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そら音のイデア  作者: 金田悠真
第2章 母を訪ねて両世界編
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第11話 笑顔の帰宅


ここ数年急激に人気を上げ、知名度を上げている動画投稿者と呼ばれる生業の人達。


香織は良くも悪くも距離を置いてそのブームを見ていた。

テレビのような作品を日々作れる事は純粋に凄いと思っていたし、それの何が面白いのか理解ができないとも思っていた。


もっとも、本来テレビや小説にすらそこまで強い関心を持たなかった香織からすれば他のエンターテインメントと何も変わらないだけなのだが。




スマートフォンから流れているweb広告を見終え、静かになった端末を見ながら、ぼんやりと香織はそう思い返していた。



「……デジタルタトゥー、って言うらしいですね」



変わらずスムーズに話し、変わらず頼りないほどの小声で茜はそう呟いた。



「顔とかは、映らないようにしてますけど……。今の時代特定されないとは言えません………すみませんでした」


説明をしながら、茜はまた申し訳なさそうに声を潜め、頭を下げた。

これで短時間で何度頭を下げているのだろう、と他人事のように考えた香織は、彼の晒された頭頂部を見ながら思考の海に潜り直した。




そう言った類のものには疎いが利用しなかったと言うわけでもない。間違いなく世界的に有名な動画投稿のサイトだった。


そして、流れているのは先程までの宮原の暴力と、それを受けている香織自身だ。


自身のトラウマやいたぶられている姿を全世界に見せたい訳ではないが、考えれば考えるほどに香織に湧き上がってくるのは感謝と尊敬であった。



茜が撮影してくれていたおかげで宮原を追い詰める武器になり得たし、その武器は今、デジタルの世界でどこまでも膨れ上がり彼を飲み込もうとすらしているのだから。



改めてお礼を言おうと香織が顔を上げたのを感じてか、茜もまたゆっくりと顔を上げた。


そして、彼女の表情に後ろ暗いものが全く感じられなかった事に意外そうに苦笑いを浮かべる。



「………なんで笑顔なんですか。………ボクは、五十嵐さんが殴られてるのを撮影していたんですよ?」


自分を嘲笑うように鼻を鳴らしたその姿は、どこか拗ねたようにも自責しているようにも見えた。


子供っぽく見える彼の様子を優しく見守って微笑みながら、香織はハッキリと分かるように大きく首を横に振った。



「茜は、私を助けてくれたでしょ?………こうやって晒したいだけなら、私がされる事全部撮影してればよかったもん」



でも彼はそれをしなかった。

香織にまた宮原の忌々しい手が伸びた時に、彼は隠れて撮影していた机の下から抜け出して来てくれたのだ。


撮影を止めた音が響いて、逃げるためだったかもしれない。だが、香織はその一連のお陰で今こうして顔は痛むがそれだけで学校を逃げ出せている。



それがどうしようもなく嬉しくて。



それをもたらしてくれた茜にどうしようもなく感謝を伝えたくて。


香織は痛む頬を頑張って伸ばしながら笑顔を作り上げた。


「ありがとう、茜」



茜が無事だったことの安堵からまた溢れていた涙はいつしか止まり、殴打が原因ではない目が腫れている。


話すたびに、言葉を交わすたびに。

頬は痛むし心も痛む。



それでも、香織は笑顔だった。





「………………そ、そんな……いや、ボク、は……はっ……」


だが、対する茜は目を見開いて驚いているようであった。


感謝を言われて戸惑っているだけか、と香織はその顔を見つめていたが、どうにもそういった様子ではなさそうだ。


彼は茫然自失といった様相を呈し、1人呟く口調はさっきまでと打って変わっていつもどおりの詰まった言葉達が生まれている。



「………あかね?」



下から覗き込むように声をかけると、茜はそれで気がついたのか、バチっと音が聞こえるように身体を震わせて意識を目の前にいる香織へと向けていた。


「あ、ぁ……ごめん、なさい……大丈夫」



何か考えを振り払うように勢いよく首を振り、彼は立ち上がった。しばらく座っていたせいか立ち上がりふらついた彼を支えたのは、同じく立ち上がった香織だった。


香織も足が痺れて少しふらついていたが、茜の重たい身体にもたれるようにすれば幾ばくかはマシに感じられる。


1人で立ち上がることもできない2人は、まるで恋人のように寄り添いながら足の痺れが過ぎ去るのを待っていた。




「か、重ね重ね……その、申し訳」


「これだけの事で謝らないの!……それに、ありがとうって言ってくれた方が嬉しいよ?」



さっきまでの仕打ちを考えると浮かべている表情も発される声色も、香織と茜の立場は逆転していた。



助けた茜は謝り倒し、顔色は晴れず。


暴力を受けて助けられた香織は顔を腫らしながらも笑っている。




「………動画サイトに出したのは、やっぱり宮原をなんとかしたいって思ってくれたから?」


脚の痺れが収まってそれぞれが自立し始めた頃に、不意に香織はそう尋ねた。



「………は、はい……。き、き……教育、委員会に、も……送りまし、た」


責められていると思ったのだろうか、茜は何時もより少しだけ噛みながらそう返し、また申し訳なさげに顔を俯かせた。


そんな彼を励まし、気にする事ではないと伝えたくて、香織は軽い言葉を選びながら戯けて肩をすくめた。


「怒ってるわけじゃないからね!……むしろ逆。……これで、宮原に仕返し出来たかな?」


「こんなんじゃ、足りないと思いますけど」



茜の返答は予想に反して即答であった。



きょとん、と真顔で詰まらずそう返した彼の言葉はどこか香織に恐ろしさを伝えてくるようで、香織は一瞬返答に詰まってしまった。



「………ありがと」


彼の返答は言外に香織を大切に思ってくれているという見方もある。

それに気がついた香織は全ての思考を捨て去って、ただ気恥ずかしく赤くなりながら、呟くようにまた別種の礼を告げた。



「こ、これ、で……お母様のこと、わかるといい、ですね……」


その一言で香織はようやく本来の目的を思い出した。


宮原の恐怖と暴力でぐちゃぐちゃに潰されてしまったが、彼女の目的はあくまで行方不明の母親の行方だ。




こうして動画という証拠を残し、インターネットという地球よりも広く深い世界に刻みつけたのだ。間違いなく宮原は痛い目に合うだろう。


だが、それで改心してくれるかは別物だ。


自分が行方不明だったのにそれを隠すような学校ーー宮原が言い出したらしいがーーの言い分に引っ掛かりを覚えた程度ではあるのだ。何かしら情報は手に入ると思うが、重要なものではないかもしれない。



それにその情報を素直に教えてくれるだろうか。


逆上してさらに酷い目に遭うかもしれない。

しかも、それは今度は間違いなく香織だけではなく、茜にまで被害が及ぶ。


それだけは避けたいな、と香織は考えながら目の前で視線を一切合わせない小太りの少年のたるんだ口元を見ながら小さく微笑んだ。



「………今日はいろいろあって疲れたから……そろそろ帰ろうかな」



「そ、そうですね、それがいい……と思います。ゆっくり眠って、や……や、休んでくださいね……?」


肉付きのいい太めの指を押し潰すようにもしもじさせながら茜は何度もゼンマイ仕掛けの人形のように顔を縦に動かした。



「うん、茜も帰り気を付けてね?」


「あ、は、…はいっ……ありがとう、ございます……」



まだ顔は腫れ上がっているだろう。

動画が他人にも見られる状況になってはいるが、具体的に何か解決したわけではない。


それでも、香織は腫れた顔を晴れさせながら1度気持ちをリセットさせるように大きく手を叩いた。


静かな夜の公園にその柏手の音は大きく響き、突然の行動で茜の肩も大きく跳ね上がった。



「茜の家は、どっち?」


「ぁ、っと……向こう、です……。しょ、ショッピングモールの、すぐ、前の……」


茜が指した指先をゆっくりと辿ると、この町では少し浮いた存在の大きなショッピングモールが見える。

遠くからでもはっきりとわかるほどライトアップされ、隣には同じくらい大きなタワーマンションがそびえ立っている。



「え、あの大きなマンションなのっ!?」


「………あ、えと………まぁ……はい……」


香織が子供の時から建設が始まり、周りの大人達が揃って大金持ちしか住めないと噂の的にしていたマンションに住んでいるとは。


家がお金待ち、と新たな情報を手にして笑う香織からは、先程までの受けた仕打ちなど微塵も感じられず、それのせいで余計に腫れ上がった顔が痛々しくて悲しく街頭に照らされている。



「あそこなら、宮原もどうしようもないから大丈夫かな……。帰り道だけ、気をつけるんだよ?」


親のように心配の言葉を優しくかけながら香織は歩き始めると、茜も慌ててその隣をついてきた。


公園から出たところで2人の道は分かれる。

小さく手を振りながらまた笑顔を見せた香織は茜の事を真っ直ぐに見つめた。



「茜、改めて本当にありがとう……!……今度こそお礼するし、もっと茜のこと知りたいな」


「あ、あ、はい……っ……はいっ……!」



嬉しそうに茜は何度も頷いて返事をした。


その姿も可愛らしくて、この場に残ってしまうといつまでも話していたいと思ってしまう。

迷惑をかけてはいけない、と香織は意を決したように「じゃあね」と告げて踵を返した。


「……ぁっ……、か……」


背中にかけられた声にチラッと振り返るが、彼は口をパクパクとさせながら指をしきりに動かしているだけであった。


仲良くはなりたいと思っているが、まだそこまでの時間一緒にいたわけではない。

何が言いたいのかを察する事が出来ずに香織が軽く首を傾けると、茜は暫く指と口を動かした後、諦めるように大きくため息を吐いた。



「…………い、え…………また、が、学校、で……」



結局それだけを告げて帰っていった彼の背中は何故か落ち込んで見えて。


その肩は何処か落ちているようにも見えて。


香織は不思議と心配を混ぜたような眼差しで見つめた後、またゆっくりと振り返って家への道を歩き始めた。








大通りに出てしまえば、遠回りにはなるが人通りも多くて安心だ。


香織はゆっくりとだが確実に家へと足を動かしていた。




宮原は、香織の家の住所など勿論知っているのだろうが、香織にはイヤリスがある。


自宅に帰ってさえしまえば、またあの世界に行ける。


あちらでは全てが安心だ。

魔物などはいるし、時折街が襲われることもあるが、空達がいるのだ。

香織は安心して守って貰えばいい。


今のまだ奥底は壊れたままの心や感情も、向こうでは癒されるのだろうか。



拍子抜けするほど何も起こらず家に帰り、誰も待っていない寒く暗い家を開けるといつもより素早く、そして鍵だけではなくチェーンロックもかけた。


焦った様子では無いが、暗い部屋に怯えたように香織は硬い表情で手だけを素早く動かす。



自然と早くなる脚は階段を上り、自室の扉の前までその身体を運んでいった。


ここまでくれば後少し。


安心した顔で香織は扉に手をかけ一気に開け放った。



ガチャ、と音を立てて開いた扉の先には何も無い。


勿論本棚や机などいつも通りの香織の部屋ではあるのだが。


その壁に浮かぶ青いもう一枚の扉。



迷わずそれに触れた香織は、マナリスの裏の庭に着くと、以前瑠奈と出会い、話をした芝生までよろよろと歩いて行くと、音を立てて勢いよく倒れ込んで。


そうしてそのまま、疲れ切った身体に従うように目を閉じ、安心したような笑顔を浮かべながら睡眠へと堕ちて行くのだった。

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