第6話 再会
「心配だったんだからね………っ?連絡も取れないし返信どころか既読にすらならないし」
奈緒と久しぶりすぎる再会を果たした香織は、必要以上にくっついてくる彼女に膝の上に座らされ、彼女の座席から移動することすらさせては貰えていなかった。
久しぶりな教室と友人達。
来ることに緊張して不安だったのがバカだったと思える程に、奈緒を始めクラスメイト達は優しく出迎えてくれた。
ひと時とはいえ彼女達すら切り離してイヤリスで過ごしていた時間が悪だとは思えはしなかったが、それでも申し訳なさは強く感じてしまっていた。
「って、ごめんね?……大変な事になってるのは分かってたけど………」
香織が自分の思考に浸っていて返事がなかったのを焦ったのか、奈緒は顔を見なくてもわかるほどに慌ててフォローの言葉を告げた。
その様子が可笑しくて、どこか嬉しくて。
香織は口角を上げてしまいながら自身の膝に両手を当てて少しだけ力を込めた。
「ううん、私こそごめんね?……心配してくれてるのも無視しちゃって…」
言葉の内容と裏腹に、香織の言葉には喜びの色が滲み出てしまっている。
それが逆に良かったのかもしれない、奈緒は安心したように背後から香織の事をぎゅぅっと強く抱きしめた。
「今こうやって戻ってきてくれたから……いいよ」
感極まってしまったのか言葉の最後は潤んで消えてしまい、彼女はそのまま香織の肩に顔を押し付けて小さく鼻を鳴らしながら震え始めてしまった。
香織も何か口にするわけでもなく、ただ小さく微笑みをたたえたままで下を向いていた。
香織と奈緒が再会を果たしている教室では、ちらちらとそちらの様子を気にしながらも、香織がいた時となんら変わらない日常がただ広がっている。
いつも通りの会話をし、いつも通りの準備をして。
そして教室の扉が担任教師によって開かれ、香織はゆっくりと奈緒の拘束を解いて自分の席へと戻る。
イヤリスは既に香織の中で大切な存在にはなっているが、このありきたりな学校生活も捨て去ることはできない。
改めて香織は自身のした行動と決意に間違いはない、と言い聞かせていた。
今日の予定や新たな周知事項を話す教師の声に、何となく香織は顔を上げ、そして表情を一瞬で無くしてしまう。
教壇には本来立つはずのない、香織のトラウマとも呼べる、そして今香織がここにいる理由そのものである男性が爽やかな笑顔を浮かべて香織を真っ直ぐに見つめていた。
「じゃあ今日も一日頑張っていきましょう」
そんなまたありきたりな言葉で締めくくった教師、宮原は教室を後にする際にちらっと香織に視線をやり微笑んだ。
その微笑みに黄色い声を上げる女生徒も少なからずいる中で、香織は身体の芯から冷えたような不気味なものを感じていた。
けれど、以前であればそのまま心を閉ざしてしまいそうになっていたが、今の香織はイヤリスで変わることができた。そう思っている。
宮原が閉じた教室の扉を見ながら、真剣に目を細めながら身じろぎひとつすることなく、ただただ目を細めていた。
1ヶ月も登校せず、自分では何の連絡もとっていなかったのだが、香織の学校生活にはさして変化はなかった。
もちろん授業の内容は一切わからなくなっていたし、補講のためとクラスメイトとは別の教室で特別授業を受けてはいたのだが、それぐらいのものである。
皆に伝えられている事情のせいか、香織が登校していなかった時期について触れる人間も少なく、あの頃に戻ったかのように香織はいつも通りのルーティンのような生活を過ごしていた。
友人達と昼食を食べーー今日に限っては初めて購買で買ったパンであったーーまたひとりぼっちの特別教室で駆け足の授業を受ける。
まるでそこには何の問題も無いかのように過ぎ去っていく時間に身を任せていると、あっという間に窓の外は茜色の景色に変わっていく。
帰りのSHRに参加した後、今後について話すために生徒指導室に呼び出された香織は、その扉の前で棒のように立ち尽くして扉を睨んでいた。
この扉を潜ることに良い思い出はない。
もっとも、生徒指導室に喜んで入っていく人間の方が少ないのかもしれないが、香織にとっては地獄の門のようにその扉を明け放つことは憂鬱でならなかった。
自分の生活と母を守る、そんな言い訳をしながら宮原に良いように扱われるためにこの扉を開け放ってきたのだ。
それに、今後の話をするのは間違いなく宮原なのであろう。そんな説明はなかったが、香織には確信めいたものが存在していた。
香織が久し振りに登校してきて、そこには出所がどこであれ母親がいないという事実が存在しているのだ。
事情や行方を知っていても知っていなくても。
その本来学校に伝わるはずのない事実が宮原自身によるものだとしても。
自身をさらに囲い込む良い餌であることは間違い無い。こんなチャンス逃すはずはない。
それで良いのだ。と香織は自分にまた言い聞かせる。
自分はトラウマと、宮原と向き合うためにまた学校に来た。どれだけ憂鬱で今すぐにでも戻してしまいそうでも。
決意が揺らぐ前に勢いよく生徒指導室の扉に手をかけたが、香織の決心とは裏腹にその扉は施錠されており、引っかかるような音だけを響かせて開くことはなかった。
「あ、あの………指導室は、使えないって………先週…」
再度ビクともしない扉に手を掛けて黙り込んでしまった香織の背後から、何かに怯えるような頼りない声が響いた。
香織を受け入れなかった地獄の門から手を離してゆっくり振り返ると、そのまま香織は嬉しそうに破顔した。
「茜っ!」
呼び出されていたのに扉が開かない事など意識から飛んでしまう程に、香織は嬉しそうに笑った。
「会えて良かった……!今日探しにいく時間も無くて……」
「あ、あ……あの………はい………」
1度しか会っていないのに変な表現になるかもしれないが、相変わらずの姿がそこにはあった。
目元と表情を隠すかのように長く手入れされていない天然パーマで、唯一見えている口元も頼りなく震えながら顔を香織から背けている。
結果論ではあるが、香織にきっかけを与えてくれるような存在となった彼は、また頼りなさげに唇を小さくパクパクと動かしてから言葉を口にした。
「か……五十嵐さん、も……また、学校来られて良かった、ですね……」
ヒクつきながらも何とか笑顔かな、と判断できるほどの口元の動きであったが、香織は嬉しそうに彼の肩を数回叩いた。
「うん……茜とも会えたしね!………沢山お礼はしたいんだけど……今は呼び出されてて」
申し訳なさそうに両手を合わせた香織だったが、その小さな音すらに驚くように軽く肩を跳ねさせた茜は、手に持っていた鞄を弄りながら顔を完全に下に向けた。
「あ、あの………知ってます………えっと………場所を、変える、って………」
「ん?………場所って………私の呼び出された話?」
要領を得ない言葉だったが、香織は気にするそぶりすらなく、首を軽く傾けて少し下にある彼の顔を見つめた。
口元を赤くしながら何度か頷いた彼は、また鞄の紐を弄り回しながら、外の部活の声にすら負けてしまうような小さな声を発した。
「五十嵐さんに……って。……部室棟の、ミーティングルームでって………」
「あ、そうなの?……ごめんね、茜は関係ないのにパシられちゃったの?」
「あ、いえ……たまたま、です………はい」
その言い方にまた香織は小さく微笑んだ。
部室棟のミーティングルームは1階だったか。初めていく場所ではあるが、噂では授業をサボったりカップルが使ったりする所と言う話であるし、人通りはないのだろう。宮原の考えそうな事だ。
鼻を鳴らして嘲笑ってしまった香織を不審そうに見つめながら、茜はじっと黙っている。
「そっか………ありがとうね!……また明日、今度こそお礼するから………ね?」
その言葉に間違いなく茜は首を横に振るのだろうと想像していた香織であるが、彼は小さく口をモゴモゴ動かしながら、たっぷり数分間鞄の紐を弄り倒し、ゆっくりと首を縦に振った。
「ありがとう!………じゃあごめんね?私行かなきゃ!」
ぽん、と茜の左肩を叩き、香織は早歩きで隣を通り過ぎた。
触られた肩をそっと撫でながら背中を見送った茜は、じっと黙り込みながら香織の姿が消えるまで目線をそらすことはなかった。