃいだ。それから、しかし今日も暑いな、わかる、とまったく意味なさそうな会話ばかりした。
授業は、あまり頭に入らなかった。
事件の日から。
俺は、記録帳に不安を記録する以外には、感情を浪費しなくなった。
ただ、へらへら笑ってる。
卒業や進路よりも早く死んでしまう方が楽なのにということしか頭になかった。
俺が悲しかったように、誰かが悲しむとしても。
学校から帰宅したあと部屋にすぐ向かったらノートの位置が、また変わっていた。
誰かが出入りしているのだろうか。
心の中にまで物理的に入られた気分で、正直いやな感じ。
記録をつけてきたおかげで、俺は自分を保てていたけれど、 それを部屋に来てまで勝手に読まれていいかと言われたら嫌だ。でも、そんなことはきっと起きないはずだ。
なぜなら無理矢理やればそれは犯罪だから。
犯罪なんか普通しないから。
そう、油断していた。
もしかしたら、昨日のストーカー野郎が勝手に部屋に来てこれを読んでいるんじゃないかと考えてみた。
此処に来た経緯はわからないが、俺に興味を持つ理由になる可能性はなくはないと思う。
「普段へらへらしてるあの無愛想なヤツが、こんな暗いの書いてる、ダッサ」
とか言ってにやにやするのは、さぞいい気分だろう。
犯人が確信となりわかったとき、きっと俺はそいつだけは許さないのかもしれない、と頭の隅で考えて、そんな自分が恐ろしくなった。
そんなときに、ガコン、と外で音がした。
ポストが開く音。
慌てて、下へ向かう。
投函したやつはいなかった。
俺の古い傷跡を思わせるような文字列が、そこに置いてあった。
『えっくん』
小さい頃の俺のあだ名を呼ぶかのような、エクレア風の小さなサイズのお菓子。
ズキッと心が痛んだ。
苦痛を訴えるように、身体が硬直する。
次の日も、また次の日もさらに次の日も、それが続いていた。
同じお菓子。
ときどき、「読んでるよ」と書かれた栞がついていたりしたからたまらない。
確実にノートは読まれているし、これを読むやつは、俺を精神的にも殺したい。
誰かは知らないが、えげつない。
こんなことをすれば、
相手が追い詰められて自殺に向かうかもしれないことくらいはわかるだろう。
??
流行も、最近のことも知らない俺は、背中にランドセルを背負うことを途中でやめていた子ども。
単純に友達が居なかったから。
誰かが話しかけてくれるんじゃないかと待っているうちに、なかなかそうはいかなくて……
結局は思い出を持つことから、逃げたから、小学校のことはたいして覚えていない。
どうにか進学した高校でも友達はいなくて、また登校をやめそうになってた。
そんなある日。
廊下で違うクラスのやつとすれ違った。
一目見ただけだったが、なんだかそいつは自分とそっくりな境遇のやつに見えた。
だって、周りが誰かと話しながら歩いていく中、ひとりだったから。
だから。あいつが好きになった。
でも、あとで知ったこと。
あいつは俺と同じはずなのに。
――友達が、居た。
それから。
俺とは、違うってこと。
大嫌いなはずだったあいつをあのノートを、ストーキング途中で盗み見てからは更に気になり始めていた。
あとをつけて勝手に気になるだなんて、とても勝手だとは思う。
だがどんなやつか、少し観察して、あとは痛め付けて笑おうと、そのくらいだったのに。
気がつけば、もっともっと気になり、嫌いになっていた。隠していたものを無理矢理暴いた快感。優越感。あいつの弱味を握れたことが、何より友情を得た気持ちになって、俺はあいつのことがやっとわかった。そうそう、人間は、こうじゃなちゃいけないんだ。どこかしら惨めでかわいそうじゃなきゃ、誰が、互いに友達なんかやるもんか。
近頃は、なんか急に仲良くなれそうな気がしてきたので、気分が良い。
だから、しっかりと好意から、後をつけている。出待ちもしている。
好きだよ。
俺が慰めてあげる。
ちなみに、この行為を断られたときはなんと言えばいいかも考えてあったりする。
「性格が悪い」と広めてやること。
「好意にたいして失礼だ」と、広めてやること。
あぁ、狂ってる。
嫌いなはずだから、
嫌いでいいはずなのに。
それに読みものとしてもいい物語だった。
これは、みんなが知らなければならないくらいだ。
俺が読んでるよ、といえば喜んでくれるかな。
そうに決まっていた。
こんなに、愛していると知れば、彼は俺を認めてくれるだろう。
毎日、内容を思わせるものを彼のポストに投函することにした。
これはラブレター。
名前のないラブレターだ。
数日たったが、彼が俺に気づく気配はない。
お菓子だって、凝っておいた。
彼ならピンと来そうな名前のものやあの中に登場したものばかりだ。
返事が無いことに苛立った俺は、読んでるよと書いた紙を一緒に投函した。
これでどうだ。
早く学校に行くのは、嫌いだ。
「好きな本とかないの?」
「ない」
「好きな漫画とか」
「ない」
何回、こんな無意味なこと聞かれなきゃならないんだろう。
遅刻せず早めに登校した日、クラスメイトからの何回目かの質問を無視して、椅子に座っていた。
俺に興味を持つやつは、だいたい好きな本や漫画やアニメがあった。
あまり友達を作らなかったのは、それらにほぼ興味関心がなかったから。あの、趣味の輪に加わらなくちゃならないのかと思うと地獄だ。
社会に価値観が合わないのか、
読む本も見る漫画も、大体、俺の存在を透過していくようだった。
何を読んでも、否定されているような感じがして、読まない方がマシだ。
親は大事にするものよ、とか、友達だからだろ、とか、好きになっちゃったとか熱く語られても、何も響かない。
だから?それで?疑問符しか浮かばない。
早く来たものの教室に居づらくて、廊下に出ていった背中に、やっぱりあいつはつれないよなと聞こえた。
ここは地獄だ。
どこかで聞いたような言葉を誰かか喋り、何かで見たようなシーンを誰かが再現するだけ。
これが、『生きている』なんて、退屈だ。
全部どうでもいい。
死ね。
ばたん、とドアを閉めて一息ついたはずが、廊下には廊下でひとがぞろぞろ居た。
「そういえばもうすぐ父の日だな。うち家族サービスがどうとかうるさくて」
「うちは、今度出掛けるよ」
廊下に出て歩く間、そんな会話を聞いてそういえばもう、そんな時期かと考えた。
小学生のときには、母の日の作文とか、絵を描くとかさせられたっけ。
隣の席に座ってた女の子が、泣いたんだ。それから悩みに悩んだのか、
黒いリボンを頭につけた、四角い形にふちどられた女性の絵を描いて、俺の隣にそれが飾られた。
みんなが好きなものなんて、結局、誰かを殺すためのものだった。
学校も小説やアニメや漫画もだから、嫌いなんだ。見たら、死にたくなる。
俺や、あの隣の席だった子や誰かが、うまく歩くけずふらつきそうになっている間に『背中を押しに』来るような気がした。
「あ。今日は早く来たんだ」
階段を降りて一旦帰宅してから来てやろうかと血迷っていたら、清白菜が声をかけてきた。俺はなっちゃんと呼んでいたが深い理由は無い。
「なっちゃん、おはよう」
「おはよう」
背が高いし、淡い色の髪が、遠くからでも目につく。
教室で会ったときに、きれいな色だなと純粋に話しかけたら何かと会うようになった。
「今日は雨かなー」
「いーや、晴れてる」
「これから降るかな」
わざとらしく窓を見られたので、面倒で、あぁそうかもなと返した。
少し前なっちゃんは俺が嫌いなんだろうなと思っていたことを思い出す。しばらく話すうちに、彼が気をつかったように笑うことが増えたから。
よくそんな風に、気をつかう笑い方をされたあと知り合いが去っていくという場面を俺はなんども知っているし、それににていた。それはよく『あなたとは合わない』
の合図だった。
まあ今、なんだかんだで変わらず話してくれるし、わざわざ確かめなくてもいいけれど。けれど。わからない。
俺とは合わない、のに、見捨てないヤツなんて初めて見たから、なっちゃんが何を考えているのか、さっぱりで、混乱する。
いつからか、なっちゃんが俺のそばで気を遣うように笑うのは、俺のせいでは、ないのだろうか。
真実を知り何かを壊すのが怖くて、俺はなっちゃんとは、妙な距離感で関わっていた。
俺がこんなことに気を遣うなんて理由はひとつだった。
だがそれで引かれても困る。
と。
ぴろろん、と呼び出しの音がした。
「あ、やべ、音を切ってない」
おもむろにポケットから出した小さな四角い育成ゲーム、のボタンを押す。
丸くて可愛い生き物がおかえりなさい、と迎えてくれたが、無慈悲なくらい真顔で設定画面を開いてサウンドを遮断。
。
親のアレルギーの関係でペットをかえなかった俺は、昔からこの手の電子ペットに弱い。
「すきだね、そいつ」
すきというワードに、思わず反応しかけた。が、冷静に頷く。
「エサ代もかからないし、アレルギーにもなんないしな」
ふふっ、となっちゃんが笑ったのを見て胸が苦しくなる。
「なんか面白かったか?」
「いやいや、かわいいとこあるよね」
「……」
むすっとして唇を尖らせると、どうかした?
と聞かれた。なっちゃんには言われたくない。
「えっくん、どうかしたの」
あー、もう。疑問そうにこっちを見てくるんじゃねぇ。
「お前のせいだからな」
適当な言葉を吐いて、すたすたと彼を置いて一階に向かって歩いていく。少し空気でも吸いにいこう。
「えっいや、意味がわかんないって」
強いんだか弱いんだかわからない、まっすぐな目とか、優しそうなのにどこか肝が座っているところとか、今の笑いかたとか、なんだか……
いや。
考えない考えない。
ポケットからもう一度、あの育成ゲームを取り出す。
なにかよんだ?
とキャラクターが首をかしげたから、つい、きゅんとして
「ん、どうもしないよ?」
と気持ち悪いくらいにこにこして、我に返った。
「そう、違う、間違いだ。これは、だから。こいつが可愛いから」
つぶらな目が、俺を見つめたり、跳び跳ねたりしているのを見ながら、なぜかなっちゃんを思い出した。
「すずしろ……」
壁にもたれて目を閉じながら、苦しい動悸をおさえる。早く、早く納まれば、いつものように無関心に、無感情に、生きていけるのに。
ある程度動悸が収まるのを待ってから、教室に入り授業を受けた。
その間は特になにもなくて、休み時間にはちょくちょくと、ポケットから取り出したゲームで、丸いやつの世話をしていた。
小さい頃はいろんなやつと通信したり、キャラクターを競ったりしたのに、今じゃブームは去ったのか俺くらいしかやってない。
しかし、この、乗り遅れた感じはどこか嫌いじゃない。
それに、誰かに見つかろうもんならすかさず「かーわいー」とか言われるのでどうせわかっちゃもらえないだろうし。
「お前といると、気が楽だよ」
小刻みに動くドットに話しかけてみたが、もちろんそいつはなんの反応もせず、プログラム通りに一日を過ごしている。
そう、気が楽なんだ……
他の命を見守っているだけ、愛でているだけで心は救われて糧になる。知能のある生き物はその辺りに稀有な存在だと思う。ルーティンのような一通りを、他人を通して眺めることが、生きるのに必要だ。
普段から切り離して客観視することが、自分の心を理解することでもあるわけで。
それを、見られた上に「必ず黙っていられない」という態度で主観的に逐一を握られていると思うと、精神活動自体がおかしくなってしまうかもしれない。
4限目はサボった。
というか、うとうとしていたら移動教室のことを忘れていて、チャイムの音で気がついたのだ。
こういうときに、時間だぞと起こしてくれるような交遊関係がない俺は、まぁいいか……と、なげやりなままに画面にうつるペットを見つめた。
お昼寝していた。
俺もしようかな、と思う。高い場所は得意じゃないのだが、屋上くらいの高さはなぜだか嫌いじゃなくて、上へ上へと階段を上っていた。
ぼーっとしてるとき、なっちゃんは、やはり俺が嫌いなのだろうかと考えてみた。
俺は嫌いじゃなかったけど。
あの気を遣うような笑いかたがどうしても気になる。
昔はそうじゃなかったのに、何かしたのだろうかと原因に頭を巡らせたが浮かばない。
まぁあとで考えたらいいかと、一番最上階まであがった。
さすがに屋上は空いてなかった。
だが最上階の踊り場は誰も居らず普段使わない机置き場になっているから、机がつまれただけの、静かな空間だ。
俺は椅子をひとつ出して腰かけた。
「はぁ、なっちゃんと遊びたい」
本音がこぼれたが、まあ一人だから良いだろう。なっちゃんは、俺が嫌いかもしれないと、気を遣っているのに、ずいぶん都合が良い妄想が脳裏をめぐっている。
もう少し、教室にいて、同じ部屋で観察していてもよかった。
けれど、想像した自分の行動が気持ち悪いんじゃないかという気がして、やめておいた。
窓はなくて、この空間は少し蒸し暑い。
ただ、これさえマシなら、それなりに素晴らしい休憩場所である。
気だるい身体のまま、携帯をぽちぽちと弄っていた。
少し前に読み始めた小説の、コラムが好きだったので、たまにのぞいていたけど数ヵ月前からやっぱり更新が停止していた。
「まだ、か」
もしかしたら、再開しないなかもしれないと思いつつ来てしまっているのは、単に、習慣みたいなものだ。
部屋においてあるノートを思い出した。
あれを書いても不安がぬぐえなくなっている。
それは初めてのことで、驚いたし、戸惑った。
誰かが読むかもしれない。誰かが俺を――俺の心を読むかもしれない。
考えているとなんだか身体がひきつってしまって、恐怖で強張りノートを手放したくないのに、手がまったく動こうとしない。
主人公は今どうしてるかな、と他人事のように気にかけているのが常だった。他人事のように俯瞰するためのものだった。
それが今、自分のことみたいに突き刺さってきて――――
痛い……
その日の夜。
帰宅して部屋に戻り、机を見た瞬間いつもと違って、身体がこわばった。
あれ??
あまりに拠り所だったせいでそれに触れることさえ身体が拒むのがわけがわからない。
――夜中に叫び出したくなった。
なぜ、なぜ、出来ない。
ノートについて誰にも話してないし話したくもなかったけど、苦しい。
なんでこんな目に合うんだかわからなくて、
拒絶する自分がわからなくて怖い。
衝動的に部屋から飛び出す。
しばらく歩き回れば気が晴れる気がした。
頭のなかが、ただひたすら、ぐちゃぐちゃに混乱している。
背後からたったったっ、と近づく音がして、
振り向くと靴底が勢い欲俺をシャツ越しに蹴った。
底のあの柔らかい感触と、誰かの体重が、肌を生ぬるく引っ掻く。
わんわん響く大声で間近から男が、叫んだ。
「あーあーあああーっ!!俺は誰でしょう?!」
低くて気持ち悪い声だ。しかも、いきなり耳元で叫ぶなんて、頭がおかしい。
「うるさいな……」
振り向き様に殴ろうと思ったそいつは、ニヤニヤと笑う、あのストーカー男だった。
不気味だった。
何よりも勝手に部屋に侵入したことなどなんとも思っていないようなその目。とにかく視界に映ろうと言うだけのような、そのにやけた顔。
なんて、恐怖なんだろうか。
サイコパスにあった人はこんな気持ちになるのでは。
「夜の散歩に恋人をおいていくなんて、酷いなぁ」
なんて言うから俺は、何を言おうか迷った。
恋人?
なんだそれ、なに勝手に恋人にしてるんだよ。
ツッコミどころが多すぎてあいた口が塞がらない。
「仮にそうだとしても、俺は一人で散歩したいですね」
大声でわざとらしくしゃべる人間は、性別問わず得意になれない。
デリカシーのないことを大きくしゃべって喜ぶガキ、みたいなイメージがあるのだろう。
まだ辺りは暗くて、それなりに、気温は涼しかった。
「クスッ、きみって結構、線が細いね」
「あーあ背中に靴のあとがのこっちまうな」
わざとらしく、彼の突撃を批難すると、少しこたえたのか、唇をぐっと結んだ。
「俺なら、君を幸せにできる、するよ。
こんなにも好きなんだよと伝えたい相手ははじめてだ」
俺はこんなにも気味が悪いと思ったのは、初めてだ……
好きなんだよって、大体何様なんだ。